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交通路上の交差物を乗り越えるための構造物 ウィキペディアから
橋(はし、英: bridge)は、地面が下がった場所や何らかの障害(川など)を越えて、「みち」(路、道) のたぐい(通路・道路・鉄道など)を通す構築物である[1]。工学上は橋梁 (きょうりょう) という[2]。
橋というのは、何らかの障害を越えて、路や道を通す構築物である。橋が通す「路」のたぐいには、道路や鉄道のほか水路もある[2]。橋が越える障害には、河川、湖沼、海峡、湾、運河、低地などのほか、他の交通路(他の鉄道や他の道路類)や他の構造物など、さまざまなものがある[2]。
紀元前4000年(紀元前40世紀)頃のメソポタミア文明では石造のアーチ橋が架けられている。紀元前2200年頃、バビロンではユーフラテス川に長さ 200 m のレンガ橋が架けられた。
なおアーチ橋の架橋技術は、古代メソポタミア地方で発祥した技術が、世界に伝播して西洋と東洋それぞれ独自に発展したとする研究が発表されている[3]。
古代ローマ帝国は技術力や軍事力に優れ、地中海世界やガリアの地で支配地を広げ巨大な帝国となるにともなって、物資運搬(ロジスティクス、兵站)、軍が戦地へ移動する速度、水の供給、などの戦略的な重要さの理解も深まり、道路網と水道網(水路網)も積極的・戦略的に整備した結果、多数の橋が架けられ、架橋技術も大きく進歩した。現存する古代ローマの水道橋は驚くべき精度を持っている。
なおローマ教皇は英語で「ポープ」と呼ばれるが、この「Pope」の正式名称である「最高司教:Pontifex maximus」の前半部は「橋:Ponti」と「つくる:fex」から成り立っている。この名前が示すように、初期キリスト教の時代(古代ローマ時代)には橋を架けることは聖職者の仕事(聖職者が主導して行う仕事)でもあった。中国や日本でも橋は仏教僧侶が(主導して)架けることが多かったのである[4]。
日本での記録に残っている最古の橋は、『日本書紀』によると景行天皇の時代に現在の大牟田市にあった「御木のさ小橋」(みきのさおはし)である。巨大な倒木による丸木橋とされている(ただし大きさに誇張がある。詳細は巨樹#伝説上の巨樹を参照)。人工の橋では同じく『日本書紀』によると324年(仁徳天皇14年)に猪甘津橋(いかいつのはし)が架けられたのが最古とされている[5][6](現在の大阪市にあたる場所にあったと推定されている)。また、624年(推古天皇32年)に道昭が京都の宇治川に宇治橋を、726年(神亀3年)には行基が山崎橋を架けるなど、古くは僧侶が橋を架けたことが知られている[6]。これは僧侶が遣隋使や遣唐使として中国に渡り技術を学び独自の高度な知識を持っていたことや、その知識を使って庶民の救済の一環として土木事業を指導したことによる。
中世でも、中規模程度の石造りのアーチ橋は造られ続けていた。戦乱の続いた時代では橋は戦略上重要な拠点となるため、守備用の塔が付属して建てられたり、戦時に敵の進軍を妨害するため簡単に壊せるようになっていたりする橋も多い。
ルネサンス期になると扁平アーチが開発され、軽快な石橋が建設されるようになった。
鎌倉時代、それ以前と同様に僧侶の勧進活動の1つとして、重源による瀬田橋や忍性による宇治橋の再建などが行われた。これは人々の労苦を救うとともに架橋を善行の1つとして挙げた福田思想の影響によるところが大きいとされている。
戦国時代の武将たちは、戦略・戦術上重要である築城に必要な土木技術を向上させ、大きな集団を組織・運営する能力もあり、大工を一時的に雇うだけでなく、土木技術を担う職人集団を自ら養成したので、その技術と技術者・作業員の集団が橋の建造にも次第に活かされるようになった。たとえば織田信長は、軍事・戦略的な意図もあり、それまで簡易的な橋でしかなかった瀬田の唐橋を本格的な橋に掛け変えた。また豊臣秀吉は大坂城の掘に「極楽橋」という橋を建造した。
鎌倉時代・戦国時代までの日本では木造の橋がほとんどであった。
(日本が本格的に武家の世になった)安土桃山時代から江戸時代に入るとようやく、都市部や街道において橋の整備が進められるようになった[7]。
江戸時代の大都市には江戸幕府が管理した橋と町人が管理して一部においては渡橋賃を取った橋が存在し、それを江戸では「御入用橋」と「町橋」と呼び、大坂では「公儀橋」と「町人橋」と呼んだ。
江戸時代には九州や琉球では大陸文化の影響を受け、石造りの橋が多く作られるようになった。たとえば明出身の僧侶如定による長崎の眼鏡橋の造営があり、江戸時代末期に作られた肥後国の通潤橋は同地方の石工らによって様々な工夫がされたことで知られている[6]。また、石積みの橋桁と木製のアーチを組み合わせた周防国岩国の錦帯橋など、中小河川における架橋技術の発達を示す例が各地でみられるようになった。
この他、八橋と言って、川底が浅い場所に杭を打ち、その杭の間に板を渡すという方法で作られたために、川の途中で曲がりくねった構造をした木造の橋が作られたこともあった。なお、2016年時点の日本においても「八橋」と言う地名が複数残っている。
18世紀末期から19世紀にかけて、産業革命によって生産量が増えた鉄を用いた橋が出現する[8]。鉄の量産により橋梁技術が飛躍的に向上し、橋脚と橋脚の間隔を示す支間長(スパン)が大幅に伸びて長大橋が建設されるようになる[8]。初めは銑鉄を用いた全長30 mの橋がイギリスで架けられ、製鉄技術の改良により鋼を用いた橋が誕生する[9]。1873年には鉄筋コンクリートを用いた橋がフランスで初めて架けられ、その後全世界に普及する[9]。日本で最初の鉄橋は、1868年(慶応4年)に長崎の眼鏡橋が架かる中島川の下流にオランダ人技師の協力を得て架けられたくろがね橋である[8]。純日本国産の鉄橋第1号は、1876年(明治11年)に東京の楓川に架けられた弾正橋であり[8]、鋼橋としては、1888年(明治21年)に完成した東海道本線の天竜川橋梁が日本初である[8]。さらに鉄道網の進展、自動車の普及と交通量の変化に合わせて重い活荷重に耐えられる橋が要求されるようになって、1900年代に入ってから鉄筋コンクリート製の橋も造られるようになった[10]。また、経済の急速な発展に伴い、経済的で短い工期の工法が重視された。
橋に求められる基本的な要件は、橋に掛かる荷重を支えること及び通行する車両等の荷重が掛かったり、振動が長期に繰り返されたりしても変形が大きくなり過ぎないことである。さらに、地震や台風の多い日本では、地震発生時及び台風通過時の安全性を確保することも重要になる。また現代の橋には、実用性だけではなく、デザイン性も求められる。大きく目立つ橋はその地域のシンボルになりうるため、構造物自体のデザイン性や周囲と調和するデザインを有していることが望ましい。
現代の橋には、構造の強さだけでなく、需要に即した規模、気象条件、景観を含めた周辺環境への配慮、経済性、ライフサイクルコストも考慮した設計が要求される。
現在の日本には、全国でおよそ72万6千の橋がある[11]。
近年まで橋の定期点検が十分に行われていなかったため、老朽化を要因とする事故が相次いだ。2007年(平成19年)11月には吉野川水系の日開谷川の支流の1つである大影谷川にかかっていたトラス橋が、自動車通過中に落橋するという事故が起きた[12]。この事故後の調査で、この橋も定期的な管理がなされていなかったことが判明した[13]。
こうした事故を受け、2012年(平成24年)に道路法が改正され、道路管理者は管理する全ての橋梁について、5年に1度近接による目視で点検を行い、健全性を診断することにした。橋の定期点検をすることで、橋の安全性を確保し、点検結果を元に橋梁長寿命化修善計画を策定することで、橋の計画的な長寿命化及び更新を図っている。
上部構造は、床構造と主構造から成り立つ[14]。床構造は床版(しょうばん)や床組(ゆかぐみ)によって形成され、通行する交通を支える役目を持つ[14]。主構造は主桁など、床構造を支えて荷重を下部構造に伝達する役割がある[14]。 吊橋や斜張橋では主塔やケーブルも上部構造に含まれる。さらに、車両や人などが橋から落下するのを防ぐ高欄(こうらん、欄干・らんかん)や自動車防護柵、照明柱などの付加物、下部構造とをつなぐ支承(ししょう)や道路と橋梁の境にあたる伸縮継手も上部構造に含まれる。
下部構造は上部構造を支え荷重を地盤に伝達する橋台(きょうだい)と橋脚(きょうきゃく)、それらを支える基礎(きそ)を指す[14]。橋の両端に設置されるものを橋台、中間に設置されるものを橋脚と呼ぶ。基礎には直接基礎、杭基礎、ケーソン基礎などの形式がある[14]。
橋には、用途や材料、橋床の位置、橋桁構造、可動するかどうかなどにより、様々に分類される[15]。用途別、材料別、構造形式別によって分類が行われる。
それぞれ長所と短所があり、橋の用途や長さに建設コストの要素が考慮されて決定される[15]。
橋の構造形式には以下のような種類がある。なお、主な部材に働く力については、構造力学、材料力学、力学などの項目を参照のこと。
主要構成部材の材料により、以下のような種類がある。
※なお日本では、鋼橋やコンクリート橋などが昭和30年代頃から「永久橋」などと呼ばれた。出典:国土交通省「Ⅱ.道路の老朽化対策の本格実施に向けて」 (PDF) 。
橋はその果たす機能により様々な名称が用いられる。大きな区分として通過交通による分類、すなわちその橋が何を渡すものであるかが挙げられる。人車の交通に限らず物体の輸送用として、専用・兼用で用いられる事も多い。橋の下が水面でない物を、陸橋と呼ぶ。
一般的な橋として、道路交通(自動車)を渡す道路橋、人を渡す人道橋(歩道橋)、列車を渡す鉄道橋などがあり、さらに何を渡る橋であるかによって前記の表に示す呼称が使い分けられる。なお、鉄道橋は鉄橋と略される場合もあるが、鉄または鋼を用いた橋と混同されることがある。
道路と鉄道の双方を渡す橋もあり、鉄道道路併用橋(併用橋)と呼ばれる。
橋は例外なく屋外に設置され、気温や気象による自然環境の影響や、橋の上を通過する活荷重によって繰り返し応力が掛かる[20]。これにより、コンクリート橋ではひび割れ・凍害、化学的侵入、摩耗、塩害、鉄筋の腐食や二酸化炭素による中性化、疲労などの劣化が生じる[20]。また、鋼橋では特に溶接部の疲労や腐食も生じる[20]。ひび割れに対しては樹脂やバテの注入、鋼板接着や炭素繊維による補強などが行われる[20]。鋼橋では腐食に対してはサンドブラストで古い塗膜を除去した上で再塗装をする、き裂がある場合にはその先端部にストップホールを設けて進展を防ぐなどの方法で保守が行われる[21]。
橋の点検は表面的な変状を目視点検し、場合によってはハンマーの打音などで手で触れることなどが行われる[22]。こうした目視点検により、橋の舗装・高欄・排水装置・伸縮装置などの表面で分かる不具合から深部の不具合が疑われることがある[23]。ある不具合が発見されれば、それを引き起こす原因となりうる不具合を推測する[23]。目視点検を行いやすくするため、点検用の通路を設置する(小規模な橋の場合は仮設できるように足場を設置するための金具を設置する)、橋梁点検車で点検するなどの工夫が取られることがある[24]。
一般に、劣化が軽度な状態で補修した方が、より劣化の進んだ状態で補修するよりも必要な費用が小さくなる[25]。
アメリカ合衆国では、1920年代以降に造られた橋梁をはじめとした近代的なインフラが1980年代に耐用年数を超え始め、使用に制限を加えざるを得ないなど社会問題化した。このため、積極的にインフラの老朽化対策が進められるようになった[26]。
1995年の兵庫県南部地震以降、耐震設計が見直され、橋の免震や制震に関する技術が開発されて耐震補強工事に活用されるようになった[27]。地震後に橋が落下しないように、上部工と下部工でかかり長を確保することや、支承部の移動を制限する装置や地震のエネルギーを吸収する装置の設置、桁を相互に連結させる工事などが行われてきた[27]。
日本では2020年代以降、高度成長期に建設された橋梁をはじめとしたインフラストラクチャーの供用年数が50年を超え、前述のアメリカ合衆国同様に耐用年数が問題となる時期に差し掛かる[28]ため、政府は2013年よりインフラの長寿命化計画を立案し、順次必要なメンテナンスを進めている[29]。限られた予算の中で長寿命化やメンテナンスを進めるため、橋が供用年数、劣化の程度、橋の重要度からメンテナンスの優先順位が定められる[30]。
地方の小規模な橋では、建設年の記録が残っていない例もある。人口減少が著しい地域(過疎地域)では、架け替えや補修に必要な財政負担に見合う通行者数や自動車交通量が今後見込めないため、管理する自治体が撤去を決断する橋も多い。国土交通省の2018年時点集計では、撤去・廃止が決まった橋は全国で137カ所ある[31]。
一方で、いつ、誰が設置したかを河川管理者(国や都道府県など)が把握していない「管理者不明橋」(「勝手橋」)が、日本全国の河川で多数発見されている[32]。これらの橋は占用許可など法的手続きを経ないまま、河川管理者が定める基準を無視して設計・建造された可能性がある。迂回を嫌う地元住民の利用が多いとされるが、いずれも補修や点検が施されないまま放置されており、管理責任を曖昧なままにしておくことで、老朽化による崩落や、それに伴う事故や災害の拡大に繋がることが懸念されている[32]。
イタリアでは、2018年にモランディ橋が崩壊した際、設計の不備が疑われたほかメンテナンスが追い付いていないことも問題となった。また、イタリア国内において2013年からの過去5年間に10カ所の高架橋が崩壊していたことも報道されている[33]。
高さのある車両(高さのある貨物を積載した車両やクレーンを下ろし忘れた車両を含む)が橋桁にぶつからないようにするため橋の手前に橋桁防護工という頑丈なゲートが設置されることがある[34]。橋桁防護工に表示された制限高を超える車両の通行をゲートで阻止するための設備である[34]。
なお、同じ目的で車両が踏切で空中の架線に引っかからないように制限高を表示して注意を促す道路の左右に渡した標識を踏切注意標という[35]。
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