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岐阜市の繁華街 ウィキペディアから
中部地方有数の繁華街とされる。地形図では「柳ケ瀬」だが表記には揺れがあり、「ケ」が小さい「柳ヶ瀬」と表記することも多く[注釈 1]、地元でも厳密な区別はされていない。
柳ケ瀬商店街のメインストリートには美川憲一の『柳ヶ瀬ブルース』の歌碑が設置されている。中部地方随一の規模を誇る全蓋式アーケード街を擁し、地方都市の繁華街・歓楽街としては規模が大きな街である。かつては名古屋市から訪れる人も多かった。
メインストリートとなる柳ケ瀬通りは、JR東海道本線・高山本線 岐阜駅の北約1kmの付近に東西方向に約500mにわたって伸びている。西側は忠節橋通り(国道157号)、中心付近は金華橋通り、東側は長良橋通り(国道256号)がそれぞれ南北に横切っている。
1950年(昭和25年)に劇場通北と新京極の両商店街が振興組合を発足し、さらに1951年(昭和26年)と1952年(昭和27年)に残りの単組が振興組合を設立した[1]。その後、11の振興組合と1つの発展会(楽天地発展会[2])が1952年(昭和27年)7月18日に「岐阜柳ケ瀬商店街振興組合連合会」を結成した[1]。現在の同連合会には、8つの振興組合が加入している[2](「柳ケ瀬」と「柳ヶ瀬」が混在しているのは原文ママ)。
名前 | 発足 | 備考 | 現在の加入[2] |
---|---|---|---|
岐阜劇場通北商店街振興組合 | 1950年3月30日 | ||
新京極商店街振興組合 | 1950年3月31日 | 後に髙島屋南商店街振興組合に改名、現在は解散 | |
柳ケ瀬通一丁目商店街振興組合 | 1951年2月19日 | ||
柳ヶ瀬通2丁目商店街振興組合 | |||
柳ヶ瀬通3丁目商店街振興組合 | |||
弥生町商店街振興組合 | |||
西柳ケ瀬商店街振興組合 | 現・スタープレイス柳ヶ瀬商店街振興組合 | ||
日ノ出町商店街振興組合 | |||
神室町南柳ケ瀬商店街振興組合 | 通称・レンガ通り商店街 | ||
小柳町商店街振興組合 | 1952年2月8日 | 2022年10月に解散、現在は小柳町自治会内発展会として活動を継続 | |
劇場通南商店街振興組合 | 1952年5月31日 |
もともと美濃国稲葉郡上加納村の字名として柳ケ瀬という地名があった。1889年(明治22年)に上加納村の北部が合併して岐阜市の一部となり、岐阜市の字名となった。
昭和に入ると、近代的な商業施設の誘致を求める声が上がり、市長であった松尾国松が関西財界に働きかけ、百貨店の誘致を行った[3]。これを受け、中林仁一郎が経営する京都物産館(のちの丸物)は初の本格的な支店開設を決意した。1930年(昭和5年)4月の出張所開設を経て、同年6月1日に(京都)物産館岐阜支店を柳ヶ瀬に開業した[4]。岐阜県内初の百貨店だった。
1966年(昭和41年)には美川憲一「柳ヶ瀬ブルース」が120万枚を超える大ヒット曲となり、柳ケ瀬商店街が全国的な知名度を得た。
1973年(昭和48年)7月7日午後3時40分頃、キャバレーから出火して延焼、繁華街の110軒が全半焼した。消防士ら6人が負傷[5]。
髙島屋はヤナゲンと合弁でヤナゲン髙島屋の出店を計画していたが、単独出資に変更し、1977年(昭和52年)には岐阜髙島屋が開店した。一方、髙島屋と同じ京都発祥の丸物は、近鉄グループの一員としての立場を明確化するため、京都近鉄百貨店に社名変更し[6]、柳ヶ瀬の店舗は報道なども含め、岐阜近鉄百貨店と呼ばれるようになった[7]。さらに、ファッションビル「近鉄アミコ」(のちのイマージュ)も同年12月に開業した。
1980年代後半以降は郊外型店舗の出店や増床が相次いだことにより商店街が空洞化した。1996年(平成8年)10月、髙島屋岐阜店の開業と岐阜近鉄百貨店の改称から20年が経つのを前に、髙島屋岐阜店の営業統括グループマネージャーが岐阜近鉄百貨店の営業推進課長に共同催事の実施を持ち掛け、1997年(平成9年)4月に第一陣の共同バーゲンセールを行った。売上は目標を下回ったものの柳ヶ瀬商店街の関係者からは好評で、同年秋には第二陣も企画されるほどとなった[8]。しかし、衰退傾向に歯止めをかけるには至らなかった。JR東海が東海道線のフリークエントサービスを拡充した結果、競合する名鉄名古屋本線共々速達化が進み、名古屋市へ出かけやすくなったことに加え、郊外型店舗に限らず、2000年3月に名古屋駅へジェイアール名古屋タカシマヤが開業することが決まり、新たな競合が出現することになった[9]。
岐阜近鉄百貨店では岐阜駅前への移転を検討していたが[10]、旧店舗の跡地問題などを理由に断念し、1999年(平成9年)春には同年秋の閉店を決定した。この際、髙島屋岐阜店についても赤字店として閉店のうわさが流れるほどとなった[11]。その後も同店の関連施設であった「イマージュ」は京都近鉄百貨店と合併した近鉄百貨店に引き継がれて運営を続けたが、ビル所有者「柳ヶ瀬ビル」の破綻を受けて2001年(平成13年)夏に閉鎖された。
2005年(平成17年)4月1日には名鉄岐阜市内線(路面電車)が廃止され、鉄道駅からのアクセスが不便となったことで、さらに衰退に拍車がかかった。同年10月1日、柳ケ瀬唯一かつ岐阜市唯一のデパートである岐阜タカシマヤが1977年(昭和52年)の開店以来となる大規模リニューアルを行った。
2008年(平成20年)から、非公式キャラクターやななを中心として中心市街地活性化のプロジェクトが行われた。しかし、やななは、2013年(平成25年)に引退した。
2009年(平成21年)3月には柳ケ瀬商店街が中小企業庁によって新・がんばる商店街77選に選定された。
2011年(平成23年)4月22日、中心市街地の活性化を目的として地元商店街と岐阜市が誘致した「ドン・キホーテ柳ケ瀬店」(2020年(令和2年)10月閉店)が、旧メルサ跡地にオープンした[12][13]。これにより近年遠退いていた若年層の客足が戻り、髙島屋との間に買物客の回遊性が生まれたことで[13]、商店街の中には「大型店のレシートを提示すると割引」するなどのサービスを行う店も出てきている。
2012年(平成24年)7月13日には町おこしの企画として、岐阜発祥の口裂け女を主役とした「柳ヶ瀬お化け屋敷 恐怖の細道」が柳ヶ瀬商店街で開催された[14][15]。プロデューサーはオカルト作家の山口敏太郎であり[14][15]、名誉顧問は美川憲一である。
2014年(平成26年)7月2日、美川憲一が歌手生活50周年を迎えた記念として柳ヶ瀬歌謡ショー2014に参加[16]、特別ゲストとして歌唱しトークショーと握手会など開催した[17]。
2016年(平成28年)4月1日の『柳ヶ瀬ブルース』発売50周年を記念して[18]、7月22日にホテルグランヴェール岐山で美川憲一がチャリティーコンサートを行った。7月23日には旧長崎屋前の特設ステージにて[19]、観覧無料の「憲ちゃんまつり」が開催された。「憲ちゃんまつり」の入場者数は二千人となり[20]、昭和の柳ヶ瀬商店街の特徴であった「肩と肩が触れ合う[21]」が再現された。
2021年(令和3年)、岐阜県暴力団排除条例が改正され、柳ヶ瀬が暴力団排除特別強化地域に指定。同地域内で暴力団がみかじめ料徴収を行うこと、また、飲食店側がみかじめ料を支払うことに対して罰則規定が設けられた[22]。
かつて柳ヶ瀬には5店舗の大型商業施設があったが、郊外型大型ショッピングモールの開業や名古屋市の大型商業施設との競合により、4店舗(隣接する新岐阜のジャスコ岐阜店・ダイエー岐阜店・新岐阜百貨店・岐阜パルコを含めれば8店舗)が撤退した。2005年(平成17年)には唯一の大型商業施設となった岐阜タカシマヤ(髙島屋)がリニューアルオープンした。2011年(平成23年)4月にドン・キホーテ柳ケ瀬店が旧岐阜メルサ跡地にオープンしてからは、近年遠退いていた若年層の客足が戻りつつある。しかし、そのドン・キホーテも2020年(令和2年)10月に閉店し、唯一残った岐阜髙島屋も2024年(令和6年)7月に閉店。中核となる大型商業施設が全て閉店となる状況となった。
岐阜市が誕生した頃に、大黒座と泉屋という芝居小屋が建てられたのが柳ケ瀬の大衆演劇の歴史の始まりである[27]。明治30年代には、新しい娯楽として活動写真が親しまれるようになり[28]、明治43年に最初の活動写真館常設館である「電気館」が建てられた[29]。明治39年から昭和21年までは浪曲小屋があり[29]、大正時代には寄席や国技館などもあったが、いずれもすぐに閉館した[30]。昭和30年代の中ごろには200メートルの直線距離に8館の娯楽施設が集まっており[31]、最盛期の昭和40年代前半には柳ケ瀬に13個の映画館があった[32]。
柳ケ瀬地区の環境整備の一環で1978年(昭和53年)より「柳ケ瀬カラー舗装5ヵ年計画」として、柳ケ瀬地区のカラー舗装化が実施された[35]。これにより、側溝やガス・水道・電話の配管、配線が地中に埋められ、40センチメートル角のカラータイルが敷き込められた[36]。これにより、各振興組合でレンガやアーケードが異なっている。(尚、日ノ出町通りは2014年アーケード新築時に舗装タイルを撤去、現在は赤味を帯びたオーク色のカラーアスファルトで舗装されている)
上述したような近年の著しい衰退を止めるために柳ケ瀬通周辺約9haの地域は、同じく衰退が著しいJR岐阜駅北約21haと共に都市再生緊急整備地域の指定を受け、再開発計画が動き出している。
2019年(令和元年)度着工[42]
敷地面積:約6,500m2。平成23年度都市計画決定。
再開発ビル「柳ヶ瀬グラッスル35」は、2023年に完成した。地上35階建て、地下1階建て、延べ床面積58,000平方m、高さ約130m。1、2階は商業施設、3、4階は市の健康・運動施設や子育て支援施設が入り、5〜35階は1〜4LDKの分譲住宅[43]。
「グラッスル」はgrass(草)、glass(ガラス)、castle(城)といった言葉を掛け合わせた造語で、全国から集まった1005件の応募の中から選ばれた。
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