埼玉県立浦和第一女子高等学校(さいたまけんりつうらわだいいちじょしこうとうがっこう)は埼玉県さいたま市浦和区の高等学校[1]。スーパーサイエンスハイスクール指定校・スーパーグローバルハイスクール指定校。
埼玉県立浦和第一女子高等学校 | |
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北緯35度51分9.8秒 東経139度39分29.8秒 | |
過去の名称 |
埼玉県立高等女学校 埼玉県立浦和高等女学校 埼玉県立浦和第一高等女学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 埼玉県 |
設立年月日 |
1900年(明治33年)3月16日 (埼玉県告示第33号により) |
共学・別学 | 男女別学 |
課程 | 全日制課程・定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | D111210000058 |
高校コード | 11107E |
所在地 | 〒330-0064 |
外部リンク | 埼玉県立浦和第一女子高等学校 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
当校では戦前から現在までナンバー名称を変更しておらず国内最後のナンバースクールとなっている。
県内最古の女子校として知られ(県内最古は県立浦和高校)、通称で、『浦和一女(うらわいちじょ)』もしくは『一女(いちじょ)』と呼ばれている。
偏差値は常に72~73の範囲で推移しており、これは公立の女子校としては日本一の高さである。2021年における東京大学への合格者数は6名となっており、県内の公立高校では、県立浦和高校、大宮高校に次いで3番目に多い[2]。1950年から2009年までの東京大学合格者は108名で、県立浦和高校、熊谷高校、県立川越高校、春日部高校に次いで県立高校では5番目に多い[3]。
学校周辺は旧浦和市の中でも高級住宅地として知られる岸町の邸宅街となっている。浦和駅から同校に向かう途中にある坂は「あひる坂」という名称で学校関係者・地域住民に呼ばれている。
男子校である浦和高校と対の存在となる女子校であるため、時に校名を「『浦和女子』に変更してはどうか」という意見が出ることがあるが、上述のような歴史的経緯により、校名の変更は現在まで特に議論されていない。他にナンバースクールが無いにも拘わらず、校名に「第一」の語が含まれている理由は、かつて『埼玉県立浦和第二女子高等学校』が存在したためである(1948年-1950年)。この浦和第二女子高校は1950年に共学化され、埼玉県立浦和西高等学校に改称したため、現在は第一である当校のみしか存在しない。したがって、「第一」の語は歴史的経緯による伝統として遺されたに過ぎず、県内最古の女子校であることや、県内の女子校の最高峰であることを意味するものではない。
年表
- 1898年(明治31年) - 埼玉私立教育会が埼玉女学校を設立。
- 1900年(明治33年)3月 - 埼玉県告示第33号により、埼玉女学校を引き継いで埼玉県立高等女学校が設立[4]。
- 1901年(明治34年) - 新設埼玉県女子師範学校に併置。埼玉県立浦和高等女学校と改称。
- 1909年(明治42年)11月17日 - 1911年(明治44年)4月より女子師範学校から分離することが認可される[5]。
- 1911年(明治44年)4月 - 女子師範学校から分離。
- 1941年(昭和16年)4月 - 埼玉県立浦和第一高等女学校と改称。
- 1944年(昭和19年)5月 - 附属幼稚園を設置
- 1948年(昭和23年) - 新制高校発足に伴い埼玉県立浦和第一女子高等学校と改称。新制中学を併置。定時制課程の設置。
- 1949年(昭和24年) - 併設中学廃止。高等女学校廃校。
- 1950年(昭和25年)5月 - 生徒会発足
- 1956年(昭和31年)2月 - 新校歌制定。
- 2002年(平成14年)4月 - 二期制65分授業開始。
- 2004年(平成16年)4月 - 文部科学省「スーパーサイエンスハイスクール」に指定。
- 2007年(平成19年)3月 - 附属幼稚園廃止。
- 2010年(平成22年) - 埼玉県教育委員会進学指導重点推進校に指定。
- 2012年(平成24年) - 再度「スーパーサイエンスハイスクール」に指定。
- 2016年(平成28年)4月 - 文部科学省「スーパーグローバルハイスクール」に指定。
課程
教育方針
教育目標
同校の教育は、教育基本法と学校教育法にしたがい、健全な心身と豊かな個性をもち、真に平和な文化国家の発展に役立つ公民としての資質を養成することを目標とする。
指導方針
- ア 個人の自由と責任を重んじ、他人を尊重してよく協同する精神を養う。(協同)
- イ 常に真理を愛し、日常生活においても科学的態度を習得させる。(科学的態度)
- ウ 研究意欲を盛んにし、勉学に対して常に積極的な習慣を養う。(勉学)
- エ 感情を陶冶し、豊かな情操を養う。(情操)
- オ 教養を高め、自己に適した技能を習熟させる。(技能)
- カ 礼儀を重んじ、相互敬愛の念を深める。(礼儀)
- キ 勤労の精神を尊び、明朗で実行性に富む気質を育成する。(勤労)
- ク 健康増進に留意し、身体の清潔を保持させる。(健康)
進路実績
難関大学への合格実績が高い。以下は平成28年度入試結果。
【平成28年度卒業生400名】
- 国公立大学105名(現役77名 既卒28名)
- 東大3名(現役0名 既卒3名)、京都大2名(現役1名 既卒1名)、東京工業大2名、北海道大2名、東北大7名、お茶の水女子大8名、筑波大10名、東京外国語大5名など。
- うち国公立大学医学部医学科1名(秋田大)。
- 私立大学
- 早稲田91名(現役71名 既卒20名)、慶應義塾21名(現役16名 既卒5名)、上智33名、東京理科55名、津田塾45名、東京女子61名、明治101名、立教112名、法政64名、青山学院27名、学習院34名、中央34名など。
学校行事
年に2回開催されるスポーツ大会、水泳大会、一女祭(体育祭・文化祭)など学校行事も盛ん。卒業式ではベートーヴェンの第九(歓喜の歌)を原語で歌う。
校歌
野上彰作詞、高田三郎作曲。歌詞は4番まであり、四季を通して学生生活をうたっている。メロディーは優しく、女子高らしい雰囲気である。女声2部合唱で、行事などでは生徒はソプラノ・アルト好きなパートを歌う。昭和31年2月に新校歌として制定。
クラブ活動
クラブ活動は、体育会系と文化系とそれぞれがある。体育会系ではボート部は関東大会では3種目制覇を果たすなど強豪として知られている[6]。
またバスケットボール部は、1950年の皇后杯全日本総合バスケットボール選手権(女子)で優勝した実績がある。
文化系では音楽部とアナウンス部の活動が知られる。音楽部は全日本合唱コンクール高等学校部門全国大会初代優勝校、2000年代においても全国大会の常連である古豪。アナウンス部はNHK杯全国高校放送コンテストなど各種コンテスト大会への出場が多く、上位入賞の実績がある。
交通
著名な出身者
政界・官界
学術・研究
- 川上智子 - 経営学者、早稲田大学大学院経営管理研究科教授
- 荻原眞子 - 文化人類学者、千葉大学名誉教授
- 月田早智子 - 細胞生物学者、分子生物学者、大阪大学名誉教授
- 青井千由紀 - 国際政治学者、東京大学公共政策大学院教授
- 岡真理 - アラビア語文学者、京都大学名誉教授、早稲田大学文学学術院教授
- 稲葉奈々子 - 社会学者、上智大学総合グローバル学部教授
文化
マスコミ
- 東海林のり子 - 事件リポーター
- 迎康子 - NHK元チーフアナウンサー
- 広重玲子 - TBS広報部社員(元アナウンサー)
- 豊田順子 - 日本テレビアナウンサー
- 青木裕子 - フリーアナウンサー(元TBSアナウンサー)
- 荒木真理子 - 気象予報士、元ミヤギテレビアナウンサー
- 清水由美 - フリーアナウンサー(元名古屋テレビ放送アナウンサー)
- 池田麻里子 - フリーアナウンサー(元テレビ宮崎アナウンサー)
- 佐藤梨那 - 日本テレビアナウンサー
- 田中美都 - 気象予報士
- 加藤明美 - 元日本テレビアナウンサー
- 田島祐子 - フリーアナウンサー(元テレビ新潟アナウンサー)
- 岩永直子 - ジャーナリスト・作家
芸能
音楽
その他
脚注
関連項目
外部リンク
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