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ジェイアールバス東北青森支店(ジェイアールバスとうほくあおもりしてん)は、青森県青森市青森駅前にあるジェイアールバス東北(JRバス東北)の営業所である。
青森支店のデータ | |
バス事業者 | ジェイアールバス東北 (←東日本旅客鉄道) (←日本国有鉄道) (←鉄道省) |
所在地 | 青森県青森市柳川一丁目2-23 |
所管路線数 | 6路線(うち高速2) |
開所日 | 1934年8月5日 |
各地で観光路線(培養路線)を運行していた鉄道省では十和田湖に注目し、鉄道省営バスの運行計画を進めた。道路改修を行い、青森 - 酸ヶ湯間の個人路線を買収して1934年(昭和9年)8月5日の十和田北線開業と共に青森自動車所を設置した。その後、青森市内での区間運行便も新設し、横内線・浅虫線をそれぞれ運行を開始した。なお、それらの区間においてこの2つの路線は青森市営バスに先駆けて運行を開始したものである。
当時、1番バスは函館からの青函連絡船2便の到着に接続しており、十数台の連行で運転された。運転手・車両ともに青森管内だけでは足りずに各地の自動車営業所からの助勤も行われていた。
なお、民営化までは青森十和田湖線(当時青森県道1号。現・国道103号)傘松峠の除雪作業は国鉄除雪隊の手によって行われており、冬季は萱野茶屋[注釈 1]に除雪基地を開設、国鉄バスのシンボル「つばめマーク」を標記した除雪車を運用していた[3]。
国鉄の自動車部門は合理化と車掌不足のためワンマン化を進め、1967年(昭和42年)には横内線にて東北地方自動車部管内で初めてワンマンカー運行を開始した(当初は夏期限定であった)。1975年(昭和50年)には十和田北線でも実施。十和田北線は依然、全線で冬期間運休となっていたが、1982年(昭和57年)には除雪体制が整い青森 - 酸ヶ湯間の通年運行化が実現した。
前後して青森市営バスが酸ヶ湯までの路線を申請したが、国鉄側が拒否。最終的には青森市営バス側が浅虫線を減便して国鉄バスの増便を認めたことにより合意にいたった。なお、青森市営バスは1990年代に入り、酸ヶ湯線を廃止し、国鉄バスの後身となるJRバス東北は浅虫線を廃止した。
国鉄分割民営化直後に浅虫線・横内線を増便。また、1980年代後半の高速バスの路線新設ブームの中、「あすなろ号」「ラ・フォーレ号」の運行を開始した[4]。1993年の新青森空港開港に伴い青森空港線に参入、青森市営バスとの共同運行を開始した[5]。1990年代半ばに入り合理化が進み、「ラ・フォーレ号」が仙台乗継によるワンマン運行となった。2002年(平成14年)の東北新幹線八戸駅開業により十和田東線「おいらせ号」の運行を開始した。2003年(平成15年)には十和田南営業所廃止に伴う路線の持ち替えが行われ、「ブルーシティ号」と「とわだこ号」の担当となっている。
近年は横内線・浅虫線の利用者減により2007年(平成19年)3月を以て浅虫線を廃止、撤退している。これと同じくして、JRバス東北所有のバスポール(バス停)が青森市営バスに無償譲渡され、浅虫線・横内線沿線の一部停留所で青森市営バスの停留所として使用されている。
2007年7月20日、青森市が東北新幹線新青森駅開業を見据えて「文化観光交流施設」(仮称→「ねぶたの家 ワ・ラッセ」)の建設のため、旧青森支店(青森市安方)用地の取得に乗り出し、青森市当局とJRバス東北の間で大筋合意した。これにより、青森支店は青森市民ホール南側にある市有地(かつて同支店の古川駐車場として使用されていた)に、土地所有を交換する形で2008年12月19日に移転した。
青森発着の一部高速バスは当支店で休憩・滞泊をする。
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