Loading AI tools
ウィキペディアから
BUSHI(ブシ、1983年4月5日 - )は、日本の男性覆面レスラー。血液型AB型。新日本プロレス所属。本名は清水 哲也(しみず てつや)。東京都足立区出身。旧リングネームはT28(てつや)。武士道を極めた事からこのリングネームになったとされている。
アニマル浜口ジムでトレーニングを積んだ後、DRAGON GATEに入門するも半年足らずで退団した。その後、武藤塾の新人オーディションに合格し全日本プロレスに入門。デビュー前からリング上でブレイクダンスを披露するなど、注目されていた。入門後は武藤敬司の付き人をしていた。
2007年3月12日伊勢崎大会にて平井伸和戦で、T28(テツヤ)[1] のリングネームでデビュー。当時は、入場時に得意のブレイクダンスを披露した。試合衣装は、新人らしからぬシルバーのハーフパンツにキャップを被った独特のスタイルであった。
2008年2月、夏目ナナプロデュース興行「PLAYBOY CHANNEL NIGHT」でKUSHIDAとのタッグで優勝を収めた。その後、ジュニア・タッグリーグ戦に同タッグで出場。リーグ戦ではカズ・ハヤシ & エル・サムライ組、大和ヒロシ & KAI組から勝利を収めた。
9月13日、土方隆司とのシングルマッチで敗北した後、腰を負傷し欠場。復帰の見込みが立った11月4日、本人の希望によりメキシコ武者修行を発表し、24日よりメキシコへ出発。IWRGに参戦し、覆面レスラー「BUSHI」として活動を開始する。
IWRGインターコンチネンタルライト級王座を2度獲得し最優秀外国人選手に選ばれたが、2009年12月3日、アレナナウカルパン大会で行われたオフィシアル911とのマスカラ・コントラ・マスカラマッチで敗北を喫し、素顔を晒した。
約1年以上覆面レスラーとして活動し、愛着が湧いていたことからBUSHIとして日本へ凱旋。2010年2月7日、カズ・ハヤシ、近藤修司と組んで東京愚連隊(NOSAWA論外 & MAZADA & FUJITA)と対戦。MAZADAを新技・レボルシオンでピンフォール勝ちを収める。
4月11日、カズの保持する世界ジュニアヘビー級王座に初挑戦するも敗戦。同月に開催されたジュニア・タッグリーグ戦では、スペル・クレイジーとのタッグで出場。29日、決勝戦で近藤 & 大和ヒロシ組を破り、同リーグ戦を制覇する。
その後、VOODOO-MURDERSのMAZADAとの抗争を展開していった。7月4日、近藤、大和と組んで、キャプテン髪切りマッチとしてMAZADA & 稔 & ヘイト組と対戦。勝利を収め、キャプテンであるMAZADAが髪を切られるはずだったが、MAZADAはこの日の試合以降、マスクを被って試合を行い、「坊主頭になった」と主張する。これに対してBUSHIが不服を唱え、8月15日、マスカラ・コントラ・マスカラマッチでMAZADAと対戦。勝利収めた後、MAZADAのマスクを脱がしにかかると、髪を切っていないことが判明した。
9月10日、マスカラ・コントラ・カベジェラマッチで、再びMAZADAと対戦。フェニックススプラッシュでピンフォール勝ちを収め、ついにMAZADAの髪の毛を刈ることに成功し、抗争に終止符を打った。
2011年8月からはBLACK BUSHIを名乗る覆面レスラーと抗争を繰り広げていたが、12月2日、金本浩二との試合後、三半規管の異常を診断されて長期欠場を余儀なくされた。
2012年4月16日、新日本プロレスと全日本プロレスとの間で新たな取り組みとしてレンタル移籍を行うことが発表され、5月1日付けで、1年間の新日本所属選手として活動する[2]。また、同時期に開催したBEST OF THE SUPER Jr.に初出場、5月27日に同団体でデビューを果たす。
2013年1月18日、新日本への完全移籍を発表し正式に同団体へ入団を果たした[3]。
6月、CMLLに遠征。メキシコでは過去にコントラ・マッチで敗れており、BUSHIのリングネームは使えないことから新たなるマスクマン「BUSHIROAD」を名乗って活動している[4]。
2014年12月19日、後楽園ホール大会の6人タッグマッチに出場したが、この試合でBUSHIは中盤にてコーナー最上段へ登り、対戦相手が突進してきたところを前転してリングへ着地する際に首から落下した。BUSHIは試合終了まで身動きがとれず、試合後に担架で運びこまれた。BUSHIは後日、急性硬膜外血腫、脊髄震盪、第12胸椎骨折と診断され、全治6か月となる長期欠場に追い込まれた[5]。
2015年8月16日の両国国技館大会にて復帰することがアナウンスされたものの[6]、復帰に向けてのトレーニング中に右目眼窩底骨折の怪我を負い、欠場期間が延びてしまった[7]。再び欠場となってしまったが、11月21日の後楽園ホール大会にて復帰戦が決まったことを発表した[8]。今度こそ復帰戦が行われるかと思われたが、復帰戦前日にBUSHI本人より「(試合に)出られない」との連絡を受け急遽欠場となった[9]。
2015年11月21日、WORLD TAG LEAGUE後楽園ホール大会にて、BUSHIは同リーグ戦にエントリーしている内藤哲也&EVIL組のセコンドとして登場、試合終盤にBUSHIが対戦相手のドク・ギャローズに毒霧を噴射し内藤&EVIL組の勝利をアシストした。試合後のバックステージにてBUSHIは、「俺は内藤に付いていくことにした」とコメントを残し「ロス・インゴベルナブレス」に電撃加入を果たし[10][11]、翌22日豊橋大会にて内藤、EVILと共に「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」を発足させた。
12月11日、青森大会にて正式に復帰した。19日、後楽園ホール大会でマスカラ・ドラダを破りCMLL世界ウェルター級王座を奪取した。だが2016年1月22日、CMLL FANTASTICA MANIA 2016でドラダとのリマッチに敗れ王座から陥落した。
2月14日、THE NEW BEGINNING in NIIGATAにて王者・KUSHIDAの持つIWGPジュニアヘビー級王座に初挑戦、KUSHIDAのホバーボードロックでギブアップ負けを喫したもののBEST OF THE SUPER Jr.でKUSHIDAに借りを返した。7月、スーパーJカップに出場したが1回戦で鈴木軍の金丸義信に敗れた。9月17日にKUSHIDAとのIWGPジュニアヘビー級王座戦が予定されているが、9月10日の試合後コメントでボイコットや譲渡を考えていると発言した。しかし9月12日にKUSHIDAから遂に指名を受けたのでタイトルマッチが楽しみだと発言した。
9月17日、大田区総合体育館大会にて最上段のMXでKUSHIDAをピンフォールし、IWGPジュニアヘビー級王座を奪取して第74代王者となった。
10月11日、試合後、KUSHIDAをSANADAのアシストによるパイプ椅子を挟んでのコード・ブレーカーで再起不能にし、KUSHIDAを初防衛戦の相手に逆指名した。
11月5日、KUSHIDAと防衛戦を行いホバーボードロックによりギブアップ負けを喫し、IWGPジュニアヘビー級王座から陥落した。
9月3日から開幕された「NEW JAPAN ROAD」にて、YOHの負傷欠場により返上されたIWGPジュニアタッグ王座をかけIWGPジュニアタッグ王座決定リーグ戦(4チームによる)に高橋ヒロム&BUSHI組で出場しリーグ戦を2位で通過。9月11日に行われたジュニアタッグ王座決定戦でリーグ戦1位のエル・デスペラード&金丸義信組と対戦するが敗退した[12]。
11月15日、愛知県体育館(ドルフィンズアリーナ)から始まったBEST OF THE SUPER Jr.27に出場。4勝5敗でシリーズを終える。
11月13日、後楽園ホールから始まったBEST OF THE SUPER Jr.28に出場。5勝6敗でシリーズを終える。
2023年3月1日開催の『ジュニア夢の祭典 〜ALL STAR Jr. FESTIVAL 2023〜』では第6試合8人タッグマッチに出場[13]。
メキシコマットでの豊富な経験と、小柄な体型を生かした軽快なルチャの動きを得意とする。L.I.J加入後はTシャツで相手の首を絞める、毒霧を噴きつけるなどの反則攻撃も行う。なお、2020年現在、L.I.Jであからさまな反則攻撃を行うのはBUSHIのみである。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.