1973年の野球(1973ねんのやきゅう)では、1973年の野球界における動向をまとめる。
日本プロ野球
ペナントレース
パリーグ
- 本年度より、パ・リーグは年間130試合(26回総当たりホーム・アンド・アウェー)を65試合ずつ(13回総当たり)の前後期2シーズン制を採用。異なるチームがステージ優勝した場合は、その2チームがプレーオフ(年度決勝戦)に進出して5戦3勝制を行う。同一チームが前後期完全制覇である場合はプレーオフなしでそのチームの年間優勝とした。
*優勝はプレーオフで決定。3位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
パシフィック・リーグプレーオフ
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1973年 パシフィック・リーグプレーオフ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
10月19日(金) | 第1戦 | 阪急ブレーブス | 2 - 4 | 南海ホークス | 大阪球場 |
10月20日(土) | 第2戦 | 阪急ブレーブス | 9 - 7 | 南海ホークス |
10月21日(日) | 第3戦 | 雨天中止 | 阪急西宮球場 |
10月22日(月) | 南海ホークス | 6 - 3 | 阪急ブレーブス |
10月23日(火) | 第4戦 | 南海ホークス | 1 - 13 | 阪急ブレーブス |
10月24日(水) | 第5戦 | 南海ホークス | 2 - 1 | 阪急ブレーブス |
年間優勝:南海ホークス |
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日本シリーズ
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1973年 日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
10月27日(土) | 第1戦 | 読売ジャイアンツ | 3 - 4 | 南海ホークス | 大阪球場 |
10月28日(日) | 第2戦 | 読売ジャイアンツ | 3 - 2 | 南海ホークス |
10月29日(月) | 移動日 |
10月30日(火) | 第3戦 | 南海ホークス | 2 - 8 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
10月31日(水) | 第4戦 | 南海ホークス | 2 - 6 | 読売ジャイアンツ |
11月1日(木) | 第5戦 | 南海ホークス | 1 - 5 | 読売ジャイアンツ |
優勝:読売ジャイアンツ(9年連続17回目) |
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1月
- 1月11日 - 大洋の近藤和彦と近鉄の宮原秀明の交換トレードが成立したと大洋、近鉄の両球団が正式に発表。近藤はこの時大洋の二軍コーチであったが、近鉄からの現役選手としてのトレードの申し入れを受諾した[1]。
- 1月11日 - 【MLB】メジャー・リーグの合同会議がシカゴにて開かれ、アメリカン・リーグは指名打者制を中心今年から3年間、試験的に実施することを決定した[2]。
- 1月16日 - 日拓ホーム株式会社が東映フライヤーズを買収し正式に調印したと、午後4時半より銀座の銀座東急ホテルでの共同記者会見にて発表、チーム名は「日拓ホームフライヤーズ」となる[3]。
- 1月23日 - 巨人と日拓は午後7時、巨人の渡辺秀武・小坂敏彦と日拓の高橋善正のトレードが成立したと発表[4]。
2月
- 2月2日 - ボルチモア・オリオールズは、ドン・ビュフォードが太平洋クラブ・ライオンズと2年契約を結んだと発表[5]。
- 2月7日 - 東京のパレス・ホテルで午前11時から開かれたプロ野球実行委員会、午後2時から開かれたオーナー会議で日拓ホーム・フライヤーズの加入を承認[6]。
- 2月24日 - ヤクルトは、ヤクルト・アトムズ後援会会長で東北弁護士連合会会長の佐藤邦雄が球団社長に就任したと発表。これまではオーナーの松園尚巳が球団社長も兼任していた[7]。
- 2月26日 - 近鉄は午後、日生球場内球団事務所にて記者会見し、大阪市藤井寺市の藤井寺球場を約六億円で改装工事を行い、今季の後期日シーズンより本拠地球場として使用を開始すると発表[8]。
4月
- 4月6日 - 第45回選抜高校野球大会の決勝戦が午後1時から甲子園球場にて行われ、横浜高校が広島商業を延長11回3-1で破って優勝を決める[11]。
- 4月14日 - プロ野球のペナント・レースがセ・パ同時に開幕[12]。
- 4月17日 - 巨人の長嶋茂雄が広島球場での対広島1回戦にて、2回表に二塁打を放ちプロ通算4000塁打を達成[13][14]。
- 4月20日 - ロッテの山崎裕之が後楽園球場での対阪急1回戦の4回裏に1号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[15]。
- 4月22日
- 日拓の張本勲は日生球場での対近鉄1回戦にて3安打を放ち3500塁打を達成。
- 近鉄の土井正博は日生球場での対日拓1回戦の2回裏に3号満塁本塁打を放ち、プロ通算250本塁打を達成。
- 4月26日 - 阪神の田淵幸一は後楽園球場での対巨人3回戦で六回表に3号本塁打、8回表に4号2点本塁打、九回表に5号3点本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成[16]。
- 4月27日 - 県営宮城球場は午前10時半、28日、29日に開催予定だった大洋対広島戦の3試合の中止を決定。この日の朝に広島から仙台へ飛行機にて移動予定だった広島が、搭乗を予定していた全日空の便がストライキのために移動が不可能になったため[17]。
- 4月29日 - ロッテが川崎球場での対南海ダブルヘッダー第一試合の2回戦に4-3、第二試合の3回戦に5-0と勝利し、10連勝を記録[18]。
5月
- 5月3日 - 川崎球場で行われたロッテ対太平洋3回戦で、四回裏にロッテが7点を取ると、以後太平洋のファンがグランドからビン、球場の椅子を壊して投げつけるなど試合進行を妨げる騒動が起きる[19]。この試合でロッテのジョージ・アルトマンは4回裏に5号3点本塁打を放ち、プロ野球通算150本塁打を達成[20]。
- 5月6日 - 巨人の高橋一三が後楽園球場での対中日6回戦の七回表に井上弘昭から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[21]。
- 5月10日 - 阪神の田淵幸一が甲子園球場での対巨人5回戦の1回裏に12号3点本塁打を打ち、前日9日の対巨人4回戦での死球を挟んでの3連続と併せ、4連続本塁打のプロ野球タイ記録となる[22]。
- 5月13日 - 阪神の権藤正利が新潟での対大洋3回戦の8回から救援登板し、プロ通算700試合登板を達成[23]。
- 5月18日 - パ・リーグは太平洋対近鉄7回戦、阪急対ロッテ7回戦の2試合が行われ、パ・リーグ通算1万試合を達成[24]。
- 5月20日 - 太平洋の基満男が平和台球場の対近鉄ダブルヘッダー第1試合に9号本塁打を打ち、日本プロ野球通算3万号本塁打を記録。ただし当時は、同試合で太平洋の梅田邦三の1号本塁打が3万号とされ、後に記録の見直しによって修正されている[25]。
- 5月22日 - 仙台市の宮城球場にてロッテ対近鉄8回戦が午後6時半から行われ、東北地方で初のナイター開催となる[26]。試合は13-0でロッテの勝利。
- 5月23日 - 近鉄の土井正博が宮城球場での対ロッテダブルヘッダー第1試合の9回戦の三回表に安打を打ち、プロ通算1500本安打を達成[27]。
- 5月23日 - 中日球場を運営する「株式会社中日スタヂアム」社長の平岩治郎が入水自殺。三重県志摩郡浜島町の波打ち際に水死体が浮いているのが発見され、三重県警鳥羽署の調べで遺体は平岩であると確認。平岩は同町の旅館に宿泊しており、関連会社の経営不振を理由に自殺するという内容の遺書が見つかる(→中日スタヂアム事件)[28]。
- 5月25日 - 中日スタヂアムが事実上の倒産を発表[29]。
- 5月26日 - 大洋の江藤慎一が川崎球場での対巨人7回戦にて4回裏に安打を放ち、3000塁打を達成[30]。
- 5月31日 - 中日ドラゴンズの球団社長の小山武夫が名古屋市内の球団事務所で記者会見し、中日球場での試合開催に関する業務一切を肩代わりし、自主運営すると発表[31]。
6月
- 6月1日
- 平和台球場での太平洋対ロッテ4回戦が行われロッテが太平洋に5-2で勝利し、敗戦に怒った太平洋のファンがグランドへ投石して大暴れするなど騒乱状態に陥り、ロッテナインが試合終了後約一時間半球場内に立ち往生し、機動隊の警備車で脱出するトラブルに見舞われる[32]。
- 大洋の坂井勝二が後楽園球場での対巨人9回戦に先発し、プロ通算500試合登板を達成[33]。
- 6月2日
- 西宮球場での阪急が対南海ダブルヘッダー第1試合の延長11回裏に佐藤道郎が長池徳二にサヨナラ本塁打を打たれ8対7でサヨナラ負け。佐藤は3試合連続でサヨナラ本塁打を打たれている[34]。
- 太平洋の三浦清弘が平和台球場での対ロッテダブルヘッダー第2試合の6回戦に先発し、プロ通算500試合登板を達成[35]。
- 阪急の山口富士雄と大洋の竹村一義の交換トレードが成立したと阪急、大洋の両球団が正式に発表[36]。
- 6月15日 - ヤクルトはアトランタ・ブレーブスよりジョー・ペピトーンを獲得したと発表[37]。
- 6月16日 - 日拓の高橋直樹が後楽園球場での対近鉄ダブルヘッダー第二試合の9回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成[38]。
- 6月17日 - 巨人の土井正三が広島球場での対広島10回戦の6回表に代打として出場し、プロ通算1000試合出場を達成[39]。
- 6月23日 - 日拓の大杉勝男が西宮球場での対阪急11回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[40]。
- 6月28日 - ロッテの佐藤政夫・奥田直也と中日の土屋紘・水谷則博の交換トレードが成立したとロッテ、中日の両球団が発表[41]。
8月
- 8月2日 - 日拓の大杉勝男が西宮球場での対阪急後期3回戦の1回表に米田哲也から2点本塁打を放ち、プロ通算1000安打を達成。史上83人目[56]。
- 8月3日 - 南海の野村克也が大阪球場での対太平洋後期1回戦の二回裏に三輪悟から左中間に二塁打を放ってプロ通算2352本目を記録、川上哲治の持つプロ通算最多安打2351本の記録を更新[57]。
- 8月9日 - 日拓の大杉勝男が大阪球場での対南海後期3回戦の八回表に19号3点本塁打を放ち、プロ通算250号本塁打を達成[58]。
- 8月10日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対中日18回戦で30号本塁打を放ち、12年連続30本塁打を達成[59]。
- 8月14日 - 後楽園球場での巨人対ヤクルト16回戦で、巨人の王貞治が5打席連続で四球[60]。ヤクルトの先発・松岡弘はこの試合で王への5四球を含め1試合10四球のセ・リーグタイ記録[61]。
- 8月22日 - 第55回全国高校野球選手権大会の決勝戦が午後1時より甲子園球場にて行われ、広島商業が静岡高校に3-2でサヨナラ勝ちし、1956年(第39回)以来16年ぶり5度目の全国制覇[62]。
- 8月26日
- 巨人の長嶋茂雄が神宮球場での対ヤクルト19回戦の6回表に安田猛から安打を放ち、自身と榎本喜八の持つ15年連続100安打を抜く16年連続年間100安打のプロ野球新記録を達成[63][64]。
- セ・リーグは首位・阪神から最下位・大洋までのゲーム差が3となる混戦となる[65]。
- 8月29日 - 中日の高木守道が甲子園球場での対阪神15回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[66]。
- 8月30日 - 阪神の江夏豊が甲子園での対中日20回戦に先発して延長11回を投げ、プロ野球史上初めて延長戦でのノーヒットノーランを達成。また11回裏に決勝打となる2号サヨナラ本塁打を打つ[67][68]。
9月
- 9月4日 - 中日スタジアムの第一回債権者会議が名古屋地裁にて開かれ、来季も中日ドラゴンズの同球場での使用が認められる[69]。
- 9月7日 - 大洋の坂井勝二が川崎球場での対巨人21回戦に先発して6勝目を挙げ、プロ通算150勝を達成[70]。
- 9月8日 - 巨人の長島茂雄が川崎球場での対大洋22回戦の四回表に二塁打を打ち、プロ通算400二塁打を達成[71]。
- 9月9日 - ヤクルトの安田猛が甲子園球場での対阪神25回戦の九回裏無死二塁の場面で田淵幸一を敬遠し、連続無四死球の記録が81で止まる[72][73]。
- 9月12日 - 南海の野村克也が大阪球場での対日拓後期8回戦の一回裏に安打を打ち、プロ野球史上初の4500塁打を達成[74]。
- 9月14日 - 阪急の長池徳士が平和台球場での対太平洋後期10回戦の一回表に36号本塁打を打ち、プロ通算250号本塁打を達成[75]。
- 9月16日 - 日拓の張本勲が日生球場での対近鉄ダブルヘッダー第2試合の後期10回戦の五回表に敬遠四球で、プロ通算1000四死球を達成[76]。
- 9月19日 - 巨人の王貞治が甲子園球場での対阪神22回戦の一回表に45号3点本塁打を打ち、プロ通算4000塁打を達成。この本塁打で4002塁打[77]。
- 9月27日 - 近鉄は監督の岩本尭が休養し、一軍コーチの島田光二が監督代理に就任した発表。近鉄はこの日まで12勝35敗とパ・リーグ後期最下位だった[78]。
- 9月27日 - 【MLB】カリフォルニア・エンゼルスのノーラン・ライアンがアナハイムでのミネソタ・ツインズ戦にて16奪三振を記録して今季383個目の奪三振となり、65年にロサンゼルス・ドジャースのサンディー・コーファックスが記録した年間最多奪三振のメジャー記録382を更新[79]。
- 9月29日 - 巨人の高橋一三が後楽園球場での対大洋24回戦に先発し6回3失点で21勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[80]。
10月
- 10月3日 - 藤井寺球場におけるナイター設備建設中止訴訟において、大阪地方裁判所は工事続行を禁止。
- 10月5日 - 平和台球場で太平洋対ロッテの後期11回試合が行われ、ロッテが太平洋に1-4で敗戦し、阪急の後期優勝が決定[81]。
- 10月6日 - 日拓の大杉勝男が後楽園球場での対南海後期10回戦の六回裏に32号本塁打を打ち、パ・リーグタイ記録の5試合連続本塁打[82]。
- 10月7日 - 太平洋の三浦清弘が平和台球場での対近鉄13回戦の八回表に岩木康郎から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[83]。
- 10月9日 - 日拓の大杉勝男が日生球場での対近鉄11回戦の十回表に33号本塁打を打ち、パ・リーグ新記録となる6試合連続本塁打を達成[84]。
- 10月10日
- 10月11日 - 後楽園球場での巨人対阪神の25回戦の試合で、巨人の長嶋茂雄が2回表に阪神の後藤和昭の打球を右手薬指に当てて負傷し退場。港区・慈恵医大病院で診断の結果、右第四指末節開放性骨折で全治4週間と判明。今シーズンの残り試合の出場が絶望に[88]。
- 10月17日 - パ・リーグのオーナー懇談会が大阪市内の新阪急ホテルにて午後4時30分から開かれ、日拓のオーナーの西村昭孝が「16日にロッテの重光社長と会い、ロッテと日拓が合併することで合意した」と発言。また、ロッテのオーナーの重光武雄(オーナー懇談会には欠席)も夜、「一リーグ制になることを前提に、合併に踏み切った」と認める[89]。
- 10月18日 - ロッテのオーナーの重光武雄は午後、ロッテ製菓本社にて記者会見し、前日17日の「一リーグ制を前提に日拓と合併する」と表明した件について「調印するところまでは、とてもいっていない」、「手続きには制約があるようだし」「西村オーナーも私も、この件を簡単に考えすぎたようだ」と語り、合併に消極的な姿勢を見せた[90]。
- 10月20日 - 阪神が中日球場での対中日26回戦で2対4と敗戦。これにより、10月21日の甲子園球場での阪神対巨人26回戦は、阪神、巨人ともにシーズン最終戦で、勝ったチームがリーグ優勝という決戦となる[91]。
- 10月22日
- 10月23日 - 沢村賞の選考が東京・有楽町の交通大飯店にて正午から行われ、巨人の高橋一三を選出[95]。
- 10月24日
- パ・リーグのプレーオフの5回戦が行われ、前期優勝の南海が後期優勝の阪急を2-1で下し、7年ぶりのリーグ優勝[96][97]。
- ロッテ、日拓以外のパ・リーグ4球団のオーナーが大阪・堂島のクラブ関西にてパ・リーグの今後の運営方針について協議し、来シーズンも現行の六球団制でセ・リーグとともに二リーグ制を維持することを確認[98]。
- 大洋ホエールズの小山正明が球団に対し引退届を提出し、受理される[99]。
- 10月26日 - 阪急の監督の西本幸雄が大阪市北区の阪急電鉄本社にオーナーの森薫を訪ね、「潮時なので監督を辞任したい」と申し出て、了承される[100]。
- 10月29日 - 阪急は大阪市北区の新阪急ホテルにて、監督を辞任した西本幸雄の後任にヘッドコーチの上田利治が就任したと正式に発表[101]。
読売新聞1973年1月12日19面「近藤和(大洋)と宮原(近鉄)交換」読売新聞縮刷版1973年1月p359
読売新聞1973年1月13日19面「投手に"身代わり"打者 ア・リーグで三年間」読売新聞縮刷版1973年1月p395
読売新聞1973年1月17日23面「『日拓ホームフライヤーズ』正式に誕生 『金をかけて優勝を』と新オーナー」読売新聞縮刷版1973年1月p519
読売新聞1973年1月24日19面「巨人ー日拓大型トレード 渡辺と小坂対高橋善 2-1の投手交換成立」読売新聞1973年1月p757
読売新聞1973年2月4日18面「オリオールズのビュフォード 太平洋入り」読売新聞縮刷版1973年2月p122
読売新聞1973年2月8日19面「日拓の加入、正式承認」読売新聞縮刷版1973年2月p259
読売新聞1973年2月25日19面「ヤクルト球団社長に佐藤氏」読売新聞縮刷版1973年2月p857
読売新聞1973年2月27日19面「藤井寺球場改装、近鉄の本拠に」読売新聞縮刷版1973年2月p927
読売新聞1973年3月3日19面「指名打者制 初日からピタリ 深沢(広島)2ラン、3打点 別当監督 意表ついて『1番は投手』」読売新聞1973年3月p95
毎日新聞1973年3月23日23面「巨人・湯口投手が急死 入院中に『心臓マヒ』」毎日新聞縮刷版1973年3月p713
毎日新聞1973年4月7日1面「“初陣”横浜に紫紺の優勝旗 第45回選抜高校野球」毎日新聞縮刷版1973年4月p201
読売新聞1973年4月14日夕刊11面「プロ野球プレーボール 球春にわく V9戦国(セ)短期決戦(パ)朝からファン行列」読売新聞縮刷版1973年4月p509
読売新聞1973年4月18日19面「長島、4,000塁打の貫禄 白石(広島)攻略の突破口」読売新聞縮刷版1973年4月p633
毎日新聞1973年4月18日17面「長島が四千塁打」毎日新聞縮刷版1973年4月p573
毎日新聞1973年4月21日17面「金田・ロッテ開眼 ”助っ人”大当たり 山崎は通算百号」毎日新聞縮刷版1973年4月p677
読売新聞1973年4月18日19面「田淵ひとり舞台 3打席連続の3,4,5号」読売新聞縮刷版1973年4月p961
読売新聞1973年4月28日19面「宮城球場、初ナイター流れる ストで広島飛べず」読売新聞縮刷版1973年4月p997
読売新聞1973年4月30日19面「ロッテ10連勝 池辺、全打点(第1)と先制6号(第2)」読売新聞縮刷版1973年4月p1061
読売新聞1973年5月4日夕刊5面「首位攻防、ファン暴走 ヘルメット守備 ロッテ・太平洋戦 酒ビンやイス投げる」読売新聞縮刷版1973年5月p101
読売新聞1973年5月4日夕刊5面「序盤の決戦 ロッテ完勝 太平洋倒し、トップに 2年半ぶり 制球難 加藤初をKO アルトマン150号」読売新聞縮刷版1973年5月p101
読売新聞1973年5月7日19面「巨人・高橋一が1000奪三振」読売新聞縮刷版1973年5月p179
読売新聞1973年5月10日19面「豪砲田淵、4連続の12号」読売新聞縮刷版1973年5月p329
読売新聞1973年5月14日19面「阪神・権藤が700試合登板」読売新聞縮刷版1973年5月p429
毎日新聞1973年5月19日17面「『パ』が一万試合達成」毎日新聞縮刷版1973年5月p565
毎日新聞1973年5月23日17面「見たか!”仙台ロッテ” 初ナイター 13点の大盤振る舞い」毎日新聞縮刷版1973年5月p695
読売新聞1973年5月日19面「野牛・近鉄、ロッテを逆襲 連続"2ケタ完封"」読売新聞縮刷版1973年5月p800
日刊スポーツ1973年5月24日3面「平岩社長(中日スタヂアム)が自殺 関連事業の不振を理由に」
毎日新聞1973年5月26日23面「会社は倒産を宣言 手形(二億七千万)落とせず」毎日新聞縮刷版1973年5月p817
毎日新聞1973年5月27日19面「江藤慎が三千塁打」毎日新聞縮刷版1973年5月p849
毎日新聞1973年6月1日22面「中日球団が自主運営」毎日新聞縮刷版1973年6月p22
毎日新聞1973年6月2日19面「平和台球場 投石、ファン騒ぐ ロッテ選手 警備車で脱出」毎日新聞縮刷版1973年6月p55
読売新聞1973年6月日19面「大洋・坂井が五百試合登板」読売新聞縮刷版1973年6月p55
毎日新聞1973年6月3日15面「南海またもサヨナラ負け」毎日新聞縮刷版1973年6月p81
読売新聞1973年6月3日19面「太平洋・三浦投手の五百試合登板」読売新聞縮刷版1973年6月p91
読売新聞1973年6月3日19面「阪急・山口と大洋・竹村を交換」読売新聞縮刷版1973年6月p91
読売新聞1973年6月16日19面「大リーグのペピトーン、ヤクルト入団」読売新聞縮刷版1973年6月p563
毎日新聞1973年6月17日19面「高橋直ノーヒットノーラン」毎日新聞縮刷版1973年6月p553
毎日新聞1973年6月18日19面「巨人土井千試合出場」毎日新聞縮刷版1973年6月p577
読売新聞1973年6月24日19面「日拓・大杉が1000試合出場」読売新聞縮刷版1973年6月p855
毎日新聞1973年6月29日17面「中日・ロッテがトレード」毎日新聞縮刷版1973年6月p965
読売新聞1973年7月5日19面「阪急・福本が300盗塁」読売新聞縮刷版1973年7月p159
朝日新聞1973年7月5日19面「福本、もう300盗塁」朝日新聞縮刷版1973年7月p163
読売新聞1973年7月9日19面「ロッテ3戦全勝しかない!」読売新聞縮刷版1973年7月p295
読売新聞1973年7月9日19面「巨人黒江千試合出場」読売新聞縮刷版1973年7月p295
読売新聞1973年7月12日19面「南海がパ前期優勝」読売新聞縮刷版1973年7月p409
朝日新聞1973年7月12日19面「ああロッテ 打撃戦に力尽きる 南海、前期優勝決まる」
読売新聞1973年7月12日19面「ロッテ・弘田が12人目のサイクルヒット」読売新聞縮刷版1973年7月p409
読売新聞1973年7月14日19面「日拓新監督に土橋 ヘッドコーチ張本」読売新聞縮刷版1973年7月p481
朝日新聞1973年7月14日19面「日拓の新監督に土橋 後期首脳陣 張本がヘッドコーチ」朝日新聞縮刷版1973年7月p489
読売新聞1973年7月14日19面「弱体投手陣に"活" 巨人 新コーチに中尾、木戸」読売新聞縮刷版1973年7月p481
読売新聞1973年7月17日19面「長島、劇的サヨナラ2ラン 二千試合出場に燃える」読売新聞縮刷版1973年7月p587
朝日新聞1973年7月17日19面「これでファン投票に面目立つ・・・長島サヨナラ2ラン」朝日新聞縮刷版1973年7月p593
読売新聞1973年7月17日19面「荒川氏、ヤクルトのコーチに」読売新聞縮刷版1973年7月p587
読売新聞1973年7月20日19面「ロバーツ、近鉄に入団」読売新聞縮刷版1973年7月p699
「スコアボード 大杉、1000本安打」『北海道新聞』(縮刷版) 1973年(昭和48年)8月3日付朝刊、12面。
朝日新聞1973年8月4日18面「野村ついに日本新 川上の記録に2本追加」朝日新聞縮刷版1973年8月p128
読売新聞1973年8月10日18面「日拓・大杉が通算250号ホーマー」読売新聞縮刷版1973年8月p324
朝日新聞1973年8月11日18面「最多本塁打記録ともに564本 王、12年連続連続30号 野村も負けずに2ラン」朝日新聞縮刷版1973年8月p374
読売新聞1973年8月15日14面「王が打たせてもらえない 5打席連続四球 松岡(ヤクルト)巨人の6連勝阻む」読売新聞縮刷版1973年8月p482
読売新聞1973年8月15日14面「ヤクルト松岡弘が1試合10四球でセ・リーグのタイ記録」読売新聞縮刷版1973年8月p482
朝日新聞1973年8月23日19面「九回満塁、スリーバント成功!栄冠 五たび広島商に」朝日新聞縮刷版1973年8月p783
読売新聞1973年8月27日19面「16年連続100安打」読売新聞縮刷版1973年8月p889
朝日新聞1973年8月27日18面「長島 16年連続100本安打」朝日新聞縮刷版1973年8月p922
読売新聞1973年8月27日19面「史上初、6チーム『3差』の混戦」読売新聞縮刷版1973年8月p889
読売新聞1973年8月28日19面「中日・高木守が1500試合出場」読売新聞縮刷版1973年8月p967
読売新聞1973年8月31日19面「江夏ノーヒットノーラン 延長11回 自らサヨナラ本塁打」読売新聞縮刷版1973年8月p1043
朝日新聞1973年8月31日「江夏、ノーヒットノーラン 自らサヨナラ2号」朝日新聞縮刷版1973年8月p1071
読売新聞1973年9月5日19面「来季もドラゴンズが使用 中日スタヂアム」読売新聞縮刷版1973年9月p161
読売新聞1973年9月8日19面「大洋・坂井がプロ入り150勝」読売新聞縮刷版1973年9月p273
読売新聞1973年9月9日19面「巨人・長島が400二塁打」読売新聞縮刷版1973年9月p309
読売新聞1973年9月10日19面「安田無四死球日本新むなし 池田サヨナラ3ラン」読売新聞縮刷版1973年9月p337
読売新聞1973年9月13日19面「南海・野村が4500塁打」読売新聞縮刷版1973年9月p457
読売新聞1973年9月15日19面「阪急・長池通算250号本塁打」読売新聞縮刷版1973年9月p529
読売新聞1973年9月17日19面「日拓・張本が通算1000四死球」読売新聞縮刷版1973年9月p581
読売新聞1973年9月20日19面「巨人・王が4000塁打」読売新聞縮刷版1973年9月p701
読売新聞1973年9月28日19面「岩本監督ついに休養 近鉄 島田コーチが『代理』に」読売新聞縮刷版1973年9月p949
読売新聞1973年9月29日19面「ライアン投手が奪三振383 米大リーグ新記録となる」読売新聞縮刷版1973年9月p993
読売新聞1973年9月30日19面「巨人・高橋一がプロ入り通算100勝」読売新聞縮刷版1973年9月p1029
読売新聞1973年10月6日19面「パ後期 阪急優勝決まる ロッテ破れ、自動的に」読売新聞縮刷版1973年10月p221
読売新聞1973年10月7日19面「日拓・大杉がパ・タイ記録の5試合連続本塁打」読売新聞縮刷版1973年10月p257
読売新聞1973年10月8日19面「太平洋・三浦が奪1000三振」読売新聞縮刷版1973年10月p285
読売新聞1973年10月10日19面「日拓・大杉が6試合連続本塁打のパ・リーグ新」読売新聞縮刷版1973年10月p363
読売新聞1973年10月11日19面「八木沢(ロッテ)が完全試合 史上13人目 太平洋を94球で」読売新聞縮刷版1973年10月p387
読売新聞1973年10月11日19面「阪神・藤田平が1000本安打」読売新聞縮刷版1973年10月p387
読売新聞1973年10月11日19面「大洋・伊藤がプロ入り通算100号本塁打」読売新聞縮刷版1973年10月p387
読売新聞1973年10月11日19面「長島ツキ指、骨折 優勝してもシリーズ出場不能」読売新聞縮刷版1973年10月p429
読売新聞1973年10月18日19面「パ・リーグまた大揺れ "日拓はロッテと合併"懇談会で西村オーナー」読売新聞縮刷版1973年10月p649
読売新聞1973年10月19日19面「日拓ロッテ合併、一夜で後退 重光オーナー否定発言」読売新聞縮刷版1973年10月p685
毎日新聞1973年10月21日17面「神・巨 きょう決戦 阪神、中日に飲まれる」毎日新聞縮刷版1973年10月p699
読売新聞1973年10月23日1面「巨人が九連覇 セ・リーグ」読売新聞縮刷版1973年10月p819
毎日新聞1973年10月23日17面「巨人、猛打の逆転V9 阪神6投手を粉砕 高橋一二塁を踏ませず」毎日新聞縮刷版1973年10月p759
読売新聞1973年10月23日19面「三原監督が辞意表明」読売新聞縮刷版1973年10月p837
読売新聞1973年10月24日19面「高橋一に2度目の沢村賞 最終戦力投で満場一致」読売新聞縮刷版1973年10月p873
読売新聞1973年10月25日1面「『パ』は南海優勝 日本一かけ巨人と対決」読売新聞縮刷版1973年10月p895
毎日新聞1973年10月25日17面「南海、歓喜の優勝アーチ 終回、スミス、広瀬が連発」毎日新聞縮刷版1973年10月p831
読売新聞1973年10月25日19面「現行制維持を確認 パ・リーグ『身売り』は連盟会長一任」読売新聞縮刷版1973年10月p913
毎日新聞1973年10月25日17面「小山投手が引退」毎日新聞縮刷版1973年10月p831
読売新聞1973年10月27日19面「西本監督が辞任 後任上田コーチ」読売新聞縮刷版1973年10月p993
読売新聞1973年10月30日19面「阪急、上田監督を正式発表」読売新聞縮刷版1973年10月p1103
読売新聞1973年11月2日1面「巨人、9年連続日本一」読売新聞縮刷版1973年11月p37
読売新聞1973年11月3日19面「セ 王 6回 パ 野村 5回 最優秀選手 新人王新美(日拓)『セ』は該当者なし」読売新聞縮刷版1973年11月p91
読売新聞1973年11月3日18面「別当監督(広島)も辞任『最下位脱出果たせず』」読売新聞縮刷版1973年11月p114
読売新聞1973年11月4日18面「広島監督に森永二軍監督」読売新聞縮刷版1973年11月p142
読売新聞1973年11月9日18面「カークランド 自由契約」読売新聞縮刷版1973年11月p298
読売新聞1973年11月18日19面「『日本ハム』誕生 球団譲渡で契約に調印 優勝ネラいます 行政にもアイデアを」読売新聞縮刷版1973年11月p639
読売新聞1973年11月18日19面「近鉄、西本監督を正式発表」読売新聞縮刷版1973年11月p639
読売新聞1973年11月20日夕刊11面「江川は阪急が指名 一番クジ大洋は山下 注目のドラフト会議」読売新聞縮刷版1973年11月p725
読売新聞1973年11月27日19面「ヤクルト『スワローズ』に戻る 監督に荒川氏昇格 ヘッドコーチは広岡氏」読売新聞縮刷版1973年11月p957
読売新聞1973年11月27日19面「怪童尾崎さびしく引退」読売新聞縮刷版1973年11月p957
読売新聞1973年12月5日19面「球界ルポ」読売新聞縮刷版1973年12月p159
読売新聞1973年12月13日15面「乗替・永射トレード」読売新聞縮刷版1973年12月p411
読売新聞1973年12月13日15面「暴力・権藤を契約解除 阪神」読売新聞縮刷版1973年12月p411
読売新聞1973年12月23日11面「天野氏(元文相)殿堂入り "記録の神様"故広瀬氏らも」読売新聞縮刷版1973年12月p671
読売新聞1973年12月25日11面「ロッテ・外山 南海入り」読売新聞縮刷版1973年12月p711
読売新聞1973年12月27日11面「金田弟↔野村交換 トレード成立」読売新聞縮刷版1973年12月p759
読売新聞1973年12月29日11面「米の球団売却 中村・太平洋オーナー」読売新聞縮刷版1973年12月p799