エドガルド・アルフォンゾ

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エドガルド・アルフォンゾ

エドガルド・アントニオ・アルフォンゾEdgardo Antonio Alfonzo, 1973年11月8日 - )は、ベネズエラミランダ州インデペンデンシア市サンタテレサデルトゥイ出身の元プロ野球選手内野手)。

概要 スタテンアイランド・フェリーホークス 監督, 基本情報 ...
エドガルド・アルフォンゾ
Edgardo Alfonzo
スタテンアイランド・フェリーホークス 監督
Thumb
2013年5月11日
基本情報
国籍 ベネズエラ
出身地 ミランダ州インデペンデンシア市サンタテレサデルトゥイ
生年月日 (1973-11-08) 1973年11月8日(51歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手一塁手三塁手
プロ入り 1991年 アマチュアFA
初出場 MLB / 1995年4月26日
NPB / 2009年4月3日
最終出場 MLB / 2006年7月11日
NPB / 2009年7月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ベネズエラ代表
WBC 2006年
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ニューヨーク・メッツ時代
(1999年5月30日)

経歴

要約
視点

メッツ時代

1991年2月19日、アマチュア・フリーエージェントでニューヨーク・メッツと契約し、プロ入り。

1995年4月26日にメジャーデビューを果たす。以後メッツのレギュラーに定着した。

1999年は打率.304、27本、108打点の好成績を残し、シルバースラッガー賞を受賞した(ナショナルリーグ二塁手部門)。なおこの年のメッツ内野陣(一塁ジョン・オルルド、二塁アルフォンゾ、遊撃レイ・オルドニェス、三塁ロビン・ベンチュラ)は非常に高い評価を受け、スポーツ・イラストレイテッド誌の表紙も飾っている[1][2]

2000年も打率.324、25本、94打点の好成績を残し、初のオールスターゲーム出場。メッツのワールドシリーズ出場に貢献した。

ジャイアンツ時代

2002年10月28日にメッツをFAとなり、12月16日にサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍した。

ジャイアンツではレギュラー三塁手として活躍していたが、2005年は故障に苦しみ、またペドロ・フェリスの台頭などもあり出場機会が減少した。

エンゼルス時代

2005年12月22日に、スティーブ・フィンリーとのトレードで、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムへ移籍。

2006年開幕前の3月に第1回WBCベネズエラ代表に選出された[3]

シーズン開幕後の5月21日にエンゼルスを解雇された。

ブルージェイズ時代

2006年5月25日に、マイナー契約でトロント・ブルージェイズへ移籍。6月12日に解雇される。

メッツ復帰

2006年7月15日に、マイナー契約で古巣メッツへ移籍。

独立リーグ・メキシコ時代

2007年以降は独立リーグメキシカンリーグでプレーするなど、2006年を最後にMLB傘下で公式戦をプレーすることはなかった[4]

巨人時代

2009年、日本でのプレーを目指し読売ジャイアンツの入団テストを受験、2月9日に年俸3,500万円+出来高の1年契約を結んだ。背番号は13。 3月1日の日本対巨人のWBC強化試合では、杉内俊哉から、先制本塁打を放つ。開幕戦では二塁手でスタメン出場するも二塁の守備範囲の狭さを露呈、その後は主に一塁を守る。しかし、打率は1割台前半と低迷し二軍落ち、最終的に打率.146、2本塁打、4打点という成績に終わり、12月2日に退団が決定した。

独立リーグ時代

2010年、アメリカ独立リーグ・アトランティックリーグニューアーク・ベアーズと契約した。

2011年以降はウィンターリーグのみでプレーし、2012年12月2日に現役引退を表明した[5]

現役引退後

2017年から2019年まで、ニューヨーク・メッツ傘下A-級のブルックリン・サイクロンズの監督を務めた[6][7]

2020年1月、「メッツ野球殿堂」に選出された[8]

2022年より、独立リーグ・アトランティックリーグの新球団であるスタテンアイランド・フェリーホークスの初代監督に就任した[9]

選手としての特徴

ポジションは主にサードセカンドで、他にショートファーストでのプレー経験がある。ニューヨーク・メッツ時代は、チーム事情にあわせてサードとセカンドを行き来していた。マイナー時代に、捕手としてのプレー経験もある。

人物

巨人でチームメートとなったアレックス・ラミレスとは幼馴染であり、共にリトルリーグのベネズエラ代表にも選ばれている(ポジションはアルフォンゾが正遊撃手、ラミレスが控え投手)。ラミレスは「尊敬していたし、あこがれの人だった」と語っている。巨人にテストを受けに来たのも、ラミレスからの紹介によるものが大きい。愛称は「フォンジー」である。

中日ドラゴンズ荒木雅博は、アルフォンゾのメッツ時代からの大ファンで4月19日の試合前にはサインをもらいに行っている[10]

2軍では中井大介大田泰示の指導をする姿も見られた。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...
















































O
P
S
1995 NYM 101356335269313541284111441211377.278.301.382.683
1996 123407368369615241274020952520568.261.304.345.649
1997 151599518841632721022472116856305564.315.391.432.823
1998 144630557941552821723878832365137711.278.355.427.782
1999 15872662812319141127315108921985238514.304.385.502.886
2000 1506505441091764022529594320695157012.324.425.542.967
2001 12451945764111220171844950155105627.243.322.403.725
2002 13556249078151260162255660036287555.308.391.459.851
2003 SF 142586514561332521320181523758444114.259.334.391.726
2004 139576519661502611121177112446254015.289.350.407.757
2005 10940236836102171212743201427123411.277.327.345.672
2006 LAA 1852501510061000020031.100.135.120.255
TOR 1243374610074000050111.162.279.189.468
'06計 309587511200135000070142.126.200.149.349
2009 巨人 214641360021240001400101.146.217.293.510
MLB:12年 1506610853857771532282181462288744531731555962241617110.284.357.425.782
NPB:1年 214641360021240001400101.146.217.293.510
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表彰

MLB

記録

MLB
NPB

背番号

  • 13 (1995年 - 2004年、2006年、2009年)
  • 12 (2005年)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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