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1973年の広島東洋カープでは、1973年の広島東洋カープの動向についてまとめる。
この年の広島東洋カープは、別当薫が1年だけ監督を務めたシーズンである。
4年連続のBクラスに加えて前年最下位に転落したチームの立て直しを図るべく、1972年まで大洋の監督を務めた別当薫が新監督に就任。この年からユニフォームはプルオーバースタイルとなり(1988年まで続く)、また従来のベルト式をベルトレスに、紺一色だったラインに赤を追加し、帽子のマークも広島の「H」からカープの「C」に変更するなどイメージチェンジが図られた。投手陣では根本陸夫前監督が育てていた外木場義郎・安仁屋宗八、さらに打撃陣では山本一義・山本浩司・衣笠祥雄などが中心となり1968年以来のAクラス入りが期待された。開幕後もチームは好調で、6月には5年ぶりに首位に浮上し前年最下位からの優勝の声が出始めると前半戦を3位で終了。後半戦も勢いが持続するかと思われたが打線が前半と打って変わって貧打にあえぎ、ズルズルと後退。借金を1ケタにとどめたものの60勝67敗3分と2年連続の最下位に終わり、別当監督はわずか1年で辞任。後任にはチーム生え抜きの森永勝也打撃コーチが昇格した。
1 | 中 | 上垣内誠 |
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2 | 遊 | 三村敏之 |
3 | 一 | 衣笠祥雄 |
4 | 左 | ヒックス |
5 | 右 | 山本一義 |
6 | 捕 | 水沼四郎 |
7 | 二 | マクガイア |
8 | 三 | 今津光男 |
9 | 投 | 外木場義郎 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 中日 | -- | 大洋 | -- | 広島 | -- | 中日 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 大洋 | 0.5 | 広島 | 0.0 | 中日 | 阪神 | 3.0 | 阪神 | 0.5 | 阪神 | 2.5 | 阪神 | 0.5 | |
3位 | 阪神 | 1.5 | 中日 | 1.0 | 阪神 | 1.0 | 広島 | 4.0 | 中日 | 1.0 | 中日 | 3.0 | 中日 | 1.5 |
4位 | 巨人 | 2.5 | 阪神 | 2.5 | 巨人 | 3.5 | 巨人 | 4.5 | 広島 | 2.0 | ヤクルト | 6.0 | ヤクルト | 4.5 |
5位 | 広島 | 3.5 | 巨人 | 4.0 | 大洋 | 4.0 | ヤクルト | 6.5 | 大洋 | 2.5 | 大洋 | 6.0 | 大洋 | 5.0 |
6位 | ヤクルト | 4.0 | ヤクルト | 7.5 | ヤクルト | 6.5 | 大洋 | 9.0 | ヤクルト | 3.0 | 広島 | 6.5 | 広島 | 6.5 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 66 | 60 | 4 | .524 | 優勝 |
2位 | 阪神タイガース | 64 | 59 | 7 | .520 | 0.5 |
3位 | 中日ドラゴンズ | 64 | 61 | 5 | .512 | 1.5 |
4位 | ヤクルトアトムズ | 62 | 65 | 3 | .488 | 4.5 |
5位 | 大洋ホエールズ | 60 | 64 | 6 | .484 | 5.0 |
6位 | 広島東洋カープ | 60 | 67 | 3 | .472 | 6.5 |
リーグ・リーダー |
---|
受賞者なし |
ベストナイン | ||
---|---|---|
選出なし | ||
ダイヤモンドグラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
山本浩司 | 外野手 | 2年連続2度目 |
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