競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
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日本シリーズ
→詳細は「1970年の日本シリーズ」を参照
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
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タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 王貞治 | 巨人 | 木樽正明 | ロッテ | ||
最優秀新人 | 谷沢健一 | 中日 | 佐藤道郎 | 南海 | ||
首位打者 | 王貞治 | 巨人 | .325 | 張本勲 | 東映 | .383 |
本塁打王 | 王貞治 | 巨人 | 47本 | 大杉勝男 | 東映 | 44本 |
打点王 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 105点 | 大杉勝男 | 東映 | 129点 |
最多安打 | 王貞治 | 巨人 | 138本 | 張本勲 | 東映 | 176本 |
盗塁王 | 東条文博 | ヤクルト | 28個 | 福本豊 | 阪急 | 75個 |
最多出塁数(セ) 最高出塁率(パ) | 王貞治 | 巨人 | 263個 | 張本勲 | 東映 | .467 |
最優秀防御率 | 村山実 | 阪神 | 0.98 | 佐藤道郎 | 南海 | 2.05 |
最多勝利 | 平松政次 | 大洋 | 25勝 | 成田文男 | ロッテ | 25勝 |
最多奪三振 | 江夏豊 | 阪神 | 340個 | 鈴木啓示 | 近鉄 | 247個 |
最高勝率 | 村山実 | 阪神 | .824 | 佐々木宏一郎 | 近鉄 | .773 |
ベストナイン
オールスターゲーム
→詳細は「1970年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
- 第42回選抜高等学校野球大会優勝:箕島(和歌山県)
- 第52回全国高等学校野球選手権大会優勝:東海大相模(神奈川県)
大学野球
- 第19回全日本大学野球選手権大会優勝:中京大
- 第1回明治神宮野球大会優勝:東海大
社会人野球
- 第41回都市対抗野球大会優勝:大昭和製紙
- 第20回日本産業対抗野球大会優勝:丸善石油
メジャーリーグ
→詳細は「1970年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- ボルチモア・オリオールズ(ア・リーグ) (4勝1敗) シンシナティ・レッズ(ナ・リーグ)
できごと
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1月
4月
- 4月1日 - 東京・後楽園球場に全電光スコアボードが完成。
- 4月2日 - 前年引退した巨人の金田正一の引退試合が後楽園球場での巨人対ヤクルトのオープン戦で行われ、金田は六回表に登板し1回を投げて降板。試合前に特別表彰式が行われ、オーナーの正力亨は金田の功績を讃え、金田の背番号34を永久欠番にすると発表[6]。
- 4月6日 - 第42回選抜高等学校野球大会の決勝戦が行われ、箕島が北陽を8-7で破って初優勝[7]。
- 4月10日 - 元西鉄の永易将之が衆議院第二議員会館一階の第一会議室にて午後3時より記者会見し、半年ぶりに公の場に姿を現す。自分以外に八百長に関わった選手として、益田昭雄、与田順欣、基満男、村上公康、池永正明、田中勉の名前を挙げる。また元南海の佐藤公博には報酬と引き換えに先発投手の情報を漏らしたこと、西鉄から口止め料として合計550万円を受け取っていたことを述べる[8]。
- 4月15日 - 西鉄の池永正明が小倉球場での西鉄対ロッテ1回戦で勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[9]。
- 4月19日 - 東映の毒島章一が後楽園球場での対阪急2回戦の六回裏に三塁打を打ち、通算三塁打数が元阪神の金田正泰の記録を更新するプロ野球新記録の104本となる[10]。
- 4月23日
- 4月24日 - 南海の野村克也が後楽園での東映対南海1回戦で4回表に6号本塁打を放ち、プロ通算450本塁打を達成[13]。
- 4月29日
5月
- 5月4日 - プロ野球コミッショナー委員会は永易発言で疑惑に登った西鉄6選手を、東京・銀座の日生会館に呼び事情聴取。全員八百長を否定[16]。
- 5月6日
- 5月7日 - 西鉄は午後1時から平和台球場にて記者会見し、村上、基、船田、池永の4選手について5月いっぱい公式戦の出場を見合わせると発表[19]。
- 5月8日 - 西鉄は上記4選手を福岡市内の西鉄本社にて呼び個別に事情聴取、これは夕方から深夜に及び、9日午前1時45分より西鉄は記者会見し、調査の結果4選手は必ずしも白とは言えない要素が出てきたと認める。
- 5月9日 - 朝日新聞が東映フライヤーズの2投手が八百長の誘いを受けていたと報道[20]。球団は田中調と森安敏明の2人から球団代表の田沢八十彦が事情を聴き、午後11時より田中、田沢、森安が記者会見し、田中が永易から八百長を頼まれたが断ったと語る[21]。
- 5月13日 - 西鉄オーナーの楠根宗生が福岡市内の西鉄本社で記者会見し、八百長事件の責任をとって西鉄本社社長、球団オーナーを辞任すると発表[22]。
- 5月18日 - 巨人の渡辺秀武が後楽園球場での対広島7回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成。2四球、2失策の4出塁を許したのみで125球を投じる[23]。
- 5月19日 - 警視庁捜査四課は阪神の葛城隆雄を小型自動車競走法違反の疑いで逮捕[24]。セ・リーグ会長の鈴木龍二は葛城を無期限の出場停止処分と発表。
- 5月23日 - 後楽園球場で行われた東映対近鉄戦で、東映の白仁天が3回裏の打席で見逃し三振の判定に怒り、主審の露崎元弥を突き飛ばして退場処分を受ける。白はさらに露崎を投げ飛ばし露崎は胸部の打撲で約1週間のけがを負う[25]。
- 5月25日
- 5月27日 - 西鉄本社は午後2時より株主総会を開き、その後の取締役会で社長の楠根宗生が退任し、後任に専務の吉本弘次が就任、代表取締役専務兼球団オーナーに木本元敬を選出[29]。木本は記者会見し、球団運営について「経営的に西鉄以上のバックが出てくれば、あえて西鉄という名前にはこだわらない」と発言[30]。
6月
- 6月2日 - 南海の監督兼選手の野村克也が大阪球場での対阪急9回戦の一回裏に12号2点本塁打を放ち、川上哲治の持つプロ野球通算1320の記録を更新する通算1322打点となる[31]。
- 6月3日 - 中日とロッテは東京・大手町のパレス・ホテルにて午後4時30分から記者会見し、1969年12月に任意引退した元中日の江藤慎一とロッテの川畑和人とのトレードが成立したと発表[32]。
- 6月9日
- 6月15日 - コミッショナー委員会は、黒い霧事件に関連して近鉄バファローズの球団職員の山崎晃を永久追放にすると発表[35]。
- 6月18日 - コミッショナー委員会は、オートレースの八百長容疑で逮捕された阪神の葛城隆雄を3カ月の期限付失格選手に指名[36]。
- 6月20日 - ヤクルトはロッテの篠原良昭を金銭トレードで獲得したと発表[37]。
7月
- 7月1日 - 南海の広瀬叔功が大阪球場での対西鉄6回戦の一回裏に盗塁に成功し、木塚忠助の持つプロ野球通算盗塁478の記録に並ぶ[38]。
- 7月2日 - 阪神の江夏豊が川崎球場での対大洋7回裏に重松省三から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[39]。
- 7月7日 - 阪神の監督兼選手の村山実が甲子園球場での対大洋13回戦で3勝目をあげ、プロ通算200勝を達成[40]。
- 7月10日 - 東映の毒島章一が日生球場での対近鉄9回戦の4回表に代打で出場し、プロ通算2000試合を達成[41]。
- 7月30日
- 7月31日 - 南海の広瀬叔功が日生球場での対近鉄13回戦の5回表に二盗を決めて通算盗塁が479となり、木塚忠助の持つ通算盗塁数478を抜くプロ野球新記録を達成[42]。
8月
- 8月2日 - 第41回都市対抗野球の富士市の大昭和製紙と神戸市の三菱重工神戸の決勝戦が後楽園球場で行われ、延長14回1-1で大会規定により引き分けとなる[43]。
- 8月3日 - 第41回都市対抗野球の決勝戦の再試合が後楽園球場にて午後6時32分より行われ、富士市の大昭和製紙が神戸市の三菱重工神戸を3-0で下し優勝[44]。
- 8月4日 - 広島の山内一弘が中日球場での対中日16回戦の1回表に5号本塁打を放ち、プロ通算4000塁打を達成[45]。
- 8月6日 - 阪神の遠井吾郎が神宮球場での対ヤクルト16回戦の4回表に5号本塁打を放ち、プロ通算1000安打を達成[46]。
- 8月11日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対ヤクルト16回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[47]。
- 8月16日 - ロッテの江藤慎一が小倉球場での対西鉄8回戦の四回表に安打を放ち、プロ通算1500安打を達成[48]。
- 8月19日 - ヤクルトは監督の別所毅彦を解任を発表。一軍投手コーチの小川善治が代理監督となる[49]。
- 8月20日 - 第52回全国高校野球選手権大会は神奈川・東海大相模高校が初優勝。監督の原貢は福岡・三池工業高校時代の1965年(第47回)に続き2校にまたがっての優勝監督となる。
- 8月25日 - ヤクルトは神宮球場での対中日18回戦に0-2と敗れ、日本プロ野球記録タイ(当時)の16連敗を記録[50]。
- 8月26日
9月
- 9月13日 - 阪神の若生智男が中日球場での対中日21回戦に先発登板し、プロ通算500試合登板を達成[53]。
- 9月18日 - 巨人の森昌彦が川崎球場での対大洋20回戦の七回から出場し、プロ通算1500試合出場を達成[54]。
- 9月20日 - 阪急の八田正が西宮球場での対西鉄25回戦の五回裏に代打として登場し、プロ通算1500試合出場を達成[55]。
- 9月25日 - 東映の張本勲が西宮球場での対阪急19回戦に3番・左翼で先発出場し、プロ通算1500試合出場を達成[56]。
- 9月29日 - 南海の広瀬叔功が大阪球場での対西鉄18回戦の一回裏に樋口正蔵の適時打で生還し、プロ通算1000得点を達成[57]。
10月
- 10月6日 - 近鉄の佐々木宏一郎が大阪球場での南海23回戦に先発し、完全試合を達成[58]。
- 10月7日 - 東京球場にてロッテ対西鉄25回戦に5-4と勝利し、2位の南海が大阪球場での対近鉄24回戦に1-3と敗れたため、ロッテが10年ぶりにパ・リーグ優勝[59]。
- 10月8日
- 10月16日 - 阪急の梶本隆夫が西宮球場での対ロッテ24回戦に先発登板し、プロ通算800試合登板を達成[62]。
- 10月18日 - 南海の野村克也が大阪球場での対西鉄26回戦の3回裏に安打を放ち、プロ通算2000安打を達成[63]。
- 10月19日
- 10月21日 - 東映は代理監督の田宮謙次郎の監督昇格を発表[66]。
- 10月22日 - 巨人対中日25回戦が中日球場で行われ巨人が4-1で中日に勝ち、セ・リーグ6連覇を達成[67]。同時にセ・リーグの連覇記録更新。
- 10月23日 - パ・リーグの全日程が終了[68]。
- 10月24日 - 沢村賞の選考委員会が東京運動記者クラブ部長会によって東京・有楽町の交通大飯店で正午から開かれ、大洋の平松政次を選出[69]。
- 10月25日 - 阪神の若生智男が甲子園球場での対広島最終戦に先発して13勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[70]。
11月
- 11月2日 - 日本シリーズ第5戦が東京球場で行われ巨人がロッテに6-2に勝利し、日本シリーズ6連覇を達成[71]。
- 11月3日 - 1970年度の最優秀選手、最優秀選手、ベストナインを決めるプロ野球記者投票の開票が東京・銀座のプロ野球コミッショナー事務局で午前10時より行われ、最優秀選手に王貞治、木樽正明、最優秀新人に谷沢健一と佐藤道郎が選出される[72]。
- 11月6日 - 巨人の打撃コーチの荒川博がオーナーの正力亨に辞表を提出し退団を申し入れる[73]。
- 11月7日
- 11月9日 - プロ野球新人選抜会議が東京・日生会館にて午前11時から行われ、107名が指名される[76]。
- 11月18日 - 近鉄から監督就任を要請されていた鶴岡一人が、内臓の状態が悪く監督の激務に耐えられないことを理由に要請を断ることを近鉄に伝える[77]。
- 11月19日 - トレード活性化のため、東京・日生会館において第1回選抜会議が開催される。保有選手の20%を各球団がリストアップして会議に提出、そのリストから各球団が順次トレード指名を行い、14人が指名された。
- 11月25日
12月
- 12月3日 - メジャーリーグの1970年度の優秀選手の表彰式がビバリー・ヒルのヒルトン・ホテルにて行われ、巨人の王貞治とオーナーの正力松太郎が外国人としてはじめて特別表彰を受ける[80]。
- 12月4日 - 南海の杉浦忠が大阪市浪速区の球団事務所にて球団代表の新山滋と去就について話会い、今季限りでの現役引退が決定[81]。
- 12月9日 - 巨人は午後0時30分から東京・銀座の読売新聞社会議室にて前広島の山内一弘が二軍打撃コーチに就任すると正式に発表[82]。
- 12月16日 - 野球体育博物館に表彰、掲載される特別表彰者を決める野球博物体育館特別表彰委員会が正午から東京・日比谷の日生会館で開かれ、中馬庚、田村駒治郎、直木松太郎の三名を選出[83]。
- 12月22日
- 12月26日
誕生
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
死去
脚注
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