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高橋明 (投手)
日本のプロ野球選手 (1942-2006) ウィキペディアから
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高橋 明(たかはし あきら、1942年5月29日 - 2006年7月31日)は、山口県出身のプロ野球選手(投手)。
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来歴・人物
防府高校では1959年、2年生時に夏の甲子園県予選準決勝に進出するが下松工に惜敗、西中国大会には進めなかった。
1963年から先発の一角を占め、同年は14勝を記録してリーグ優勝に貢献[1]。西鉄ライオンズとの日本シリーズでは3試合に登板。第5戦では先発し、井上善夫と投げ合い1失点完投勝利。第7戦にも先発、稲尾和久に投げ勝ち3失点ながら完投。胴上げ投手となりシリーズ最優秀投手賞に輝いた。翌年も開幕投手をつとめ12勝を挙げる。
1965年から不調が続き先発を外れる。
1968年には先発に復帰し9勝、同年の阪急ブレーブスとの日本シリーズは3試合にリリーフとして登板。
1969年も10勝を記録、同年の阪急ブレーブスとの日本シリーズは第1戦で堀内恒夫をリリーフし勝利投手、第3戦では先発し勝星はつかなかったが6回途中まで好投。第5戦にも先発するが2回にウインディに本塁打を浴び降板した。
1970年はリリーフに回り登板機会も減少。
1971年に巨人・川上哲治監督と西鉄・稲尾和久監督との間で、「投手がいなくて困っているだろう」という理由で西鉄ライオンズに移籍[1]。移籍1年目には14勝、シーズン38勝しか挙げられなかったチームの中で勝ち頭となった。
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エピソード
高橋は1971年に西鉄に移籍したが、当時の西鉄には既に1968年のドラフト14位で入団した外野手の高橋明という同姓同名の選手が在籍していた。このため、球場のスコアボードや新聞紙上では、投手のほうは「高橋明」、外野手のほうは「高橋外」と表記された。なお、2人とも1972年限りで引退している。
これは投手の高橋が日本シリーズで最優秀投手賞を獲得するなど活躍しており、また巨人では高橋一三も主力投手として活躍していたため、すでに「高橋明」の表記で人物を特定できたことが理由だと思われる。
巨人に同期入団した大熊伸行と一緒にいることが多かったため、落語の代表的な登場人物「熊さん八っつぁん」から「ハチ」とあだ名されたこともあった(大熊が「熊さん」)[3]。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
背番号
- 50 (1961年 - 同年7月24日)
- 60 (1961年7月25日 - 同年終了)
- 43 (1962年 - 1966年)
- 20 (1967年 - 1970年)
- 14 (1971年 - 1972年)
脚注
関連項目
外部リンク
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