高田 がん(たかだ がん、1930年〈昭和5年〉5月23日 - 2021年〈令和3年〉12月25日)は、日本の政治運動家特殊株主。「反共全国遊説隊」隊長、元自称「参議院比例代表研究家」。広義の街宣右翼に該当するが任侠系人士ではない。愛媛県八幡浜市出身。

概要 たかだ がん 高田 がん, 生誕 ...
たかだ がん

高田 がん
生誕 高田 巌
1930年5月23日
日本の旗 日本 愛媛県八幡浜市
死没 (2021-12-25) 2021年12月25日(91歳没)
職業 政治運動家
特殊株主
団体 反共全国遊説隊
肩書き 反共全国遊説隊 隊長
政党肥後亨→)
無所属→)
反共全国遊説隊 他
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経歴

要約
視点

17歳で中学校代用教員に採用される[注 1]。敗戦直後の動乱期に新聞配達から日雇労働まで多彩な職業を変転し、その中でアプレゲール的信念としての反共主義に基づく「赤狩り」志向が醸成された模様[要出典]

1960年前後の安保闘争期に翼賛院外団活動を本格化させ、1963年4月の統一地方選挙で注目された東京都知事選挙に、「(誇り高き)選挙屋」と嘯き無差別大量立候補で社会的批判を浴びていた、肥後亨グループの公認(この時は団体名が『肥後亨』)で初立候補。同年、第30回衆議院議員総選挙でも肥後亨事務所の背番号候補の一員に夫婦で名を連ねたが、革新系候補に対する選挙妨害、言論封殺と過度の当て擦りが問題視され、マスコミの報道規制(いわゆる泡沫候補の締め出し強化)の原因を作った。

1964年、大量立候補に関する詐欺罪で摘発された肥後亨が収監中に急死したため、しばらく他団体に身を寄せた後、1969年に自らの一人一党『反共全国遊説隊』を旗揚げし[注 2]、肥後から選挙屋稼業を継承。隊長と称して全国の知事選を含む各種首長選、国政選挙から市区議会議員補欠選挙に至るまで、1970年代を通じ選挙機会を見ては出馬。71選すべてに落選し、そのほとんどにおいて法定得票数未満で供託金を没収されるも、露出の多さから一定の知名度を得た。1974・1977・1980年の参議院議員通常選挙全国区に三回連続立候補しており、有名人や著名人が毎回多数立候補する中で、順調に票数を増やしていった。出生地愛媛県の県内得票においては50番以内であり、当選圏内であった。1980年の参院選の選挙公報では「今度こそ」の文言が見られた[1][2]

1965年第7回参議院議員通常選挙東京都選挙区)では、高田と阿部忠夫が『反共遊撃隊』公認で、小林哲也[要曖昧さ回避]島名正雄が『高田がん後援会本部』公認で、福山卓美曾田治雄が『高田がん親衛隊本部』公認で、各々立候補し下位落選している。これらの内、阿部(おとぼけ正二郎 → 阿部十七[注 3])、小林(小林二二)、島名(島名二三)、曾田(曽田二一)、高田夫妻(高田十二・十八)は、肥後亨事務所の背番号候補の残党。

政治ゴロ行為[注 4]を巡る仲間割れから、1982年には長崎県警察恐喝罪で摘発される。商法改正で特殊株主に厳しい規制が加えられた1980年代半ばより不活発化し、巨額の供託金出費を伴う国政選、知事選への立候補が見られなくなり、従って政見放送の機会もなくなったため、次第に忘れられた存在になる。

ソビエト連邦の崩壊後の平成初期にも散発的に立候補し、東京都議会議員補欠選挙では法定得票を上回る善戦振りを見せた事もあったものの、各右翼団体の最大のパトロンだった笹川良一国際勝共連合元名誉会長)の死去に伴い、完全に沙汰止みになる。2002年に一旦は活動再開を宣言し、地方選挙に立候補の動きを見せたが出馬には至らず。ブログの更新も2008年以降行われていなかった[3]

2021年12月25日早朝に死去。その翌日、親族により訃報が公表された[4]91歳没

人物

  • 幼くして父を亡くしたこともあり、学生時代から自立心は強く、また生来の気性の激しさもあり、やんちゃであった。街頭演説や立会演説で誰かが冷やかすと、「この野郎! 文句があるならこっちへ来い」等と息巻く一面もあった。子煩悩でも知られ、高田がんの立会演説会会場には、彼の子供たちがズラリ一列に並ぶこともあった。
  • 当初は右翼民族派天皇主義的政見が際立ったが、「泡沫候補の高田がん」という名前が全国に浸透した1970年代以降は、歯切れのよい言葉を並べた選挙公報と、マシンガンのような独特のダミ声の立会い演説で注目されるようになる。本人も、新聞の候補者紹介の中で「演説は赤尾敏より上だ」と断言していたほどである[要出典]。ちょうどこの頃は、NHKなどの政見放送がラジオからテレビに切り替わった時期で、政治家たちは、自らに向けられるカメラに緊張し、歯切れの悪い放送も目立ったが、高田がんはテンポよく、言い間違えることもなく一発でテレビ政見放送収録に臨んだ。
  • 選挙公報は、活動初期の頃は国粋・右翼的文言が目立ち、中期になると、激情抑え難きところがあったのか、法華経を丸写ししたり「人心一新 高田がん」とだけ大書していた。後期は、激動の生い立ちを語り、数十回の選挙戦を懐古し、抱負を述べるという雛形に落ち着いた。なお、政治活動の最末期はワープロを用いていた。一方、選挙ポスターでは「血の叫び 高田がん」とのフレーズを多用した。
  • 実家は纏まった山林を持つ地主で、外部の支援を受けていたこともあり、生涯を通して定職には就いていなかったものの、選挙資金に不自由していなかったとされる。
  • なんばいさお(『ニセ革新とマスコミを弾劾する会』、保谷市長選挙、練馬区長選挙に立候補)は元秘書。

選挙歴

衆議院議員選挙

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年月選挙選挙区所属落選得票数供託金
1963年12月第30回衆議院議員総選挙東京5区肥後亨落選117没収
1969年12月第32回衆議院議員総選挙愛媛3区反共全国遊説隊落選2,166没収
1972年12月第33回衆議院議員総選挙愛媛3区反共全国遊説隊落選534没収
1976年12月第34回衆議院議員総選挙新潟3区反共全国遊説隊落選1,044没収
1979年10月第35回衆議院議員総選挙熊本1区反共全国遊説隊落選1,092没収
1983年8月京都2区補欠選挙京都2区反共全国遊説隊落選1,417没収
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参議院議員選挙

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年月選挙選挙区所属当落得票数供託金
1965年7月第7回参議院議員通常選挙東京都選挙区反共遊撃隊落選7,127没収
1966年4月参議院議員補欠選挙京都府選挙区無所属落選7,083没収
1966年11月参議院議員補欠選挙愛知県選挙区反共遊説隊落選10,033没収
1967年8月参議院議員補欠選挙群馬県選挙区無所属落選5,903没収
1968年7月第8回参議院議員通常選挙愛媛県選挙区無所属落選24,378没収
1973年6月参議院議員補欠選挙大阪府選挙区反共全国遊説隊落選6,393没収
1974年1月参議院議員補欠選挙香川県選挙区反共全国遊説隊落選2,368没収
1974年5月参議院議員補欠選挙高知県選挙区反共全国遊説隊落選3,537没収
1974年7月第10回参議院議員通常選挙全国区反共全国遊説隊落選36,197没収
1974年12月参議院議員補欠選挙栃木県選挙区反共全国遊説隊落選9,457没収
1977年5月参議院議員補欠選挙新潟県選挙区反共全国遊説隊落選15,553没収
1977年7月第11回参議院議員通常選挙全国区反共全国遊説隊落選70,631没収
1977年9月参議院議員補欠選挙熊本県選挙区反共全国遊説隊落選6,887没収
1978年2月参議院議員補欠選挙茨城県選挙区反共全国遊説隊落選5,610没収
1980年6月第12回参議院議員通常選挙全国区反共全国遊説隊落選89,762没収
1981年3月参議院議員補欠選挙千葉県選挙区反共全国遊説隊落選13,116没収
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都道府県知事選挙

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年月選挙所属当落得票数供託金
1963年4月東京都知事選挙肥後亨落選8,032没収
1967年12月高知県知事選挙無所属落選5,890没収
1970年4月京都府知事選挙反共全国遊説隊落選1,220没収
1972年6月埼玉県知事選挙反共全国遊説隊落選8,640没収
1972年8月山口県知事選挙反共全国遊説隊落選12,031没収
1972年10月岡山県知事選挙反共全国遊説隊落選1,769没収
1973年3月宮崎県知事選挙反共全国遊説隊落選5,483没収
1973年9月徳島県知事選挙反共全国遊説隊落選1,203没収
1973年12月広島県知事選挙反共全国遊説隊落選15,915没収
1974年4月京都府知事選挙反共全国遊説隊落選3,491没収
1974年9月岐阜県知事選挙反共全国遊説隊落選11,381没収
1974年11月兵庫県知事選挙反共全国遊説隊落選7,694没収
1975年1月愛媛県知事選挙白石県政打倒県民同志会落選9,251没収
1975年4月大阪府知事選挙反共全国遊説隊落選12,597没収
1976年4月福島県知事選挙反共全国遊説隊落選11,020没収
1976年7月群馬県知事選挙反共全国遊説隊落選6,322没収
1976年9月福島県知事選挙
再選挙
反共全国遊説隊落選8,120没収
1976年10月岡山県知事選挙[注 5]反共全国遊説隊落選29,490没収
1977年2月岐阜県知事選挙反共全国遊説隊落選5,060没収
1979年1月愛媛県知事選挙白石県政とマスコミを弾劾する会落選15,423没収
1979年4月神奈川県知事選挙反共全国遊説隊落選47,959没収
1981年4月千葉県知事選挙反共全国遊説隊落選11,974没収
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市区町村長選挙

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年月選挙所属当落得票数供託金
1966年1月京都市長選挙無所属落選2,452没収
1969年1月保谷市長選挙無所属落選94没収
1969年4月名古屋市長選挙反共全国遊説隊落選1,164没収
1969年5月田無市長選挙反共全国遊説隊落選64没収
1971年2月京都市長選挙反共全国遊説隊落選1,116没収
1971年11月西条市長選挙反共全国遊説隊落選166没収
1972年4月宇和島市長選挙反共全国遊説隊落選114没収
1973年4月名古屋市長選挙反共全国遊説隊落選894没収
1974年8月岐阜市長選挙反共全国遊説隊落選825没収
1974年10月神戸市長選挙反共全国遊説隊落選671没収
1975年2月京都市長選挙反共全国遊説隊落選7,877没収
1975年4月世田谷区長選挙反共全国遊説隊落選4,231没収
1975年4月大阪市長選挙反共全国遊説隊落選8,057没収
1979年2月東予市長選挙反共全国遊説隊落選507没収
1979年4月世田谷区長選挙反共全国遊説隊落選13,154没収
1982年2月横浜市長選挙反共全国遊説隊落選6,927没収
1982年11月長岡市長選挙比例代表制研究会落選664没収
1983年4月川崎市長選挙反共全国遊説隊落選32,281没収
1983年4月世田谷区長選挙反共全国遊説隊落選14,853没収
1986年4月横浜市長選挙無所属落選9,759没収
1986年6月中野区長選挙無所属落選1,225没収
1987年10月逗子市長選挙無所属落選89没収
1991年4月新宿区長選挙新しい新宿を創る会落選1,504没収
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地方議会議員選挙

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年月選挙選挙区所属当落得票数供託金
1987年4月世田谷区議会議員選挙無所属落選324没収
1987年4月東京都議会議員選挙補欠選挙世田谷区無所属落選5,565没収
1991年4月東京都議会議員補欠選挙新宿区無所属落選11,513返還[注 6]
1992年7月東京都議会議員補欠選挙渋谷区無所属落選2,403没収
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脚注

外部リンク

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