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1929-2007, 俳優。 ウィキペディアから
高松 英郎(たかまつ ひでお、1929年〈昭和4年〉10月24日[1] - 2007年〈平成19年〉2月26日)は、日本の俳優。本名は武市 哲郎(たけいち てつお)[1]。高知県長岡郡大篠村(現:南国市)生まれ[1]。早稲田中学卒業[1]。
小学校教員の息子として誕生[1]。幼少時に東京都杉並区に移り、1947年に早稲田中学卒業、鎌倉アカデミア演劇科に入学[1]。在学中は舞踏家檜健次のもとで創作舞踊を学び、鎌倉アカデミアの講師の推薦で1951年、大映東京撮影所に「第5期ニューフェイス」として入社[1]。
1953年に『怒れ三平』にて若尾の恋人役でスクリーンデビュー[1]。初期は恋愛映画への出演が多かったが、徐々に悪役で持ち味を発揮。『巨人と玩具』での猛烈サラリーマン役を演じて注目を浴びた[1]。1962年の『黒の試走車』では一癖も二癖もある自動車会社の課長役、『しとやかな獣』では欲望丸出しの人間臭い役どころを演じた[1]。1963年『黒の報告書』を最後に大映を退社、活躍の場をテレビに移す[1]。テレビドラマの代表作には、『柔道一直線』や『雲のじゅうたん』などがある[1]。『雲のじゅうたん』ではテレビガイド最優秀演技者賞を受賞[1]。
その風貌が『巨人の星』に登場する主人公の父・星一徹に似ていたことから、CMやバラエティー番組へのゲスト出演をたびたび行った。実際に高松は常日頃から寡黙で、一見すると近寄りがたい印象があったことから、悪役や頑固オヤジ役・刑事役などで真骨頂を魅せたが、逆に温和で優しく、律義な性格で、後輩への演技のアドバイスなども丁寧に行っていたという[2]。
いつも身だしなみがきちんとしていることでも知られ、芸能人の多くは外出時には人目を避けるためにラフな恰好をするが、高松は常に背広にネクタイ姿だった[2]。
1962年にフジテレビの『テレビ結婚式』番組内で挙式[1](売名行為ではない完全なる慈善結婚式で、局もちの挙式で浮いた結婚資金やスポンサーからの贈答品などをすべて恵まれない子どものための施設に寄付した)。夫人は元モデルで二女をもうけた(長女は1980年代後半にモデル活動をしていた)。
2007年2月26日朝、神奈川県内の自宅で心筋梗塞のため死去。前日までドラマのロケ[3]で茨城県鹿嶋市にいたが、顔色が悪く、その日の収録を終えると「気分が悪いので一旦帰宅したい」と述べ、同夜の高速バスで帰京し自宅には深夜過ぎに戻って入浴後に就寝した。翌日早朝に寝室で息絶えていたのを夫人が発見した[2]。77歳没。
元々糖尿病の既往症があり、30年にわたって毎朝血糖値を測り、自らインスリンを注射していた。晩年は飲み薬が手放せない状態だったというが、事情を知らない者がそんなことは想像もできないほど仕事熱心だった。
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