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防衛省の特別の機関の一つ ウィキペディアから
陸上幕僚監部(りくじょうばくりょうかんぶ、略称:陸幕(りくばく)、英語:Ground Staff Office、略称:GSO)は、日本の官公庁の一つであり、防衛省の特別の機関である。
防衛省に置かれている特別の機関のひとつであり、陸上自衛隊の任務に関する防衛大臣の幕僚機関として、陸上自衛隊の部隊等の管理運営の調整や部隊の防衛力の整備等を掌る。
陸上幕僚監部の長は陸上幕僚長で、所在地は市ヶ谷駐屯地(東京都新宿区)。主に陸上自衛官によって構成され、いわゆる背広組(事務官)中心の防衛省内部部局(内局)とともに、専門的知見に基づき、防衛大臣を補佐する役割を担う。陸上幕僚副長は師団長または相当職を経験した陸将から任じられ、幕僚長に事故があるとき、または幕僚長が欠けたときにおける職務代行及び幕僚監部の業務を監督する。
かつては、まず陸上幕僚監部がいわゆる軍政と軍令の双方の事項について計画立案し、さらに防衛省の内部部局がそれらを調整するという二重の手順を経る形になっていた。2000年代に入ってからの防衛省改革により、部隊運用にかかる部分については、統合幕僚監部/統合幕僚長の職掌となり、陸上幕僚監部はフォースプロバイダーとしての部隊運営が主となっている。
第一幕僚監部
陸上幕僚監部
内部編成は次のとおり[2]。
非公然組織については、後述を参照。
公式には存在を否定されている[12] が、情報幕僚(G2)にあたる指揮通信システム・情報部(旧第二部、調査部、運用支援・情報部)には、ヒューミントを担当する情報1班特別勤務班、いわゆる別班(Defence Intelligence Team, DIT)が存在したとされている[13][14][15]。
前身である警察予備隊の創設当初は旧内務官僚が中心になっていたため、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)参謀第2部(G2)と連携していた有末機関など旧軍の情報参謀の入隊は遅れていた。このため在日米軍では、日米の軍事情報部門の連携を強化するため、1952年より警察士長(3等陸佐)・1等警察士(1等陸尉)クラスの中堅幕僚を在日米軍情報機関に出向させ、研修させるようになった。これが「別班」の起源となった[15]。
そして1954年の日米相互防衛援助協定(MSA協定)の締結と前後して、時の在日米軍司令官ロジャー・マックスウェル・レイミーから首相吉田茂に送付された書簡に基づき、陸上自衛隊と在日米陸軍が合同で諜報活動を行うという秘密協定が締結された。そして1956年頃より、MIST(Military Intelligence Specialist Training、軍事情報専門家研修)として、より本格的な研修コースが開講した。在日米陸軍では、キャンプ座間の第500情報旅団からキャンプ・ドレイクに展開した分遣隊であるFDDが受け入れ部隊となった。日本側では"MIST"に語感が近い「武蔵」が秘匿名として用いられるようになった[15]。
1960年には、ハワイで広瀬部長と太平洋陸軍情報部長が会合し、第1回の日米情報会議(JA会議)が開催された[14]。またこの頃、研修修了者を結集して、陸幕2部長であった広瀬栄一陸将補の直轄下で発足したのが特勤班であった。1961年には日米の非公然の合同工作機関となり、陸自の班長と米軍FDD指揮官が同格で構成する合同司令部のもとに、「工作本部」および日米おのおのの「工作支援部」が配されるようになった。工作本部にはおおむね3つの工作班が設置されていたとされる。また指揮系統としては、当初は2部長の直轄下にあったが、後に2部内に連絡幕僚が置かれ、その後は情報1班長が連絡を担当するようになった[15]。班長は2佐、総員24名だったとされている[16]。なお「武蔵」という秘匿名は1965年に廃止され、以後は単に「特勤班」ないし「別班」と称されたとも[15]、「小金井」と称されるようになったともいわれる[14]。
別班は、当初はFDDと同じキャンプ・ドレイクを拠点としていたが、1973年に同地が日本に返還されたのに伴い、第500情報旅団と同じキャンプ座間に移転した。しかし同年の金大中事件で別班の関与が疑われ[注 1]、衆目を集めたことから、規模を縮小して、檜町駐屯地の陸幕地下に移転したとされる[15]。現在は組織としては消滅し、指揮通信システム・情報部の担当者が米陸軍情報部隊との連絡業務を継続してはいるものの、共同の情報活動のような密接度はないとされる[17]。
2013年の共同通信社の報道(共同通信 2013)では、別班要員が民間人に身分を偽装し、内閣総理大臣や防衛大臣(防衛庁長官)に無断で国外活動を行ったとされ、新党大地の鈴木貴子衆議院議員が国会に質問主意書を提出する事態となった[12][17]。ただし黒井文太郎は、法的・予算的な制約から「陸幕が組織的に国外で情報活動の偽装工作をするということは、現実的には無理だろう」と延べ、別班経験者が語学研修などの経験を活かして退官後に貿易業務に携わる例があったことを指摘し、その業務の傍らで自主的に行った情報収集活動の域を出ないものと結論している[17]。また共同通信 2013では、別班の得た情報を陸上幕僚長・情報本部長に報告する際には情報の出所が明示されていなかったとされていたが、実際には陸幕や内局の上層部も報告を受けていたとされている[15]。
なお、「情報本部電波部」の前身組織であり、シギントを担当していた陸上幕僚監部調査部第2課別室(通称:調別)とは、別の機関である[16]。
官職名 | 階級 | 氏名 | 出身校・期 | 補職発令日 | 前職 |
---|---|---|---|---|---|
陸上幕僚長 | 陸将 | 森下泰臣 | 防大32期 | 2023年 | 3月30日東部方面総監 |
陸上幕僚副長 | 陸将 | 上田和幹 | 防大35期 | 2024年 | 3月28日陸上総隊司令部幕僚長 |
監理部長 | 陸将補 | 牧野雄三 | 生徒34期・ 防大39期 | 2024年 | 8月 2日東部方面総監部幕僚副長 |
人事教育部長 | 陸将補 | 栁裕樹 | 防大38期 | 2024年 | 3月28日統合幕僚監部首席後方補給官 |
運用支援・訓練部長 | 陸将補 | 垂水達雄 | 防大35期 | 2023年 | 8月29日北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地司令 |
防衛部長 | 陸将補 | 白川訓通 | 防大37期 | 2023年 | 3月30日統合幕僚監部防衛計画部副部長 |
装備計画部長 | 陸将補 | 池田孝一 | 防大38期 | 2024年 | 3月28日陸上自衛隊関東補給処副処長 |
指揮通信システム ・情報部長 | 陸将補 | 濱崎芳夫 | 防大35期 | 2023年 | 3月30日陸上自衛隊通信学校長 兼 久里浜駐屯地司令 |
衛生部長 | 陸将補 | 菊池勇一 | 防医大16期 | 2023年 | 3月30日自衛隊仙台病院長 |
監察官 | 陸将補 | 満井英昭 | 防大39期 | 2024年 | 8月 2日第5施設団長 兼 小郡駐屯地司令 |
法務官 | 陸将補 | 惠谷昇平 | 防大35期 | 2024年 | 3月28日陸上自衛隊富士学校副校長 兼 諸職種協同センター長 |
警務管理官 | 1等陸佐 | 河野保之 | 防大37期 | 2023年 | 8月 1日防衛医科大学校学生部長 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | |
---|---|---|---|---|---|---|
警察予備隊総隊副総監 | ||||||
1 | 伊関佑二郎 (警察監) | 1950.12.29 - 1951.10.29 | 東京帝国大学 | 公職資格訴願審査委員会事務局長 (総理府事務官) | 外務省連絡局長 (外務事務官) | |
2 | 武内征平 (警察監) | 1951.10.30 - 1952.7.31 | 東京帝国大学 | 警察予備隊管理補給総監 | 第一幕僚副長 | |
第一幕僚副長 | ||||||
2 | 武内征平 (警察監) | 1952.8.1 - 1954.6.30 | 東京帝国大学 | 警察予備隊総隊副総監 | 調達実施本部長 (防衛庁事務官) | |
陸上幕僚副長 | ||||||
3 | 杉山茂 | 1954.7.1 - 1957.8.1 | 陸士36期・ 陸大45期 | 第一幕僚監部第三部長 | 陸上幕僚長 | |
4 | 大森寛 | 1957.8.2 - 1960.3.10 | 東京帝国大学 | 第一管区総監 | 東部方面総監 | |
5 | 細田煕 | 1960.3.11 - 1962.3.11 | 陸士39期・ 陸大51期 | 陸上幕僚監部第5部長 | 東部方面総監 | |
6 | 高山信武 | 1962.3.12 - 1964.3.15 | 陸士39期・ 陸大47期 | 北部方面総監 | 陸上幕僚監部付 →1964.4.1 退職[注 2] | |
7 | 天野良英 | 1964.3.16 - 1965.1.15 | 陸士43期・ 陸大52期 | 第2師団長 | 陸上幕僚長 | |
8 | 山田正雄 | 1965.1.29 - 1966.4.29 | 東京帝国大学 | 陸上幕僚監部第5部長 | 東部方面総監 | |
9 | 田中兼五郎 | 1966.4.30 - 1968.3.13 | 陸士45期・ 陸大54期 | 陸上幕僚監部第5部長 | 東部方面総監 | |
10 | 益田兼利 | 1968.3.14 - 1969.6.30 | 陸士46期・ 陸大54期 | 陸上幕僚監部第5部長 | 東部方面総監 | |
11 | 衣笠駿雄 | 1969.7.1 - 1970.6.30 | 陸士48期・ 陸大55期 | 第3師団長 | 陸上幕僚長 | |
12 | 竹田津護作 | 1970.7.1 - 1971.6.30 | 陸士49期・ 陸大58期 | 第4師団長 | 東部方面総監 | |
13 | 堀江正夫 | 1971.7.1 - 1972.3.15 | 陸士50期・ 陸大57期 | 陸上幕僚監部第5部長 | 西部方面総監 | |
14 | 曲壽郎 | 1972.3.16 - 1973.1.31 | 陸士50期・ 陸大58期 | 防衛大学校幹事 | 陸上幕僚長 | |
15 | 倉重翼 | 1973.2.1 - 1974.3.15 | 陸士52期 | 陸上幕僚監部第5部長 | 北部方面総監 | |
16 | 三好秀男 | 1974.3.16 - 1974.6.30 | 陸士53期・ 陸大59期 | 第11師団長 | 陸上幕僚長 | |
17 | 塚本勝一 | 1974.7.1 - 1976.3.15 | 陸士54期・ 陸大60期 | 陸上自衛隊通信学校長 兼 久里浜駐とん地司令 | 西部方面総監 | |
18 | 永野茂門 | 1976.3.16 - 1977.10.19 | 陸士55期 | 第11師団長 | 東部方面総監 | |
19 | 鈴木敏通 | 1977.10.20 - 1979.3.15 | 陸士57期 | 第13師団長 | 中部方面総監 | |
20 | 登張史郎 | 1979.3.16 - 1980.7.1 | 陸士57期 | 第5師団長 | 退職 | |
21 | 村松榮一 | 1980.7.1 - 1982.3.15 | 陸士59期 | 陸上幕僚監部防衛部長 | 西部方面総監 | |
22 | 中村守雄 | 1982.3.16 - 1983.3.15 | 陸航士60期 | 第7師団長 | 北部方面総監 | |
23 | 馬郡道生 | 1983.3.16 - 1984.3.28 | 陸士60期 | 第2師団長 | 東部方面総監 | |
24 | 久山辰治 | 1984.3.29 - 1985.10.1 | 陸士61期 | 第11師団長 | 退職 | |
25 | 石井政雄 | 1985.10.1 - 1986.3.16 | 立教大学 昭和28年卒 | 第11師団長 | 陸上幕僚長 | |
26 | 寺島泰三 | 1986.3.17 - 1987.3.15 | 東北大学 昭和31年卒 | 第11師団長 | 東部方面総監 | |
27 | 種具正二郎 | 1987.3.16 - 1987.12.10 | 中央大学 昭和30年卒 | 第4師団長 | 東部方面総監 | |
28 | 中尾時久 | 1987.12.11 - 1989.6.29 | 防大1期 | 第6師団長 | 中部方面総監 | |
29 | 西元徹也 | 1989.6.30 - 1991.3.15 | 防大3期 | 第7師団長 | 中部方面総監 | |
30 | 冨澤暉 | 1991.3.16 - 1992.3.15 | 防大4期 | 第1師団長 | 北部方面総監 | |
31 | 内田十允 | 1992.3.16 - 1993.7.1 | 防大4期 | 第4師団長 | 退職 | |
32 | 渡邊信利 | 1993.7.1 - 1994.6.30 | 防大6期 | 第2師団長 | 北部方面総監 | |
33 | 宮本敏明 | 1994.7.1 - 1995.6.29 | 防大7期 | 第4師団長 | 中部方面総監 | |
34 | 藤縄祐爾 | 1995.6.30 - 1996.6.30 | 防大8期 | 第7師団長 | 東部方面総監 | |
35 | 磯島恒夫 | 1996.7.1 - 1997.6.30 | 防大9期 | 第6師団長 | 北部方面総監 | |
36 | 天野良晴 | 1997.7.1 - 1998.6.30 | 防大10期 | 第12師団長 | 西部方面総監 | |
37 | 山口義廣 | 1998.7.1 - 1999.12.9 | 防大11期 | 第6師団長 | 東部方面総監 | |
38 | 先崎一 | 1999.12.10 - 2001.1.10 | 防大12期 | 第3師団長 | 北部方面総監 | |
39 | 菅博敏 | 2001.1.11 - 2002.3.21 | 防大13期 | 第4師団長 | 東部方面総監 | |
40 | 森勉 | 2002.3.22 - 2003.6.30 | 防大14期 | 第7師団長 | 西部方面総監 | |
41 | 林直人 | 2003.7.1 - 2004.8.29 | 防大15期 | 第3師団長 | 西部方面総監 | |
42 | 折木良一 | 2004.8.30 - 2005.7.27 | 防大16期 | 第9師団長 | 中部方面総監 | |
43 | 廣瀬誠 | 2005.7.28 - 2006.8.3 | 防大17期 | 第9師団長 | 北部方面総監 | |
44 | 宗像久男 | 2006.8.4 - 2007.7.2 | 防大18期 | 第6師団長 | 東北方面総監 | |
45 | 酒井健 | 2007.7.3 - 2008.7.31 | 生徒13期・ 防大19期 | 第8師団長 | 北部方面総監 | |
46 | 関口泰一 | 2008.8.1 - 2009.7.20 | 防大20期 | 第3師団長 | 東部方面総監 | |
47 | 荒川龍一郎 | 2009.7.21 - 2010.7.25 | 防大21期 | 第7師団長 | 中部方面総監 | |
48 | 渡部悦和 | 2010.7.26 - 2011.8.4 | 東京大学 昭和53年卒[注 3] | 第2師団長 | 東部方面総監 | |
49 | 久納雄二 | 2011.8.5 - 2012.7.26 | 防大22期 | 第6師団長 | 退職 | |
50 | 番匠幸一郎 | 2012.7.26 - 2013.8.21 | 防大24期 | 第3師団長 | 西部方面総監 | |
51 | 山下裕貴 | 2013.8.22 - 2014.8.4 | 大分工業大学 昭和54年卒[注 4] | 第3師団長 | 中部方面総監 | |
52 | 鈴木純治 | 2014.8.5 - 2015.8.3 | 防大26期 | 第3師団長 | 中部方面総監 | |
53 | 山之上哲郎 | 2015.8.4 - 2016.6.30 | 防大27期 | 第8師団長 | 東北方面総監 | |
54 | 湯浅悟郎 | 2016.7.1 - 2017.8.7 | 防大28期 | 第9師団長 | 西部方面総監 | |
55 | 髙田克樹 | 2017.8.8 - 2018.7.31 | 防大29期 | 第2師団長 | 東部方面総監 | |
56 | 小野塚貴之 | 2018.8.1 - 2019.8.22 | 防大30期 | 第7師団長 | 東部方面総監 | |
57 | 竹本竜司 | 2019.8.23 - 2020.8.24 | 生徒26期・ 防大31期 | 第1師団長 | 西部方面総監 | |
58 | 森下泰臣 | 2020.8.25 - 2021.12.21 | 防大32期 | 第2師団長 | 東部方面総監 | |
59 | 山根寿一 | 2021.12.22 - 2023.3.29 | 防大33期 | 第3師団長 | 西部方面総監 | |
60 | 小林弘樹 | 2023.3.30 - 2024.3.27 | 防大34期 | 第8師団長 | 中部方面総監 | |
61 | 上田和幹 | 2024.3.28 - | 防大35期 | 陸上総隊司令部幕僚長 |
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