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日本の軍事ジャーナリスト ウィキペディアから
黒井 文太郎(くろいぶんたろう[1]、1963年 - )は、日本の軍事ジャーナリスト。
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1963年、福島県いわき市生まれ。福島県立磐城高等学校を経て、横浜市立大学文理学部国際関係課程を卒業後、講談社に入社する[2]。学生時代はバックパッカーをしていた。講談社時代は週刊誌フライデーの編集に携わる。退社後はニューヨークを拠点にジャーナリストとして活動した。その後、戦場カメラマンとしてモスクワ、カイロを拠点に内戦中のサラエボ市内やコントラに日本人初取材を行う等、精力的に活動した。
国際インテリジェンス(情報機関および諜報活動)専門誌として『ワールド・インテリジェンス』誌を発刊。自ら編集長に就任する。
自ら比較的得意な分野は「インテリジェンス」だと述べている。
2010年、黒井が自らのブログ上で大学2年の夏休みに初めての海外旅行でアメリカとメキシコに行った際、当初予約していたニューヨーク発ソウル経由の帰国便を一週間延期したことで、1983年9月1日に起きた大韓航空機撃墜事件を免れ、命拾いしたことを明かしている[3]。
2013年にJBpress上で20年前に結婚した元妻がシリア人であることや、黒井がシリア人女性と結婚した日本人として二人目らしいと述べている[4]。また、同年週刊朝日にてシリア秘密警察アムンから徹底的な調査対象とされ、スパイ嫌疑を持たれていた事やシリア大使館に何度も呼び出され、その際「元妻は大使館内では、端でみてわかるほど緊張し、がくがくと震えていた」事などを記しつつ、アサド政権に対して「世界でも過去最悪の極悪非道な政権」であると評している[5]。アルカイダ等のテロリストに関する書籍も多く執筆している。
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