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ソフトボールを用いたテニス ウィキペディアから
ソフトテニス(英語: Soft Tennis)は、2対2(計4人)または1対1(計2人)となりプレイヤー同士が中空の柔らかい[注 1]ゴム製のボール[注 2]をネット越しにラケットで打ち合う、近代テニス(ローンテニス・硬式テニス)から極初期[注 3]に分岐し発展した球技。2対2(ダブルス)が主流で、日本を発祥として、主に東アジアを中心としたアジア圏[注 4]でプレーされるが、近年は東欧でも定期的にトーナメントが開催されている。軟式庭球(なんしきていきゅう、略: 軟庭)、軟式テニス(なんしきテニス)とも呼ばれている。正式名称は、1992年の全面的なルール改定の際にソフトテニス[注 5]となった。
ソフトテニスは、テニス(硬式テニス)と同サイズのコートを使用し、テニスと似た形状の道具を用いる。ボールは同じゴム製だがテニスはフェルトでカバーされている。ソフトテニスのボールは軽く扱いやすいが、同時に風などの自然条件の影響を受けやすい。また硬式テニスと比べるとスピンが容易である。しかしスピン過多だとしばしば不安定になる特徴がある。
ほぼダブルス中心の競技として発展してきたのがラケットスポーツとしては特異な点である。ダブルス中心での発展の過程でポジションの専門性(具体的に は後衛、前衛のポジションを専門化し雁行陣形を用いる)が高くなったが、近年、オールラウンドプレーがおもに海外から流入[注 6]、いわゆるダブルフォワードが台頭し、多様化が進んでいる。一方で1990年代半ばにシングルスが正式採用され現在にいたる。第二次大戦前には明治神宮大会においてシングルスのルールが整備され実施されたが、連盟が分裂する騒動に発展。結局数年でシングルスは廃止。戦後は長らくダブルスオンリーに。1990年代半ばになって、国際普及での必要性が議論され、シングルスは独自ルール[注 7]が立案され正式採用。国際大会においては1992年にジャカルタで開催された第二回アジア選手権において個人戦シングルスが行われたのが最初となる。翌1993年の東アジア競技大会(上海)では団体戦にも採用(上海大会には公開種目として参加)。国内では1994年に第1回の全日本シングルス選手権が天皇賜杯・皇后賜杯全日本ソフトテニス選手権(ダブルス)と同時開催された.[注 8]
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ローンテニスがイギリスで発生したのは1874年(明治7年)であり日本への伝播は早くて1878年(明治11年)といわれるが諸説が存在する。表孟宏編による『テニスの源流を求めて』[1]には数々の説が紹介されているが、どれが事実なのかは特定できていない。なかでは明治政府の招きで1878年に来日したリーランド博士がアメリカから用具をとりいれて、赴任校である体操伝習所(1879年創設)で教えたという説が一般に広く知られている。がこちらもそれを決定づける確たる証拠はないとされる(前書参照)。
ただ遅くとも体操伝習所が廃校になる1886年頃にはゴムボールを使用したテニスが普及しつつあった。これはローンテニスのボールの国産が難しく、また輸入品も高価であったために、比較的安価であったゴムボール[注 9]で代用した、と伝えられる。
1885年に下村秦大編『西洋戸外遊戯法』、坪井玄道・田中盛業編集による『戸外遊戯法』という本が出版されているが、これらが日本語によるテニスのルールの最初のものとされる[注 10]。
1886年に体操伝習所は廃校となったが東京高等師範学校(東京高師、後の東京教育大 現筑波大)に体育専科がおかれ、リーランドの帰国後、体操伝習所において彼の後任主任教員であった坪井玄道[注 11]が教師に赴任、テニス[注 12]の指導をおこなう一方で、三田土ゴム(のちのアカエム)にゴムボール製造を委嘱して、普及に尽力した。
三田土ゴムは1890年(明治23年)に製造を開始。日本国産球が完成したのが1900年。1908年には特許を取得している[注 13]。
東京高師の卒業生は1887年頃から全国に教員として赴任していくが、ボールの国産化はそれと同時に進行していき、ゴムボールをつかったテニスは全国に普及していくこととなった。
1898年(明治31年)、東京高師と東京高等商業学校(東京高商 現一橋大)の間で対抗試合が行われる。これが日本で最初の対抗戦といわれる。以後、両校は毎年対抗戦を行っている。
1902年(明治35年)に東京高師は関西に遠征、さらに高師主導で東京の大学12校による連合庭球大会を開催。いわゆる大会事始めである。この大会は以後、毎年、開催。
1904年(明治37年)、東京高師、東京高商、早稲田、慶応の4校の代表が集まりルールを制定。まだまだ不備な点が多々あったものの、これが日本人が制定したテニスルールの最初のものとされる。これ以前は翻訳ルールをそのまま流用していた。
1908年(明治41年)大阪毎日新聞社の主催で中等諸学校連合大会(通称浜寺大会[注 14])が開催される。これはインターハイの前身となる。
明治期後半 学校対抗の団体戦が日本全国で盛んに行われ、最盛期を迎える。
1913年(大正2年)に慶應大学庭球部が突如硬式テニスへの転向を宣言。当初追随するところはなかったが熊谷一弥や清水善造が欧米で輝かしい成果をだしたことで機運がたかまり、1920年にいたり東京高師、東京師範、早稲田、明治、東京帝大等は続々硬式転向を宣言。しかし、一方で実業団チーム、社会人クラブは軟式テニスを採用。また女子でも盛んになる。また地方では依然として軟式が隆盛を極めた。 1920年、烏山隆夫により準硬球が考案される。これは硬式への転向を容易にするという意図があり、1926年には全国中等学校準硬球大会(前述の浜寺大会)が開催されるほどになったが、その普及度はほぼ関西にとどまり、昭和初期には姿を消した。
1922年(大正11年)東京における八大倶楽部により東京軟球協会が設立され、倶楽部によるリーグ戦を創設開催、その成功を経て全日本選手権(現在の全日本ソフトテニス選手権大会)を時事新報社の後援を得て開催。 1924年(大正13年)4月 東京軟球協会は日本軟球協会と改称され、以降さまざな全国大会を主催、また指導者を全国に派遣し普及活動を行なうようになる。会員は倶楽部若しくは学校庭球部を単位とし会費を徴収し、庭球に関する研究、発表、ランキングの作成、その他庭球界一切の事業をこころみることを目的とした。
1925年(大正14年)より明治神宮競技大会に参加。参加にあたりルール改正[注 15](神宮ルール ダブルスでサービスの交代の義務化、及びシングルスの導入)を余儀なくされ混乱、大正15年12月に至っては従来の日本軟球協会(従来ルール派)と全日本軟式庭球連盟(神宮ルール派)の二団体に分裂する事態にまで発展する。
1928年に二団体は日本軟球連盟として統一され、1933年に日本軟式庭球連盟が創立された。
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1970年代『軟式テニスは中、高校ではもっとも人気のあるスポーツである』とされていた[7]。現在は、日本において約60万人の競技人口(登録者)が存在する。また日本ソフトテニス連盟は約700万人の愛好者がいると概算している[8]。 しかしながら、一般的にも愛好者の意識のなかでもマイナー感が極めて強いのもまた事実である。原因としては、オリンピック種目ではないこと、長らく日本国内にプロ選手が存在しなかったこと[注 45][9]、学校体育(中学、高校)が中心であると認識されていること[注 46]、1980年代から急速に日本においても大衆化したテニス(硬式テニス、ローンテニス)[注 47]の影響が考えられる。
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ダブルスとシングルスがある[注 48]。
シングルスは1993年より正式に導入された。このとき採用されたルールは現在のそれとはおおきく異なり、コートの左右半面を使用するというもの。発足当初から疑問の声があがっていたが、2003年の世界選手権よりルールが改定。硬式テニスのシングルスと同サイズのコートで競技されることになった。ネットの高さなどはダブルスと同様である。
ダブルスのルールは1993年に大きな変更が見られた。1993年のルール改定では、主に「ポジションの制約」というルールが加えられた。レシーバー以外のプレーヤーはインプレー前にコートに入ってはいけない、とするもの。加えて、2ポイント毎にペア同士でサーバーを交代することとなった。またファイナルゲームでのタイブレークシステムが採用。当然サービスサイドの交代もとりいれられ、永年の不公平がようやく解消された。
2004年にはマイナーチェンジがあり、サービス時のポジションの制約がなくなった。
日本国内で日本ソフトテニス連盟主催の大会(あるいはそれに準ずる大会)に出場するには基本的に日本ソフトテニス連盟公認用具を使用しなければならない。(公認用具はラケット、ボール、ウエア(ユニフォーム)、ストリングス、シューズ)
ソフトテニスコートの規格について、日本ソフトテニス連盟は次のように定めている。
国内の試合において、着用する服装はルールにより日本ソフトテニス連盟公認メーカーが定められている。以前は白を基調(ルールで定められていた)としたものだったが、近年はカラフルなものが主流である。
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