Loading AI tools
日本のアカペラグループ ウィキペディアから
RAG FAIR(ラグフェア、ラグフェアー)は、日本の4人組男性アカペラボーカルグループ。ワタナベエンターテインメント所属。略称は「RAG」または「RAGメン」。
RAG FAIR | |
---|---|
別名 | ラグ、RAGメン |
ジャンル | アカペラ |
活動期間 | 2012年 - |
事務所 | ワタナベエンターテインメント |
公式サイト | https://www.ragfair.jp/ |
メンバー |
土屋礼央 引地洋輔 荒井健一 加藤慶之 |
旧メンバー |
加納孝政 高久陽介 奥村政佳 |
1999年7月、大学時代に結成したバンドグループ「Chocolez(チョコレッツ)」からRAG FAIR結成。
グループ名の由来は、メンバーの加藤慶之が当時着用していたRAG FAIR(蚤の市)と書かれたTシャツから取ったもの。1999年9月5日開催の『A Cappella Age Vol.4』に参加する際にグループ名を決めなくてはいけなくなり急いで命名をした[1]。
2011年3月から休止していたが、2012年12月より活動再開した。
引地 洋輔(ひきち ようすけ)
1978年3月20日(46歳)福島県福島市出身。血液型B型。埼玉大学教養学部卒業。リーダー。愛称は「よーすけ」トレードマークは眼鏡。土屋ほどではないが、ソロパート及びリードボーカルを務めることも多い。
RAG FAIR結成時のメンバーで、2002年6月26日にリーダーに就任。絶対音感をもつ。INSPiの大倉智之と共に日記歌唱ユニットLove Diaryにも所属している。2012年4月、入籍を発表した。コーラスアレンジを担当し。学年で4つ下の弟がいる。
土屋礼央のオールナイトニッポンのサブ作家だった。東海ラジオで2003年から放送の「RAG FAIRよーすけのブランニューR」において、パーソナリティとして活躍。本当はテレビなどの裏方をしたいために大学へ行ったが、まさか自分が表に出て仕事するとは思っていなかったと同番組のブロードバンド版番組・ブランニューRBBで話している。デビュー後にも埼玉大学に在学しており、平成17年9月末日をもって8年半の大学生生活に無事終止符を打つ。卒業論文は「RAG FAIRの活動報告」だった。役割はバリトン(テノールとバスの中間)であったが、ベース担当・加納の脱退に伴い、ベース担当、現在はボーカルという形になっている。
トイレ好きでファンクラブ会報でトイレの連載をしていた。日本トイレ協会会員No.3028。
土屋 礼央(つちや れお)
1976年9月1日(48歳)東京都国分寺市出身。血液型O型。東京都立国分寺高等学校卒業。
担当はリードボーカル。愛称は「レオさま」「レオレオ」。トレードマークは眼鏡。デビュー当初はサングラスをしていたが、途中から眼鏡に変え、現在に至る。
ズボンドズボンというインディーズバンドにもボーカルとして所属する。「ラブラブなカップル フリフリでチュー」や「tea time lover」「to shy shy僕」「朝散歩」「生活LIFE」「knock! knock!」は元々ズボンドズボンの楽曲である。2011年6月1日からはTTREとして活動。
荒井 健一(あらい けんいち)
1979年2月12日(45歳)宮城県出身、埼玉県さいたま市育ち。血液型A型。身長は164cm、足のサイズは25.5cm。
海外アーティストのカバー曲でリードボーカルを担当。愛称は、「けんいち」(または、けんいっちゃん、けんちゃん)
RAG FAIR結成の発起人。メンバーの中では最年少。早稲田大学教育学部に進学するが、早稲田大学よりもRAGFAIRの母体であるチョコレッツが在籍する埼玉大学に多く通うようになってしまい中退。学生時代は服装が2パターンしかなく、眼鏡は割れていたという。その風貌からストリートミュージシャン時代、ファンからよく服や貴金属などを贈られていた。
高校、大学時代に一度ずつ、武道館の舞台に立っている。いずれもコーラスの一員として。大学時代に参加した際には、織田裕二のコンサートでバックコーラスをつとめた。実はボイスパーカッションもでき、「ラグ&ピース」のコントで実際に披露している。
加藤 慶之(かとう よしゆき)
1978年2月27日(46歳)東京都国分寺市出身。血液型A型。チョコレッツ結成時のメンバーの1人。バンドで活動していた土屋礼央をRAG FAIRに誘った人物。愛称は「かとうさん」。RAG FAIRでのパートはハイテナー。本人曰く、地声で出せる一番高い音はhiD。大食いで1人暮らしの時に一升炊きの炊飯器を所持していたが、実際には7合しか炊いていなかった。
ハマったらとことんのめり込む性格で、幼稚園の頃はハーモニカ、小学生の頃は一輪車やコマ回しや縄跳びにはまる。縄跳びは小学1年の時に市民大会に出場し二重飛びの部門で3位、続け飛びの部門で優勝をする。0歳から始めた水泳の成果で高校の時に水泳大会で好記録をマーク。水泳部員に勧誘されるが卓球部に入部。活動日が重なっていなかったため合唱部にも入部。
音楽は幼稚園の頃からエレクトーンを学んでいた。音源の入ったカセットテープと楽譜を渡されても音源を聞いて覚えて終わりにしてしまう。テープが渡されなかったことがあり、弾けなかった時に「テープがなかったから弾けませんでした」と言って先生に怒られた[2]。
中学の時、音楽の成績は低かったが、先生と友人の影響で成績が上がる。
東京都立国分寺高等学校出身で高校の卓球部の1学年上に土屋が在籍。印象は「ただ変わった人、一匹狼、どこか1人違う雰囲気の人」だった[3]。その土屋をRAG FAIRに誘ったのは、高校時代一度だけ一緒に行ったカラオケがきっかけ。光田健一の「Naturalman」にコーラスとして参加。
高校3年の時に合唱祭でアカペラデビューをする。よく響くトイレで練習しており、本番でアヒル声の曲を歌っていたところ全校生徒にウケたのでDUCKSと命名。
埼玉大学工学部情報システム工学科を専攻。テニスサークルに入っていたが、先輩に「アカペラサークルを作る」と言われDUCKSのスキルを活かすため加入。
大学卒業後、同大学院の修士課程へ。フジテレビ「力の限りゴーゴゴー」でRAG FAIRとして出演していたが、就職をしようとしていた。内定が決まり、ネプチューンの名倉に報告をしたところ「おまえ、就職している場合じゃないだろ」と言われ、RAG FAIRでやっていく事を決意[4]。最終的に決意させたのはメンバーの引地洋輔・荒井健一。
2003年のRAG"F"ツアー後のオフで歌を練習しボイストレーナーの先生にも褒めてもらい、いつかボイストレーニングの先生もしてみたいと思うようになる。2013年からボイストレーニングの仕事をしており[5]2014年8月10日、加藤が講師のボイストレーニングスクール「JOYFUL VOICE」を立ち上げる。
2009年7月31日に行われたINSPiとの合同ファンクラブライブで荒井健一、北剛彦、奥村伸二、杉田篤史、吉田圭介らとBROAD6を立ち上げ、リーダーを務める。最初のグループ名は「加藤JAPAN」。
2012年4月16日にBaby Booの藤森祐輔と水野裕介、ダイナマイトしゃかりきサ~カスのKWANIと共にHumming Birdsを結成[6]。2014年9月6日に光田健一、荒井健一、長谷川友二と共にボーカルグループのハモーレ・エ・カンターレを結成[7]。
2009年2月23日に公式サイトにて一般人女性と入籍したことを発表、RAG FAIR内では加納孝政に続いて2人目の妻帯者となった。
人前で話すことを苦手とするが、目立ちたがりである。現在ブログ(加藤慶之の素)を開始。HNは「かとち。」。英語の発音がRAG FAIR内で一番良いため、洋楽のカバーでリードをとることが多い。ドラゴンボールが好きで、孫悟空役の野沢雅子と一緒に写真を撮ったことがある。[8]「おまたせ!!ラグ定食」から寸劇での女装出演が他メンバーと比較して多く、NHK BSの音楽番組「どれみふぁワンダーランド」内の寸劇でも、女装して出演。
加藤慶之・荒井健一はジャズアカペラグループBROAD6に所属。INSPiの杉田篤史・奥村伸二・北剛彦・吉田圭介もメンバーで、計6人。リーダーは加藤。TAKE6やビートルズなどのカバー曲がレパートリー。
加納 孝政(かのう たかまさ、1976年9月10日(48歳) - )、埼玉県川越市出身。血液型A型。
パートはベース。愛称は「かのうさん」。埼玉県立所沢北高等学校を卒業後埼玉大学経済学部に進学し卒業。RAG FAIRの結成当初からのメンバーで、当時はコーラスを担当していたが、大学卒業と同時に脱退。全国チェーンのファッションセンターしまむらに勤め店長をしていたが、RAG FAIRのベースボーカルの脱退を機に退職、再加入した。RAG FAIR内で一番早く結婚した。妻は店長時代のアルバイト店員である。妻からは「タカさん」と呼ばれている。兄がいる。
名前の由来は元中日ドラゴンズの鈴木孝政投手である。基本パートはベースであるが、「ハレルヤ」と「フラっとしちゃってゴメンなさい」では一部でリードボーカルを担当している。本人曰く、自分が出せる一番低い音はlowC。2008年1月25日に男子が生まれ、父親となる。2013年5月に2012年12月をもって脱退していたことを公式HPにて発表。
奥村 政佳(おくむら まさよし、1978年3月30日(46歳) - )、大阪府大阪市出身で2歳まで大阪市にいた[9]。寝屋川市育ち。血液型AB型。気象予報士、防災士、保育士、幼稚園教諭免許、日本赤十字社の幼児安全法支援員、科学技術コミュニケーターの資格を持つ[9]。
パートはボイスパーカッション。愛称は「おっくん」。2019年4月22日、政治家を目指すため脱退[10]。立憲民主党から同年夏の第25回参議院議員通常選挙に比例区から出馬したが次次点で落選。衆院補選出馬に伴う須藤元気の自動失職、市井紗耶香の辞職に伴い、2024年5月に繰り上げ当選し、参議院議員に就任。メンバーの土屋も祝福のメッセージを寄せた[11]。
2012年12月1日 - 3日 「スマイルとうほくプロジェクト」[72]
全てToy's FACTORYから発売。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.