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日本の女優、タレント (1947-) ウィキペディアから
柏木 由紀子(かしわぎ ゆきこ、1947年〈昭和22年〉12月24日[1] - )は、日本の女優、タレント。本名:大島 由紀子(おおしま ゆきこ)旧姓:柏木。
東京都世田谷区生まれ[2]。坂本九音楽事務所所属。玉川学園小中高を経て玉川学園女子短期大学中退。夫は坂本九、長女は大島花子、次女は舞坂ゆき子。
印刷会社社長を父に持ち、三人姉妹の三女として育った[2]。幼い頃は童謡を歌うのが好きだった(「カナリア児童合唱団」に所属していたという)が引っ込み思案なため、母親の勧めで小学生5年生の時に劇団若草に入団[2]。2歳年下の酒井和歌子とは劇団同期で家族ぐるみで親しくしていた[2]。入団後は芝居(役者業)よりファッションショー[2]や、雑誌『女学生の友』(小学館)などでモデルをつとめることが多かった。
高校2年生の時に知人に誘われ、松竹映画『明日の夢があふれている』(1964年)で映画デビュー[2]。その時に共演した三田明の所属事務所の勧めで、翌1965年に『若い真珠』でレコードデビュー。1966年、玉川学園短期大学教養科を中退。
TBS放映「東京の人」のヒロインに登用後、東宝テレビ部に所属し、主にテレビドラマでキャリアを重ねる。1969年、『炎の青春』ではマドンナ教師役に抜擢されるなど期待を集めていたが、1970年の『細うで繁盛記』で人気を博する。
1971年12月8日、30歳の誕生日を目前にしていた坂本九と結婚。結婚後は女優活動を減らしつつ、夫をサポートする形で福祉活動に貢献。『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』では長らく札幌テレビ放送でパーソナリティーをつとめた。
1985年8月12日(月曜日)の日本航空123便墜落事故による夫の死去後は女優活動の他に講演活動などを行っている。2004年に娘2人と家族ユニット「ママエセフィーユ」結成。坂本九の楽曲カヴァーを中心に、坂本九の映像や歌声を使った家族4人の共演が話題となる。全国でコンサート活動中。
2017年に始めたInstagram(インスタグラム)で自らの私服コーディネートを紹介して以降、フォロワーが増えていった(2023年7月時点で6万人越え)[2]。また、2023年(75歳)頃にはさらにSNSを通じて柏木のファッションが話題となり、「シニア世代のおしゃれ番長」とも称されるようになった[2]。
映画デビュー後のある日プライベートで銀座を歩いていたところ、当時スター歌手となっていた坂本九が俳優仲間と車で通りかかった[2]。当時23歳だった坂本は車中で「ああいう娘(こ)を嫁にもらいたい」と話すと、仲間から「あれは女優の柏木由紀子だよ」と告げられたという。5年後、とある撮影所で別のドラマを撮影していた坂本と正式に対面し[注 1]、彼から電話番号を書いたメモを渡されたが電話はしなかった[注 2]。
1年後、母と一緒に大阪に行って梅田コマ劇場を通りかかった際、その日が坂本のワンマンショー開催日であることを偶然知った[2]。母が坂本のファンだったこともあって楽屋に挨拶に訪れ、坂本のステージを客席で鑑賞して感動すると共に、人知れず柏木の方をじっと見て歌う彼の姿に恋愛感情を持ち始めた[2]。
1年の交際を経て、柏木23歳、坂本29歳で結婚し、やがて2女に恵まれた[2]。結婚後から毎日のように、坂本は柏木の洋服や髪型などの良い所をメモ[注 3]に残して褒めてくれたという[2]。クイズ番組『なるほど!ザ・ワールド』では解答者として夫婦で何度か出演し、坂本の衣装をコーディネートするのが柏木の役目だった[注 4]。
小さい頃からおしゃれが大好きである[2]。20代の時には、ニット製品やバッグをデザインし、自分の名前をつけたファッションアイテムもプロデュースした[2]。昔から痩せ型で、20代の時に着ていた服が50年以上経った今(2023年)でも着られるとのこと[2]。
2010年代前半に、長女・大島花子からの勧めによりオフィシャルブログ『柏木由紀「子」でございます』を開設[注 5]。以来、ブログで日常生活の一コマと共に日々のファッションを取り上げ、最近(2023年)はアメブロの閲覧数で女優部門1位になることも多い[2]。また、2023年に出版したムック本「柏木由紀子ファッションクローゼット」(扶桑社)は発売前に重版が決定し、書店の売上ランキングでも上位となった[2]。
柏木にとっておしゃれすることは見た目を着飾るだけでなく、日常の辛い時や悲しい時に心を落ち着かせることにも繋がっている[2]。遡って日航機の事故で夫を亡くした悲しみから、柏木が心を奮い立たせて翌年に仕事復帰できたのも、ファッションの力が大きかったという[注 6]。
他多数
発売日 | 規格品番 | 面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
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ビクターレコード | ||||||
1965年12月 | SV-332 | A | 若い真珠 | 佐伯孝夫 | 吉田正 | |
B | 乙女の願い | |||||
1966年6月 | SV-405 | A | 東京の人[注 8][注 9] | 佐伯孝夫 | 吉田正 | |
B | 恋人のいる道[注 9] | |||||
1966年7月 | SV-412[注 10] | A | 氷点[注 11] | 佐伯孝夫 | 山本直純 | |
1966年8月 | SV-438 | A | 愛の手紙は幾年月[注 12] | 佐伯孝夫 | 吉田正 | |
1968年1月 | SV-653 | A | 知られざる湖 | |||
B | 信じているわ | |||||
1968年11月 | SV-760 | A | 恋のかけら | こうじはるか | 高橋五郎 | |
B | わたしはひとりぼっち | 戸麻竜吾 | 倉知輝 | |||
1969年5月 | SV-840 | A | 愛の真珠 | ?文人 | 高橋五郎 | |
B | 愛のひとこと | こうじはるか | ||||
東宝レコード | ||||||
1970年11月 | AS-1017 | A | 北国のわたしは幸せ | 下平高子 | 木下雅夫 | |
B | いっしょにあなたと | |||||
1971年8月 | AS-1082 | A | ごめんなさい | 小川悠一朗
補:高水陣 |
小川悠一朗 | |
B | ひやかせないで | 岩谷時子 | ||||
ファンハウス | ||||||
1986年 | 07FA-1082 | A | 愛をそえて[注 13] | 内藤綾子 | 吉実明宏 | 船山基紀 |
B | あなたへつづく風 | |||||
1987年 | PRF-1012[注 14] | A | 心のリボン[注 15] | 荒木とよひさ | 三木たかし | |
B | 心のリボン(カラオケ) | - | ||||
ユニバーサル・ミュージック | ||||||
2017年12月6日 | UPCY-5055 | 1 | 心の瞳(コーラス入り) | 荒木とよひさ | 三木たかし | 川口真 |
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