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日本の俳優、司会者、タレント (1933-2015) ウィキペディアから
川崎 敬三(かわさき けいぞう、1933年〈昭和8年〉7月1日 - 2015年〈平成27年〉7月21日)は、日本の俳優、司会者、タレント。本名:陶山 惠司(すやま やすじ)。神奈川県川崎市出身[1]。芝浦工業大学高等学校卒業[1]。
俳優としては、現代劇を中心に二枚目スターとして多くの映画に主演した。のち、テレビ番組「アフタヌーンショー」の司会に転じる。
1954年、大映より『こんな奥様見たことない』で映画デビューする。1957年の『哀愁列車』が初の主演作となる。この年、川口浩の運転する車に同乗し事故に遭い怪我をした。
1965年には、東京放送(TBS、現・TBSテレビ)のテレビドラマ『サザエさん』では、フグ田マスオ役を演じた(サザエ役は江利チエミ)。
1968年、てんぷくトリオの伊東四朗がNHK大河ドラマ「天と地と」出演のため、「川崎競輪」の芸名で、三波伸介・戸塚睦夫とともに出演した[2]。
1971年に大映が倒産するとテレビドラマを中心とした活動に移るが、1974年には俳優活動を縮小し、1985年までNETテレビ→テレビ朝日「アフタヌーンショー」の司会を11年にわたって務めた。1980年代初めには、番組内で川崎に対してレポーターの山本耕一が発する「そ〜なんですよ川崎さん」というフレーズが、当時人気の漫才コンビザ・ぼんちのネタとして使われた。しかし、1985年に番組でのやらせリンチ事件が発覚し、打ち切りとなる。1987年に「新・アフタヌーンショー」がスタートすると再度司会に起用された。この間、 1976年(昭和51年)9月11日早朝、東京都世田谷区の自宅に泥棒が侵入して210万円の盗難に遭う(本人を含む家族は別の階で就寝中であったため無事)[3]。
1988年には、18年ぶりとなる映画『恋はいつもアマンドピンク』に出演した。1990年、フジテレビ『世にも奇妙な物語』8月23日放送『屋上風景』に出演。以後はテレビへの出演はほとんどなくなる。
2001年に、俳優業は引退して所有するマンションの家賃収入で悠々自適に生活していたことが週刊誌で報じられた[4]。
2015年7月21日、神奈川県川崎市の病院で死去[5][6]。82歳没。死去に際して川崎の遺志によりその公表はなされなかったが、同年の秋に遺族から、川崎と親交があった関係者宛に対して、故人の訃報、および、喪中を報告するハガキが届いたことで川崎が亡くなっていたことが知られ、マスコミでも報じられることになった[5]。
期間 | 番組名 | 役職 | |
---|---|---|---|
1974年3月 | 1985年10月18日 | アフタヌーンショー(NET→テレビ朝日) | メイン司会 |
1977年4月2日 | 1979年3月31日 | 川崎敬三のすこやかさん(フジテレビ)[8] | ナビゲーター |
1987年3月23日 | 1987年9月 | 新・アフタヌーンショー(テレビ朝日) | 司会 |
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