Loading AI tools
ウィキペディアから
小野 忍(おの しのぶ、1906年(明治39年)8月15日 - 1980年(昭和55年)12月18日[1])は、日本の中国文学者。東京大学名誉教授。
1906年、東京・神田で生まれた(広島県呉市出身)[2]。1926年に松山高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部支那文学科に入学。塩谷温に師事し、1929年に卒業。
アプトン・シンクレアの評伝の翻訳などをした後、1934年に冨山房に入社。百科辞典の編纂に携わったほか、戦時中には満鉄調査部員として上海に駐在したり、民族研究所嘱託として内モンゴルの西北研究所に出向し現地で中国ムスリムの調査に参加するなどした。
1946年より國學院大學で講師を務めたのを皮切りに、東京大学、九州大学、京都大学などで非常勤講師を務めた。1952年、東大東洋文化研究所専任講師に就いた。1955年に東京大学文学部助教授となり、1958年に教授昇格。同年5月、学位論文『中国現代文学の研究』を東京大学に提出して文学博士の学位を取得[3]。1967年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。
その後は和光大学教授として教鞭を執った。退任時の公演は「駱賓基について」であった[4]。和光大学を退職後、岩波文庫(全10巻予定)で『西遊記』の全訳を目指していたが、3巻目まで刊行した後[5]、1980年に急逝した。
博覧強記で知られ、幸田露伴の知遇を得るなど交遊も広かった。語学にも堪能で、中国語、英語、ロシア語を読解出来た。中国現代文学の研究で頭角を現し、翻訳も多数。趙樹理、駱賓基、茅盾といった、当時日本ではほぼ知られていなかった多くの作家たちを日本に紹介した。さらに当時新発見だった原本テキストによる『金瓶梅』の翻訳(共訳)や、未完だったが『西遊記』の翻訳にも着手。異版の多い両著作の校訂版を目指した。
蔵書は没後、和光大学附属梅根記念図書館に収められた。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.