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丸山 昇(まるやま のぼる、1931年5月4日 - 2006年11月26日)は、日本の中国文学者。東京大学名誉教授。実兄は推理作家・評論家の佐野洋。
東京府荏原郡池上町(現・東京都大田区)に生まれる。1949年に東京大学教養学部文科二類に入学する。在学中より学生運動、社会主義運動に参加した。1950年6月19日、日本共産党に入党する[1]。1951年4月5日、出隆の東京都知事選挙の応援中に逮捕され、5月23日に釈放された。1952年のメーデー事件で同年6月1日に自宅で逮捕され、同事件の被告となる(1970年1月まで20年にわたる裁判をおこない勝訴)。1953年に東京大学文学部中国文学科を卒業し、引き続き大学院に進む。1955年6月7日五十嵐まつと結婚。1961年に大学院博士課程を中退する。
1965年に國學院大學文学部専任講師となる。1967年に和光大学人文学部助教授に就任した。1972年に東京大学文学部に移り、1981年に教授に昇進する。この間、1969年4月より「中国一九三〇年代文学研究会」を実質的に主宰して、多くの中国現代文学研究者を育てた。緻密な事実探求をし、文学作品が書かれた歴史状況を再構成するなど「実証」や科学性・客観性を重視しつつ、同時に強い現実批判性を備えているところに特徴がある[要出典]。
1992年に東京大学を定年退官後、桜美林大学教授となる。2002年の退職後は桜美林大学名誉教授となる。2006年に肺炎のため死去した。
前記の通り学生時代に日本共産党に入党し、生涯党員であった。マルクス主義の立場から、魯迅および革命中国文学を研究した。文化大革命期には文革に批判的な立場を貫き、実証研究と内在批判を強調した。1980年代以降は日本共産党中央に批判的な評論も発表した。
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