小豆島
瀬戸内海の島 ウィキペディアから
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小豆島(しょうどしま)は、瀬戸内海・播磨灘にある島。行政区分は香川県小豆郡に属し[注釈 1]、小豆島町、土庄町の2町からなり、人口は2万5881人(2020年度推計)。近年、人口が減少の一途をたどっており、2013年6月24日に隣接する沖之島とあわせて、国土交通省より「離島振興法」の指定を受けた[注釈 2]。
古代には「あずきしま」と呼ばれ、その後、中世までは「しょうずしま」と呼ばれた[1]。素麺、醤油、佃煮、胡麻油、オリーブなどの生産が盛んであり、いずれも日本有数の生産地となっている。特にオリーブは国内栽培の発祥地として広く知られる[2]。また、小説『二十四の瞳』の作者壺井栄の故郷としても知られ[注釈 3]、小豆島をロケ地として、同小説はこれまで2回映画化された。
ランドサット7号 (Landsat 7) が撮影した小豆島周辺海域。 ※表示環境によっては文字がずれることがあります。 |
小豆島は、香川県の県庁所在地高松市の約20km北東沖に位置し、同県最大の島である[3]。 正確には2つの島で、狭義の小豆島はギネスブック認定の世界で最も幅の狭い土渕海峡(最狭幅は9.93メートル)を挟んで東側の島のことを指す。一般的には海況の西にある前島も含めて「小豆島」と呼んでいる。
瀬戸内海では淡路島に次いで2番目の面積で、日本の島においては19番目の大きさである。横に向いた牛が西を見ているような特徴的な形で海岸線は変化に富み、多数の半島と入江がある。南側には池田湾、内海湾がある。温暖な瀬戸内海式気候を活かし、オリーブやミカン、スモモなどの栽培が行われている。
本州島、四国島から橋梁、トンネルなどでつながっていない非架橋の島としては、瀬戸内海で最多の人口を有する島である。また、2023年時点では空路が存在しないため、船でしか渡れない離島としては日本国内で最多の人口を有する島である。1日に発着する定期船の本数は日本有数である。
2013年6月23日までは面積100km2以上の非架橋有人島(北方4島を除く)としては、(沖縄県の離島振興も含め)離島振興法などのいずれの振興法も指定を受けていない日本で唯一の例だった。同年6月24日から国土交通省よりの離島振興法の指定を受けた。離島振興法を活用することにより、2023年までの人口減少率を10%以内に抑えることを目指している[4]。
島の中心部には、瀬戸内海の島で一番高い山である星ヶ城(ほしがじょう、817m)があり、瀬戸大橋と大鳴門橋、明石海峡大橋を同時に見渡せる。
寒霞渓を始めとする渓谷・自然が瀬戸内海国立公園に指定されている。
この島の生物相は、「天然の博物館」と呼ばれるほど生物の種類に富んでいる(前島 (岡山県)も参照)。島内には江戸時代、猪による農業被害を防ぐためしし垣が島内を一周するように120キロメートルにわたり築かれた。島内の猪は明治初期に発生した豚熱でほぼ絶滅したが、近年は農作物が荒らされるようになり、2019年度には2039頭が捕獲された[5]。
海底地形の理由から電力の開通以来、2016年4月の電力自由化の前は全域が中国電力の供給区域となっていた。
小豆島で話される方言は讃岐弁に分類され、東讃の言葉に近いとされるが、東讃では代表的な讃岐弁「〜やけん・やきん(=〜だから)」を用いないなど異なる面も多い。かつての地理的な影響から上方の方言・中国方言等の語彙等も多く見られる。小豆島の島内でも地域により言葉が若干異なり、アクセントに関しても旧池田町付近は高松式、旧内海町北部は観音寺式、南部は本島式、土庄町は土庄式と差異がある。なお「しょうどしま」は、香川県主部も含め「しょ」にアクセントを置いて発音されるように聞こえる。
小豆島について文献に見える最古の記録は『古事記』の国産みの段で、伊邪那岐命と伊邪那美命のまぐわいにより「小豆島」(あずきしま)、亦の名を「大野手比売」(おおぬでひめ、おおぬてひめ、大鐸姫、阿豆枳島神社の祭神)が生まれたと記述されている。「おおぬでひめ」の「鐸」は銅鐸のことで、実際に三五郎池の西側から銅鐸が出土している。
小豆島は古代から吉備国児島郡に属し、吉備国が分割された後も備前国に属すなど、中世までは本州側の行政区画に組み込まれていた。平安時代初期からは皇室の御料地となるが、1347年(貞和3年)にはそれまで南朝に呼応して島を支配していた飽浦信胤が細川師氏に攻められて倒されて以後、島は細川氏領となり皇室領は解体された。またこの細川氏は讃岐国守護であり、この時から政治的な支配者という側面では本州側の手を離れ、四国側に移っている[6]。
実質的にはこの時(1347年(貞和3年))から小豆島は讃岐国へと所属が変わっているが、書簡などに見られる名称に讃岐国あるいは讃州という呼称は定着せず、依然として備前国という呼称が用いられていた。このような状態は江戸時代の1689年(元禄2年)の文書まで見られたが、以降、宝永年間からはようやく讃岐国あるいは讃州という呼称が定着し、備前国という表示は行われなくなった[7]。
小豆島は大阪以西における海上交通の要衝地であるため、1585年(天正13年)に豊臣秀吉の蔵入地(直轄領、後の天領)になって以降、その重要性から時の中央政権が直接領有する時代が続いた。
大坂の陣後、江戸幕府が大坂城を再建するにあたって新しい石垣を造営するために西国の諸大名は幕府の許可を得て小豆島の各地に石丁場を設置した。記録で知られるところでは福岡藩黒田家、熊本藩加藤家、小倉藩(後に熊本藩)細川家、竹田藩中川家、安濃津藩藤堂家、松江藩堀尾家、柳川藩田中家、佐賀藩鍋島家、広島藩浅野家の石丁場が知られている。石丁場は公儀普請の際に当時の島の代官であった小堀政一(没後は大坂町奉行・大坂舟奉行に権限を移管)の許可を得て初めて石を切りだせることになっていたが、良質な石を得られる場所は貴重であったために諸大名はいつ生じるかも分からない公儀普請に備えて石丁場を保持し続けた。石丁場を持っていた大名が改易になると新領主がその石丁場を継承することもあったが、そうした大名が現れなかった石丁場では公儀の許可を得た商人による請負に転換され、そうした場所では限定的ながら商用に用いることも許されることになった[8]。
江戸時代初期までの間は小豆島が4つの庄に分かれたうち、池田地区は池田荘(池田郷)となる。そののち、小豆郡のうち東部三郷(草加部、福田、大部)は江戸幕府直轄の天領(倉敷代官所管轄)として、池田地区とも幕府の天領地となる。西部六郷は津山藩領として統治された。また天保年間、池田郷は津山藩の領地となる。明治初期には廃藩置県により小豆島は倉敷県に属したが、その後は香川県に属する。一時は香川県が統廃合を繰り返したため、名東県、愛媛県と所属を香川県と一にするが、最終的には香川県となる。
現在も土庄町が岡山県津山市と歴史友好都市交流を行うのを始め、香川県はもとより岡山県側の岡山市、玉野市、倉敷市、備前市、兵庫県赤穂市、姫路市など瀬戸内海北岸地域との結びつきも深い。
近世
近代・現代
小豆島は全域が香川県小豆郡に属し、土庄町と小豆島町の2町がそれぞれ存在する。人口・面積とも最大は小豆島町であるが、島の玄関口であり多くの商業施設や県出先機関が所在するのは土庄町である。また、土庄町は小豆島本体以外に豊島も町域に含んでいる。小豆島町は平成の大合併によって池田町と内海町が合併して新設されたもので、それまでは半世紀にわたって長らく3町体制が続いていた。平成の大合併では土庄町も含めた3町で合併協議会が進行していたが、町役場の位置をめぐって土庄町と残り2町が対立し、最終的に土庄町が離脱した。
島嶼地域であるが、3万人近い人口を擁しており、土庄町を中心にある程度チェーン店が立地している。コンビニエンスストアは2023年8月時点でセブン-イレブンが6店舗営業している。島内ではこのほか、ファミリーレストラン1軒が23時まで営業を行なっている。1979年1月にはモスバーガー小豆島店が同社の100店舗目として全国でも比較的早期に開店したが、2001年以降に閉店している。
島内の金融機関は香川県系の銀行と各郵便局にあるゆうちょ銀行が存在する。2013年まではサンクスがコンビニとして営業していたもののコンビニATMがなかったため、島内における時間外引き出しは不可能であった。2013年3月8日にセブン-イレブンが開店するのに伴い、セブン銀行のATM(現金自動預け払い機)も設置され、この状態は解消された。
1974年7月と1976年9月に記録的な集中豪雨を記録し、島内にある山地が崩壊。1974年には死者29名・全半壊家屋128戸、1976年には死者39名・全半壊家屋406戸を記録した。その中で1976年の災害は島内のいくつかの山地が崩壊し、山麓の扇状地に位置していた島の西側に位置する石場・東側に位置する小豆島町(旧内海町)橘地区などの集落は土石流の直撃を受けた場所が多く、惨憺たる状況であった。石場地区では土石流が流下し、家屋を押し潰していき、海岸沿いの道路は寸断され、田畑などの農作物がマサ(花崗岩砂)によって影響が出た。また、橘地区では背後の山地に崩壊地が多発し、土石流が川を伝っていき、勢いを増した水が鉄砲水となって流下し、扇状地上の集落を襲った。災害後は山腹崩壊を生じた部分に砂防工事が行われ、コンクリート堰堤が構築された。
1970年1月12日、池田町の山林から出火。同月14日には約540ha以上の森林に延焼する大規模な山火事となった[12]。
車両乗船可能なフェリーを運航している。便数は四国側の高松港へ発着するものが最も多く、小豆島から行き来する際に利便性が高い。そのほか、本州側からは新岡山港、宇野港、姫路港、神戸港からのフェリーが現在運航している。また、瀬戸内国際芸術祭(トリエンナーレ)期間中は直島、犬島、豊島などその他の島嶼部への臨時便が出る。
太字の会社は旅客専用の高速船の運航もある。運賃は大人1人当たりの片道旅客運賃。
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