ウィキペディアから
ジャニーズJr.解散グループ(ジャニーズジュニアかいさんグループ)では、過去に芸能事務所ジャニーズ事務所に所属するジャニーズJr.内に存在したグループを取り挙げる。
グループ結成順。メンバーの所属状況は活動当時のものとする。
グループ名は「Best Beat Dancing」の略[1]。
2011年からは"MAD"として活動。
2001年結成[3]。A.B.C-Zの前身。
2001年3月結成[4]。
2001年3月結成。
旧グループ名「J-Support」。2001年10月結成。
2001年冬結成[6]。
2002年結成[7]。「4TOPS」[8]や「FOUR TOPS」[9][10]と表記されることもある。タッキー&翼のバックダンサーを務めるなど[11]、ユニットとして活動したものの、社長のジャニー喜多川からは「このメンツでデビューすることはない。YOUたちはそれぞれのところで頑張るからFOUR TOPSだよ」と言われていたという[10]。2003年、NEWSの結成により解散となった[12]。活動終了後もファンの間では伝説として語り継がれるユニットだったが[13]、2018年、タッキー&翼が『ジャニーズカウントダウンライブ 2018-2019 平成ラストの夢物語!ジャニーズ年越し生放送』でラストステージを踏むことを受け、バックダンサーとして約16年振りに再結成された[14]。
田んぼ組の前身。2002年[16]にジャニー喜多川の「宮田俊哉を中心としたユニットを作ろう」という提案により結成された[17]。
読みはエイチ・イズ・エイチ。コンサートや舞台で見せるダンスに定評のある4人で結成された。東山紀之の提案により、じゃんけんでリーダーは萩原幸人に決まった。[19]
メンバーは流動的だった[20]。
ユニット名は「ボクタチ オーサカ ヤンキー ショーネン」の略[39][40]。「B.O.Y.S」と表記されることもある[41][42]。関西Jr.内ユニット・B.A.D.と行動をともにする場合B.A.D.BOYSとして活動。山碕や室龍太はのちにVeteranのメンバーとして活動するようになり、濵田・中田の2人で「BOYS」としての活動を続けた。2011年3月に中田が音信不通となり、その後事務所を退所したため[43]、ユニットとしての活動がみられなくなる。
関西Jr.内ユニット・B.A.D.とBOYSが共に活動する際に使用されたユニット名。「BAD BOYS」と表記されることもある[73]。
2004年結成。2007年11月、Hey! Say! JUMP結成に伴い、消滅。
2004年4月結成[75]。2005年夏[注釈 1]、A.B.C.Jr.と合体し、Kis-My-Ft2が結成された[78]ことにより消滅。
2004年結成[79]。
2005年夏[注釈 1]、Kis-My-Ft.と合体し、Kis-My-Ft2が結成された[78]ことにより消滅。
2006年1月の舞台『DREAM BOYS』でスペシャリスト集団として登場[81]。ユニット名には「小さいけれど偉大な4人」という意味が込められており[82]、特化した能力をもつメンバーが集められている[81]。
当初は「通称・チームべてらん」や「通称“ベテラン”」という名前で浜中・室龍規・伊藤・菊岡の4人で活動していたが、2008年12月の大阪松竹座のコンサートで山碕が加入[47](雑誌『POTATO』2009年2月号[85]や『Wink up』2009年3月号[86]では山碕が入って5人での初撮影の様子が綴られている)。その後室龍太も加入し、6人で活動[87]。その後、伊藤が抜けて5人となり、2012年に室龍規がジャニーズ事務所を退所[88]してからは4人で活動した。
2006年7月に初お披露目。
2006年8月結成[102]。関西ジャニーズJr.内ユニット。2006年夏の大阪松竹座公演『関ジャニ∞ サマースペシャル2006 Another's "ANOTHER"』の楽屋で突如ユニット結成がメンバーに知らされ、その日のうちにステージで関ジャニ∞のメンバーによってファンに発表された[102]。結成時のメンバーは大田(O)・千崎(S)・佐竹(S)・長尾(N)の4人であり、ユニット名はOSSN(読み:オッサン)[注釈 4]。その後9月からの関ジャニ∞のツアーにも同行し、雑誌『POTATO』では2006年11月号に初登場している[102]。
2007年12月の『関西ジャニーズJr. Xmas in 松竹座 おめでとう in 城ホール 前夜祭』では4人と一緒に関西ジャニーズJr.の足立匡がパフォーマンスを披露[52]。そして2008年8月の大阪松竹座公演『関西ジャニーズJr. @大阪松竹座 2008夏』を控えてのインタビューでは大田・千崎・佐竹の3人で出演する意気込みを語っていたが[104]、実際の公演には足立が正式にメンバーとして参加し、4人で新生OSSaNが始動した[90]。しかし翌月に開催された『バッテリー・ごくせん大阪凱旋コンサート』では足立の姿は無くなり[56]、雑誌のグラビアも大田・千崎・佐竹の3人のままで掲載されていた[105][106]。
2006年8月15日から25日に行われたジャニーズJr.のコンサート「ジャニーズJr.の大冒険!」のために結成されたユニット[110]。タップダンスを得意とし、2006年の『滝沢演舞城』などにも出演したメンバーを集めて作られた[111]。雑誌『POTATO』では2006年9月号で中島裕翔、神田憲征、森本龍太郎の3人組として初登場しており、当初ユニット名は全て大文字で「TAP KIDS」だった[110]。リーダーは中島[83]。
雑誌『POTATO』2006年9月号に5人組として初登場[111]。当初ユニット名は「kitty Jr.」表記で“K”は小文字だった[116]。
入所日の2006年10月8日に結成[118][119]。関西ジャニーズJr.内の兄弟ユニット。3年程活動した[119]。
2006年11月結成[120]。結成時のメンバーは中山優馬、バッケス健人、神山智洋の3人で、当初は「TOP3」というユニット名で『ファーストWinterコンサート2006』への出演が予定されていたが[121]、結局出演時には「TOP Kids」とユニット名が変更された[39][40]。雑誌『POTATO』では2007年3月号で初登場[122]。のちにバッケスが脱退し、藤井流星が加入。2007年5月6日の『関西ジャニーズJr. 大阪城ホール FIRST CONCERT2007』には中山・神山・藤井の3人で出演している[49]。
関西ジャニーズJr.内のユニット。
「Hey! Say! 7 WEST」として結成され、2007年9月にお披露目された[134]。のちに「7 WEST」に改称。2014年4月に重岡大毅、神山智洋、藤井流星、小瀧望のメンバー4人が、ジャニーズWESTとしてデビューしたため、消滅。
2007年[135]、NHK BSプレミアム『ザ少年倶楽部』内にて滝沢秀明プロジェクトで結成されたユニット[136]。タッキー&翼がゲスト出演した10月14日放送分の収録後に滝沢秀明と屋良朝幸が会見を行い、屋良を中心とするダンスユニットの結成が発表された(この時点で他のメンバーは発表されず、後日発表)[137]。『ザ少年倶楽部』でのパフォーマンスが中心。
関西ジャニーズJr.内の兄弟ユニット。2007年12月の関西ジャニーズJr.大阪松竹座公演で三男の室将也を含めて初お披露目された[139]。雑誌『Wink up』では2008年3月号でグラビア初登場[140]。「室三兄弟」と表記されることもある[61]。
2008年結成。2020年解散[141]。
2008年8月、『関西ジャニーズJr. @大阪松竹座 2008夏』にて「Hey! Say! 7 WEST w/優馬」として結成[90]。「Hey! Say! 7 WEST」が「7 WEST」へ改称したため、本ユニット名も「中山優馬 w/7 WEST」に変わった。
2008年10月期のテレビドラマ『スクラップ・ティーチャー〜教師再生〜』の出演者(中島・髙畑・菊池)の3人で結成[143][144]。雑誌『POTATO』では2008年11月号で初登場している[144]。2009年6月4日に中山優馬 w/B.I.Shadowの結成が発表され[145]、同年7月15日にシングル『悪魔な恋/NYC』でCDデビューを果たした[146]。メンバーは雑誌『POTATO』2009年7月号[147]や雑誌『duet』2009年7月号(2009年6月6日発売)では中島・菊池・松村北斗の3人組に[148]、中山優馬 w/B.I.Shadow結成時および『duet』2009年8月号(2009年7月7日発売)では髙地優吾が加入し4人組となっている[149]。2011年秋に、Sexy Zoneのデビューに伴い自然消滅。
結成時のメンバーは田中・森田・萩谷・カミュー・ジェシーの5人で、初めての出番は2008年10月・11月に行われたA.B.C-ZとKis-My-Ft2のファーストコンサートだった[151]。雑誌『Wink up』では2009年2月号でHip Hop Jumpのグループ名で初登場[151]。その後、メンバーや人数は何度か変わり、「Jump」も「JUMP」に変更された。
2008年11月11日結成[159]。宇宙Six結成に伴い消滅。
2009年1月結成[160]。Snow Manとnoon boyzの前身。
2009年6月7日、「森本慎太郎w/スノープリンス合唱団」として初お披露目される[161]。スノープリンスの前身ユニット。
関西ジャニーズJr.内ユニット。雑誌『POTATO』では2009年10月号に初登場[162][163]。結成当初のメンバーは向井康二、金内柊真、北田和也の3人[163]。
関西ジャニーズJr.内ユニット。「Gangs」というユニット名で千崎涼太、渡邉黎哉、平野勇気の3人で結成され、雑誌『POTATO』では2009年10月号に初登場[165]。翌月のグラビアでは「京男」に改名された[166][注釈 5]。
2009年結成。
読み:しょうねんほうがくせんか[169]。舞台『滝沢歌舞伎 -TAKIZAWA KABUKI-』への出演のために結成されたユニット。
2010年7月にミュージカル『PLAYZONE 2010 〜ROAD TO PLAYZONE〜』への出演のために結成されたユニット[170]。JR.A・Travis Japanの前身ユニット。
関西ジャニーズJr.のダンスユニット。
2010年11月26日・27日にNHKホールにて開催された『年末ヤング東西歌合戦! 東西Jr.選抜大集合2010! A.B.C-Z+ジャニーズJr.選抜 VS 中山優馬+関西Jr.選抜』のために結成され、同イベントにてお披露目されたユニット[176]。「ジャPAニーズ HI!」と表記されている場合もある[177]。
2011年7月結成。ミュージカル『PLAYZONE'11 SONG & DANC'N.』への出演のために結成されたユニット。S.A.D.の後継・Travis Japanの前身ユニット。
2011年10月結成[181]。16代目いいとも青年隊。
2011年結成。関西ジャニーズJr.内ユニット。
2012年夏結成。関西ジャニーズJr.内ユニット。
2012年8月に初お披露目[191]。関西ジャニーズJr.内ユニット。
当初はSexy Zone、Sexy Boyz、Sexy 松(Show)、Sexy Girls(=ファン)で構成される[192]と発表されたが、その他のジャニーズJr.のメンバーもクレジットされていた。
以前からジャニーズJr.内のユニットとして存在しており[195]、2013年の『Live House ジャニーズ銀座』などに出演していたが[187]、2014年5月5日、Sexy Zoneコンサートの横浜アリーナ公演で、Sexy 松(Show)とともにSexy Zoneの弟分として結成(再編成)が発表された[192][195]。2015年6月、岸と岩橋と神宮寺がMr.King vs Mr.Princeのメンバーに選ばれ[196]、マリウスも2015年12月16日発売の10thシングル『カラフル Eyes』からSexy Zoneに再び参加したため[197]、事実上消滅。
2014年5月5日、「Sexy Boyz」と同じくSexy Zoneの弟分として結成が発表された[192][195]。松島が2015年12月16日発売の10thシングル『カラフル Eyes』からSexy Zoneへ再び参加し[197]、実質消滅状態。
読みはラブトゥーン。2016年3月結成。2018年11月30日、事務所ホームページでメンバー全員の事務所の退所が発表された[205]。
Noisy Guys(ノイジーガイズ)雑誌『duet』、『POTATO』、『Wink Up』の2016年7月号(6月7日発売)でメンバー初公表。
2016年、『ジャニーズ銀座』に合わせて結成。
2016年の舞台『DREAM BOYS』で結成された公演期間限定ユニット。舞台中では「ジェットボーイズ」[206]。
2016年11月11日結成[207]。名付け親はジャニー喜多川[208]。ファンの愛称は「エイリアン」[209]。山本、江田、林の3人でのThey武道としての活動に終止符を打ち、「変革」としてメンバーを6人に増員して結成された[207]。リーダーは松本幸大[210]。2016年、嵐のコンサートツアーにて初お披露目され[211]、以降も主に嵐のバックダンサーを務める[210]。2018年3月31日、Johnny's webにて林翔太がユニット脱退を発表[212]。また、2019年1月よりSnow Manを兼任していた目黒蓮が、同グループ2020年のCDデビュー決定に伴いSnow Manに専念することとなり、2019年8月8日に行われたジャニーズJr.の東京ドーム公演を最後に宇宙Sixを脱退[213]、4名となった。
2020年、マギーとの新しいエンターテイメント作品・宇宙Sixトライアル#1『実験室』が2020年4月10日から19日まで品川プリンスホテルクラブeXで上演予定だったが[214]、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期となった[215]。
2020年10月2日に週刊文春が報じた重大な規約違反行為[216]のため、10月1日付けで山本亮太が事務所との専属契約を解除、それに伴いグループを脱退[217]。残るメンバー(江田、松本、原)とJr.部門を統括するジャニーズ事務所の滝沢副社長との話し合いの結果、「連帯責任としてけじめをつける」として3日付で解散することが決定した[218][219]。
2018年10月結成。2020年東京五輪に向けて構想されたユニットであり、読み方は2020(トゥウェンティートゥウェンティー=仮名)。2018年10月7日から29日に行われたA.B.C-Z主演舞台『ABC座 ジャニーズ伝説 2018』の公開稽古で発表された[237]。少年忍者の派生ユニット「5忍者」と、少年忍者に所属する9名が候補生として所属。当初は発表直後に6人増員、2019年に20人増員させ、40人グループとなる予定だった[237]。
2020年10月16日結成[238][239]。それまで個人で活動していた7人が、2019年から揃っての活動が目立つようになる[240]。ユニット名は無かったが、2020年のシアタークリエのライブ公演の「Cパート」に出演予定[241](コロナの影響で中止)だったため、ファンの間で「クリエC」と自然に呼ばれるようになる[239][240]。同年8月の『緊急生配信!! Johnny's World Happy LIVE with YOU Jr.祭り 〜Wash Your Hands〜』や『Summer Paradise 2020 俺担ヨシヨシ 自担推し推し 緊急特別魂』でも7人揃ってのパフォーマンスを披露していた[240]。
2020年10月16日にテレビ朝日系音楽番組『ミュージックステーション』の本番5分前に名付け親の滝沢秀明からグループ名を告げられ、放送中のテロップで[242]結成発表された[238][239]。読みは「インパクターズ」[239](アクセントは「パ」に核を置く[243])。由来は「“衝撃”を意味する"IMPACT"と、俳優"ACTOR"を掛け合わせた」[238]「世界にインパクトを与える、衝撃と伝説を残す」[242]。「IMPACT」は黒で“カッコよさ”、「ors」はピンクで“儚さやミステリアス”というコンセプトを込めて表記され[244]、「黒の中にピンクがあるように、ちがう側面も出していけ」という意味がある[242]。ファンネームは「PINKy(ピンキー)」[245]。
2023年5月25日をもってメンバー7人全員がジャニーズ事務所を卒業(退所)[240][246]。同年7月14日、滝沢が新たに設立した芸能事務所「TOBE」に7人が所属し、「IMP.」として再始動することが発表された[247]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.