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日本のテレビバラエティ番組 ウィキペディアから
『夢で逢えたら』(ゆめであえたら)は、フジテレビ系列で放送されていたフジテレビ製作のバラエティ番組である。
夢で逢えたら A SWEET NIGHTMARE | |
---|---|
別名 | 夢逢え |
ジャンル | バラエティ番組 |
構成 |
廣岡豊、清水東 内村宏幸、高須光聖ほか |
ディレクター |
吉田正樹 星野淳一郎 小須田和彦 |
出演者 |
ダウンタウン (浜田雅功・松本人志) ウッチャンナンチャン (内村光良・南原清隆) 清水ミチコ 野沢直子 |
オープニング | オープニング・ビデオクリップを参照 |
国・地域 | 日本 |
言語 | 日本語 |
製作 | |
プロデューサー | 佐藤義和 |
編集 | 石附順一 |
製作 | フジテレビジョン |
放送 | |
放送局 | フジテレビ系列 |
映像形式 | 4:3 |
音声形式 | モノラル放送[注釈 1] |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1988年10月15日 - 1991年11月30日 |
関東ローカル(木曜深夜枠)時代 | |
放送期間 | 1988年10月15日 - 1989年3月25日 |
放送時間 | 金曜日 2:05 - 2:35(木曜深夜) |
放送枠 | JOCX-TV2 |
放送分 | 30分 |
全国ネット(土曜23:30枠)時代 | |
放送期間 | 1989年4月15日 - 1991年11月30日 |
放送時間 | 土曜日 23:30 - 翌0:00 |
放送分 | 30分 |
後にお笑い第三世代の代表的存在となるダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコ、野沢直子が出演していた深夜番組。全国ネット以降のオープニング映像においては、番組タイトルに「A SWEET NIGHTMARE」という副題が付けられている。
番組構成は各回のテーマに沿ったコントが中心であり、1、2分単位のショートコントと連続ドラマ仕立ての長めのコントからなる。「ガララニョロロ」「伊集院みどり」「サービス」「タキシーズ」「ポチ&卍丸」など多数の人気キャラクターが生まれた。「バッハスタジオII」のコーナーでは当時起こっていたバンドブームの波に乗り、清水以外音楽経験のないレギュラー陣がバンドを結成して数々の課題曲に挑戦。講師として、ユニコーンやTHE BOOMら売り出し中の若手人気バンドが数多く登場した。
番組タイトルは、NHKの往年のバラエティ番組『夢であいましょう』をもじったもので、当番組のプロデューサーを務めた佐藤義和が学生時代に見ていたこの番組を意識して名付けられた[1]。また、テーマに沿ったショートコント、音楽コーナー、ダンスという構成も『夢であいましょう』になぞらえたものである[2]。
放送開始から半年間は関東ローカルで、フジテレビと一部の系列局のみで放送されていた。当初は金曜(木曜深夜)2時過ぎの放送だったためか、初期の視聴率は1%を切ることもあったが(初回平均視聴率は0.5%)[3]、徐々に人気が高まり、やがて5%を超えるようになった(最高平均視聴率は4.9%)。土曜に移って全国ネット化してからは、深夜番組としては異例の最高平均視聴率20.4%(初回平均視聴率は16.8%)[4]という高視聴率を記録した。
いずれも日本標準時、フジテレビでの放送時間。
全員レギュラーメンバー。基本的には全員が揃って出演していたが(野沢の降板以後は5人が出演)、1989年1月29日放送分ではダウンタウンが揃って休みを取った(詳細は後述)。また、同年2月10日放送分では浜田が休んだ。
土曜時代のオープニングでは主題歌を歌うバンドの演奏シーンと共に出演者個別の紹介ムービーが流れた。プロデューサーの佐藤が担当していたオレたちひょうきん族がEDテーマの曲名や歌詞に「土曜日」「土曜」「Saturday」といったキーワードが含まれていた事にならい、『働く男』以降のテーマの歌詞には「夢」が含まれている。最後の部分は一貫して、アウトロ部分で提供クレジットを表示し、曲が終わるとメンバーの一人がその週のテーマを叫ぶ構成となっていた。
など
木曜時代はセットにピアノが置かれ、清水の伴奏に合わせメンバー全員で番組オリジナルテーマ曲『夢で逢えたら』(作詞・星野淳一郎/作曲・重村正道)を歌う。このオリジナルテーマ曲は、第15回放送(1989年2月3日)から使用しており、それ以前は松任谷由実(守ってあげたい、ルージュの伝言、チャイニーズ・スープなど)の曲を同様の形で歌っていた。この時期はメンバー紹介の際、男性陣レギュラーには名前の下にコンビ名がカッコ書きでクレジットされていた。
土曜時代は放送開始時間から1分30秒間CMが入り(その内直前の30秒はカウキャッチャーとしてPanasonicの松下電器30秒CMが入る)、31分30秒からオープニングVTRが流れる。深夜枠ではあるものの、全国ネット化されかつ週末の23時台というプライムタイムに次ぐ重要な時間帯に移ったこと、また放送当時はバブル期でもあったため、ハワイ、香港などの海外で大規模なロケを敢行したこともあった[注釈 3]。なおこれ以降、男性陣レギュラーのコンビ名はクレジットに載っていない。
土曜時代のフォーマットは、後に同じ枠でスタートした『めちゃ²モテたいッ!』へと継承された。
30秒間、タキシード姿の6人がラインダンスをするのだが、全員「笑いにダンスは必要ない!」と全くヤル気がなかった。振り付けを全く覚えておらず、時間が30秒に収まらないために収録に時間がかかり、本人たちも一番大変だったと語る。後に『ごっつええ感じ』での女性レギュラー陣に継承される。
1つの作られたセットによる密室劇。大まかなストーリーの中で個々が自由にアドリブを繰り出し浜田のツッコミが支えた。レギュラーのうちの誰かが欠場の回では休止していた。
音楽番組の楽屋もの。(木曜)内村から番組やイベントのオファーを受け松本、小島、浜さん、南原が簡単なオーディションを受けるも全て南原によって話が進められており、松本から「南原コラー!」とお仕置きを受ける。
記者ものわずか7回で終了。(木曜)ここで、内村初期の名キャラクター、「いまどき下町物語」まで登場する、村三吉が誕生した。彼の声質やトーンは後の『笑う犬』シリーズの小須田部長やポケットビスケッツの内村テルなどのキャラクターの原点となる。
土曜に異動後では一作目。コーヒー宅配店 "BY THE WAY" を舞台に熱血漢の宅配人南原二郎が起こすコメディー。村さんの息子としてボブ(松本)が初登場。
(注) - 宅配先が舞台の回もあったため、南原以外は違う役の場合もある。また、テーマソングに『仮面ライダーBLACK RX』のカラオケバージョンが流れた。
根津の老舗扇屋店の扇屋を舞台にしたお茶の間コント。毎週ゲストを迎えメンバーは扇屋の家族と周囲のキャラに扮しコントを繰り広げる。思いつきで松本が拳銃を発砲したことから、それまではコントのオチの儀礼的なものだった「おしおき」が、コント中に壊れたスタイリーなどで体を張ったものになり、現在の若手芸人出演のコント番組に見られるシチュエーションコントの原型を作った。このパターンは『ごっつええ感じ』の「ハマダ芸能社物語」に継承される。全41回。
湘南海岸のホテルコント。展開によっては1回で一人何役も担当した回もある展開は総集編で浜田が「(テコ入れで新キャラに入れ替えたが出てくる)キャラが滑り倒した。」と反省した。全10回。テーマ曲「Somewhere」(WORKSHYのアルバム『The Golden Mile』より)
商業主義で腐敗した東京郊外の高校、私立徳川学園高校を立て直そうと奮闘する体育教師の南原の活躍を描いた職員室コント。最終回が野沢降板の回だったので野沢が学校を卒業し学校は姉妹校の聖サルスベーリ学園に吸収合併、原因となった浜田はその責任を取らされクビとなり終了。
千葉県柏にある総合商社「ハナマン」の独身社員寮もので5人体制で唯一のシチューエーション。内村が野口五郎という名前だったが途中で野田五郎に変えられた。最終回で()内の設定が明らかになり浜田以外の4人が生活、素行を監視して浜田を重役に昇格させようか試していた。テーマ音楽には「シアワセになるでんna」のカラオケが使用された。
木曜時代は清水司会の反省や感想を言うフリートーク。土曜時代は葉書によるトークで自然と浜田によって仕切られていく。締めは松本の一言(一発ギャグ)で締めくくられた。
衣装は毎回、高級ブランドのカジュアルファッションと一流スタイリストを招いた。時にはスタイリストをニューヨークから招いた事もあった[5]。
1990年4月、ウッチャンナンチャンはゴールデンで『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』が決まり、スケジュールを合わせるのが難しくなった。また野沢は1991年3月23日放送分をもって番組を降板。以降最終回まで5人でのメンバー構成となる。さらに番組スタッフが携わっているスペシャル番組『ごっつええ感じ』のレギュラー化が急遽決定したこともあり、改編期でもない1991年11月23日、11月30日のドラマ企画「Forever Friends」をもって3年間の歴史に幕を閉じた。ちなみに、最終回のドラマ企画はステレオ放送が実施された。終了後から改編期までの間はつなぎ番組として、ダウンタウンとウッチャンナンチャンの4人によるトーク番組『夢の中から』に衣替えして1992年3月まで放送された。
番組終了から1年半後の1993年4月10日には、ニューヨークへ旅立った野沢直子を探す企画として2時間のスペシャル特番「夢で逢えたら伝説スペシャル〜NYで野沢直子を探すドキドキの48時間と大総集編〜」(土曜19:00 - 20:54)を放送。世帯視聴率は関東地区19.7%、関西地区20.4%を記録[6]。浜田・内村・南原・清水の4人[注釈 4]がニューヨークへ旅立ち、当時「チンパンジーズ」というバンドを組んでいた野沢と感動の対面を果たす(サルの着ぐるみ姿でパンクロックをシャウトする彼女に一同あ然)。そこで野沢は結婚・妊娠の発表をし、4人を呆れさせ、更に南原も結婚を発表。執拗な浜田の質問に「芸能レポーターよりうっとうしい!」と苦笑いした。一方、松本だけは東京に残り、芸人として野沢との対面よりも番組収録を選択、1人コントを撮った。これ以降、この番組の放送はないが(2000年12月31日に放送されたフジテレビのバラエティ番組を振り返る特別番組の中で過去の名場面の再放送はされている)、清水はいまだに「みどりー!」とファンから叫ばれると即興で伊集院みどりを演じてくれたり、メンバー同士が競演すると息の合ったツーカーなやりとりが見られるなど、全員のチームワークは未だ健在である。
番組終了から約18年後、2009年1月3日放送の『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ』(TBS)に看板出演者であるダウンタウンの他に内村が参加。シャッフルコンビとして松本と内村が久しぶりにコントを披露した。番組でも『夢逢え』を意識した「20年ぶりの復活」と紹介され、優勝にあたるベストカップル賞を受賞している。
メンバー全員が『笑っていいとも!』のレギュラーを経験していた関係で、同番組の最終回である2014年3月31日放送の『笑っていいとも!グランドフィナーレ感謝の超特大号』ではダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水、野沢が出演し、事実上23年ぶりに全員が一堂に会することとなった[注釈 5]。
2017年12月1日、メインディレクターとして番組を支えた星野淳一郎が57歳で逝去。通夜と葬儀にはメンバー全員も参列したが、ダウンタウンとウッチャンナンチャンはコンビそれぞれ通夜と葬儀に1人ずつ分かれて参列したと吉田正樹が語っている[7]。
1991年11月23日と11月30日の2週に渡って放送。ある海岸の喫茶店で青春を過ごした5人が久々に集まった席で起こる過去の想い出の決別と未来への旅立ちを描いたドラマ。番組で使われた名称や出演者のエピソード(引越し業者のダンボールがコアラ便、監禁された浜田の父親、オープニング撮影で行った土地等)が出るもののギャグやオチは一切無く、野沢は写真立てに飾っている写真(初代オープニング「女神達への情歌(報道されないY形の彼方へ)」のクリップで使われている新聞記事の写真を流用)のワンシーンのみ登場する。
野沢を含めた6人がアルバイトで働いた喫茶店「A Sweet Night Mare」が閉店することになったが、理由が建設会社のリゾート再開発で担当の内村を通さずに行われた地上げで内村は建設の中止を求める。仲間の会社が喫茶店を取り壊すという現実に戸惑う浜田と松本。一方南原はニューヨーク支社転勤への辞令が急遽下る。
同上。
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