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日本の俳優・声優(1925−1998) ウィキペディアから
大泉 滉(おおいずみ あきら、1925年1月1日[1] - 1998年4月23日)は、日本の俳優・声優。身長165cm。血液型はO型。本名同じ[1]。
日露混血のアナキスト作家大泉黒石の息子として[2]、東京府北豊島郡高田町雑司が谷(現・東京都豊島区雑司が谷)に生まれる。祖父はニコライ2世と共に訪日した農家出身の侍従アレクサンドル・ステパノヴィチ・ヤホーヴィチ。大泉自身はアレクサンドル・ステパノヴィチ・ポチャーノフスキーと自称。父の都合により、各地を転々として過ごす。1937年、小学校卒業と共に劇団東童に入り、大泉ポーの芸名で活躍。1940年、日活映画『風の又三郎』の一郎役で映画デビュー。
旧制城西学園中学校を中退し、1946年、文学座に入団。この当時は二枚目俳優として活躍したが、1951年に出演した映画『自由学校』がきっかけでコメディアンに転身。テレビドラマ『ボクのしあわせ』のプロデューサー役[3]などで人気を集め、「トンデモハップン」などの流行語を生む。文学座退団後は、映画や当時放送開始されたばかりのテレビでコメディアンぶりを発揮。英国制作の人形劇『サンダーバード』では、科学者のブレインズの声を担当するなど、声優・吹き替えでも活躍。特撮『仮面の忍者 赤影』のペドロ役や、ウルトラシリーズでのコミカルな演技でも知られた。1970年前後には東映映画にコメディーリリーフでゲスト出演した。
1984年、大林宣彦監督が日本テレビ『火曜サスペンス劇場』のために円谷プロで撮った『麗猫伝説』はビリー・ワイルダーの『サンセット大通り』を下敷きにした幻想映画だが、元大監督、現在は隠棲する大女優の執事という、オリジナルではエリッヒ・フォン・シュトロハイムに相当する役を格調高く演じた。
テレビ朝日(1977年3月まではNETテレビ)『クイズタイムショック』に4回出場し、全ての回でイスを回すという記録を持つ[注釈 1]。
プレイボーイとして知られ、結婚多数。その反面恐妻家でもあった。1989年から放送されたフジテレビのバラエティ『わてら陽気なオバタリアン』には、夫婦で出演。妻・道子に反抗できず、尻に敷かれるダメ亭主というイメージにぴったりとはまった役柄で夫婦で毎回ショートコントを演じた。
趣味で完全有機農法を研究し、東京都国立市の自宅の庭で、自身の排泄物を利用して家庭菜園を営み[2]『ぼく野菜人』などの著書もあった。なお、自宅の家庭菜園は大泉が亡くなって以降も妻が管理している。また、もう一つの趣味は三味線であった。
また、役者仲間からは小児性愛者として知られ「二十歳はもう年増、二十五歳以上はババア、やっぱりいいのは十七歳までね」と吹聴していたという[6]。
1995年に食道がんを患い入院し、摘出手術を受ける。その後回復し復帰するが、1998年2月に肺がんを発症し再入院。同年4月23日、立川相互病院で死去。73歳没。
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