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日本の映画作品 ウィキペディアから
1958年10月、『東京物語』がロンドン映画祭でサザーランド賞を受賞。11月には小津安二郎が映画人として初めて紫綬褒章を受章。1959年1月には日本芸術院賞を受賞した。名実ともに映画界の重鎮としてみられるようになった直後に、小津が選んだのは、郊外の新興住宅地を舞台に元気な子供たちにふりまわされる大人たちをコメディタッチで描いたこの『お早よう』であった。本作品では子どもたちがオナラ遊びに興じる場面が出てくるが、「オナラ」を使ったギャグは小津監督がサイレント時代から温めていたアイデアだという[1]。1959年(昭和34年)1月にロケハンをし、2月27日から4月19日まで撮影をし、5月12日に公開された。小津作品としては『彼岸花』に続いて2本目のカラー作品であり、画面における色彩の使い方に小津の遊び心が随所に感じられる[2]。息子の中井貴一は、当作品中の佐田について「小賢しくない、余計な芝居のない演技をしていて、父の出演する小津映画の中では一番好きです」と評している[3]。
よく似た一戸建てが並ぶ多摩川沿いの新興住宅地。男の子たちは大相撲に夢中だが、自宅にテレビは無く、近所の若い丸山夫妻(大泉滉・泉京子)の家に上がり込んではテレビの大相撲中継を見せてもらっている。学校の行き帰りには自在におならをする練習に熱心に取り組んでいるが、上手くコントロールできずにパンツを汚して帰る少年(白田肇)もいる。
一方、母親たちは町会費を巡るいざこざや押し売り騒動などに振り回されながら、あれこれと噂話に花を咲かせて日々を過ごしている。
林家の息子・実(設楽幸嗣)と勇(島津雅彦)はテレビを買って欲しいと両親(笠智衆・三宅邦子)にねだるが聞き入れてもらえず、逆に「口数が多い」などと叱られてしまったことがきっかけで、家でも学校でも口を利かないと決める。しかし、家では学校に持って行かなければならない給食費のことを親に伝えることができず、学校では教師(須賀不二夫)に指されても一言も答えられない。
やがて心配した教師が家庭を訪れるが、叱られると思った兄弟は勝手口から家を抜け出し、夜になっても戻らない。やがて知人の青年(佐田啓二)に連れられてしおしおと帰ってくると、廊下には父が買ってくれたテレビの箱が置いてあった。
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