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『十一人の侍』(じゅういちにんのさむらい)は、1967年公開の日本映画。夏八木勲主演・工藤栄一監督。東映京都撮影所製作、東映配給。モノクロ。
天保10年(1839年)。館林藩主で将軍の弟[1]・松平斉厚による忍藩領内での身勝手な振る舞いをたしなめた忍藩主・阿部正由が、その場で斉厚に弓矢で射殺される[1]。忍藩次席家老・榊原帯刀は老中・水野越前守に訴状を提出し、斉厚の処分を求めるが、逆に正由に非があるとされ、訴えは握りつぶされる。幕府の対応に幻滅した榊原は主君の仇を討つため、親友でもある番頭・仙石隼人に斉厚暗殺を命じる。榊原との連絡役として藤堂幾馬が最初に暗殺隊に加わった。
一方、義憤に駆られた忍藩士・三田村健四郎ら6人は、急死した兄に代わって仲間に加わった ぬい とともに独自に斉厚を討とうとするが仙石に止められる。榊原は7人を捕らえ、ぬいを除く6人に切腹を、武士ではないぬいに蟄居をそれぞれ命じる。これは彼らの覚悟を試すものであり、胆力を認められた7人は仙石の暗殺隊に加えられる。さらに金庫番として勘定方の市橋弥次郎を加えた10人は忍を離れ、斉厚が参勤交代のため滞在する江戸に向かう。表向き三田村らは榊原の命のまま切腹したことにされ、また仙石はぬいとの駆け落ちのために脱藩したことにされた。江戸では偶然寝食をともにすることになった浪人・井戸大十郎が仲間に加わる。
仙石の義弟・伊奈喬之助は江戸へ向かい、仙石がぬいと暮らしていることを目の当たりにして真意を誤解し、覚悟を決め、単独で斉厚を襲うが、返り討ちに遭う。一方、江戸藩邸を追い出された仙石の妻・織江は、ぬいから真相を聞き、ぬいの計らいで仙石が隠れ家とする長屋に住むようになるが、弟・喬之助の死による心の傷が深く、やがて自身が計画の妨げになっていると思いつめて自害する。
喬之助の襲撃を受け、これから多くの刺客が自身を狙う、とさとった斉厚は恐れをなし、水野のもとに出向いて対策を訴えると、水野は忍藩の即時取り潰しを言明する。その一方で、水野は榊原に忍藩存続の可能性をちらつかせ、さらなる暗殺の動きを封じるよう命じる。水野の言葉を信じた榊原は、奥州街道の森の中で斉厚暗殺の準備を進めていた仙石らに計画の中止を命じるため、連絡役の藤堂に伝言を託す。それと入れ違いになるよう狙い、水野は側近を通じて榊原に忍藩取り潰しを言い渡す。
11月25日、藤堂が刺客たちのもとに着き、伝言を伝える。それは、江戸藩邸から館林の居城に帰る斉厚一行が、罠を仕掛けた森を通りかかる寸前のことだった。刺客たちは落胆するが、そこに馬に乗った榊原が現れ、藩の取り潰しの決定を知らせ、水野にだまされていたことを詫び、腹を切って果てる。幕府の仕打ちに怒る仙石らは斉厚を討つため、一行を追いかける。豪雨の中、刺客たちは忍藩と館林藩の境である房川の渡しで一行に追いつき、双方の壮絶な斬り合いが始まる。敵味方ともに次々と倒れて行く中、仙石は斉厚を倒すが、そこに現れた瀕死の館林藩家老・秋吉刑部と相討ちになる。生き残ったのは浪人・井戸だけだった。井戸は斉厚の首を取り、その場をあとにした。この事態に衝撃を受けた幕府は忍藩取り潰しを白紙に戻した。
東映京都撮影所長・岡田茂は1966年の秋に、時代劇復興の望みを込め、「新しく三つの柱を中心に今年から来年(1967年)にかけて時代劇攻勢をかける」と発表した[2]。
「三つの柱」とは、岡田と本社製作担当重役・坪井與の話し合いにより定められた、(1)新しいタイプの主人公による時代劇、(2)特撮を駆使した時代劇、(3)オーソドックスな東映時代劇の3路線のことである[2]。本作は(1)型の時代劇として、夏八木勲主演・五社英雄監督によるアクション時代劇『牙狼之介』とともに、「現代劇にもつながるアクションとスピードを見せることで、スポーツ的な爽快感を観客に感じさせねば」という岡田のコンセプトに基づき、「集団抗争時代劇」路線を延長させた形の「新時代劇」として企画された[2]。
東映京都はのちに上記(2)タイプとして『ワタリ』を、(3)タイプとして『一心太助 江戸っ子祭り』、『銭形平次(大川橋蔵版)』を製作した[2]。岡田は他に「監督未定で『大逆臣』を企画している」と話しているが、製作に着手されたかは不明である[2]。また、この時に発表された企画以外の時代劇路線の広がりは結局なかった[3]。岡田はのちの一時期、時代劇路線の撤廃に着手し[3]、1976年12月の『映画ジャーナル』のインタビューで「時代劇に固執するものは一人もいらないんだ、どこか他で撮ってくれ、という勢の大きな嵐なんだ(略)思い切って時代劇にとどめを刺した」と語っている[4]。
刺客団が大名暗殺を企てるシーンの撮影は、寒い日に毎日伏見の土手に通い、消防ポンプで大量の雨を降らせ続けての命懸けのものであったが、監督の工藤に人望があり、役者たちも熱意があって誰も文句を言わなかったという[5]。
1995年10月21日にVHSビデオが発売された。2012年3月9日に初めてDVD化され(レンタルのみ)、2016年1月6日にセル版DVDもリリースされた。
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