久留米大学附設中学校・高等学校
福岡県久留米市にある中高一貫校 ウィキペディアから
福岡県久留米市にある中高一貫校 ウィキペディアから
久留米大学附設中学校・高等学校(くるめだいがくふせつちゅうがっこう・こうとうがっこう、英: Kurume University Junior and Senior High School (KUJS))は、福岡県久留米市野中町に所在し、中高一貫教育を提供する私立中学校・高等学校。
高等学校においては、中学校から入学した生徒と高等学校から入学した生徒との間では第2学年で混合したクラスを編成する併設混合型中高一貫校。
略称は「久留米大附設」、「附設」[1]。似ている「附属」の場合同じ久留米市内の「福岡教育大学附属久留米中学校」を指すことになる[2]。
旧制・私立九州医学専門学校が学制改革に伴い新制・久留米大学となる中で1950年(昭和25年)、久留米大学商学部構内に創立。旧制・私立九州医学専門学校も元々は久留米市の官民挙げての設立であり、研究・教育のノウハウを活かして設立された。創立にあたり久留米大学初代学長兼第3代理事長小野寺直助は、
を唱え、九州大学医学部教授板垣政参(旧制盛岡中学で一年先輩、京都帝国大学福岡医科大学(九州大学医学部の前身)で同僚)を初代校長として招聘、旧制中学教育の良い面を継承し、戦後復興と平和に貢献できる人材の育成を目指した。その希求は校歌の歌詞にも謳われている(作詞は草創期に国語教諭の大石亀次郎)。
また、九州医学専門学校創立に寄与した石橋正二郎(ブリヂストン創業者)が財団法人石橋財団を通じて移転用地買収資金を寄付し、1968年(昭和43年)、現在の野中町に移転。1969年(昭和44年)、附設中学校設立。中高一貫校となる。
「附設」という呼称は、設立の際に大学の下位に属する「附属」ではなく大学の学部と同列に位置付けるという方針による。実際に久留米大学への内部推薦制度などはなく、進学者も少ない[3][4]。
学校から東側には高良山が見える。クルメツツジの咲く頃には遠足で訪れたり、クラブ活動で走って登ったりもする。北側には筑後川流域の筑後川の戦いの舞台が見える。
かつては浪人生に学習指導を行うために補習科を設置していたが、現在は廃止されている。
2005年(平成17年)度から、高校が男女共学化。2013年(平成25年)度から中学も男女共学になった。男子には「扶桑学寮」(中学:168名、高校:192名)が校内に設置されている。
2011年(平成23年)、九州新幹線の鹿児島ルート全通開通により、熊本方面からも通いやすくなった。
共学化後も男子校の特色の名残がある。高校文化祭の名称は「男く祭(おとこくさい)」。生徒達のみで作られる文化祭として有名。なお、「男く祭」の名称は久留米の方言で標準語の終助詞・間投詞の「さ」を「さい」「くさい」あるいは「くさ」ということからきており、「(俺達は)男だ!」位の意味であるが、もちろん「男臭い」にもかけてある。なお、元々は久留米大学の学園祭「あのく祭」(あのくさい、標準語で「あのね」位の意味)からきている。
1学年は中学160名(4クラス)、高校200名(5クラス)であり、高校入試で40名(1クラス)を募集している。創立以来ずっと男子のみの募集だったが、高校は2005年度から、中学は2013年度から女子(ただし自宅から通学が条件)を受け入れるようになった。2005年度の高校共学化の際は、一部のOB、教員、生徒会などからかなりの反対意見があったものの、高校からの入学者の学力水準を維持することとなり、さらに2013年度の中学共学化により高校での運営形態が中学でも実現できる中高一貫教育となった。
中3で卒業論文製作に取り組み、夏休みまでに完成させる。完成した作品は校内で部門ごとに審査し、表彰式や作品展などを開催している。全国学芸サイエンスコンクール(旺文社)や日本学生科学賞(読売新聞社)などに応募することもでき、例年数々の入賞を果たしている。
高校からの入学者は1年次は別学となり、全生徒がこの時点で地理か日本史の社会科を選択履修する。2年に進級した際、5クラスを混合して文系・理系クラスに分けられる。高3の6月でほぼ全ての課程が終わる。
高3では学校独自の校内模試が年に4回ある。
中2~3で週3時間、高1で週2時間、3年間にわたって1つのコースを履修する「芸術総合選択」の授業がある。絵画・美術工芸・陶芸・書道・映像メディア・声楽・器楽から選択する[7]。
高3の6時間目授業終了後に希望者対象に設けられた、大学入試問題を基にした問題の演習授業である。内容は、東大、九大などの大学別、科目別に分かれており、英語に関しては、理系を対象とした「標準英語」「基礎英語」といったものから、文系向けの「難関大英語」や、「東大英語」「九大英語」といった講座まで、幅広く網羅している[8]。
長期休暇の課題として、同校元教諭で佐藤佐太郎の門人である大津留敬の指導の下、短歌作りを定めている。歌会始では度々生徒が入選や佳作に選ばれている。
中高とも体育祭・送別球技大会等の行事を生徒会の総務委員会が中心となって運営する。会長選挙は中学が9月頃、高校が5月頃。
中学の選挙には会長候補と議長候補が立候補し、当選後、会長による副会長・議長・副議長・書記長・書記(2名)・会計長・会計(2名)の任命によって10名からなる総務委員会が発足する。また、同時に各生活委員会(風紀・学習・環境・体育・保健・図書)の委員長・副委員長も任命される。書記・会計のうち各々1名は一年生から選ばれる。
高校の選挙には会長候補が立候補し、当選後会長による副会長・書記(2名)・会計(2名)・庶務(2名)の任命によって10名からなる総務委員会が発足する。また、同時に各運営委員会(文化・体育・風紀・図書・環境・広報・保健・HR)の委員長・副委員長も任命される。
下校時刻は18時となっている。最近では囲碁将棋部やテニス部、演劇部、陸上部、ディベート部、クイズ研究部、天文部、化学部、レゴ部などが全国大会に出場した。
第38回全国高等学校総合文化祭(2014年、茨城県)では高校演劇部が全国優勝した(題目「女子高生」)。演劇で全国優勝は福岡県としても初めてのことであった[9]。
第2回科学の甲子園には福岡県代表として全国大会に出場しており、第10回大会(2021年現在)まで連続出場している。
第44回全国高等学校総合文化祭(2020年、高知県)には高校合唱部出場決定している。新型コロナウィルスの影響で現地での開催は無くなっている。
「扶桑学寮」という名の男子寮を校内に設けている。高校寮(定員192名)と中学寮(定員168名)は別棟。入寮は自由で、寮生よりも通学生の割合が多い(およそ1:3)。なお、女子寮を福岡県小郡市近辺に建設するという計画があったが、破綻している。
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