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富山市の街路 ウィキペディアから
中央通り(ちゅうおうどおり)は、富山県富山市の中心部にある町名であり、商店街である。郵便番号は930-0044。中央通り商店街と隣接する総曲輪(そうがわ)通り商店街、西町(にしちょう)商店街などと併せ、富山県内で最大の繁華街を形成する。
中央通りは、西側の富山県道43号富山上滝立山線沿いの1丁目から、市道(雪見通り)を挟んで東側のいたち川沿いまでの3丁目まである、約630mの東西に真っ直ぐ延びる町内である。1丁目、2丁目は、長さ約470mに渡り、アーケードが架かる「中央通りさんぽ〜ろ商店街」となっている。東側(2丁目)には、明治初期から中期に最も栄えた中教院通り(モール)があり交差している。
また、商店街西側入り口(1丁目)正面には、道路中央部に富山地方鉄道富山軌道線の複線軌道が設置された、富山県道43号富山上滝立山線を挟み、総曲輪通り商店街(長さ約360m)があり西側に真っ直ぐ続いている。
総曲輪通りは明治中期から繁華街として発展していったが、当時中央通りは、中町・袋町・東四十物町、室屋町といった町名で、主に江戸時代から続く呉服店、薬種業など大店の問屋が並ぶ問屋街といったおもむきだった。明治初期に中教院が出来て門前町的な盛り場として発展し[4]、大正時代に入り、1913年(大正2年)に富山駅からの路面電車(現在の富山地方鉄道富山軌道線)が通るようになり、繁華街として小売商、飲食店、劇場、映画館などが立ち並ぶようになった。1923年(大正12年)12月には、中町の角に木造3階一部5階建ての塔屋がある、富山県内初の百貨店「岡部呉服店」が開業した。
第二次世界大戦による富山大空襲では富山市内がほぼ焼け野原となったが、中町・袋町・東四十物町、室屋町などには再び、小売商、飲食店、劇場、映画館などが立ち並ぶようになり、1948年(昭和23年)に中央通商栄会を設立し、中町・袋町・東四十物町を結ぶ通りを総称して中央通りと呼ぶようになった。
1957年(昭和32年)には通りにアーケードが架かり、1965年(昭和40年)4月に住居表示変更が行われ、上記の町名の町などが中央通り1~3丁目に変更された。1987年(昭和62年)10月9日にはアーケード及びカラー舗装等の改築にともない「さんぽ〜ろ」の愛称がついた[5]。
かつては多くの映画館(封切館〔ロードショー館〕)、デパート、スーパーなどがあり賑わったが、現在はすべて撤退及び廃業しており1軒も残っておらず、店舗の空き家も多く目立つ。現在は富山市中心部の移住人口を回復し、賑わいを取り戻すため、中央通りや西町には、通りに面した1階部分に店舗、上層部はマンションといった商住混在型の複合施設が多く建てられている。
なお中央通りさんぽ〜ろ商店街は、11時から22時まで車両通行止め(歩行者天国)となっている。
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[22]。
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