三都主アレサンドロ

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三都主アレサンドロ

三都主 アレサンドロ(さんとす あれさんどろ、Santos Alessandro、1977年7月20日[1] - )は、ブラジルパラナ州マリンガ出身[3] の元サッカー選手[2]

概要 三都主 アレサンドロ, 名前 ...
三都主 アレサンドロ
Thumb
2019年11月
名前
本名 アレサンドロ・ドス・サントス(帰化前の本名)[1]
愛称 アレックス、アレ
カタカナ サントス アレサンドロ
ラテン文字 SANTOS Alessandro
ポルトガル語 Alessandro dos Santos
基本情報
国籍 日本
ブラジル(二重国籍[2]
生年月日 (1977-07-20) 1977年7月20日(47歳)[1]
出身地 ブラジル マリンガ[3]
身長 178cm
体重 69kg
選手情報
ポジション MF / DF
利き足 左足
ユース
1986-1994 グレミオ・マリンガ
1994-1996 明徳義塾高等学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-2003 清水エスパルス 198 (56)
2004-2009 浦和レッズ 100 (11)
2007 レッドブル・ザルツブルク (loan) 20 (1)
2009-2012 名古屋グランパス 55 (0)
2013 栃木SC 25 (2)
2014 FC岐阜 18 (2)
2015 マリンガ 4 (1)
2015 グレミオ・マリンガ
2016 PSTC 3 (0)
通算 423 (73)
代表歴2
2002-2006 日本[4] 82 (7)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年10月1日現在。
2. 2006年1月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
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日本代表でキャップ数82[2] は歴代6位。2001年11月12日、日本国籍に帰化[1]、現在はブラジルと二重国籍[2]。帰化前の本名はアレサンドロ・ドス・サントス(Alessandro dos Santos)、当時の登録名アレックス(Alex)。

利き足は左。ポジションは左ウィングバック攻撃的MFとしての出場のほか、清水在籍時にはフォワード、名古屋加入以後はセンターハーフ、日本代表では左サイドバックでも出場した。

16歳のときにサッカー留学生として日本の明徳義塾高校に入学し、97年に清水に加入。99年に史上最年少の22歳でJリーグ年間最優秀選手賞を受賞した。04年に浦和レッドダイヤモンズに移籍し、07年にはオーストリアのレッドブル・ザルツブルクでプレー。08年に日本に復帰し、浦和、名古屋グランパスエイトFC岐阜栃木SCに在籍。15年にブラジルへ戻りマリンガFCグレミオ・マリンガなどでプレーした。

2001年に日本国籍取得後、2002年から2006年までサッカー日本代表に招集されて82試合出場7得点。FIFAワールドカップに2回(2002年日韓大会2006年ドイツ大会)出場、2004年アジアカップに優勝した。

経歴

要約
視点

生い立ち

ブラジルパラナ州マリンガ[3] で、プロサッカー選手ウイルソン・ドス・サントスの長男として生まれた[3]。10歳から父親も在籍したグレミオ・マリンガの少年チームで育ち[5]、16歳のときには既にプロデビューを果たす[6]。1993年8月[7]、留学生獲得のためブラジルを訪れていた明徳義塾高校サッカー部の北村保夫部長とジョゼ・カルロス監督に練習試合でのプレーを高く評価され、1994年6月に明徳義塾高校に入学[6]。同校には三都主を含め4名の留学生が一緒に入学した[8][6]。高校時代は一度も県予選を突破できず全国大会には無縁だった[6] ため、ほとんど無名の存在だった。ポジションはブラジル時代はディフェンダー(センターバック[6])だったが、明徳在学中に徐々に前の方へと移っていった[6]

清水エスパルス

明徳義塾高校卒業後、監督が清水エスパルスのスカウトと知り合いだったこともあり、清水の練習に練習生として参加し、契約を勝ち取る。1997年に正式加入[2]、持ち前のドリブルで左サイドのスペシャリストとして頭角を現す。「アレックス」という登録名は当時の清水の監督オズワルド・アルディレスによって付けられた[9]

加入当時、清水にはサントスオリバマーク・ボウエンと3人の外国籍選手がおり、三都主は第4の選手とみなされていた[9]。しかし他の選手に故障が相次いだこともあり[9] 1年目からリーグ戦27試合に出場した。体力不足もあって1年目のリーグ戦フル出場は1試合のみにとどまった[9]。1997年5月28日の1stステージ第11節アビスパ福岡戦では、自陣からドリブルで約70メートルを突破して初ゴールを決めた[9]

清水加入当初は色々なポジションで起用されていたが、1999年に左アウトサイドに定着[10]。清水はこの年に2ndステージで優勝、また年間勝点では2位以下に大きく差を付けて1位となった。この年に大きくブレイクした三都主は清水躍進の原動力となり[10][11]、史上最年少の22歳でJリーグ最優秀選手賞を受賞した。1999年12月11日に行われたジュビロ磐田とのチャンピオンシップ第2戦では、三浦文丈を蹴りつけて35分に退場を命じられた[12][13]。チームは奮闘したものの最終的にPK戦で磐田に敗れた。清水の監督スティーブ・ペリマンは「11人で戦っていれば勝っていた」と試合後に振り返った[12][13]

また、アジアカップウィナーズカップ1999-2000第81回天皇杯優勝にも貢献した。セレッソ大阪との天皇杯決勝で三都主は1得点1アシストし、3-2の勝利に貢献した[9][14]。2001年9月3日に開催されたJOMO CUPでは、ワールド・ドリームス(外国籍選手選抜)のキャプテンマークを巻いた[9]。清水在籍最終シーズンとなった2003年にはチームキャプテンを務めた[11][15]

2000年シーズン終了後にはギリシャのパナシナイコスFCからオファーを受けていたが、契約には至らなかった[16]

2002年8月、プレミアリーグチャールトンに移籍金350万ドル(約4億2000万円[17]。または4億5000万円[18])、5年契約[17] で加入合意が伝えられたが[18]、イギリス政府から労働許可証が発行されなかったため白紙になった[19][20]

浦和レッズ

2004年1月、清水エスパルスから浦和レッドダイヤモンズに完全移籍[11]。移籍金は1997年に横浜フリューゲルスからヴェルディ川崎に移籍した前園真聖を超えて、当時の国内最高額となる推定3億8000万円[11](または3億5000万円)[21] だった。

浦和では2004年のJ1 2ndステージ2006年のJ12005年度2006年度天皇杯に優勝した。

ザルツブルク

2007年1月30日から1年間、浦和からの期限付き移籍によりオーストリア・ブンデスリーガに所属するレッドブル・ザルツブルクでプレーした[22]。ザルツブルクでは加入した2006-07シーズンにリーグ優勝を経験。2007-08シーズン前半まで在籍し、リーグ戦通算20試合に出場した。移籍時には完全移籍や契約延長のオプション契約も含まれていたが、ザルツブルク側はそれらを行使しなかった[23]

浦和復帰

2008年1月、期限付き移籍期間満了により浦和レッドダイヤモンズに復帰[24]。2008年Jリーグ開幕前の練習試合で左足付け根に全治3ヶ月の怪我を負う[25]。第14節の柏レイソル戦にて復帰するが、出場わずか15分で怪我を再発。全治6ヶ月の重傷と診断を受け[26]、同年の公式戦出場はこの1試合のみとなった。

2009年、浦和の新監督にフォルカー・フィンケが就任。三都主は負傷の回復が遅れた上に、フィンケの若手選手重用により出場機会が激減。先発出場は8月までに2試合のみ[27] にとどまっていた。

名古屋グランパス

ドラガン・ストイコビッチ監督のラブコールを受け、2009年8月3日に名古屋グランパスへの完全移籍が発表された[28]。8月15日の川崎フロンターレ戦(名古屋市瑞穂公園陸上競技場)に左サイドバックとしてフル出場したのが名古屋でのデビュー戦となった[29]。名古屋では左サイドやセントラルのミッドフィールダーとしても出場[30]

名古屋がJ1リーグで優勝した2010年シーズンは、左サイドバックおよびアンカーをこなす貴重なバックアッパーとして25試合(先発は11試合)に起用された[31]

2012年シーズンをもって契約満了となり、クラブを退団した。

引退後

2012年12月には合同トライアウトに参加[32][33]。2013年1月にJ2の栃木SCに完全移籍で加入[34]。シーズン終了をもって栃木との契約が満了した[35]

2014年、J2のFC岐阜に完全移籍[36]。18試合に出場し2得点を挙げたが、2015年1月、契約満了による退団が発表された[37]

2015年2月、日本を離れて地元ブラジルのパラナ州選手権1部[38]マリンガFCへ移籍[39]。家族でブラジルへ移住する決断について三都主は「ずっとブラジルに居るという分けではないが、親孝行をして、生まれ故郷のマリンガでサッカーをし、その後も指導者として勉強を続けまた良い形で日本に戻りたい。」と語っている[40][41]。同年3月29日に行われたJ・マルセーリ・フチボウ戦で移籍後初ゴールを挙げた[42]。同クラブでは6月までプレーした[38]

2015年8月に古巣であるパラナ州選手権3部のグレミオ・マリンガ加入が発表され[43][44]、同年10月まで3ヶ月間プレーした[38]

その後、契約を解除の後、2016年からは故郷のパラナ州に所在する、パラナ・サッカー・テクニカル・センターに所属[45]。同年12月にマラカナンスタジアムで催された、ジーコ主催のチャリティマッチにジーコから直接招待され参加。ネイマールと同じピッチでプレーし、それを自身の中で現役引退と区切りをつけて現役を引退。2017年時点も在籍し青少年支援活動を行っている。

2016年12月に「INSTITUTO ALEX SANTOS」というサッカーや柔道、空手、キックボクシング、柔術、カポエラ、ストリートダンスなど、スポーツを通じて子どもが育つようにサポートをする機構・団体を立ち上げた[46]

2017年7月4日、浦和時代のチームメイトであった鈴木啓太の引退試合出場のため日本へ帰国し、同年7月11日、古巣である清水のクラブ創設25周年記念マッチである対ガンバ大阪戦試合前のトークショーに飛び入り参加した[47]

2018年1月11日、2019年3月末までの期間、出身地の姉妹都市である兵庫県加古川市観光大使となる[48]

日本代表

2001年11月に日本への帰化申請が認められると[6]フィリップ・トルシエによって日本代表に招集され、2002年3月のウクライナとの親善試合で代表デビューを果たす[6]2002 FIFAワールドカップの日本代表にも選出された[2]。同大会のグループステージでは初戦のベルギー戦に途中出場。さらにノックアウトステージ一回戦のトルコ戦では、トルシエ監督の奇策により変則の左ウイングで先発出場すると、クロスバー直撃のフリーキックを放つなどしたが、1点をリードされる展開にトルシエ監督がメンバーやフォーメーションを従来の形に戻したため、前半のみで交代となった。

2002年W杯後に就任したジーコからも招集され続けたが、当初は中村俊輔ら攻撃的MFの控えであった。しかし、2003年6月に日本代表がアルゼンチンに1-4の大敗を喫し、それまで左サイドバックだった服部年宏がレギュラー落ちした為後任の左サイドバックに抜擢されるとレギュラーに定着し、3バック採用時は左サイドハーフとして2006年W杯の最終戦まで約3年間スタメン出場を続けた。しかし、4バックの慣れない守備に追われ、サイドバックとしては難がある守備力を露呈することもあった。一方で、後に日本代表監督を務めるイビチャ・オシム(当時ジェフ千葉監督)は「(ドイツ)W杯のクロアチア、オーストラリア戦を見たがアレックスが一番いいDFだったのではないか。左利きは数少ない上にアレックスより優れた選手は何人いるでしょうか」と攻撃面を評価した[49]

2006年W杯後のオシムジャパンでは、DFではなく本来の左アウトサイドのMFとして起用され、攻撃に比重を置いたプレーが許されたこともあり、オシムジャパンのゴール第1号・第2号を記録し、アシストも多く記録した[6]。代表としての招集期間はわずか5年と決して長くはないが、最終的には当時歴代4位となる82まで代表キャップ数を伸ばした。

82試合で21度という多くの警告を受けているが、退場を受けたことはない。

人物

2001年3月に日本への帰化を申請[50]、2001年11月12日に帰化申請が認められ[1]、日本名「三都主アレサンドロ」を届け出ている。「三都主」は、自身にとって思い出深い「ブラジル・高知・清水」の三つの都市を意味している[51]

父親のウイルソンは主に右サイドバック[52][3] またはセンターバック[5][52]の選手として、グレミオ・マリンガゴイアスなど6つのクラブで14年間プレーし[3]、1977年にはグレミオ・マリンガでパラナ州選手権優勝の経験もある[53][3]。1983年に引退した後は繊維工場で運転手として働いた[54]

現在、息子は東海大学附属静岡翔洋高校に通っている。

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1997清水23J2732130324
199817261050523612
19998J1301140103511
20003045054408
2001301221513714
200229922303411
20032674040347
2004浦和162721021303
200583245050424
20063450010355
オーストリア リーグ戦 リーグ杯オーストリア杯 期間通算
2006-07ザルツブルク8ブンデス90--90
2007-08111--111
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2008浦和8J110000010
20096040-100
名古屋38140-61201
20102501031291
20111101050170
201250002070
2013栃木44J2252-20272
2014岐阜11182-00182
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2015マリンガパラナ州選手権1部
通算日本J1 35367364501043981
日本J2 434-20454
オーストリアブンデス 201--201
ブラジルパラナ州選手権1部
総通算 41672364521050486
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その他の公式戦

  • 1999年
  • 2001年
    • スーパーカップ 1試合1得点
  • 2002年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2004年
    • Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
  • 2006年
    • スーパーカップ 1試合0得点
さらに見る 国際大会個人成績, 年度 ...
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2002-03清水853
2009名古屋3840
201130
201220
通算AFC 173
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その他の国際公式戦

タイトル

清水エスパルス
  • Jリーグ セカンドステージ 優勝:1999
  • 天皇杯全日本サッカー選手権大会 優勝:2001
  • ゼロックススーパーカップ 優勝:2001, 2002
  • アジアカップウィナーズカップ 優勝:1999-2000
浦和レッズ
  • Jリーグ セカンドステージ 優勝:2004
  • Jリーグ ディビジョン1 優勝:2006
  • 天皇杯全日本サッカー選手権大会 優勝:2005, 2006
  • ゼロックススーパーカップ 優勝:2006
レッドブル・ザルツブルク
名古屋グランパス
  • Jリーグ ディビジョン1 優勝:2010
  • ゼロックススーパーカップ 優勝:2011
日本代表
  • AFC アジアカップ 優勝:2004
  • キリンカップサッカー 優勝:2004

個人タイトル

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 82試合 7得点 (2002-2006)[4]
さらに見る 日本代表, 国際Aマッチ ...
日本代表国際Aマッチ
出場得点
200291
2003151
2004222
2005171
2006192
通算 827
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出場

さらに見る No., 開催日 ...
No.開催日開催都市スタジアム対戦相手結果監督大会
1.2002年03月21日日本の旗大阪府長居陸上競技場 ウクライナ○1-0フィリップ・トルシエキリンチャレンジカップ
2.2002年04月17日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 コスタリカ△1-1キリンチャレンジカップ
3.2002年04月29日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 スロバキア○1-0キリンカップ
4.2002年05月02日日本の旗兵庫県御崎公園球技場 ホンジュラス△3-3キリンカップ
5.2002年05月14日ノルウェーの旗オスロ ノルウェー●0-3国際親善試合
6.2002年05月25日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 スウェーデン△1-1キリンチャレンジカップ
7.2002年06月04日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 ベルギー△2-2ワールドカップ
8.2002年06月18日日本の旗宮城県宮城スタジアム トルコ●0-1ワールドカップ
9.2002年11月20日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 アルゼンチン●0-2山本昌邦(代行)キリンチャレンジカップ
10.2003年03月28日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ウルグアイ△2-2ジーコ国際親善試合
11.2003年04月16日大韓民国の旗ソウル 韓国○1-0国際親善試合
12.2003年05月31日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 韓国●0-1国際親善試合
13.2003年06月08日日本の旗大阪府長居陸上競技場 アルゼンチン●1-4キリンカップ
14.2003年06月11日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 パラグアイ△0-0キリンカップ
15.2003年06月18日フランスの旗サンドニ ニュージーランド○3-0コンフェデレーションカップ
16.2003年06月20日フランスの旗サンテティエンヌ フランス●1-2コンフェデレーションカップ
17.2003年06月22日フランスの旗サンテティエンヌ コロンビア●0-1コンフェデレーションカップ
18.2003年08月20日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ナイジェリア○3-0キリンチャレンジカップ
19.2003年09月10日日本の旗新潟県新潟スタジアム セネガル●0-1キリンチャレンジカップ
20.2003年10月11日ルーマニアの旗ブカレスト ルーマニア△1-1国際親善試合
21.2003年11月19日日本の旗大分県大分スポーツ公園総合競技場 カメルーン△0-0キリンチャレンジカップ
22.2003年12月04日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 中華人民共和国○2-0東アジア選手権
23.2003年12月07日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 香港○1-0東アジア選手権
24.2003年12月10日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 韓国△0-0東アジア選手権
25.2004年02月07日日本の旗茨城県茨城県立カシマサッカースタジアム マレーシア○4-0キリンチャレンジカップ
26.2004年02月12日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 イラク○2-0国際親善試合
27.2004年02月18日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 オマーン○1-0ワールドカップ予選
28.2004年03月31日シンガポールの旗シンガポール シンガポール○2-1ワールドカップ予選
29.2004年04月25日ハンガリーの旗ザラエジェルツェグ ハンガリー●2-3国際親善試合
30.2004年04月28日チェコの旗プラハ チェコ○1-0国際親善試合
31.2004年05月30日イングランドの旗マンチェスター アイスランド○3-2国際親善試合
32.2004年06月01日イングランドの旗マンチェスター イングランド△1-1国際親善試合
33.2004年06月09日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 インド○7-0ワールドカップ予選
34.2004年07月09日日本の旗広島県広島広域公園陸上競技場 スロバキア○3-1キリンカップ
35.2004年07月13日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 セルビア・モンテネグロ○1-0キリンカップ
36.2004年07月20日中華人民共和国の旗重慶 オマーン○1-0アジアカップ
37.2004年07月24日中華人民共和国の旗重慶 タイ○4-1アジアカップ
38.2004年07月28日中華人民共和国の旗重慶 イラン△0-0アジアカップ
39.2004年07月31日中華人民共和国の旗重慶 ヨルダン△1-1(PK4-3)アジアカップ
40.2004年08月03日中華人民共和国の旗済南 バーレーン○4-3(延長)アジアカップ
41.2004年08月07日中華人民共和国の旗北京 中華人民共和国○3-1アジアカップ
42.2004年08月18日日本の旗静岡県静岡県小笠山総合運動公園スタジアム アルゼンチン●1-2キリンチャレンジカップ
43.2004年09月08日インドの旗コルカタ インド○4-0ワールドカップ予選
44.2004年10月13日オマーンの旗マスカット オマーン○1-0ワールドカップ予選
45.2004年11月17日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 シンガポール○1-0ワールドカップ予選
46.2004年12月16日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ドイツ●0-3キリンチャレンジカップ
47.2005年01月29日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 カザフスタン○4-0キリンチャレンジカップ
48.2005年02月02日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 シリア○3-0キリンチャレンジカップ
49.2005年02月09日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 北朝鮮○2-1ワールドカップ予選
50.2005年03月30日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 バーレーン○1-0ワールドカップ予選
51.2005年05月22日日本の旗新潟県新潟スタジアム ペルー●0-1キリンカップ
52.2005年05月27日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 アラブ首長国連邦●0-1キリンカップ
53.2005年06月03日バーレーンの旗マナマ バーレーン○1-0ワールドカップ予選
54.2005年06月16日ドイツの旗ハノーバー メキシコ●1-2コンフェデレーションカップ
55.2005年06月19日ドイツの旗フランクフルト ギリシャ○1-0コンフェデレーションカップ
56.2005年06月22日ドイツの旗ケルン ブラジル△2-2コンフェデレーションカップ
57.2005年07月31日大韓民国の旗大田 北朝鮮●0-1東アジア選手権
58.2005年08月03日大韓民国の旗大田 中華人民共和国△2-2東アジア選手権
59.2005年08月17日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 イラン○2-1ワールドカップ予選
60.2005年09月07日日本の旗宮城県宮城スタジアム ホンジュラス○5-4キリンチャレンジカップ
61.2005年10月08日ラトビアの旗リガ ラトビア△2-2国際親善試合
62.2005年10月12日ウクライナの旗キエフ ウクライナ●0-1国際親善試合
63.2005年11月16日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 アンゴラ○1-0キリンチャレンジカップ
64.2006年02月10日アメリカ合衆国の旗サンフランシスコ アメリカ合衆国●2-3国際親善試合
65.2006年02月18日日本の旗静岡県静岡県小笠山総合運動公園スタジアム フィンランド○2-0キリンチャレンジカップ
66.2006年02月22日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 インド○6-0アジアカップ予選
67.2006年02月28日ドイツの旗ドルトムント ボスニア・ヘルツェゴビナ△2-2国際親善試合
68.2006年03月30日日本の旗大分県大分スポーツ公園総合競技場 エクアドル○1-0キリンチャレンジカップ
69.2006年05月09日日本の旗大阪府長居陸上競技場 ブルガリア●1-2キリンカップ
70.2006年05月13日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 スコットランド△0-0キリンカップ
71.2006年05月30日ドイツの旗レバークーゼン ドイツ△2-2国際親善試合
72.2006年06月04日ドイツの旗デュッセルドルフ マルタ○1-0国際親善試合
73.2006年06月12日ドイツの旗カイザースラウテルン オーストラリア●1-3ワールドカップ
74.2006年06月18日ドイツの旗ニュルンベルク クロアチア△0-0ワールドカップ
75.2006年06月22日ドイツの旗ドルトムント ブラジル●1-4ワールドカップ
76.2006年08月09日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ブラジル○2-0イビチャ・オシムキリンチャレンジカップ
77.2006年08月16日日本の旗新潟県新潟スタジアム イエメン○2-0アジアカップ予選
78.2006年09月03日サウジアラビアの旗ジッダ サウジアラビア●0-1アジアカップ予選
79.2006年09月06日イエメンの旗サヌア イエメン○1-0アジアカップ予選
80.2006年10月04日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ガーナ●0-1キリンチャレンジカップ
81.2006年10月11日インドの旗バンガロール インド○3-0アジアカップ予選
82.2006年11月15日日本の旗北海道札幌ドーム サウジアラビア○3-1アジアカップ予選
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ゴール

さらに見る #, 開催年月日 ...
#開催年月日開催地対戦国勝敗試合概要
1.2002年5月2日日本神戸市ホンジュラスの旗 ホンジュラス△ 3-3キリンカップサッカー2002
2.2003年12月7日日本、さいたま市香港の旗 香港○ 1-0東アジアサッカー選手権2003
3.2004年2月12日日本、東京イラクの旗 イラク○ 2-0親善試合
4.2004年5月30日イングランドマンチェスターアイスランドの旗 アイスランド○ 3-2親善試合
5.2005年1月29日日本、横浜市カザフスタンの旗 カザフスタン○ 4-0キリンチャレンジカップ2005
6.2006年8月9日日本、東京トリニダード・トバゴの旗 トリニダード・トバゴ○ 2-0キリンチャレンジカップ2006
7.
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関連書籍

  • 褐色のドリブラー 三都主物語 (著・北村保夫、2002年4月)
  • フォルツァ!アレックス (著・竹澤哲、2002年8月、文春ネスコ)

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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