ワイルド・サモアンズ

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ワイルド・サモアンズ

ザ・ワイルド・サモアンズThe Wild Samoans)は、かつてアメリカ合衆国で活動したプロレスタッグチーム東サモア諸島出身のプロレスラーアファ・アノアイシカ・アノアイの兄弟で結成された。

概要 ザ・ワイルド・サモアンズ, タッグチーム ...
ザ・ワイルド・サモアンズ
Thumb
アファ(左)&シカ(右)
(1983年)
タッグチーム
メンバー アファ
シカ
サムラ
名称
  • ザ・ワイルド・サモアンズ
  • ザ・サモアンズ
  • ジ・アイランダーズ
デビュー 1973年
解散 1984年
団体
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原住民スタイルのバーバリアンヒールとして北米の主要テリトリーで活躍[1]、日本では「南海の獣人」の異名で呼ばれた[2]

メンバー

アファ・アノアイAfa Anoa'i1942年11月21日 - 2024年8月16日

シカ・アノアイSika Anoa'i1945年4月5日 - 2024年6月25日

  • ワイルド・サモアン2号。身長188cm、体重130kg。アファの実弟。

1983年から1984年にかけては、WWFにおいてアファの息子サムラ・アノアイSamula Anoa'i)もサモアン3号としてメンバーに加わっていた。

来歴

要約
視点

少年時代に一家でカリフォルニア州サンフランシスコに移住し、兄のアファアメリカ海兵隊除隊後の1971年にプロレスラーとしてデビュー[3][4]。後に弟のシカもデビューして、スチュ・ハートの主宰するカナダカルガリースタンピード・レスリングにてザ・サモアンズThe Samoans)を結成。1973年にはシャチ横内&ヤス藤井の日本人コンビとインターナショナル・タッグ王座を争った[5]バンクーバーでは同年11月5日、ジン・キニスキー&ザ・ブルートからNWAカナディアン・タッグ王座を奪取している[6]

1975年にはジ・アイランダーズThe Islanders)のチーム名でザ・シークの牛耳るデトロイト地区に参戦。8月15日にハンク・ジェームス&マイティ・イゴール、10月30日にジェームス&フレッド・カリーを破り、同地区認定のNWA世界タッグ王座を2度に渡って獲得した[7]1976年からはテネシーアラバマなど南部で活動、アラバマではリップ・タイラー&エディ・サリバンを相手にNWAガルフ・コースト・タッグ王座を争った[8]

1977年6月、チーム名をサモアンズに戻して国際プロレスに初来日。キラー・トーア・カマタジプシー・ジョーミスター・ヒトと共闘して、ラッシャー木村をはじめ日本陣営と流血戦を繰り広げた。翌1978年1月の再来日では、1月5日に大阪府立体育館にてグレート草津&アニマル浜口からIWA世界タッグ王座を奪取[9]。1月20日に大田区体育館にて草津&浜口に奪回されるも、1979年3月の来日でも岐阜境町で新王者チームの浜口&マイティ井上に2回挑戦[10]。シカは同月29日に足立区東京マリンにて木村と金網デスマッチを行っている[11]

1979年10月よりWWFに登場。キャプテン・ルー・アルバーノマネージャーに迎え、1980年4月12日にフィラデルフィアにてイワン・プトスキー&ティト・サンタナを破り、WWFタッグ王座を獲得した[12]。8月9日にニューヨークシェイ・スタジアムで開催されたビッグイベント『ショーダウン・アット・シェイ』にてボブ・バックランド&ペドロ・モラレスの頂上コンビに王座を奪われるが、2冠王となったバックランドがタイトルを返上。1カ月後の9月9日に行われた王者チーム決定戦でトニー・ガレア&レネ・グレイを下して王座に返り咲き、11月8日にガレア&リック・マーテルに敗れるまで戴冠した[12]

1981年1月、WWFとの提携ルートで新日本プロレスに来日。1月23日に高知県民体育館、2月12日に後楽園ホールにて、坂口征二&長州力の保持する北米タッグ王座に2度に渡って挑戦した[13]。同年11月開幕の第2回MSGタッグ・リーグ戦にも出場し、アンドレ・ザ・ジャイアント&グレイ、パット・パターソン&バッドニュース・アレンキラー・カーン&タイガー戸口などのチームと対戦したが、負傷により途中欠場しており、白星はカネック&スペル・マキナからの1勝のみという戦績で終わっている[14]

同年、アメリカではビル・ワットが主宰していたMSWAで活動、アーニー・ラッドをマネージャーに迎え、ディック・マードックマイク・ジョージと組んだジャンクヤード・ドッグとミッドサウス・タッグ王座を争った[15]1982年ジム・バーネットジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに参戦し、8月29日にファビュラス・フリーバーズマイケル・ヘイズ&テリー・ゴディ)からNWAナショナル・タッグ王座を奪取している[16]

1983年よりWWFに再登場。3月8日にストロンボー・ブラザーズ(チーフ・ジェイ・ストロンボー&ジュールズ・ストロンボー)を破り、WWFタッグ王座への3度目の戴冠を果たす[12][17]。11月15日にソウル・パトロール(ロッキー・ジョンソン&トニー・アトラス)にタイトルを奪われてからは、マネージャーのアルバーノと仲間割れしてベビーフェイスに転向。アルバーノが新しくマネージメントするノース・サウス・コネクション(マードック&アドリアン・アドニス)と抗争した[18]

1984年11月にWWFを離れた後、モントリオール地区などへの出場を経てチームを解散[19]。以降はそれぞれ単独でWWFに登場し、シカは1986年から1988年にかけてヒールのシングル・プレイヤーとして前座戦線で活動[20]。アファは1992年から1994年まで、息子のサムゥと甥のファトゥザ・ヘッドシュリンカーズThe Headshrinkers)のマネージャーを務めていた[21]

1990年代に引退し、ペンシルベニア州アレンタウンにてプロレスラー養成所ワイルド・サモアン・トレーニング・センターThe Wild Samoan Training Center)を開設。ビリー・キッドマンジーン・スニツキーバティスタなどを輩出している[22]2007年には揃ってWWE殿堂に迎えられ、アファの息子サムラ・アノアイとシカの息子マット・アノアイがインダクターを務めた[22]

2024年6月25日、シカが死去[20]。79歳没[20]。この約2ヶ月後の8月16日、アファも死去した[23]。81歳没[23]

獲得タイトル

スタンピード・レスリング

NWAデトロイト

NWAオールスター・レスリング

ガルフ・コースト・チャンピオンシップ・レスリング

  • NWAガルフ・コースト・タッグ王座:2回 [8]

ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング

  • NWAナショナル・タッグ王座:1回 [16]

インターナショナル・レスリング・エンタープライズ

ミッドサウス・レスリング・アソシエーション

  • ミッドサウス・タッグ王座:3回 [15]

ワールド・レスリング・フェデレーション / ワールド・レスリング・エンターテインメント

脚注

関連項目

外部リンク

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