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1985年にイギリス、アメリカで行われたチャリティーコンサート ウィキペディアから
ライヴエイド(LIVE AID)は、「1億人の飢餓を救う」というスローガンの下、「アフリカ難民救済」を目的として、1985年7月13日に行われた、20世紀最大のチャリティーコンサート。「1980年代のウッドストック」とも一部でいわれていたが、その規模をはるかに超越したものとなった。2004年にDVDとして発売された。
バンド・エイドを提唱したブームタウン・ラッツのリーダーボブ・ゲルドフが中心となって開催されることとなり、その呼びかけに賛同した多くのミュージシャンが国とジャンルを越えて参加した。
日本では、フジサンケイグループ(フジテレビとニッポン放送)が放送権を獲得し、7月13日午後9時から7月14日正午まで放送した(23時30分 - 23時40分と7時30分 - 7時45分にそれぞれ『FNNニュース』が挿入。『ゴールデン洋画劇場』『プロ野球ニュース』『オールナイトフジ』や『笑っていいとも!増刊号』など通常のレギュラー番組はすべて休止)[7]。正式な番組名は『THE 地球CONCERT LIVE AID』(ザ・ちきゅうコンサート・ライヴ・エイド)。ニッポン放送では『明石家さんまのラジオが来たゾ!東京めぐりブンブン大放送』『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』などを差し替えて、同名の特別番組が同じく終夜で放送された。
後記の中継の不手際に加え、司会の逸見の「洋楽に対する知識の不足」にも視聴者からの批判が集中した(海外から中継が入る度に「これが○○と言うアーティストですか」「私は存じ上げませんが」を連発していた)。逸見は後に著書「マジメまして逸見です」の中で「長丁場の衛星中継で、しかも何時に誰が出演するか全く読めない状況だったため進行はある意味で命がけだった」と語っている。一方の南こうせつも、洋楽に対しては知識があるものの、「ビートルズ再結成」ばかりを気にしていた。「レコード・コレクターズ」で本作のDVDがリリースされた際に組まれた特集で逸見の挨拶からアメリカと日本の放送時間のズレを指摘した。「当時、本来の時間に爆発的な視聴率を誇っていた「オレたちひょうきん族」が放送されていた為、中止にさせたくないから時間をずらしたのだろう」と書いている。
テレビ放送は、当時新宿河田町に所在したフジテレビ社屋内のスタジオから主に放送を行った。ラジオ放送は有楽町のニッポン放送社屋(当時の糖業会館・初代本社)内にあるラジオハウス銀河と河田町のフジテレビのスタジオ内に設けたラジオ中継用の特設スタジオ(「テレビスタジオから最新の状況をお伝えします」と紹介されていた)、上記のスタジオアルタの特設スタジオの三元中継で放送を行った。フジテレビのスタジオ内には、中継用の巨大スクリーンが用意された他、電話で募金を受け付ける数十人のオペレーターの席も設けられていた。
当時は衛星中継の技術が発達していなかったことや、過去に例のなかった長時間の生放送ということもありハプニングが続出した。
なお、これはフジテレビに非があるわけではないが、深夜に募金申し込みの電話番号と一桁違いの電話番号を使っている病院の電話へ間違い電話が殺到し、司会の逸見が「大変迷惑しているそうなのでどうか電話番号はお間違いのないようお願い致します」と放送中呼びかけた。佐野元春は番組の進行やゲストのトークに嫌気が差し、途中で退席した。(ライヴ.エイドの奇跡より)
日本国内で電話受付や銀行受付(富士銀行・住友銀行・第一勧業銀行)で集められた募金は、すべてフジテレビ内にある「地球コンサート事務局」にまとめられ、そこからイギリスのバンド・エイド・トラストへ送られた。
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