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コモドアーズ (The Commodores) はアメリカのポップ、ファンクバンドである。 1970年代から1980年代にかけて活躍。1967年、タスキーギ大学の学生による2つのバンドのメンバーが合流して結成された[1]。1971年にジャクソン5のライブツアーのオープニングアクトを務めて注目され[1]、その後モータウンとの契約を得て、1974年にレコード・デビューした。
コモドアーズ | |
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基本情報 | |
出身地 | アメリカ合衆国アラバマ州タスキーギ |
ジャンル | ポップ、アダルト・コンテンポラリー、クワイエット・ストーム、ディスコ、ファンク |
活動期間 | 1967年 - |
レーベル |
モータウン ポリドール・レコード |
メンバー |
J.D.ニコラス ウイリアム・キング ウォルター・オレンジ |
旧メンバー |
ライオネル・リッチー トーマス・マクラリー ミラン・ウイリアムズ ロナルド・ラプリード |
グループ名は、ウィリアム・キングが辞書を開いてアットランダムに調べた結果、「コモドアーズ」に決まったとメンバーはピープル・マガジンに答えている[2]。 1974年のデビュー・アルバムは、全編ファンク/ダンス・ナンバーで固められていた。ファンキーなダンスナンバー「マシンガン/Machine Gun」[3]と「ザ・バンプ/The Bump」は、日本で小ヒットになった。
1975年にはファンク・ナンバー「スリッパリー・ウエン・ウェット」がアメリカでヒットしたが、早くもリッチーのポップ色が強くでた「スウィート・ラヴ」もヒット。77年にはファンク「ブリック・ハウス」とバラード「イージー」を発売した。1978年ごろには、バンドは元々のファンクスタイルを捨て、ますますより売れ筋のポップ・ミュージックに傾倒していった。
バンドはメンバーの入れ替わりが激しく、ライオネル・リッチーがソロ活動をメインに据え脱退すると、新しいボーカルに元ヒートウエーブのJ.D.ニコラスを迎え、ドラマーのウォルター・オレンジとのツインボーカル体制をとった。1984年にはリッチーに続いてマクラリーも脱退した。
1985年には「ナイトシフト/Nightshift」が全米3位となり、この曲でグラミー賞最優秀R&Bボーカル・パフォーマンス賞を受賞するが、これがグループ最後の全米トップ40ヒットとなった[4]。そして、1986年にはロナルド・ラプリード、1989年にはウィリアムズが脱退した。
1986年にはモータウン・レコードからポリドール・レコードへ移籍。同年、「ゴーイン・トゥ・ザ・バンク」をソウル・チャートでヒットさせた。以降、何枚かのアルバムやベスト盤をリリースしている。
1974年
1975年
1976年
1977年
1978年
1979年
1980年
1981年
1982年
1983年
1985年
1986年
1987年
1988年
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