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英国のミュージシャン ウィキペディアから
ゴードン・マシュー・トーマス・サムナー(Gordon Matthew Thomas Sumner, CBE、1951年10月2日 - )は、スティング(Sting)の名で知られるイングランド出身のミュージシャン、シンガーソングライター、俳優。ポリス結成以前のライブなどで、蜂を連想させる黄色と黒の縞の上着を愛用していたことからスティング(sting=「ちくりと刺す」の意味)と呼ばれるようになった[5]。
スティング CBE | |
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2018年4月にロイヤル・アルバート・ホールで開催されたクイーンバースデーパーティー | |
基本情報 | |
出生名 | ゴードン・マシュー・トーマス・サムナー |
生誕 |
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ジャンル | |
職業 | |
担当楽器 | |
活動期間 | 1974年 - |
レーベル | |
共同作業者 | ザ・ポリス |
公式サイト | Sting |
著名使用楽器 | |
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1977年にバンド「ポリス」を結成し、ベーシスト兼ボーカルとして活躍した。ポリス活動休止後はソロ・アーティストに転じ、グラミー賞など数々を受賞。俳優としても知られている。ポリス在籍期とソロ活動のアルバムの売り上げは一億枚を超えている。
妻は女優トゥルーディー・スタイラー、息子はフィクション・プレインのボーカル担当ジョー・サムナー、娘は歌手・俳優・モデルのエリオット・サムナー(デビュー時の名はアイ・ブレイム・ココ(I Blame Coco))[6]。
身長181cm。
ニューカッスルのカトリック系男子校、セント・キャスバート・グラマー・スクールを卒業後、ウォーリック大学に通っていたが卒業はしていない。なお実家は牛乳屋であり、兄が継いでいる。1971年から1974年の間、イングランド北部教員養成大学(現ノーザンブリア大学)に通い、卒業後はニューカッスル北部にあるセント・ポール小学校の美術教師として5歳から9歳までの児童を受け持った。「高校教師」という邦題の曲のために高校教師だったと誤解されることが多いが[要出典]、この歌は教育実習で15歳の生徒を担当した経験を元にしたものである(ただし、実体験を表したものではなく、彼によると、人気絶頂のロック・スターと若い女性ファンとの関係を暗喩として表したもの[7])。
ビートルズ[8][9]、キンクス[9]で音楽に興味を持ち、ボブ・ディラン[8]、セロニアス・モンク[8]、チャーリー・ミンガス[8]、マイルス・デイヴィス[9]、ジョン・コルトレーン[9]の影響を受けて育つ。教員養成大学在学時、毎夜地元のジャズ・セッションに参加した[9]。ニューカッスル・ビッグ・バンドにベーシストとして参加、1972年、スティングにとってはじめてのアルバム『Newcastle Big Band』をリリース[9]。1974年、ジャズ・フュージョン・バンド、ラスト・イグジットを結成、1976年にはロンドンで活動することを決めていたところ、彼のステージでのパフォーマンスを一目見ただけで「彼はただのジャズバンドのメンバーではない。彼こそがロック界のスーパースターになる男だ」と見抜いた[9]スチュワート・コープランドに誘われて[8]、ヘンリー(アンリ)・パドゥバーニと共にポリスを結成する[10][11]。その後、ストロンチウム90で一緒だったアンディー・サマーズが加わり4人編成となった[12][13]が、ヘンリーが脱退しトリオとなる。
1984年にバンドの活動が停止。
1985年、ソロ活動を本格的に開始。ジャズ・ミュージシャン(ケニー・カークランド、オマー・ハキム、ブランフォード・マルサリス他)を起用してアルバムを制作し、注目を浴びた。第一次スティング・バンドの練習など「バンドが生まれる時を記録した」模様はVHSビデオに収めて公開(「ブルー・タートルの夢〜 A Band Is Born」)されている。また、同年にはスティングがゲスト参加したマイルス・デイヴィスのアルバム『ユア・アンダー・アレスト』や、ダイアー・ストレイツの楽曲「マネー・フォー・ナッシング」も発表された。
日本のキリンビール「トゥギャザー」のCMソングを依頼され、「ウィル・ビー・トゥゲザー」を作曲し、CMにも出演した。
1994年には、宮崎シーガイアのCMに出演し、キャンペーンソング「Take Me to the sunshine」を提供し、また、別テイクのタワーホテルのCMでは「When we dance」を提供し、同施設のこけら落しライブも行っている。しかし、その後、来日時に受けた共同記者会見の席上で、宮崎シーガイアが地域の自然を破壊し問題視されているという主旨の質問を記者より受け、急遽、CMを降板するに至る。
1999年に発表した『ブラン・ニュー・デイ』は、第42回グラミー賞で最優秀ポップ・アルバム賞と最優秀男性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞の2部門を受賞[14]。
ベーシストとしても一流であり、ポリスのアンサンブルを語る上で欠かせないものである。アコースティックで培ったダイナミズムをエレクトリックに反映させた骨太の音で、時にはテクニカルにビートの隙間を縫うようなフレーズを歌いながら難なく弾きこなす。エレクトリックベースの奏法については、米国のセッションベーシスト、キャロル・ケイの教則本から多くの事柄を学んでおり、後年、彼女のサイトに「ベースが本来、なすべき以上のことを教えてくれた」と賛辞を送っている。スティングのベースプレイでは、古典的なソウルやラテンロックを踏まえつつ、レゲエ、ジャズのテイストがより大胆に取り入れられている。2005年にはベーシストとしてt.A.T.u.のセカンドアルバムにスポット参加している。また、ドラマーのヴィニー・カリウタなどとも共演している。
2002年に開催されたソルトレークシティ冬季オリンピックのオープニングでは、世界的チェリストのヨーヨー・マと Fragile を共演。911テロの直後でもあり、大勢に感動を与えた。
2000年代後半よりクラシック音楽へ傾倒した。2006年にはジョン・ダウランド作品を集めた『ラビリンス - Songs From The Labyrinth』を名門クラシックレーベルのドイツ・グラモフォンから発表し、クラシック界からも注目を浴びた。また、2009年にも、パーセルやシューベルトなどの作品を集めたクラシック・テイストの『ウィンターズ・ナイト If on a Winter's Night』を、2010年には、自身の曲を、クラシック・アレンジのもとオーケストラ伴奏でセルフ・カバーした『シンフォニシティ Symphonicities』を、いずれもグラモフォンから出した。
代表曲に「Every Breath You Take」(ポリス時代)、「Roxanne」(ポリス時代)、「Fields of Gold」、「Fragile」、「Englishman in New York」、「Shape of My Heart」(映画『レオン』主題歌)等がある。映画の主題歌や挿入歌に使用される事が多く、それらの一部を集めた、全17曲のアルバム「Sting at the Movies」(1997)がある。その後、同アルバムは、映画「阿修羅城の瞳」公開時に使用された「My Funny Valentine」を収録し、半分近くを差し替えた「My Funny Valentine at the Movies」(2005)へと更新されている。2018年に発表したシャギーとの共作『44/876』は、グラミー賞ベスト・レゲエ・アルバムを受賞。
2015年11月13日のパリ同時多発テロ事件から1年後の2016年11月12日、この事件で90人が亡くなったバタクラン劇場の再開のコンサートを行った。1,500席は半時間ほどで売り切れ、うち1,000席の売上は被害者団体に寄付された[15][16][17]。
2019年、ポール・マッカートニーから、スティングの楽曲「フィールズ・オブ・ゴールド」を『僕自身のハートを癒す曲であり、僕の人生そのものである』と、最大級のリスペクトを受けた。
1980年代から国際的な人権保護運動や、熱帯雨林の保護活動など、社会活動に熱心なミュージシャンの一人としても知られる。
1985年にはバンド・エイドに参加。1987年発表の『ナッシング・ライク・ザ・サン』収録の『孤独なダンス』(原題:They dance alone(Cueca Solo))では、当時のチリ・ピノチェト軍事独裁政権の人権抑圧を批判。反体制者として逮捕され行方不明となった配偶者・息子の解放を訴える女性たちが彼らの写真を身に着け、本来は男女で踊るクエカを一人で踊るさまを歌った。また、アムネスティー・インターナショナルを支持している。
さらに1987年には、妻トゥルーディー・スタイラー、ブラジル先住民カイヤポ族らとともにレインフォレスト・ファウンデーションを設立し、熱帯雨林保護活動を行っている。またイルカ漁を題材とした映画「ザ・コーヴ」の出演者リック・オバリーと親交があり、オバリーの活動を全面的にサポートしている。スティングは来日公演中にオバリー夫妻と再会、オバリーと同席にてインタビューも応じ、「リックが今後も積極的に活動を継続すること」と述べた。また、イルカ漁に対しては、「話し合いが必要」「引き続き、この問題が取り上げられていくことを見守っていきたい」と述べた[18]。
2022年3月5日、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、自身のインスタグラムで「Russians」を歌う姿を公開した[19]。同月25日、YouTubeで、ギター/チェロバージョンが配信された[19][20]。
年 | タイトル | アルバム詳細 | チャート最高位 | 認定 | |||||||||
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UK [21] |
AUS [22] |
AUT [23] |
FRA [24][25] |
GER [26] |
NLD [27] |
NOR [28] |
SWE [29] |
SWI [30] |
US [31] | ||||
1985 | 『ブルー・タートルの夢』 - The Dream of the Blue Turtles |
3 | 1 | 13 | 4 | 4 | 1 | 4 | 5 | 6 | 2 |
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1987 | 『ナッシング・ライク・ザ・サン』 - ...Nothing Like the Sun |
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1 | 3 | 3 | 3 | 4 | 3 | 2 | 7 | 3 | 9 | |
1991 | 『ソウル・ケージ』 - The Soul Cages |
|
1 | 3 | 3 | 7 | 1 | 1 | 2 | 4 | 1 | 2 | |
1993 | 『テン・サマナーズ・テイルズ』 - Ten Summoner's Tales |
|
2 | 9 | 1 | 2 | 2 | 5 | 3 | 10 | 3 | 2 | |
1996 | 『マーキュリー・フォーリング』 - Mercury Falling |
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4 | 14 | 1 | 35 | 2 | 3 | 4 | 2 | 1 | 5 | |
1999 | 『ブラン・ニュー・デイ』 - Brand New Day |
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5 | 21 | 1 | 3 | 1 | 7 | 1 | 4 | 2 | 9 | |
2003 | 『セイクレッド・ラヴ』 - Sacred Love |
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3 | 13 | 2 | 5 | 2 | 3 | 3 | 3 | 1 | 3 | |
2006 | 『ラビリンス』 - Songs from the Labyrinth |
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24 | — | 40 | 20 | 11 | 39 | — | 30 | 31 | 25 |
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2009 | 『ウィンターズ・ナイト』 - If on a Winter's Night... |
|
15 | 58 | 12 | 8 | 5 | 10 | 18 | 12 | 13 | 6 | |
2010 | 『シンフォニシティ』 - Symphonicities |
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30 | 25 | 19 | 10 | 7 | 22 | — | 30 | 15 | 6 | |
2013 | 『ザ・ラスト・シップ』 - The Last Ship |
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14 | 39 | 8 | 10 | 3 | 6 | 3 | 12 | 9 | 13 | |
2016 | 『ニューヨーク9番街57丁目』 - 57th & 9th |
|
15 | 9 | 6 | 5 | 3 | 7 | — | 6 | 3 | 9 | |
2019 | 『マイ・ソングス』 - My Songs |
|
27 | 9 | 7 | 2 | 4 | 39 | — | — | 5 | 145 |
|
2021 | 『ザ・ブリッジ』 - The Bridge |
|
27 | — | 7 | 14 | 5 | 27 | — | — | 5 | 101 | |
"—"は未発売またはチャート圏外を意味する。 |
等
俳優として
声優、ナレーターとして
本人として
(※スティング以外のメンバーの作曲は除く)
この節はその主題が日本に置かれた記述になっており、世界的観点から説明されていない可能性があります。 (2022年12月) |
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