マシュー・スピラノビッチ

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マシュー・スピラノビッチ

マシュー・トーマス・シュピラノヴィッチMatthew Thomas Špiranović, 1988年6月27日 - )は、オーストラリアビクトリア州ジーロング出身の元オーストラリア代表の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー

概要 マシュー・シュピラノヴィッチ, 名前 ...
マシュー・シュピラノヴィッチ
Thumb
名前
本名 マシュー・トーマス・シュピラノヴィッチ
Matthew Thomas Špiranović
愛称 マット、スピラ
ラテン文字 Matthew Špiranović
基本情報
国籍 オーストラリア
クロアチア
生年月日 (1988-06-27) 1988年6月27日(36歳)
出身地 ジーロング
身長 188cm
体重 87kg
選手情報
ポジション DF (CB)
利き足 右足
ユース
North Geelong Warriors FC
Keilor Park SC
メルボルン・ナイツFC
2004-2005 ビクトリア州立スポーツ研究所
2005 メルボルン・ビクトリーFC
2006 オーストラリア国立スポーツ研究所
2007 1.FCニュルンベルク
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004 North Geelong Warriors FC
2005 メルボルン・ビクトリー 0 (0)
2006-2011 ニュルンベルク 24 (0)
2009 ニュルンベルクII 13 (2)
2010 浦和レッズ (loan) 13 (1)
2011-2012 浦和レッズ 25 (0)
2012-2013 アル・アラビ 13 (2)
2013-2015 ウェスタン・シドニー・W 31 (1)
2015-2017 杭州緑城 49 (1)
2018-2019 パース・グローリー 15 (0)
2021-2023 メルボルン・ビクトリー 17 (0)
通算 200 (7)
代表歴
2004-2005  オーストラリア U-17 17 (1)
2006  オーストラリア U-20 14 (0)
2007-2008  オーストラリア U-23 8 (0)
2008-2019 オーストラリア 36 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
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クロアチア系オーストラリア人で、浦和レッドダイヤモンズ初のアジア枠の適用選手となった[1]

経歴

要約
視点

クラブ

オーストラリアのスポーツエリートを養成するAISフットボール (en:Australian Institute of Sport Football Program) を経て、2006年ドイツブンデスリーガ1.FCニュルンベルクへ移籍した。2007年1月30日ボルシア・メンヒェングラートバッハ戦でマイケル・ビューチャンプと交代しデビューを飾る。2007年2月2日バイエルン・ミュンヘン戦では腓返りによりハーフタイムでの交代を余儀なくされるが、ドイツフットボール界の巨人であるバイエルンとの一戦で見せたパフォーマンスは多くのサポーターに感銘を与えた。VfLヴォルフスブルクシャルケ04戦ではフル出場を果たし、それらの試合で相手の中心選手を完全に封じ込めたことで「猛犬」と呼ばれるようになる。また当時は元名古屋グランパスジョシュア・ケネディとチームメイトであった。 06-07シーズンのドイツカップ戦決勝でも後半27分から出場したスピラノビッチはチームの優勝に貢献した。しかし、リーグ戦では16位に終わり、降格が決定する。2008年11月には長期間に渡ったハムストリングの怪我から回復するも、足首の腱を断裂し08-09シーズンは8試合の出場に留まる。それにもかかわらず2009年1月にはフラムFCのトップがスピラノビッチに100万ポンドのオファーを出すが実現しなかった。2009年11月17日スピラノビッチは怪我により非常に多くの試合を失ったため、貴重な出場機会を得るべきだと考えたニュルンベルクのGMにより2010年1月から他のクラブへレンタル移籍されることが報道された。

2010年1月7日浦和レッドダイヤモンズレンタル移籍で加入する事が発表された[2]。背番号は「4」[3]

チーム合流後はキャンプ中から細かい故障を繰り返していた影響でシーズン開幕から中々試合に出られなかったが、2010年3月31日に行われたナビスコカップ予選リーグ第1節、対ジュビロ磐田戦で先発出場し初出場を記録。その後も山田暢久坪井慶介のセンターバックのコンビが機能していたこともあり、リーグ戦ではベンチスタートの日々が続いたが2010年5月15日に行われたJ1第12節、対ベガルタ仙台戦でリーグ戦初先発を果たし、これ以降は南アフリカW杯によるリーグ中断中に行われたナビスコカップ予選リーグの試合、中断が空けて再開されたリーグ戦でも殆どの試合に先発出場した。2010年8月21日に行われたJ1第20節、対湘南ベルマーレ戦で来日初ゴールを記録。この後もコンスタントに出場を続け浦和の守備の安定に貢献していたが、2010年9月25日に行われたJ1第24節、対アルビレックス新潟戦の前半15分に左大腿部を痛め負傷退場。後日行われた検査の結果、左ハムストリングの腱損傷で全治8週間と診断され[4]、再度離脱する事となってしまった。その後、リハビリを経て2010年12月6日に行われたJ1第34節、対ヴィッセル神戸戦で出場はなかったものの、約2か月ぶりにベンチ入りを果たした。しかし、浦和の2010年シーズン最後の公式戦となった2010年12月25日天皇杯準々決勝、ガンバ大阪戦は風邪を引いてしまったためベンチに入ることが出来なかった。

2010年12月9日1.FCニュルンベルクからの期限付き移籍満了に伴い、浦和への完全移籍で1年間の契約を更新がされたことが発表され、引き続き浦和でプレーすることが決定した[5]

2011年は大きな怪我も無く、シーズン開幕からコンスタントに出場を続けたが、監督が堀孝史へ交代した後は濱田水輝坪井慶介の後塵を拝することとなり、ベンチを暖める試合が多くなった。

2012年シーズンは出場機会に恵まれず、ナビスコカップで2試合出場したのみに留まり、7月10日カタールリーグアル・アラビ・ドーハへ完全移籍することが浦和、アル・アラビ双方の公式ホームページにて発表された。[6][7]

2013年10月1日ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCへ完全移籍[8]

2015年7月16日、中国の杭州緑城へ完全移籍した。

2018年6月22日、パース・グローリーFCへ移籍した[9]

2021年7月、メルボルン・ビクトリーFCに復帰した。2023年1月21日のパース・グローリーFC戦を最後に現役を引退した。

代表

各年代の代表経験も豊富で2005年U-17オーストラリア代表としてFIFA U-17ワールドカップに出場、2006年にはニュルンベルクへ入団する前にAFCユース選手権2006へ出場し、準々決勝で韓国に敗れるまでプレーした。またその時の活躍によりクロアチアサッカー協会から注目される。ユース年代ではオーストラリア、イングランド、クロアチアのどの代表にも選ばれる資格があったが2007年4月4日、オーストラリア代表を目指すことを発表した。2008年8月にはU-23オーストラリア代表として北京オリンピックへ出場し、また、A代表でも2008年5月23日ガーナ代表との親善試合で国際Aマッチ初出場を果たしているが、前述のように故障を繰り返して試合から離れていた時期があったため、2010 FIFAワールドカップのオーストラリア代表メンバー入りは果たせなかった。

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
2006-07ニュルンベルク23ブンデス1部80-20100
2007-0870-0070
2008-09ブンデス2部80-1090
2009-10ブンデス1部10-0010
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2010浦和4J11315000181
20112503000280
201200200020
カタール リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2012-13アル・アラビ2QSL1320000132
オーストラリア リーグ戦 リーグ杯FFA杯 期間通算
2013-14ウェスタン・シドニー13Aリーグ181--181
2014-15130-00130
中国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2015杭州緑城34超級91--0090
201613170--00170
通算ドイツブンデス1部 160-20180
ドイツブンデス2部 80-1090
日本J1 38110000481
カタールQSL 1320000132
オーストラリアAリーグ 311--00311
中国超級 261--00261
総通算 1355100301485
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その他の公式戦

  • 2014年
    • Aリーグ ファイナルシリーズ 2試合1得点
さらに見る 国際大会個人成績, FIFA ...
国際大会個人成績FIFA期間通算
年度クラブ背番号出場得点出場得点出場得点出場得点
UEFAUEFA CLUEFA ELCWC期間通算
2007-08ニュルンベルク23-10-10
AFCAFC CLAFC CUPCWC期間通算
2014ウェスタン・シドニー1370-1080
201510--10
通算UEFA 00100010
AFC 80001090
総通算 801010100
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代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 26試合(2008年-2019年)[10]
さらに見る オーストラリア代表, 国際Aマッチ ...
オーストラリア代表国際Aマッチ
出場得点
200820
200920
201010
201170
201240
201300
201450
201590
201640
201710
201910
通算360
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タイトル

1.FCニュルンベルク
ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFC
パース・グローリーFC
  • Aリーグレギュラーシーズン:1回(2018-19)
メルボルン・ビクトリーFC
オーストラリア代表

脚注

関連項目

外部リンク

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