パリ の16区 (16く、仏 : 16e arrondissement de Paris )は、フランス の首都 ・パリ市を構成する20の行政区 のひとつである[1] 。第16区、パリ16区ともいう。市の西部に位置しており、ブローニュの森 を含む。南北に蛇行するセーヌ川 に挟まれた区域であり、区の東西でセーヌ川に接している。
パリ・16区の位置
パリ・16区の位置
パリ の16区は、市の西部にある行政区 。「パッシー区 (Arrondissement de Passy )」と呼ばれることもある[2] 。セーヌ川 が南北に蛇行する区域にあり、区の東西はセーヌ川に面している。ペリフェリック (パリ環状道路)が区の中央部を縦断しており、その西側がブローニュの森 となっている。20区のうちでは12区 に次いで2番目に大きい。人口は、161,773人 (1999年。人口の推移等詳細については後述 )。区の名称は、市の中央部から時計回り に螺旋 を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその16番目にあたることから「16区」と名づけられた。
セーヌ川を挟んでエッフェル塔 の対岸にあたる16区北側地域一帯は「パッシー (PASSY )」と呼ばれ[3] 、“貴族街”と呼ばれるアンヴァリッド 地区あるいはフォーブール・サンジェルマン 界隈(7区 )と並び旧貴族や富裕層が住む高級住宅街 として有名である[4] 。
メトロ パッシー駅, ビラケム橋
16区の主要な施設としては、シャイヨ宮 、トロカデロ・11月11日広場(トロカデロ広場 )、パリ市立近代美術館 、パルク・デ・プランス などのほか、8区 、17区 との境界にエトワール凱旋門 がある。また、ブローニュの森 には、バガテル庭園 、ダクリマタシオン遊園地 、パリロンシャン競馬場 、スタッド・ローラン・ギャロス などがある。
なお、セーヌ川に沿った地域のうち、イエナ橋 より上流は「パリのセーヌ河岸 」として世界遺産 に登録されている。
人口
16区の人口は、1962年に227,418人となり、ピークに達した。しかし、その後は減少を続け、1999年にはピーク時の7割程度の161,773人となった。2005年の推計では146,900人と見積もられており、人口の更なる減少が見込まれている。
また、人口の減少とともに人口密度も減り続けており、1999年の人口密度(区の面積からブローニュの森 を除いて算出)は、ピーク時の7割程度の20,619人となっている。人口の推移の詳細は、次のとおりである。
さらに見る 年, 区人口 ...
年 区人口 市人口 区人口/市人口 区人口密度 市人口密度 備考
1872年
43,332 1,851,792 2.34% 5,523 21,303
1954年
214,042 2,850,189 7.51% 27,280 32,788
1962年
227,418 2,790,091 8.15% 28,985 32,097 人口がピークに達する。
1968年
214,120 2,590,771 8.26% 27,290 29,804
1975年
193,590 2,299,830 8.42% 24,674 26,457
1982年
179,446 2,176,243 8.25% 22,871 25,035
1990年
169,863 2,152,423 7.89% 21,650 24,761
1999年
161,773 2,125,246 7.61% 20,619 24,449
2005年
146,900 2,166,200 6.78% 18,723 24,920 人口は推計。
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OECD本部(旧ラ・ミュエット宮殿), 2019年
経済協力開発機構本部 (OECD本部, 仏 : Organisation de Coopération et de Développement Économiques (OCDE) )
国際商業会議所 (Chambre de commerce internationale )
パレ・イエナ (パレ・ディエナ, 仏 : Palais d'Iéna ) 内に置かれている国際通商組織。
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16区内には各国大使館 等が多く所在する。モナコ 、トルコ 、ロシア 、ボリビア 、旧仏領アフリカ諸国 など90ヶ国以上の駐仏大使館が16区内にあり、フランス 駐在大使館の約4割が集中する。
旧ブーランヴィリエ城(fr 、現ラジオ・フランス)。または "パッシー城"
主な店舗・商業施設
パッシー・プラザ(Passy Plaza )
フランク・エ・フィス(Franck et Fils )
パッシー通り80番地にあったプチ高級百貨店だったが2016年7月閉店。跡には、7区 セーヴル通り (Rue de Sèvres ) 38番地にあり、ボン・マルシェ百貨店 隣り、かつ同系列の高級食品店ないしスーパーの「ラ・グランド・エピスリー・ド・パリ (La Grande Epicerie de Paris )」2号店が2017年秋にオープン。
ベル=フイユ・ショッピングセンター(Centre Commercial des Belles Feuilles )
メクシコ広場からブローニュの森まで640mあるポルト=ドーフィーヌ地区ベル=フイユ通り(Rue des Belles-Feuilles )沿い、16番地界隈にあるショッピングセンター。
セリーヌ (Celine )
エトワール凱旋門 至近ヴィクトル・ユーゴー大通り (Avenue Victor Hugo ) 3番地にある。他の路面店ないし旗艦店 は、8区 モンテーニュ大通り (Avenue Montaigne ) 53番地、高級ブランド店が集積するサン=ジェルマン=デ=プレ 界隈7区グルネル通り (Rue de Grenelle ) 16番地等にある。
バカラ ・メゾン・パリ(Baccarat )
2003年に開館したクリスタルガラス のバカラのブティックや美術館。エトワール凱旋門 から凡そ500m南側、イエナ大通り沿い合衆国広場 (エタ=ジュニ広場, Place des Étas-Unis ) 11番地にある。ブティックの他、レストラン&バー (クリスタルルーム・バカラ・パリ)、バカラ美術館 (ギャルリー=ミュゼ・バカラ) がある。建物自体は、芸術関連のメセナ や、建築上「ノアイユ子爵夫妻邸 (ヴィラ ・ノアイユ)」で知られるシャルル・ド・ノアイユ (fr )の妻マリ=ロール・ド・ノアイユ (fr ) が社交 や居住に用いた館であった。その他、8区フォーブール=サントノレ通りや百貨店等に店舗がある。
保健・医療
サント=ペリーヌ病院 (Hôpital Sainte-Périne )
大学等
パリ第9大学 (パリ・ドーフィーヌ) (Université Paris IX (Paris Dauphine) )
高等学校
※ 以下、区内の主なリセ をピックアップ。
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美術館・博物館
海洋博物館 (Musée National de la Marine ) - シャイヨ宮 内にある。
ガリエラ美術館 (Musée Galliera ) - 正式名称は、パリ市立モードと衣装の美術館。ガリエラ宮と呼ばれる。
贋造博物館 (Musée de la Contrefaçon )
ギメ東洋美術館 (ギメ美術館) (Musée National des Arts Asiatiques-Guimet (Musée Guimet) )
クレマンソー博物館 (Musée Clémenceau ) - 元首相ジョルジュ・クレマンソー が、1895年からその死まで居住した建物と庭が当時のまま保存してある。ベンジャマン=フランクラン通り8番地にあり、メトロ のパッシー駅とトロカデロ駅 が最寄り駅。
国立民俗民芸博物館 (Musée National des Arts et Traditions Populaires ) - ブローニュの森 北部にある。
人類博物館 (Musée de l'Homme ) - シャイヨ宮内にある。
ダッペール美術館 (Musée Dapper ) - セネガル などのアフリカ関係の美術館。
テニス博物館 (Tenniseum ) - あるいは、テニス博物館 (Musée du Tennis), ローラン=ギャロス博物館 (Musée de Roland-Garros)。
バカラ美術館 (Musée Baccarat ) - メゾン やレストラン&バー等と共に、イエナ大通り界隈合衆国広場にあるバカラ の複合施設内にある美術館 (ギャルリー=ミュゼ・バカラ)。建物自体は、芸術関連のメセナ や、建築上「ノアイユ子爵夫妻邸 (ヴィラ ・ノアイユ )」で知られるシャルル・ド・ノアイユ (fr )の妻マリ=ロール・ド・ノアイユ (fr ) が社交や居住に用いた館であった。
パリ市立近代美術館 (Musée d'Art Moderne de la Ville de Paris ) - パレ・ド・トーキョー 内にある。
バルザック記念館 (Maison de Balzac ) - バルザック の旧宅を記念館として使用している。メトロのパッシー駅、トロカデロ駅等が最寄り駅。
マルモッタン美術館 (Musée Marmottan )
ラジオ・フランス博物館 (Musée de Radio France ) - メゾン・ド・ラジオ・フランス 内にある博物館 。
ワイン博物館 (Musée du Vin )
ルイ・ヴィトン美術館 (Foundation Louis Vuitton ) - ブローニュの森北東部に位置する。
ピエール・ベルジェ=イブ・ サンローラン財団 (Fondation Pierre Bergé - Yves Saint Laurent ) - 8区 至近マルソー大通り (Avenue Marceau ) 5番地にあるイヴ・サン=ローラン のオートクチュール 専用メゾン (店舗)だった。2002年に公施設法人 の財団となり、2017年10月に同マルソーとマラケシュ に美術館が開館。
動物園・水族館
シネアクア (CinéAqua ) – トロカデロ庭園内にある水族館 。
映画館・劇場
シャイヨ劇場 (Théâtre National de Chaillot ) - シャイヨ宮 内にある。
マジェスティック・パッシー (Majestic Passy ) - パッシー通りにある映画館。
ロンシャン の淑女 たち (Mesdames à Longchamp) , 1908年
教会・寺院
ノートル=ダム=ド=グラス・ド・パッシー教会
ノートル=ダム=ドートゥイユ教会
ノートル=ダム=ド=グラス・ド・パッシー教会 (Notre-Dame-de-Grâce de Passy )
ノートル=ダム・ド・ラソンプション・ド・パッシー教会 (Notre-Dame de l'Assomption de Passy )
サントノレ・デイロー教会 (Saint-Honoré d’Eylau )
サン=ピエール=ド=シャイヨ教会 (Église Saint-Pierre-de-Chaillot )
サン=フランソワ=ド=モリトール教会 (Église Saint-François-de-Molitor )
ノートル=ダム=ドートゥイユ教会 (Notre-Dame-d'Auteuil )
由来は11世紀からで、二回再築され14世紀と、二度目は1877 - 1892年にかけて、エミール・ヴォードルメール によりロマノ ・ビザンチン建築 により建造された。ドートゥイユの丘 (Colline d'Auteuil) 上、ドートゥイユ教会広場 (fr ) にある。
サント=ジャンヌ・ド・シャンタル教会 (Sainte-Jeanne de Chantal )
エッフェル塔 からトロカデロ庭園及びシャイヨ宮の眺め
公園・緑地等
サント=ペリーヌ庭園 (Jardin Sainte-Périnne )
オートゥイユ温室庭園 (Jardin des Serres d'Auteuil )
シェイクスピア庭園 (Jardin Shakespeare )
トロカデロ庭園 (Jardin du Trocadéro )
バガテル庭園 (Jardin de Bagatelle )
ポエット庭園 (詩人の庭園) (Jardin des Poètes )
ラヌラグ庭園 (Jardin du Ranelagh )
名所・娯楽
アクリマタシオン庭園 (ジャルダン・ダクリマタシオン、Jardin d'Acclimatation )
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高速道路・有料道路
ペリフェリック (パリ環状道路) (Boulevard Périphérique )
ポルト・ド・サン=クル - ポルト・モリトール - ポルト・ドートゥイユ - ポルト・ド・パッシー - ポルト・ド・ラ・ミュエット - ポルト・ドーフィーヌ - ポルト・マイヨ
道路
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アミラル=ブリュイ大通り (Boulevard de l'Amiral-Bruix )
アンリ=マルタン大通り (Avenue Henri-Martin )
シャイヨー宮 前トロカデロ 広場より走るジョルジュ=マンデル大通りから接続する、ラ・ミュエット地区とポルト=ドーフィーヌ地区との境界を走る通り。元はジョルジュ=マンデルやプレジダン=ウィルソンとひと続きの道路 "皇帝(陛下)大通り" (Avenue de l’Empereur) として、第二帝政 期パリ改造 で整備された。ナポレオン3世 追放後、トロカデロ大通り (Avenue du Trocadéro ) と改称、1885年アンリ=マルタン(歴史家, 上院議員やパリ16区長歴任, fr )と再改称した。そのうち第一次世界大戦 後の1918年、現在のプレジダン=ウィルソンがアンリ=マルタンから分かれ、さらに1941年、アンリ=マルタンはジャン=シアップ (高級官僚, パリ市長やパリ警視総監歴任, fr ) と改められた。第二次世界大戦 後の1945年、アンリ=マルタンに戻り、また現在のジョルジュ=マンデルとに分割された。
イエナ大通り (Avenue d'Iéna )
プレジダン=ウィルソン大通り (Avenue du Président-Wilson )
シャイヨ宮前トロカデロ広場から、同宮東側(北側)のイエナ広場 (Place d'Iéna ) に接続し、区内東側8区 アルマ広場まで続く1キロ無い通り。上記のように元は皇帝大通りの一部であった。
エグゼルマン大通り (Boulevard Exelmans )
エロー大通り (Avenue d'Eylau )
シャイヨ宮前トロカデロ広場とメクシコ広場とを結ぶ通り。メクシコ広場から先は、下記ブジョー大通りまで接続するベル=フイユ通り (fr ) になるが、同広場界隈から同通り沿いには寿司屋からピカール 、マクドナルド、各種食材店、MOF のブーランジュリー ラロス (LALOS) の店舗、スーパーマーケットチェーンのモノプリ (Monoprix) 、ベル=フイユ・ショッピングセンター (Centre Commercial des Belles Feuilles) 等が連なる。同ショッピングセンター内にはセフォラ からリモワ 、ワイン専門チェーンのニコラ (Nicolas)、スーパーのカジノ (Casino)、東京品川駅 や新宿駅 等でも展開するブーランジュリーチェーンのポール (Paul [10] ) 等が入居する。名称はナポレオン戦争期の「アイラウの戦い 」から。
オートゥイユ大通り (Boulevard d'Auteuil )
オートゥイユ通り (Rue d'Auteuil )
グランダルメ大通り (Avenue de la Grande-Armée )
クレベール大通り (Avenue Kléber )
ケ・サンテグジュペリ通り (サンテグジュペリ河岸通り, Quai Saint-Exupéry )
プレジダン=ケネディ大通り (Avenue du Président-Kennedy )
南側オートゥイユ方面へはヴェルサイユ大通り、北側シャイヨー方面へはニューヨーク大通りへとそれぞれ接続する、セーヌ川沿い界隈を走る通り。
ケ・ルイ=ブレリオ通り (ルイ=ブレリオ河岸通り, Quai Louis-Blériot )
コペルニク通り (Rue Copernic )
ヴィクトル=ユーゴー広場とクルベール大通りとの間、シャイヨ地区を走る通り。ベネズエラやレバノン各大使館、兵士俘虜全国連盟 (fr )、パッシー貯水池 (fr ) などがある。1980年10月3日、コペルニク通り爆弾テロ事件 (fr ) が、同通り24番地のユダヤ教改革派 のシナゴーグ (Union libérale israélite de France) のシムハット・トーラーの祭日(トーラー歓喜祭, fr )に起きた。ナチス占領期 1941年同月同日にも急襲されたのに続き、1980年時は第二次大戦後では初めてのユダヤ人 へのテロだった。名称はニコラウス・コペルニクス から。
シェルノヴィズ通り (Rue Chernoviz )
旧公立パッシー通り小学校 (École primaire rue de Passy, 現在はパッシー通り幼稚園 École maternelle rue de Passy) 裏手にある短い通り。同様に公立のシェルノヴィズ幼稚園・小学校 (École Chernoviz) があるのみ。通り先レヌアール通り方向は、ランバル公妃 の館だった駐仏トルコ 大使館やメゾン・ド・バルザック 、セーヌ川になる。
シャルドン=ラガシュ通り (Rue Chardon-Lagache )
オートゥイユ地区を走る通り。リセ ・ジャン=バティスト=セ (fr )、シャルドン=ラガシュ幼稚園 (École maternelle Chardon-Lagache)などの公立校、2つの病院、41番地にギマール 作ジャスデ館 (hôtel Jassedé) が建つ。
ジョルジュ=ポンピドゥー道路 (Voie Georges-Pompidou )
ジョルジュ=マンデル大通り (Avenue Georges-Mandel )
通り中央分離帯は駐車スペースになっている、シャイヨー宮前トロカデロ界隈からアンリ=マルタン大通りに接続する、ラ・ミュエット地区とポルト=ドーフィーヌ地区との間を走る通り。上記アンリ=マルタンやプレジダン=ウィルソンと共に皇帝大通りとして整備された。第二次世界大戦後の1945年、アンリ=マルタンの一部から、現在のジョルジュ=マンデルに分割された。
スーシェ大通り (Boulevard Suchet )
テオフィル=ゴーティエ大通り (Avenue Théophile-Gautier )
ドレセール大通り (Boulevard Delessert )
シャイヨ宮南側(東側)にあるイエナ橋経由トロカデロ庭園内の東西を走るナシオン・ユニ大通りと、西側(南側)コスタリカ広場とを結ぶ。同東側(北側)イエナ広場とを結ぶのはイエナ大通り。メトロ パッシー駅 入り口になるコスタリカ広場に接続する他の通りは、下記パッシー通り、レヌアール通り、西側ブローニュの森 方面でアンリ=マルタン大通りと接続するトゥール通り。
ニューヨーク大通り (Avenue de New-York )
パッシー通り (Rue de Passy )
メトロ パッシー駅の入り口になるシャイヨ宮西側(南側)のコスタリカ広場から西側へ伸びる。シャイヨ宮前トロカデロ広場からパッシー通りの北側を並走するポール=ドゥメール大通りや、セーヌ河岸ラジオ・フランス から北側へ伸びるブーランヴィリエ通り乃至ポンプ通り、ポール=ドゥメール大通り乃至ラ・ミュエット通り(fr )等が交差するメトロ ラ・ミュエット駅 界隈ジャンヌ=エヴラール広場 (fr ) 周辺まで続く。ブティック から食材店、レジ (REGIS) といったショコラトリー、いくつかの和食 店、スタバ ・・まで立ち並ぶ高級住宅街にある生活感溢れる通り。ファッションブランド では、GAP やH&M 、ザディグ・エ・ヴォルテール (Zadig & Voltaire)、ラコステ ファム (Lacoste Femme)、アニエス・ベー 、レディースプレタポルテのマージュ (Maje)、エル・ガンソ (El Ganso)、子供服のオカイディー (Okaïdi)、H&M 系列のハイブランドコス (COS)、コスメのブランディ・メルビル (Brandy Melville) やキコ・ミラノ (Kiko Milano) などがある。裏通りラノンシアション通り (Rue de l'Annonciation ) 沿いにはルイ15世様式(ロココ様式 )など18世紀建物が連なり、また同通り起点のパッシー広場から、カフェやマクドナルド、パティスリーのオ・メルヴェイユ・ドゥ・フレッド (Aux Merveilleux de Fred)[12] 、2017年開店のインテリアメゾン サラ・ラヴォワンヌ (Maison Sarah Lavoine )、和食店Sazanka、ノートルダム・ド・グラス教会 (fr ) ・・などがあり、16区内では最も店舗が多い界隈になる[13] 。旧パッシー通り小 (École primaire rue de Passy, 現在はパッシー通り幼) 向かいには映画館マジェスティック・パッシー (Majestic Passy ) があり、同映画館隣やパッシー・プラザ (Passy Plaza)にあったスーパーマーケット「イノ (Inno)」が同グループの「モノプリ (Monoprix )」に代わった。同様に旧パッシー通り小向かい側にはルイ15世 愛人アンヌ・クーピエ・ドゥ・ロマン (fr ) の館があったが、1890年に取り壊されクロード=シャウ通り(Rue Claude-Chahu ) が開通、同通り沿いにアール・ヌーヴォー のシャルドン館 (fr ) が建つ。裏通りボワ=ル=ヴァン通り (Rue Bois-Le-Vent ) には「パッシー (屋内常設) 市場 (Marché (couvert) de Passy)」がある。
パルク=デ=プランス大通り (Avenue du Parc-des-Princes )
ピエール=プルミエ=ド=セルビー大通り (Avenue Pierre-Ier-de-Serbie )
ヴィクトル=ユーゴー大通り (Avenue Victor-Hugo )
124番地(旧50番地)の旧リュジニャン公妃 館はヴィクトル・ユーゴー が1878年から亡くなる1885年まで愛人ジュリエット・ドルエ と居住した地。建物自体は1907年に取り壊された。また、トラクティル通り (fr ) との角の16番地は、かつてのフランス料理人アルフレッド・プルニエ (Alfred Prunier , 1848-1925) のレストランがある地。シャルル・ド・ゴール広場(エトワール凱旋門)からブローニュの森入り口のポルト・ド・ラ・ミュエット界隈アンリ=マルタン大通りまでを結ぶ通り。凱旋門傍のセリーヌ からZARA 、オーガニックコスメのイヴ・ロシェ(ール) (Yves Rocher)、マージュ、イザベル・マラン (Isabel Marant [14] )、レストランやカフェ、スタバ 、パッシー通りにもある回転寿司チェーンのマツリ (Matsuri)・・などが並ぶ通り。
ヴェルサイユ大通り (Avenue de Versailles )
フェルディナン=ビュイソン大通り (Avenue Ferdinand-Buisson )
フォッシュ大通り (Avenue Foch )
ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ通り (Rue Jean de La Fontaine )
パッシーのレヌアール通りから続き、オートゥイユ方面を走り、オートゥイユ通りやミケランジュ通り等に接続する。略して「ラ・フォンテーヌ通り」。ギマール 作アールヌーヴォー 様式のモダンアパルトマン(イムーブル)「カステル・ベランジェ 」や「オテル・メザラ 」等がある。同通りからアガール通り (fr ) 界隈にかけてアール・ヌーヴォー様式の建物が並ぶ。
ブジョー大通り (Avenue Bugeaud )
ヴィクトル=ユーゴー広場とポルト=ドーフィヌないしフォッシュ大通りとの間を走るポルト=ドーフィヌ地区の通り。公立サン=フランソワ幼・小 (École maternelle et primaire Saint-François)、ニカラグア大使館、ホテル サン・ジャム・パリ (Saint James Paris [16] などがある。名称はトマ・ロベール・ブジョー 元帥から。
バンジャマン=フランクラン通り (Rue Benjamin-Franklin )
シャイヨ宮前トロカデロ広場と、同宮西側(南側)のコスタリカ広場とを結ぶ短い通り。上記プレジダン=ウィルソン大通りと対の通り。
ボーセジュール大通り (Boulevard de Beauséjour )
ポール=ドゥメール大通り (Avenue Paul-Doumer )
シャイヨ宮前トロカデロ広場から、上記パッシー通りの北側を東西に並走する。通り西側メトロ ラ・ミュエット駅界隈ジャンヌ=エヴラール広場で、ラ・ミュエット通りに接続し、パッシー通りやブーランヴィリエ通り、同ブーランヴィリエから名を変えた下記ポンプ通りと交差する。ポンプ通りは、そのまま区内を縦断し、エトワール凱旋門から伸びるヴィクトル=ユーゴー大通り、同様に同凱旋門から伸びるフォッシュ大通りと交差する。また、パッシー通り北側、トゥール通りとの交差点界隈ポール=ドゥメール大通り58番地にピエール・エルメ の店舗がある。
ポルト=ドートゥイユ大通り (Avenue de la Porte-d'Auteuil )
ポンプ通り (Rue de la Pompe )
ラ・ミュエット城への水の供給路だったことに因む。セーヌ河岸にあるラジオ・フランスから伸びるブーランヴィリエ通りがパッシー通りやポール=ドゥメール大通り乃至ラ・ミュエット通り等が交差するメトロ ラ・ミュエット駅界隈ジャンヌ=エヴラール広場でポンプ通りと名を変える。通り沿いには、25番地にファサード が歴史的記念物 指定1911年築, 居住建物フルーリスト・オレーヴ (fleuriste Orève) があり、現在はフィリップ・スタルク デザインによるレストラン等になっている[17] 。ジスカール・デスタン 元大統領が小学校課程で通った私立エコール ・ジェルソン (fr )、マダム・ロワイヤル 設立カトリックの幼・小私立エコール・ド・ラ・プロヴィダンス (École de La Providence-Passy)、名門公立リセ ・ジャンソン=ド=サイイ (fr )、123番地の私立バイリンガル国際小学校 (École primaire du internationale bilingue) ・・等がある。10番地には1910-1924年の間に作曲家アルフレッド・ブリュノー 、83番地には19-20世紀の女優キャロリーヌ=ウジェニー・スゴン=ウェベー (fr )、89番地には1913-1931年の間に作家フランソワ・モーリアック [18] が、子供時分の女優ブリジット・バルドー [19] 、さらに経済思想家ジャック・アタリ [20] らが居住した。また、1857年にはヴィルジニア・オルドイーニ がナポレオン3世により通り沿いの小さな家を購入した。115番地にはジョゼフ・ジョフル 、1919年から作家イレーヌ・ネミロフスキー [21] が居住した。通りを進むと、エトワール凱旋門からそれぞれ伸びるヴィクトル=ユーゴー、フォッシュ大通りと交差する、区内東側(北側)一帯にあたる"パッシー"を縦断する全長1.69kmと16区内で最も長い通り。
マラコフ大通り (Avenue de Malakoff )
カフェ・ル・マラコフ (Café Le Malakoff) があるシャイヨ宮前トロカデロ広場から北西へ、ヴィクトル=ユーゴー広場経由で走るレーモン=ポアンカレ大通りがフォッシュ大通りとの交差点からマラコフと名を変え、さらに区内北西へ続く通り。フォッシュ同様エトワール凱旋門から伸びるグランダルメ大通り等との交点であり、かつ17区とヌイイ=シュル=セーヌ との境界界隈にあたるポルト=マイヨ広場まで伸びる通り。
マルソー大通り (Avenue Marceau )
ミケランジュ通り (Rue Michel-Ange )
ミュラ大通り (Boulevard Murat )
モザール大通り (Avenue Mozart )
16区内側を走る"モーツァルト大通り"。セーヌ川沿い側を走るヴェルサイユ大通り等と共にラ・ミュエット地区からオートゥイユ地区の住宅街へと続く通り。メトロ ラヌラグ駅近く52番地にサン=ジェルマン=デ=プレ 界隈や東京南青山 でも展開していたショコラトリーのシャポン (Chapon) がある[22] 。
モンモランシー大通り (Boulevard de Montmorency )
ラヌラグ通り (Rue du Ranelagh )
ランヌ大通り (Boulevard Lannes )
レイモン=ポアンカレ大通り (Avenue Raymond-Poincaré )
レヌアール通り (Rue Raynouard )
ロリストン通り (Rue Lauriston )
ロンシャン通り (Rue de Longchamp )
イエナ広場から西側へ走り、シャイヨ宮前トロカデロ広場から(ジョルジュ=マンデル大通りの北側に位置する)メクシコ広場を経由、ブローニュの森パリ第9大学 界隈まで伸びる通り。同通り27番地に1948年創業ショコラティエのロワ (ROY) があり、32番地にはジョエル・ロブション のジャマン (Jamin) があった。同ロンシャンがブローニュの森界隈近くに差し掛かる辺り、途中スポンティニ通り (fr ) に折れると、フォッシュ大通りまでの通り周辺界隈には各国大使館が並ぶ。元首相ミシェル・ドゥブレ もこのスポンティニ通り沿いに居住し[23] 、同通り30番地bisの建物は、画家ジャン=ルイ・フォラン が居住し亡くなり、1962年1月イヴ・サン=ローラン が初めてコレクションを発表した地[24] 。さらに、ジスカール・デスタン が大統領退任後の1981年から、女優オリヴィア・デ・ハヴィランド は1953年からパリ市内に居住し、遅くとも60年代からはスポンティニ界隈のベヌヴィル通り (fr ) に居住し2020年7月に同地で亡くなった[25] 。
左から、メクシコ広場からトロカデロ広場へ走るエロー大通り (Avenue d'Eylau)、同大通りから見る
エッフェル塔 、トロカデロ広場から見るエッフェル塔
橋梁
16区は、南北に蛇行するセーヌ川 に挟まれた区域であり、区の東西でセーヌ川に接している。そのため、橋梁については、区の東側と西側に分けて記述する。
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夜のビラケム橋, 11月
ビラケム橋乃至パッシー高架橋とメトロパッシー駅界隈の
オスマニアン建築群 , 11月 (Viaduc de Passy - Paris - novembre)
ビラケム橋のランプ装飾
ビラケム橋でのある日の光景. 2017年
花嫁, ビラケム橋, 2015年 (Une mariée sous le viaduc de Passy en 2015.)
夜のビラケム橋とパッシー駅界隈 (Le pont de Bir-Hakeim vu de la rive gauche de nuit avec en arrière plan des immeubles hausmanniens du 16e arrondissement.)
建設途上の
エッフェル塔 とイエナ橋 (Pendant la construction de la tour Eiffel.)
旧トロカデロ宮(現
シャイヨ宮 )とイエナ橋, 1905年
夜のイエナ橋 (Le pont d’Iéna de nuit.)
1900年パリ万博 時のセーヌ川上流から下流、アルマ橋とドゥビイ橋の間 (La Seine d'amont vers l'aval entre le pont de l'Alma (au premier plan) et la passerelle Debilly.)
ドゥビイ橋とシャイヨ宮
区東側
16区の東側では、セーヌ川は北から南へ流れる。セーヌ川に架かる橋は、次のとおりである(上流から順に列挙)。
区西側
16区からパリ市外に出たセーヌ川は蛇行して、南から北へ大きく方向を変え、16区の西側(すなわち、ブローニュの森 の西側)で再び接する。橋は、次のとおりである(上流から順に列挙)。
アーヴル歩道橋 (Passerelle de l'Avre )
シュレンヌ橋 (Pont de Suresnes )
セーヌ川東岸の16区と西岸のオー=ド=セーヌ県の自治体シュレンヌ を結ぶ。
ピュトー橋 (Pont de Puteaux )
セーヌ川東岸の16区と西岸のオー=ド=セーヌ県の自治体ピュトー を結ぶ。
広場・交差点
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パリの「広場 (プラス、Place )」は、しばしば2以上の道路 が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回するロータリー 状の交差点 となっている場合が多い。中心の「島」部分は、オベリスク や緑地 等に利用されている場合もある。16区の広場や交差点には、次のようなものがある。
アルマ広場 (Place de l'Alma )
8区 、16区の境界に位置している。ダイアナ妃 が亡くなったのはこの広場下のトンネルになる。
イエナ広場 (Place d'Iéna )
ウルグアイ広場 (Place de l'Uruguay )
合衆国広場 (エタ=ジュニ広場, Place des Étas-Unis )
リシャール=ド=クードゥノヴ=カレルジ広場(Place Richard-de-Coudenhove-Kalergi )
クレマン=アデール広場 (Place Clément-Ader )
コスタリカ広場 (Place de Costa-Rica )
コロンビア広場 (プラス・ド・コロンビ、Place de Colombie )
シャルル・ド・ゴール広場 (エトワール広場、Place Charles-de-Gaulle (Place de l’Étoile) )
ジェネラル=パットン広場 (Place du Général-Patton )
ショパン広場 (Place Chopin )
東京広場 (Place de Tokyo )
トロカデロ・11月11日広場(トロカデロ広場 、プラス・デュ・トロカデロ=エ=デュ=オンズ=ノヴァンブル、Place du Trocadéro-et-du-11-Novembre )
パッシー広場 (Place de Passy )
パラグアイ広場 (Place du Paraguay )
マレシャル=ド=ラトル=ド=タシニー広場の東に隣接している。
バルセロナ広場 (プラス・ド・バルスロヌ、Place de Barcelone )
ヴィクトル=ユゴー広場 (Place Victor-Hugo )
ボリビア広場 (プラス・ド・ボリヴィー、Place de Bolivie )
ポルト=ド=サン=クル広場 (Place de la Porte-de-Saint-Cloud )
ポルト=ドートゥイユ広場 (Place de la Porte-d'Auteuil )
ポルト=ド=パッシー広場 (Place de la Porte-de-Passy )
ポルト=マイヨ広場 (Place de la Porte-Maillot )
ポルト=モリトール広場 (Place de la Porte-Molitor )
マレシャル=ド=ラトル=ド=タシニー広場 (Place du Maréchal-De-Lattre-De-Tassigny )
ブローニュの森 界隈ポルト・ドーフィーヌにある。エトワール凱旋門方面から走るフォッシュ大通りの終点。
マルレーネ=ディートリッシュ広場(Place Marlène-Dietrich )
2002年に名付けられた、イエナ広場近くにある広場。名称は、1980-92年に亡くなるまで8区モンテーニュ大通り12番地に居住していたマレーネ・ディートリッヒ から。
メクシコ広場 (Place de Mexico )
ロダン広場 (Place Rodin )
ヴァルソヴィー広場 (Place de Varsovie )
文化
ジャック・エミール・ブランシュ (画家)
アンヌ=ルイーズ・ボイヴァン・ダドンクール・ブリヨン・ド・ジュイ (フランス語版 ) (フォルテピアニスト ・作曲家) - ベンジャミン・フランクリン のパッシー滞在時代の友人。米独立の際に曲を起草
カルロ・マロチェッティ (彫刻家) - パッシーで死去
ポリーヌ・ドラクロワ・ガニエ (画家) - パッシー生まれ
カロリーヌ・ブランシュ (オペラ歌手) - パッシーで死去
ジャック・ゴデ (スポーツジャーナリスト、レキップ 創業者、ツール・ド・フランス 2代目ディレクター) - パッシー墓地 に埋葬
ポール・ド・コック (大衆小説家) - パッシー生まれ
マルク・ボナシェ (オペラ歌手) - パッシーで死去
ピエール・ブルトノー (フランスの著名な医師)
ウジェーヌ・デメ (フランスの著名な音楽編集者)
クロード・アヴリーヌ (作家、元レジスタンス ) - 元ユダヤ系ロシア人。パリ5区 生まれ。16区リセ ・ジャンソン=ド=サイイ在学中、健康を害し勉学を中断、1918年 - 1919年にかけて南仏 カンヌ 近郊ル・カネに移り、作家活動をする。1950年代から亡くなる1992年まで15区 サン・ランベール公園 (fr ) 界隈のテオフラスト=ルノド通り (fr ) 12番地に居住。
ジョエル・ロブション (フランス料理 人) - 対岸15区のホテル日航 料理長からロンシャン通り (フランス語版 ) 32番地に1981年「Restaurant Jamin」を独立開店した。
フランス語 の 「16e 」 = 「seizième 」 は、英語 の「sixteenth 」 に相当する序数 。「第16の」 「16番目の」を意味する。したがって、原語の「16e arrondissement 」を直訳し
すると「第16区」となる。
レジフランス (Légifrance ). “地方自治一般法典 (Code Général des Collectivités Territoriales (CGCT) )” R2512-1条 . 2008年6月26日閲覧.
元々、南側地域一帯は「オートゥイユ (AUTEUIL )」と呼ばれ、「パリ改造 」の流れの中で1860年にパッシー及びオートイユの二つのコミューヌ が合併して「16区」が設立された。
JTBパブリッシング編 『ワールドガイド ヨーロッパ2・パリ』、JTBパブリッシング 、2006年、p.144.
メルヴェイユ (fr ) で内外で知られ、パリ4区ヴィエイユ=デュ=タンプル通り (Rue Vieille-du-Temple)、5区モンジュ通り (Rue Monge)、7区サン=ドミニク通り (Rue Saint-Dominique)、その他12区15区17区やブローニュ=ビヤンクール などパリ市内外、リール 、ボルドー 、ロンドンケンジントン 在英仏大使館界隈やベルギードイツなど欧州域内でも展開するパティスリー チェーン店。
Larry Collins, Fortitude , Robert Laffont, Paris, 1985, p. 84 .
Emmanuel Rubin, «Ces trente tables qui ont changé le goût de Paris» , Le Figaroscope, semaine du mercredi 20 au 26 décembre 2017, p. 10-11 .
Jean-Luc Barré, François Mauriac, biographie intime , t. I : 1885-1940 , Éditions Fayard, 2009 ISBN 978-2-213-62636-9 , p. 219 et 450.
Marie-Dominique Lelièvre, Brigitte Bardot. Plein la vue , Flammarion, 2012, ISBN 978-2081246249 , p. 15 .
Marie-Dominique Lelièvre, Jacques Attali. Plein la vue , Flammarion, 2012, p. 15 .
サンジェルマン=デプレ地区界隈のパリ7区 バック通り69番地、パリ6区 サン=シュルピス通り34番地、ヌイイ=シュル=セーヌ 、シェル などの他、2018年12月から2019年12月まで東京南青山6丁目でも展開していた、パリ唯一のビントゥバー(豆から板チョコまで)を謳うショコラトリー。
Pierre Le Goyet, Le mystère Gamelin , 1975.
Francisco Melgar, Veinte años con Don Carlos. Memorias de su secretario , Madrid 1940, p. 44
Vanina Prélat L'Hermitier et Jean-Baptiste Roques, « Splendeurs et misères de l'avenue Foch », Vanity Fair , no 38, août 2016, p. 96-103.
Steven Lehrer, Wartimes in Paris, 1939-1945 , SF Tafel Publishers, New York, 2013.
Paul Iseler , Les débuts d'André Gide vus par Pierre Louÿs: avec une lettre d'André Gide à l'auteur et de nombreuses lettres inédites de Pierre Louÿs à André Gide , Éditions du Sagittaire, 1937 (lire en ligne )
パリ19区 にあるパリ市立公文書館の戸籍-死亡証明書番号750 (Archives de Paris : État civil - Acte de décès no 750 . Cote du Registre : V4E 7324. Archives de Paris, 18 boulevard Sérurier, 75019 Paris.)
“Paul Louis WEISS (1867-1945) ”. www.annales.org . 2019年1月4日 閲覧。 “En 1899, il est nommé à Paris. Depuis ce moment jusqu'à sa mort, il habite un vaste appartement au 78 bis avenue Henri Martin près du Bois de Boulogne.”
Ina.fr, Institut National de l’Audiovisuel-. "Françoise Dolto" . Ina.fr (フランス語). 2018年12月20日閲覧 。
George du Maurier: Peter Ibbetson (The Heritage Press, New York 1963), p.Ⅵ f, p.17 f
Julien Green: Paris (Marion Boyars Publishers, 1983), p.19, 22, 23、“Archived copy ”. 2003年7月11日時点のオリジナル よりアーカイブ。2008年8月12日 閲覧。
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