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ダラス・マーベリックス

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ダラス・マーベリックス
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ダラス・マーベリックスDallas Mavericks)は、テキサス州ダラスに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。略してマブズマブスとも呼ばれる。ウェスタン・カンファレンス、サウスウェスト・ディビジョン所属。チーム名のmaverickは、1960年頃のTV西部劇の名に因んでおり、現在のチームマスコットは仔馬。オーナーは、マーク・キューバンである。NBAにおいて、地域、チーム名が創設以来変わっていないチームの一つ。

概要 ダラス・マーベリックス Dallas Mavericks, 呼称/略称 ...
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歴史

要約
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初期

1973年にABAの消滅でNBAへの加入に伴いダラス・チャパラルズ(現在のサンアントニオ・スパーズ)がサンアントニオに移転して以来、プロバスケットボールチームのなかったダラスでは、1979年に実業家のドン・カーターがNBAに対して新チームの設立を申請した。NBAは1980年のオールスター開催時にリーグのオーナーたちの承認を得て、ダラス・マーベリックス(マブズ)は、1980年に設立され、ウェスタン・カンファレンスのミッドウェストディビジョンに組み込まれた。初期のマブズではローランド・ブラックマンマーク・アグワイアが活躍したが、勝率が5割に到達しプレイオフに進出するのは3年目になってからだった。1983年のドラフトでデレック・ハーパー1984年のドラフトでサム・パーキンスを獲得し、1987年には初の地区優勝、1988年には地区決勝でロサンゼルス・レイカーズと死闘を演じたが、3勝4敗で優勝には至らなかった。

トリプルJ

低迷していた90年代前半には、復調を予期させる有望な新人がチームに集まっていた。92年のドラフトではジム・ジャクソン、93年にはジャマール・マッシュバーン、94年にはジェイソン・キッドを獲得し、この3名は頭文字をとって「トリプルJ」と呼ばれた。しかしトリプルJは私情のもつれなどもありうまく機能せず、チーム成績も上向かずに一人一人チームから離れた。90年代は、十年間連続でレギュラーシーズンを負け越し、プレーオフ出場を逃し、特に1993年には11勝71敗にまで落ち込んだ。この時代のマブスは典型的なドアマットチームであった。

ドン・ネルソンによるチーム再建

1997年ドン・ネルソンがジェネラルマネージャーに就任、ヘッドコーチを務めた翌年から、マブスの再建がはじまった。ダーク・ノヴィツキー1998年のNBAドラフトへのエントリーに伴い、ドン・ネルソンは他チームの思惑を巧みに操り、ミルウォーキー・バックスの欲していたロバート・トレイラーをより高順位のマブスが6位で指名するかわりにバックスが9位でノヴィツキーを指名し、更に、このシーズンに1巡目指名権を持っていなかったフェニックス・サンズパット・ギャリティを欲しているのに乗じて、バックスが持っている19位指名権でギャリティを指名させ、ノヴィツキーとセットでマブスにトレードすることを約束させ獲得する一方、トレイラーを指名し、ギャリティを欲しがっているサンズにギャリティ他2選手をつけてサンズにトレードし、かわりにスティーブ・ナッシュを獲得した。結果的にネルソンは将来NBAのシーズンMVPを獲得する2人の偉大な選手を、一度のドラフトで手に入れた。

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ドン・ネルソン

ノヴィツキーの時代

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ダーク・ノヴィツキー(2009年)
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マーク・キューバン
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スティーブ・ナッシュ
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エイブリー・ジョンソン
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リック・カーライル
  • 1998-1999シーズンのNBAはロックアウトによるシーズン短縮という初めての事態を経験し、ノヴィツキーのルーキーシーズンは例年より4ヶ月近くも遅れて始まり、先発パワーフォワードに抜擢されるも、まだ線の細かったノヴィツキーはNBAのフィジカルなプレイに馴染めず、特にディフェンスでは簡単に相手に押し負けてしまい、ディフェンスができない(Dがない)と揶揄する意味で"Irk Nowitzki"と呼ばれた。19勝31敗の成績でシーズンを終えた。
  • 1999-00シーズン、ネルソンはノヴィツキーのパス技術をより活かすためにポイントフォワードに起用し、ノヴィツキーも徐々に本来の実力を発揮するようになった。エースのマイケル・フィンリーにノヴィツキー、セドリック・セバロスに率いられ、前年の19勝31敗から40勝42敗と勝率を伸ばしたが、プレーオフには惜しくも届かなかった。

マブズがリーグ屈指の強豪へと成長を始めるのは、インターネット関連事業で財をなしたマーク・キューバン2000年1月14日に自身が熱烈なファンであった ことから、チームを2億8500万ドルで買い取り、オーナーに就任してからだった[4]。キューバンはその後も豊富な資金力を活かしてチームの補強に取り組んだ。

ドンチッチの時代

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ルカ・ドンチッチ

ドンチッチ、初のファイナル進出

  • 2023年のNBAドラフトにて、デューク大学1年生のデレック・ライブリー2世を指名したのがオフシーズン補強の始まりだった。さらにデリック・ジョーンズ・ジュニアを獲得、そして昨季のトレード期限で獲得したカイリー・アービングとも再契約をし、ルカ・ドンチッチとアービングの2枚看板ロスターで2023-24シーズンに臨んだ。
  • 2024年1月27日のアトランタ・ホークス戦では、ドンチッチがキャリアハイの73得点を記録。
  • シーズン中は勝ったり負けたりで勝率5割近辺を維持しており、プレーイントーナメント圏外も噂されたシーズン前半だった。しかし、2月にトレードでダニエル・ギャフォードP・J・ワシントンを獲得してからチームは好転。ライブリーとギャフォードという2人のリムプロテクターを臨機応変に出せるようになったことでインサイドのディフェンス力が大幅に向上。カイリーがチームにフィットしてきたことも追い風となり、ウェスタン・カンファレンス5位まで順位を上げてプレーオフに進出した。
  • プレーオフの1stラウンドではドンチッチにとってプレーオフの鬼門となってきた第4シードのロサンゼルス・クリッパーズと対戦。マブズとクリッパーズは過去4年間で2回1stラウンドで対戦しており、いずれもクリッパーズが制していた。対マブスに強いエースのカワイ・レナード、そして2番手のポール・ジョージ、さらに今季から加わったジェームズ・ハーデンラッセル・ウェストブルックを擁するクリッパーズに挑むマブス。勝負は一進一退の攻防を見せるが、レナードの怪我や伏兵マキシ・クレバーの活躍もあって第5戦・第6戦をマブスが連勝。シリーズを4勝2敗で突破した。しかしクレバーが第6戦で負傷し、無念の離脱となった。
  • プレーオフ2回戦では第1シードのオクラホマシティ・サンダーと対戦。4勝2敗で突破した。
  • プレーオフではカンファレンスファイナルまでたどりつき、アンソニー・エドワーズ率いるミネソタ・ティンバーウルブズに4勝1敗で勝利しNBAファイナルに進出した。
  • NBAファイナルではボストン・セルティックス相手に3勝0敗と先に王手をかけられるも、第4戦では122-84で圧勝した。しかし、第5戦でセルティックスは106-88で勝利し、マーベリックスはNBAファイナルで敗れた。

衝撃のドンチッチ・トレード放出

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シーズンごとの成績

さらに見る シーズン, 勝 ...

Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率

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主な選手

要約
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現役選手

さらに見る プレーヤー, スタッフ ...

年代別主要選手

太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人 (75)…偉大な75人

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栄誉

要約
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永久欠番

2020年1月26日に元ロサンゼルス・レイカーズに所属していたコービー・ブライアントが亡くなったことを受け、オーナーのマーク・キューバンはブライアントに敬意を表して背番号「24」を選手に着用させないことを発表した[12]

さらに見る No., 選手 ...

参照:[13][14]

さらに見る ダラス・マーベリックスの殿堂入り一覧, 選手 ...
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コーチ、その他

歴代ヘッドコーチ

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チーム記録

ダラス・マーベリックスのチーム記録

脚注

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外部リンク

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