ロサンゼルス・クリッパーズ (Los Angeles Clippers )は、アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス に本拠を置く全米プロバスケットボール 協会(NBA )のチーム。ウェスタン・カンファレンス 、パシフィック・ディビジョン に所属。チーム名のクリッパー とは高速帆船のこと。元はサンディエゴ にあったため、同市では帆船が活躍していたことにちなんでいる。
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概要 ロサンゼルス・クリッパーズ Los Angeles Clippers, チームロゴ ...
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ステイプルズセンターのクリッパーズホームコート
バッファロー・ブレーブス(1970-78)
バッファローには8年留まり、その間同じアリーナをNHL バッファロー・セイバーズ と同時に使用した。チームの初代ヘッドコーチは殿堂入りしているドルフ・シェイズ で、拡張ドラフトで獲得したボブ・カウフマン とドン・メイ がスター選手であった。この年は22勝60敗に終わったが、同じ新加入のキャブスの15勝67敗と比べると7勝多かった。前年シカゴ・ブルズ に在籍1試合平均4.3得点だったカウフマンは20.4得点をあげオールスターにも選ばれた。
チームは低迷したが1973年にボブ・マカドゥー をノースカロライナ大学からドラフトで取ると、その年プレイオフに進出し、ボストン・セルティックス と第6戦まで戦い2勝4敗で敗れた。
1974-75シーズン、マカドゥーは1試合平均34.5得点、14.1リバウンド、2.12ブロック、51.2%FG成功率、80.5%フリースロー成功率を記録し、シーズンMVPに選ばれた。1974-75、1975-76シーズンは共にプレイオフに進出した。1976-77シーズン途中にマカドゥーがニューヨーク・ニックス にトレードされるとチームは低迷した。このシーズンから1992年までの15年間プレイオフ不出場が続く。
1977-78シーズン終了後チームはカリフォルニア州 サンディエゴ に移転してサンディエゴ・クリッパーズとなった。
サンディエゴ・クリッパーズ(1978-84)
サンディエゴに移転して最初の年は43-39と勝ち越したが、プレイオフ最後のいすに2勝少なくて涙をのんだ。そしてこの後クリッパーズは13年間勝ち越すことなく過ごす。この年、World B. Free がサンアントニオ・スパーズ のジョージ・ガービン に次いで、1試合平均28.8得点を記録した。1979-80シーズンにはサンディエゴ出身の名センター、ポートランド・トレイルブレイザーズ でNBA チャンピオンになっていたビル・ウォルトン を獲得するが、チーム成績は上がらなかった。ウォルトンはポートランドで過ごした最後のシーズンを足の怪我で棒にふるっていたが、サンディエゴに加入して2シーズン目にも、シーズンを欠場し、ゴールデンステート・ウォリアーズ のガードのフィル・スミスとトレードされた。
ロサンゼルス・クリッパーズ(1984- )
1980年代から1990年代
クリッパーズは1984年にロサンゼルスに移転して、ロサンゼルス・クリッパーズとなった。最初の年は31勝51敗に終わる。
その後7年の間、クリッパーズはどん底にあり、1986-87シーズンを12勝70敗(歴代最も成績の悪かったチーム、1972-73シーズンのフィラデルフィア・セブンティシクサーズ の9勝73敗を辛くも更新せずに済んだ。)で終わった。その年、殿堂入りしていたエルジン・ベイラー を球団副社長として招いた。ベイラーは、1989-90年にクリッパーズでプレイすることを拒否したダニー・フェリー をクリーブランド・キャバリアーズのロン・ハーパー 、レジー・ウィリアムズ (英語版 ) とトレードした。このトレードは1987年のケン・ノーマン 、1988年のダニー・マニング 、1990年のロイ・ボウト などドラフトで獲得した選手とともに、1991-92、1992-93シーズンにプレイオフ進出するための原動力となった。
1991-92シーズンの途中でクリッパーズはヘッドコーチを交代させたが、これは非常にうまくいった。サンアントニオ・スパーズを解雇されたばかりのラリー・ブラウン である。ヘッドコーチ交代前22勝25敗だったチームはブラウンに交代した後、23勝12敗を記録、45勝37敗で13年ぶりに勝ち越した。クリッパーズはバッファロー時代以来16年ぶりにプレイオフに進出したが、ユタ・ジャズ に2-3で敗れた。1992年4月にロサンゼルスで起きた暴動のためプレイオフの第4戦はアナハイム で行われたが、その試合クリッパーズは勝った。
1992-93シーズンは41勝41敗で終了し、再びプレイオフに出場し、ヒューストン・ロケッツ に2勝3敗で敗れた。
ラリー・ブラウンはインディアナ・ペイサーズ のヘッドコーチになるため去るとボブ・ワイスがヘッドコーチとなった。
1993-94シーズンはロサンゼルスのNBAにとって最悪の年で、クリッパーズとレイカーズを合計して、60勝104敗と大きく負け越した。その後数年、クリッパーズは選手、ヘッドコーチをしばしば交代したが、1997年プレイオフに進出した。36-46と負け越していたが、プレイオフに進出したクリッパーズはウエスタンカンファレンス首位のユタ・ジャズと対戦,3連敗でシーズンを終えた。
1994年から99年にかけて、クリッパーズはNHL のマイティーダックス・オブ・アナハイム と同じアリーナを本拠地としたが、1999年からレイカーズと同じステイプルズ・センターに移った。
1999年ラマー・オドム をドラフトで獲得するが、15勝67敗でシーズンを終える。若い選手たちのサポートのために、元オールスターでロサンゼルス出身のデニス・ジョンソン (シアトルとボストンで3回NBAチャンピオンになっている)を採用する。チームはまた殿堂入りしている偉大な元レイカーズのカリーム・アブドゥル=ジャバー をアシスタントコーチとした。デニス・ジョンソンは2002-03シーズン途中までアシスタントコーチだったが、ヘッドコーチに昇格した。アブドゥル=ジャバーは1年間だけコーチを続けた。
2000年代
エルトン・ブランドを中心とした時代
翌シーズンさらにチームを改善するためにドラフト当日、ロサンゼルス出身のタイソン・チャンドラー をシカゴ・ブルズのパワーフォワード、エルトン・ブランド とトレードした。それまでの2シーズン、ブランドは1試合平均20得点、10リバウンドをあげていた。ブランドは2002年のオールスターゲームで負傷欠場したシャキール・オニール の代わりに出場した。この年クリッパーズは最後の13試合でわずか3勝しかできずに39勝43敗で終わりプレイオフ進出を逃した。
2002年のシーズンオフには、マイルズと、クリーブランド・キャバリアーズ で2001-02シーズン1試合あたり11アシストでアシスト王となったポイントガードのアンドレ・ミラー がトレードされた。これによって、ミラー、オドム、ブランド、オロワカンディ、ベンチプレイヤーも充実したクリッパーズはプレイオフに向けて順調に進むものと見られたが、チームケミストリーの欠如と負傷者続出(延べ293試合)で非常にがっかりさせられる27勝55敗でシーズンを終えた。シーズン途中にヘッドコーチはデニス・ジョンソンに交代した。
2003-04のシーズンを前にクリッパーズは、ミラー、オドム、オロワカンディ、パイカウスキーといったチームの核となる選手をフリーエージェントで失った。一方ドラフトではクリス・ケイマン を指名し、ブランドとマゲッティと長期契約を結ぶことに成功した。彼らはリチャードソンと共に1試合平均58得点のNBA有数のトリオとなった。新しいヘッドコーチ、マイク・ダンリービー を迎えたクリッパーズは経験のなさと負傷によって28勝54敗でシーズンを終えた。
2004-05年シーズンはクリッパーズとレイカーズとの立場が入れ替わりとなった。シャキール・オニール をマイアミ・ヒート にトレード、殿堂入りが期待されるヘッドコーチ、フィル・ジャクソン 、カール・マローン 、ゲイリー・ペイトン を失ったレイカーズは34勝48敗、一方クリッパーズは37勝45敗であった。レイカーズと同様、クリッパーズもプレイオフ進出を逃したが、1993年以来、レイカーズの成績を上回った。この年ボビー・シモンズが1試合あたり16得点、6リバウンド、3アシストを記録し、MIP(最も改善されたプレイヤーに贈られる賞)を受賞したが、彼は2005年7月、故郷のシカゴに近いミルウォーキー・バックス と5年契約4700万ドルを結び去った。シモンズの穴を埋めるためにクリッパーズはロケッツ、マジック、キングスでプレイしたカッティノ・モブリー と契約した。モブリーと契約したことでパイカウスキーを失って以来、チームに不足していた長距離シュートを武器とすることができ、ディフェンスの強い選手を手に入れることができた。モブリーは、70年代のビル・ウォルトン以来ひさびさのフリーエージェントで加入した選手となった。8月12日にはさらに大きな出来事があり、ミネソタ・ティンバーウルブズと2人の選手を放出する代わりにサム・キャセール とミネソタがプレイオフに進出した場合の翌年ドラフト1位指名権を手に入れた。
2005-06年は大きな飛躍の年となった。強豪チームに対しての勝利は多くのファンの注目を浴び、エルトン・ブランドはオールスターゲームに選ばれた。そして大きく改善されたチームのことは、多くのスポーツ雑誌に載った。クリッパーズはここ14シーズンで最高の成績をおさめ、1997年以来のプレイオフに進出した。
47勝35敗で終わりバッファローを去って以来最高の成績をおさめたクリッパーズはウエスト6位でデンバー・ナゲッツと対戦することを期待された。4月12日クリッパーズは、ウエスト5位でダラス・マーベリックス との対戦が見込まれたが、続く7試合のうち、5試合に敗れてメンフィス・グリズリーズ がウエスト5位となった。4月22日、クリッパーズは13年ぶりにプレイオフのゲームで勝利した。2日後第2戦も勝利してチーム創設以来初めて2-0とリードした。第3戦を失ったが、第4戦、第5戦を勝ちバッファローから移転して以来初めてプレイオフ1回戦を突破した。続くウエスタンカンファレンス準決勝でフェニックス・サンズ と対戦、第1戦を落としたものの敵地の第2戦で122-97と劇的な勝利をおさめた。第3戦は、サンズのショーン・マリオン が32得点19リバウンドをあげる活躍で94-91でサンズが勝利した。第4戦、エルトン・ブランドが30得点、9リバウンド、8アシストと活躍し、114-107で勝利する。第5戦のオーバータイム残り1.1秒でサンズのラジャ・ベル が同点の3ポイントシュートを放ち、ダブルオーバータイムに突入、125-118でサンズが勝利した。第6戦はクリッパーズのディフェンスのスペシャリスト、2年目のクイントン・ロスが自己ベストの18得点をあげる活躍で118-106で勝利した。この試合ブランドも30得点、12リバウンド、3アシスト、5ブロック、マゲッティはベンチスタートでFG8本中7本、フリースロー9本全て成功で25得点、クリス・ケイマンとサム・キャセールは15得点をあげた。第7戦は127-107でサンズが勝利して、この年のクリッパーズの快進撃は終わった。
この年のプレイオフ1回戦はサンズ対レイカーズであり、レイカーズが勝ち上がっていた場合、同じアリーナをホームコートとする両チームの対戦という珍しいケースになるところだった。
翌2006-07シーズン はプレーオフ進出ならず、さらに翌2007-08シーズン はエルトン・ブランドがシーズンをほぼ全欠し、チームは地区最下位となった。
2010年代
2010-11シーズンは、グリフィンの事実上のルーキーイヤーとなり、新人の使い方が巧みなことで定評のあるヴィニー・デル・ネグロ ヘッドコーチの元、グリフィンは優れた成績を残し、新人王を獲得したが、ルーキー中心で、チームとしての層が薄く、32勝50敗という成績に終わった。
ポールとグリフィンを中心としたロブ・シティの形成
2011-12シーズンは年末にエリック・ゴードン がトレードで去ったが、代わりにクリス・ポール が加入した。またNBAファイナルMVPに輝いた経験のあるチャンシー・ビラップス も獲得し、レギュラーシーズンの勝率は6割を超え、6年ぶりのプレーオフ進出を果たし1stラウンドをも突破したが、カンファレンスセミファイナルでは、ポール、グリフィンが万全のコンディションで出場することはできず、サンアントニオ・スパーズ にスイープで敗れている。
2012-13シーズンは、ポール、グリフィンコンビの完成度も高まり、加えてジャマール・クロフォード という優れたシックスマンや経験豊富なマット・バーンズ らが加わり、56勝26敗でパシフィック・ディビジョンを制し、第4シードでプレーオフ1stラウンドを迎えたが、前年も対戦し勝利しているメンフィス・グリズリーズ に2勝4敗で敗れた。
ドック・リバースHC
2017-18シーズン開幕前にクリス・ポール 、シーズン中には2009年のドラフト1位指名以来、約9年に渡ってチームを支えてきたエースブレイク・グリフィン がトレードで去りLob City 解体のシーズンとなった2017-18シーズンは2018年4月7日、2011年以来7年振りにプレーオフ進出を逃した[8] 。
2018年のNBAドラフト では、チームは全体で12番目と13番目の指名権を獲得し、それぞれマイルズ・ブリッジズ とジェローム・ロビンソン を指名した。その後、ドラフトの夜にブリッジズと2回目の2巡目の指名権をシャーロットと交換し、シェイ・ギルジアス=アレクサンダー を獲得した。オースティン・リバース はワシントン・ウィザーズ のマーチン・ゴータット と引き換えに放出され、2008年からチームに所属していたデアンドレ・ジョーダン は、契約を解除しフリーエージェントになった。
2018-19シーズンは、グリフィンとジョーダンを失ったにもかかわらず、クリッパーズはプレーオフ出場権を獲得し、レギュラーシーズンを48勝34敗で終えた。プレーオフでは、一回戦で過去3年で2度のNBAチャンピオンであるゴールデンステート・ウォリアーズ に、6戦目で負けた。彼らは2016年のプレーオフ以来、敵地で2回ウォリアーズを破った最初のチームだった。また、NBAプレーオフ史上最大の31点差からの逆転勝利を記録した。
2019年のNBAファイナル で、カワイ・レナード がトロント・ラプターズ を最初のNBAチャンピオンシップに導き、ファイナルMVPを獲得した。その後、彼はラプターズとの最終年の契約を解除し、2019年のオフシーズン中にトップフリーエージェントの一人になった。レナードは、チームがオクラホマシティ・サンダー のポール・ジョージ を獲得することを条件に、クリッパーズと署名することを選択した。ジョージのために、クリッパーズはシェイ、ダニーロ・ガリナリ 、4つの保護されていない1巡目の指名権、保護された1巡目の指名権、2つのピック・スワップを交換した。
レナードとジョージのスーパーデュオを結成して臨んだ2019-20シーズンは、2人に適度な休養を与えながら好成績を残し、シーズン中にマーカス・モリス 、レジー・ジャクソン 、ジョアキム・ノア など実績のあるベテラン達を獲得しプレーオフに備えた。レギュラーシーズンを49勝23敗のカンファレンス2位で終え、優勝候補の一角としてプレーオフに臨んだ。1回戦でカンファレンス7位のダラス・マーベリックス と対戦。相手の若きエースルカ・ドンチッチ に逆転ブザービーターを浴びるなど苦戦したが、4勝2敗で勝利。準決勝では1回戦で1勝3敗から大逆転で勝ち上がってきたカンファレンス3位のデンバー・ナゲッツ と対戦。レナードやジョージの活躍で3勝1敗と王手をかけるが、ナゲッツが底力を発揮して2連勝し、第7戦までもつれこむ。第7戦ではレナードとジョージが不調に陥り、2人合わせて24点しか奪えず。逆に相手エースのジャマール・マレー に40得点を許し、89-104で敗戦。ロブシティ時代に続き、またしても準決勝で敗れてしまった。この結果を受け、リバースHCが退任した。
そして逆転負けでシーズンを終えたオフでジョージと4年1億9000万ドルで契約しその他格安でニコラス・バトゥーム やレジー・ジャクソンと契約した。ジョージとの高額契約はジョージがプレーオフで絶不調に陥った後だったので大きな批判を呼んだ。辞任したドックリバースの後任として新たにタロン・ルー がHCに就任した。
2020年代
2020-21シーズンは、安定した勝率でウエスタンカンファレンス4位でプレーオフに行くと1回戦は再びマーベッリクスとなり、最初の2戦を落とすもに第7戦にもつれ込んだ末に勝利した。2回戦はユタ・ジャズ と対戦となり2-2のイーブンになった時点でレナードが怪我で無期限離脱を余儀なくされた。だがそこでエースを担ったジョージを中心にジャズに第6戦で勝利し、フランチャイズ初のカンファレンスファイナル進出となった。カンファレンスファイナルの相手は、かつてのエースクリス・ポール 擁するフェニックス・サンズ となり、最初の2戦を落とすも接戦を演じるが、最終的にレナードの離脱が響き、第6戦で敗れた。
オフにはプレーオフで大活躍だったジャクソンとエースのレナードと再契約に成功し、新たにジャスティス・ウィンズロー と契約した。
Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率
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シーズン
勝
敗
%
プレーオフ
結果
バッファロー・ブレーブズ
1970-71 22 60 .268
1971-72 22 60 .268
1972-73 21 61 .256
1973-74 42 40 .512 カンファレンス準決勝敗退 セルティックス 4, ブレーブス 2
1974-75 49 33 .598 1回戦敗退 ワシントン 4, ブレーブス 3
1975-76 46 36 .561 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 ブレーブス 2, シクサーズ 1 セルティックス 4, ブレーブス 2
1976-77 30 52 .366
1977-78 27 55 .329
サンディエゴ・クリッパーズ
1978-79 43 39 .524
1979-80 35 47 .427
1980-81 36 46 .439
1981-82 17 65 .207
1982-83 25 57 .305
1983-84 30 52 .366
ロサンゼルス・クリッパーズ
1984-85 31 51 .378
1985-86 32 50 .390
1986-87 12 70 .146
1987-88 17 65 .207
1988-89 21 61 .256
1989-90 30 52 .366
1990-91 31 51 .378
1991-92 45 37 .549 1回戦敗退 ジャズ 3, クリッパーズ 2
1992-93 41 41 .500 1回戦敗退 ロケッツ 3, クリッパーズ 2
1993-94 27 55 .329
1994-95 17 65 .207
1995-96 29 53 .354
1996-97 36 46 .439 1回戦敗退 ジャズ 3, クリッパーズ 0
1997-98 17 65 .207
1998-99 9 41 .180
1999-2000 15 67 .183
2000-01 31 51 .378
2001-02 39 43 .476
2002-03 27 55 .329
2003-04 28 54 .341
2004-05 37 45 .451
2005-06 47 35 .573 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 クリッパーズ 4, ナゲッツ 1 サンズ 4, クリッパーズ 3
2006-07 40 42 .488
2007-08 23 59 .280
2008-09 19 63 .232
2009-10 29 53 .354
2010-11 32 50 .390
2011-12 40 26 .606 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 クリッパーズ 4, グリズリーズ 3 スパーズ 4, クリッパーズ 0
2012-13 56 26 .683 1回戦敗退 グリズリーズ 4, クリッパーズ 3
2013-14 57 25 .695 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 クリッパーズ 4, ウォリアーズ 3 サンダー 4, クリッパーズ 2
2014–15 56 26 .683 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 クリッパーズ 4, スパーズ 3 ロケッツ 4, クリッパーズ 3
2015–16 53 29 .622 1回戦敗退 トレイルブレイザーズ 4, クリッパーズ 2
2016–17 51 31 .622 1回戦敗退 ジャズ 4, クリッパーズ 3
2017–18 42 40 .512
2018–19 48 34 .585 1回戦敗退 ウォリアーズ 4, クリッパーズ 2
2019–20 49 23 .681 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 クリッパーズ 4, マーベリックス 2ナゲッツ 4, クリッパーズ 3
2020–21 47 25 .653 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退 クリッパーズ 4, マーベリックス 3 クリッパーズ 4, ジャズ 2 サンズ 4, クリッパーズ 2
2021–22 42 40 .512
2022–23 44 38 .537 1回戦敗退 サンズ 4, クリッパーズ 1
2023–24 51 31 .622 1回戦敗退 マーベリックス 4, クリッパーズ 2
通算勝敗 1,843 2,517 .423
プレイオフ 65 83 .439
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現役選手
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プレーヤー
スタッフ
記号説明
外部リンク
更新日:2024年08月26日
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年代別主要選手
太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVP を獲得した選手 (50)…偉大な50人 (75)…偉大な75人
1970年代 (プレイオフ進出:3回)
1980年代
1990年代 (プレイオフ進出:3回)
2000年代 (プレイオフ進出:1回)
2010年代 (プレイオフ進出:7回)
2020年代 (プレイオフ進出:2回)
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日本人プレイヤー
2005年9月15日に契約したと発表されたが、その後公式戦に出場することなく解雇された。