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プロバスケットボールチーム ウィキペディアから
ニューヨーク・ニックス(New York Knicks、またはNew York Knickerbockers)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨークに本拠を置く全米プロバスケットボール協会(NBA)のチーム。イースタン・カンファレンス、アトランティック・ディビジョン所属。チーム名のknickとはニッカーボッカーズのこと。ニューヨークはオランダ人が開拓した町であることからイメージして名付けられた。
ニューヨーク・ニックス New York Knicks | ||||||
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2022-23シーズンのニューヨーク・ニックス | ||||||
所属リーグ | NBA | |||||
カンファレンス | イースタン・カンファレンス | |||||
ディビジョン | アトランティック | |||||
創設 | 1946年(NBAの前身、BAAのチームとして) | |||||
チーム史 |
ニューヨーク・ニックス (1946年-) | |||||
本拠 |
ニューヨーク州 ニューヨーク市マンハッタン区 | |||||
アリーナ | マディソン・スクエア・ガーデン | |||||
チームカラー |
青, オレンジ, シルバー, 黒, 白[1][2] | |||||
主なスポンサー | Squarespace[3] | |||||
オーナー | ジェームズ・ドーラン | |||||
社長 | レオン・ローズ | |||||
GM | ガーソン・ローサス | |||||
ヘッドコーチ | トム・シボドー | |||||
優勝歴 |
2回 (1970年, 1973年) | |||||
ファイナル進出 | 8回(1951年, 1952年, 1953年, 1970年, 1972年, 1973年, 1994年, 1999年) | |||||
ディビジョン優勝 | 8回(1953年, 1954年, 1970年, 1971年, 1989年, 1993年, 1994年, 2013年) | |||||
永久欠番 | 10 12 15 19 22 24 33 613 | |||||
NBAGL提携チーム | ウェストチェスター・ニックス | |||||
公式サイト |
www | |||||
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ニックスは、ボストン・セルティックス、ゴールデンステート・ウォリアーズと共にNBAのオリジナルチームであり、なおかつ結成以来同じ都市を本拠地としている2つのチームのうちの1つである。世界的な都市であるニューヨークを本拠地にしているため、他のチームに比べても注目度は高くトップクラスの人気を誇る。またスパイク・リーなど著名人のファンも多い。1990年代は常に優勝を争っていたが、近年はフロントが迷走し、低迷している。
経済誌『フォーブス』によると、2021年のニックスの資産価値は推定50億ドルされており、全世界のスポーツチームの中ではNFLのダラス・カウボーイズ、MLBのニューヨーク・ヤンキースに次ぐ3位、NBAチームの中では1位と格付けされている[4]。
ニューヨーク・ニッカーボッカーズ、通称ニューヨーク・ニックスは、NBAの前身であるBAA(Basketball Association of America)のチームとして1946年に創設された。「ニッカーボッカーズ」とは植民地時代初期のオランダ移民が穿いていたズボンの一種で、のちにニューヨークを象徴する存在になった。19世紀には同名の「ニューヨーク・ニッカーボッカーズ」という野球チームがあった。
1949年のNBA創設を挟む時期のニックスは、中堅から強豪といった強さのチームで、1950年代初頭にはNBAファイナル(決勝)にも進んでいる。1950年代後半からは負け越しのシーズンも多くなり、1960年代前半には勝率が4割以下にまで落ち込むこともあった。
ニックス史における最盛期の始まりとなったのは、1965年のウィリス・リードとビル・ブラッドリーの獲得だった。このシーズンにはまだチームは勝ち越せなかったが、1967年にウォルト・フレイジャーをドラフトで指名、同じ年のシーズン中にレッド・ホルツマンをヘッドコーチに迎えて以降ニックスの成績は上向き始めた。同じ67年には、のちにヘッドコーチとして9度のNBAファイナル制覇(シカゴ・ブルズで6回、ロサンゼルス・レイカーズで3回)を果たすフィル・ジャクソンも選手としてニックスに加わっている。1968年にはデイブ・ディバッシャーがトレードでニックスに参加した。
1970年にニックスはリーグ最高の60勝22敗の成績でシーズンを終え、プレイオフではNBAファイナルまで進み、4勝3敗でロサンゼルス・レイカーズを下して初のNBAファイナル制覇を果たした。このシリーズ最終の第7戦で、負傷していたウィリス・リードが怪我をおしてマディソン・スクエア・ガーデンに入場したことはニックス史上最も有名な出来事の一つである。ニックスは1972年にもNBAファイナルに進出したがレイカーズに敗退。翌シーズンにはアール・モンローも加え再びファイナルに進み、レイカーズを破り2度目の優勝を成し遂げた。
その後のニックスは次第に低迷していき、勝率が5割に届かずプレイオフ進出も果たせないシーズンが増えていった。1982年にトレードで獲得したバーナード・キングは得点王にもなる活躍を見せたが、チームはリーグの底辺から中堅程度の強さだった。
1985年には24勝58敗と低迷し、この低い勝率のためにニックスは翌シーズンのドラフト1位指名権を得た。ニックスはそのドラフトでパトリック・ユーイングを指名、ユーイングはその後20世紀の終わりまでチームにとって最も重要な選手となった。
ユーイングを獲得したもののニックスの勝ち数はすぐには増えなかったが、1989年に52勝30敗でディビジョン首位の成績。しかし翌シーズンには再び勝率が下がっていった。ニックスは1980年代の終わりにかけ、マーク・ジャクソンやチャールズ・オークレー、ジョン・スタークスなど1990年代の核になる選手を獲得している。
これらの選手を擁したニックスが再び強豪になるのは、1991年にパット・ライリーヘッドコーチを迎えて以降だった。ライリーはニックスをディフェンスの強いチームに育て上げ、他チームを苦しめた。ライリー初年度は51勝、翌シーズンは60勝と勝ち星を増やし、プレイオフではシカゴ・ブルズを追い詰めた。ニックスに再び優勝のチャンスが訪れたのは続く1994年で、シーズン途中にダラス・マーベリックスからデレック・ハーパーをトレードで獲得し、タフなディフェンスにさらに磨きをかけて、プレイオフではマイケル・ジョーダンの引退したシカゴ・ブルズに対して20点差以上つけられた試合も、第4Qに逆転する試合を演じて、ひさびさにNBAファイナルまで勝ち進んだ。ファイナルではアキーム・オラジュワンに率いられたヒューストン・ロケッツと対戦、ユーイングとのセンター対決、ガードの得点能力に注目が集まった。ロケッツの先発ガードの2人、ポイントガードのケニー・スミス、シューティングガードのバーノン・マックスウェルは概ね押さえ込んだが、当時はあまり注目されていなかった控えの新人ガード、サム・キャセールに僅差でリードされていた試合の要所で3ポイントシュートを決められるなど、3勝4敗でロケッツに優勝を譲った。
1990年代のニックスにとって、インディアナ・ペイサーズがライバルチームの1つとなった。プレイオフではペイサーズのレジー・ミラーの活躍がしばしばニックスを苦しめた(詳細はレジー・ミラーの項を参照のこと)。
ライリーは1995年を最後にマイアミ・ヒートに去り、後任にはジェフ・ヴァン・ガンディーが就いた。ヒートもライリーがニックスを退団後、ヒートのコーチになった頃からのライバルで、1997年のプレイオフではヴァン・ガンディーを巻き込んだ乱闘が起きたこともあった。この時、乱闘に直接加わらなかったもののベンチにいて立ち上がった選手も出場停止処分を受けた。
ヴァン・ガンディーに率いられたニックスは、ロックアウトで短縮された1999年のシーズンを27勝23敗とイースタン・カンファレンス8位の成績で終え、辛うじてプレイオフ進出を果たした。しかしその後はプレイオフ1回戦で宿敵ヒートを破るなど、快進撃を続け第8シードからNBAファイナルまで進んだNBA史上初のチームになった。この年のNBAファイナルでは、サンアントニオ・スパーズに1勝4敗で敗れて優勝を果たせなかった。翌1999-2000シーズンが終わると、ユーイングはシアトル・スーパーソニックスへ放出された。
ユーイング退団後不振に喘ぐニックスは、2003年にかつてデトロイト・ピストンズで活躍したアイザイア・トーマスをジェネラルマネージャーに迎えた。トーマスはニックスの潤沢な財源を利用して選手と次々と高額契約を結びチーム改革を進めたが、彼が獲得した選手はステフォン・マーブリーやスティーブ・フランシス、アンファニー・ハーダウェイなどガードの選手に偏り、さらにエディ・カリー、ザック・ランドルフなど自分本位なプレイが批判される選手が多かった。特にマーブリーは、2005年にHCに就任した名将ラリー・ブラウンと度々衝突するなどチームがバラバラな状態に陥ったニックスはさらに低迷した。
高額契約した選手のほぼ全員が期待どおりに働かず、放出した選手が他チームで活躍するなど、ゼネラルマネージャーのアイザイアの手腕を疑問視する声も聞こえる中、2006-2007シーズンにはトーマスが自らHCに就任。しかしマーブリーはトーマスとも衝突し、チームの状況はかえって深刻に悪化した。2007年にはトーマス自身のセクハラ訴訟もあり、トーマス体制に辟易していたニックスファンは、MSGで「ファイヤー・アイザイア(アイザイアをクビにしろ)」の大合唱をする始末で、トーマスを擁護し続けてきた球団オーナーもトーマスの解任を決断せざるを得なくなった。
2008年、元インディアナ・ペイサーズGMのドニー・ウォルシュがジェネラルマネージャーに、フェニックス・サンズで辣腕を振るったマイク・ダントーニがHCにトーマスの後任としてそれぞれ就任した。彼らの就任後、2009-10シーズン後にFAとなるレブロン・ジェームズやアマーレ・スタウダマイアーといった大型選手獲得に向けたサラリーキャップ対策を実施。その間のチーム成績は振るわなかったものの、トーマス体制で獲得し活躍できなかった選手を次々とトレード等で放出して、サラリーキャップを大きく空けることに成功した。そして、2009-10シーズンオフ、1番獲得したかったジェームズを獲得する事ができなかったものの、スタウダマイアーを獲得する事に成功した。2011年2月22日の大型トレードでデンバー・ナゲッツよりカーメロ・アンソニー、チャウンシー・ビラップスらを獲得しチーム強化を進めている。
2011-2012シーズンの途中でマイク・ダントーニが解任され、当時アシスタント・コーチであったマイク・ウッドソンが暫定ヘッドコーチに就任した。その後マイク・ウッドソンは正式なヘッド・コーチに就任し、オフシーズンにジェイソン・キッド、マーカス・キャンビー、ラシード・ウォレスらベテランを獲得し、それまでのマイク・ダントーニのオフェンス中心のスタイルから、ディフェンス中心のチームに変えた。2012-2013シーズンはスタートダッシュに成功し、ニューヨーク・ニックスを強豪に変身させた。
2014年1月24日、 カーメロ・アンソニーがフランチャイズ記録の62得点、13リバウンドを達成[8]。 2014年3月18日、フィル・ジャクソンが球団社長に就任することを発表した[9]。 2014年4月21日、マイク・ウッドソンをすべてのスタッフとともに解雇した。[10]2013-14シーズンは37勝45敗、イースタンカンファレンス9位という不本意な結果に終わった。2014年6月9日、かつてフィル・ジャクソンの下で5度のチャンピオンに輝いたデレック・フィッシャーをヘッドコーチとして招き、5年2500万ドルの契約を交わした。
Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率
シーズン | 勝 | 敗 | % | プレーオフ | 結果 |
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ニューヨーク・ニックス | |||||
1946–47 | 33 | 27 | .550 | 1回戦勝利 カンファレンス決勝敗退 | ニックス 2, クリーブランド 1 フィラデルフィア 2, ニックス 0 |
1947–48 | 26 | 22 | .542 | 1回戦敗退 | ボルチモア 2, ニックス 1 |
1948–49 | 32 | 28 | .533 | 1回戦勝利 カンファレンス決勝敗退 | ニックス 2, ボルティモア 1 ワシントン 2, ニックス 1 |
1949–50 | 40 | 28 | .588 | 1回戦勝利 カンファレンス決勝敗退 | ニックス 2, ワシントン 0 シラキュース 2, ニックス 0 |
1950–51 | 36 | 30 | .545 | 1回戦勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退 | ニックス 2, セルティックス 0 ニックス 3, シラキュース 2 ロチェスター 4, ニックス 3 |
1951–52 | 37 | 29 | .561 | 1回戦勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退 | ニックス 2, セルティックス 1 ニックス 3, シラキュース 1 ミネアポリス 4, ニックス 3 |
1952–53 | 47 | 23 | .671 | 1回戦勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退 | ニックス 2, ボルティモア 0 ニックス 3, セルティックス 1 ミネアポリス 4, ニックス 1 |
1953–54 | 44 | 28 | .611 | 総当り戦 総当り戦 | シラキュース 2, ニックス 0 セルティックス 2, ニックス 0 |
1954–55 | 38 | 34 | .528 | 1回戦敗退 | セルティックス 2, ニックス 1 |
1955–56 | 35 | 37 | .486 | 1回戦敗退 | シラキュース 1, ニックス 0 |
1956–57 | 36 | 36 | .500 | ||
1957–58 | 35 | 37 | .486 | ||
1958–59 | 40 | 32 | .556 | 1回戦敗退 | シラキュース 2, ニックス 0 |
1959–60 | 27 | 48 | .360 | ||
1960–61 | 21 | 58 | .266 | ||
1961–62 | 29 | 51 | .363 | ||
1962–63 | 21 | 59 | .263 | ||
1963–64 | 22 | 58 | .275 | ||
1964–65 | 31 | 49 | .388 | ||
1965–66 | 30 | 50 | .375 | ||
1966–67 | 36 | 45 | .444 | 1回戦敗退 | セルティックス 3, ニックス 1 |
1967–68 | 43 | 39 | .524 | 1回戦敗退 | シラキュース 4, ニックス 2 |
1968–69 | 54 | 28 | .659 | 1回戦勝利 カンファレンス決勝敗退 | ニックス 4, ボルチモア 0 セルティックス 4, ニックス 2 |
1969–70 | 60 | 22 | .732 | 1回戦勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル優勝 | ニックス 4, ボルチモア 3 ニックス 4, バックス 1 ニックス 4, レイカーズ 3 |
1970–71 | 52 | 30 | .634 | 1回戦勝利 カンファレンス決勝敗退 | ニックス 4, ホークス 1 ボルチモア 4, ニックス 3 |
1971–72 | 48 | 34 | .585 | 1回戦勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退 | ニックス 4, ボルチモア 2 ニックス 4, セルティックス 1 レイカーズ 4, ニックス 1 |
1972–73 | 57 | 25 | .695 | 1回戦勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル優勝 | ニックス 4, ボルチモア 1 ニックス 4, セルティックス 3 ニックス 4, レイカーズ 1 |
1973–74 | 49 | 33 | .598 | 1回戦勝利 カンファレンス決勝敗退 | ニックス 4, キャピタル 3 セルティックス 4, ニックス 1 |
1974–75 | 40 | 42 | .488 | 1回戦敗退 | ロケッツ 2, ニックス 1 |
1975–76 | 38 | 44 | .463 | ||
1976–77 | 40 | 42 | .488 | ||
1977–78 | 43 | 39 | .524 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 | ニックス 2, キャブス 0 シクサーズ 4, ニックス 0 |
1978–79 | 31 | 51 | .378 | ||
1979–80 | 39 | 43 | .476 | ||
1980–81 | 50 | 32 | .610 | 1回戦敗退 | ブルズ 2, ニックス 0 |
1981–82 | 33 | 49 | .402 | ||
1982–83 | 44 | 38 | .537 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 | ニックス 2, ネッツ 0 シクサーズ 4, ニックス 0 |
1983–84 | 47 | 35 | .537 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 | ニックス 3, ピストンズ 2 セルティックス 4, ニックス 3 |
1984–85 | 24 | 58 | .293 | ||
1985–86 | 23 | 59 | .280 | ||
1986–87 | 24 | 58 | .293 | ||
1987–88 | 38 | 44 | .463 | 1回戦敗退 | セルティックス 3, ニックス 1 |
1988–89 | 52 | 30 | .634 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 | ニックス 3, シクサーズ 0 ブルズ 4, ニックス 2 |
1989–90 | 45 | 37 | .549 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 | ニックス 3, セルティックス 2 ピストンズ 4, ニックス 1 |
1990–91 | 39 | 43 | .476 | 1回戦敗退 | ブルズ 3, ニックス 0 |
1991–92 | 51 | 31 | .622 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 | ニックス 3, ピストンズ 2 ブルズ 4, ニックス 3 |
1992–93 | 60 | 22 | .732 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退 | ニックス 3, ペイサーズ 1 ニックス 4, シャーロット 1 ブルズ 4, ニックス 2 |
1993–94 | 57 | 25 | .695 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退 | ニックス 3, ネッツ 1 ニックス 4, ブルズ 3 ニックス 4, ペイサーズ 3 ロケッツ 4, ニックス 3 |
1994–95 | 55 | 27 | .671 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 | ニックス 3, キャブス 1 ペイサーズ 4, ニックス 3 |
1995–96 | 47 | 35 | .573 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 | ニックス 3, キャブス 0 ブルズ 4, ニックス 1 |
1996–97 | 57 | 25 | .695 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 | ニックス 3, シャーロット 0 ヒート 4, ニックス 3 |
1997–98 | 43 | 39 | .524 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 | ニックス 3, ヒート 2 ペイサーズ 4, ニックス 1 |
1998–99 | 27 | 23 | .540 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退 | ニックス 3, ヒート 2 ニックス 4, ホークス 0 ニックス 4, ペイサーズ 2 スパーズ 4, ニックス 1 |
1999–2000 | 50 | 32 | .610 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退 | ニックス 3, ラプターズ 0 ニックス 4, ヒート 3 ペイサーズ 4, ニックス 2 |
2000–01 | 48 | 34 | .585 | 1回戦敗退 | ラプターズ 3, ニックス 2 |
2001–02 | 30 | 52 | .366 | ||
2002–03 | 37 | 45 | .451 | ||
2003–04 | 39 | 43 | .476 | 1回戦敗退 | ネッツ 4, ニックス 0 |
2004–05 | 33 | 49 | .402 | ||
2005–06 | 23 | 59 | .280 | ||
2006-07 | 33 | 49 | .402 | ||
2007-08 | 23 | 59 | .280 | ||
2008-09 | 32 | 50 | .390 | ||
2009-10 | 29 | 53 | .354 | ||
2010-11 | 42 | 40 | .512 | 1回戦敗退 | セルティックス 4, ニックス 0 |
2011-12 | 36 | 30 | .545 | 1回戦敗退 | ヒート 4, ニックス 1 |
2012-13 | 54 | 28 | .659 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 | ニックス 4, セルティックス 2 ペイサーズ 4, ニックス 2 |
2013-14 | 37 | 45 | .451 | ||
2014-15 | 17 | 65 | .207 | ||
2015-16 | 32 | 50 | .390 | ||
2016–17 | 31 | 51 | .378 | ||
2017–18 | 29 | 53 | .354 | ||
2018–19 | 17 | 65 | .207 | ||
2019–20 | 21 | 45 | .318 | ||
2020–21 | 41 | 31 | .569 | 1回戦敗退 | ホークス 4, ニックス 1 |
2021–22 | 37 | 45 | .451 | ||
2022–23 | 47 | 35 | .573 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 | ニックス 4, キャバリアーズ 1 ヒート 4, ニックス 2 |
2023–24 | 50 | 32 | .610 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 | ニックス 4, シクサーズ 2 ペイサーズ 4, ニックス 3 |
通算勝敗 | 2,974 | 3,131 | .487 | ||
プレイオフ | 199 | 203 | .495 | 優勝2回 |
プレーヤー | スタッフ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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記号説明 外部リンク 更新日:2024年12月4日 |
太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人 (75)…偉大な75人
殿堂入り
|
永久欠番
|
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