ニューヨーク・ニックス

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ニューヨーク・ニックス

ニューヨーク・ニックスNew York Knicks、またはNew York Knickerbockers)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨークに本拠を置く全米プロバスケットボール協会(NBA)のチーム。イースタン・カンファレンスアトランティック・ディビジョン所属。チーム名のknickとはニッカーボッカーズのこと。ニューヨークはオランダ人が開拓した町であることからイメージして名付けられた。

概要 ニューヨーク・ニックス New York Knicks, 所属リーグ ...
ニューヨーク・ニックス
New York Knicks
2022-23シーズンのニューヨーク・ニックス
所属リーグ  NBA 
カンファレンス  イースタン・カンファレンス 
ディビジョン  アトランティック 
創設 1946年(NBAの前身、BAAのチームとして)
チーム史 ニューヨーク・ニックス
(1946年-)
本拠 ニューヨーク州
ニューヨーク市マンハッタン区
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アリーナ マディソン・スクエア・ガーデン
チームカラー 青, オレンジ, シルバー, 黒, 白[1][2]
         
主なスポンサー Squarespace[3]
オーナー ジェームズ・ドーラン英語版
社長 レオン・ローズ英語版
GM ガーソン・ローサス英語版
ヘッドコーチ トム・シボドー
優勝歴 2回
1970年, 1973年
ファイナル進出 8回(1951年, 1952年, 1953年, 1970年, 1972年, 1973年, 1994年, 1999年)
ディビジョン優勝 8回(1953年, 1954年, 1970年, 1971年, 1989年, 1993年, 1994年, 2013年)
永久欠番  10   12   15   19   22   24   33   613 
NBAGL提携チーム ウェストチェスター・ニックス
公式サイト www.nba.com/knicks
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ニックスは、ボストン・セルティックスゴールデンステート・ウォリアーズと共にNBAのオリジナルチームであり、なおかつ結成以来同じ都市を本拠地としている2つのチームのうちの1つである。世界的な都市であるニューヨークを本拠地にしているため、他のチームに比べても注目度は高くトップクラスの人気を誇る。またスパイク・リーなど著名人のファンも多い。1990年代は常に優勝を争っていたが、近年はフロントが迷走し、低迷している。

経済誌『フォーブス』によると、2021年のニックスの資産価値は推定50億ドルされており、全世界のスポーツチームの中ではNFLダラス・カウボーイズMLBニューヨーク・ヤンキースに次ぐ3位、NBAチームの中では1位と格付けされている[4]

歴史

要約
視点

初期

ニューヨーク・ニッカーボッカーズ、通称ニューヨーク・ニックスは、NBAの前身であるBAA(Basketball Association of America)のチームとして1946年に創設された。「ニッカーボッカーズ」とは植民地時代初期のオランダ移民が穿いていたズボンの一種で、のちにニューヨークを象徴する存在になった。19世紀には同名の「ニューヨーク・ニッカーボッカーズ」という野球チームがあった。

1949年のNBA創設を挟む時期のニックスは、中堅から強豪といった強さのチームで、1950年代初頭にはNBAファイナル(決勝)にも進んでいる。1950年代後半からは負け越しのシーズンも多くなり、1960年代前半には勝率が4割以下にまで落ち込むこともあった。

リード時代の優勝

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ウィリス・リード

ニックス史における最盛期の始まりとなったのは、1965年ウィリス・リードビル・ブラッドリーの獲得だった。このシーズンにはまだチームは勝ち越せなかったが、1967年ウォルト・フレイジャーをドラフトで指名、同じ年のシーズン中にレッド・ホルツマンをヘッドコーチに迎えて以降ニックスの成績は上向き始めた。同じ67年には、のちにヘッドコーチとして9度のNBAファイナル制覇(シカゴ・ブルズで6回、ロサンゼルス・レイカーズで3回)を果たすフィル・ジャクソンも選手としてニックスに加わっている。1968年にはデイブ・ディバッシャーがトレードでニックスに参加した。

1970年にニックスはリーグ最高の60勝22敗の成績でシーズンを終え、プレイオフではNBAファイナルまで進み、4勝3敗でロサンゼルス・レイカーズを下して初のNBAファイナル制覇を果たした。このシリーズ最終の第7戦で、負傷していたウィリス・リードが怪我をおしてマディソン・スクエア・ガーデンに入場したことはニックス史上最も有名な出来事の一つである。ニックスは1972年にもNBAファイナルに進出したがレイカーズに敗退。翌シーズンにはアール・モンローも加え再びファイナルに進み、レイカーズを破り2度目の優勝を成し遂げた。

低迷期

その後のニックスは次第に低迷していき、勝率が5割に届かずプレイオフ進出も果たせないシーズンが増えていった。1982年にトレードで獲得したバーナード・キングは得点王にもなる活躍を見せたが、チームはリーグの底辺から中堅程度の強さだった。

ユーイングの時代

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1995年のパトリック・ユーイング

1985年には24勝58敗と低迷し、この低い勝率のためにニックスは翌シーズンのドラフト1位指名権を得た。ニックスはそのドラフトでパトリック・ユーイングを指名、ユーイングはその後20世紀の終わりまでチームにとって最も重要な選手となった。

ユーイングを獲得したもののニックスの勝ち数はすぐには増えなかったが、1989年に52勝30敗でディビジョン首位の成績。しかし翌シーズンには再び勝率が下がっていった。ニックスは1980年代の終わりにかけ、マーク・ジャクソンチャールズ・オークレージョン・スタークスなど1990年代の核になる選手を獲得している。

これらの選手を擁したニックスが再び強豪になるのは、1991年パット・ライリーヘッドコーチを迎えて以降だった。ライリーはニックスをディフェンスの強いチームに育て上げ、他チームを苦しめた。ライリー初年度は51勝、翌シーズンは60勝と勝ち星を増やし、プレイオフではシカゴ・ブルズを追い詰めた。ニックスに再び優勝のチャンスが訪れたのは続く1994年で、シーズン途中にダラス・マーベリックスからデレック・ハーパーをトレードで獲得し、タフなディフェンスにさらに磨きをかけて、プレイオフではマイケル・ジョーダンの引退したシカゴ・ブルズに対して20点差以上つけられた試合も、第4Qに逆転する試合を演じて、ひさびさにNBAファイナルまで勝ち進んだ。ファイナルではアキーム・オラジュワンに率いられたヒューストン・ロケッツと対戦、ユーイングとのセンター対決、ガードの得点能力に注目が集まった。ロケッツの先発ガードの2人、ポイントガードケニー・スミスシューティングガードバーノン・マクスウェルは概ね押さえ込んだが、当時はあまり注目されていなかった控えの新人ガード、サム・キャセールに僅差でリードされていた試合の要所で3ポイントシュートを決められるなど、3勝4敗でロケッツに優勝を譲った。

1990年代のニックスにとって、インディアナ・ペイサーズがライバルチームの1つとなった。プレイオフではペイサーズのレジー・ミラーの活躍がしばしばニックスを苦しめた(詳細はレジー・ミラーの項を参照のこと)。

ライリーは1995年を最後にマイアミ・ヒートに去り、後任にはジェフ・ヴァン・ガンディーが就いた。ヒートもライリーがニックスを退団後、ヒートのコーチになった頃からのライバルで、1997年のプレイオフではヴァン・ガンディーを巻き込んだ乱闘が起きたこともあった。この時、乱闘に直接加わらなかったもののベンチにいて立ち上がった選手も出場停止処分を受けた。

ヴァン・ガンディーに率いられたニックスは、ロックアウトで短縮された1999年のシーズンを27勝23敗とイースタン・カンファレンス8位の成績で終え、辛うじてプレイオフ進出を果たした。しかしその後はプレイオフ1回戦で宿敵ヒートを破るなど、快進撃を続け第8シードからNBAファイナルまで進んだNBA史上初のチームになった。この年のNBAファイナルでは、サンアントニオ・スパーズに1勝4敗で敗れて優勝を果たせなかった。翌1999-2000シーズンが終わると、ユーイングはシアトル・スーパーソニックスへ放出された。

アイザイア・トーマス体制

ユーイング退団後不振に喘ぐニックスは、2003年にかつてデトロイト・ピストンズで活躍したアイザイア・トーマスをジェネラルマネージャーに迎えた。トーマスはニックスの潤沢な財源を利用して選手と次々と高額契約を結びチーム改革を進めたが、彼が獲得した選手はステフォン・マーブリースティーブ・フランシスアンファニー・ハーダウェイなどガードの選手に偏り、さらにエディ・カリーザック・ランドルフなど自分本位なプレイが批判される選手が多かった。特にマーブリーは、2005年にHCに就任した名将ラリー・ブラウンと度々衝突するなどチームがバラバラな状態に陥ったニックスはさらに低迷した。

高額契約した選手のほぼ全員が期待どおりに働かず、放出した選手が他チームで活躍するなど、ゼネラルマネージャーのアイザイアの手腕を疑問視する声も聞こえる中、2006-2007シーズンにはトーマスが自らHCに就任。しかしマーブリーはトーマスとも衝突し、チームの状況はかえって深刻に悪化した。2007年にはトーマス自身のセクハラ訴訟もあり、トーマス体制に辟易していたニックスファンは、MSGで「ファイヤー・アイザイア(アイザイアをクビにしろ)」の大合唱をする始末で、トーマスを擁護し続けてきた球団オーナーもトーマスの解任を決断せざるを得なくなった。

トーマス体制からの脱却

2008年、元インディアナ・ペイサーズGMのドニー・ウォルシュがジェネラルマネージャーに、フェニックス・サンズで辣腕を振るったマイク・ダントーニがHCにトーマスの後任としてそれぞれ就任した。彼らの就任後、2009-10シーズン後にFAとなるレブロン・ジェームズアマーレ・スタウダマイアーといった大型選手獲得に向けたサラリーキャップ対策を実施。その間のチーム成績は振るわなかったものの、トーマス体制で獲得し活躍できなかった選手を次々とトレード等で放出して、サラリーキャップを大きく空けることに成功した。そして、2009-10シーズンオフ、1番獲得したかったジェームズを獲得する事ができなかったものの、スタウダマイアーを獲得する事に成功した。2011年2月22日の大型トレードでデンバー・ナゲッツよりカーメロ・アンソニーチャウンシー・ビラップスらを獲得しチーム強化を進めている。

マイク・ダントーニ体制からマイク・ウッドソン体制

2011-2012シーズンの途中でマイク・ダントーニが解任され、当時アシスタント・コーチであったマイク・ウッドソンが暫定ヘッドコーチに就任した。その後ウッドソンは正式なヘッドコーチに就任し、オフシーズンにジェイソン・キッドマーカス・キャンビーラシード・ウォーレスらベテランを獲得し、それまでのマイク・ダントーニのオフェンス中心のスタイルから、ディフェンス中心のチームに変えた。2012-2013シーズンはスタートダッシュに成功し、ニューヨーク・ニックスを強豪に変身させた。

フィル・ジャクソン体制(2014年以降)

  • 2013年9月26日、ニックスは、GMをスティーブ・ミルズに交代することを発表、[5]、2014年3月10日、NBADリーグのホワイトプレーンズ買収を発表した[6]。 1月22日フォーブス誌は、ニックスが世界で最も資産価値(1.4億ドル)が高いバスケットボール球団であると報じた[7]
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カーメロ・アンソニー

2014年1月24日にカーメロ・アンソニーがフランチャイズ記録となる62得点を含む13リバウンドを記録[8]。 2014年3月18日、フィル・ジャクソンが球団社長に就任することを発表した[9]。 2014年4月21日、マイク・ウッドソンをすべてのスタッフとともに解雇した。[10]2013-14シーズンは37勝45敗、イースタンカンファレンス9位という不本意な結果に終わった。2014年6月9日、かつてフィル・ジャクソンの下で5度のチャンピオンに輝いたデレック・フィッシャーをヘッドコーチとして招き、5年総額2,500万ドルの契約を交わした。

カーメロからポルジンギスへ

  • 2017年9月25日、2011年からチームのエースを務めてきたカーメロをオクラホマシティ・サンダーにトレード[12]、ポルジンギスの一頭体制に移ることになった。2018年1月23日にはポルジンギスがキャリア初のオールスター選ばれたが[13]、2月6日のミルウォーキー・バックス戦で左膝前十字靭帯断裂の大怪我を負い長期離脱が決定した[14]。結局、昨季から2つ勝ち星を落とし29勝53敗でシーズン終了、5季連続でプレーオフ進出を逃した[15]。2018年4月12日、ホーナセックをヘッドコーチの職から解任した[16]

続く迷走

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RJ・バレット

低迷脱却へ

  • 2020-2021シーズンはディフェンシブチームの構築に定評のあるトム・シボドーが新ヘッドコーチに就任[19]。これによりチームのディフェンスは飛躍的に向上した。さらに在籍2年目のジュリアス・ランドルがオールスターに選出されるなどエースに成長。2年目のバレットや新人のイマニュエル・クイックリーらの活躍もあり、開幕からプレーオフ争いを演じる。シーズン途中にはかつてシボドーのもとでプレーしたローズを再びトレードで獲得した。その後もランドルを中心にチームは奮闘。シーズン終盤には9連勝を記録するなど快進撃を見せ、8年ぶりとなるプレーオフ進出を決めた。そして、オフシーズンにケンバ・ウォーカーエバン・フォーニエを獲得した。
  • 2022年1月13日、ニックスは2018年NBAドラフト全体8位指名のケビン・ノックスとプロテクトされた将来の1巡目指名権を、2019年NBAドラフト全体10位指名のキャム・レディッシュソロモン・ヒル、2025年のドラフト2巡目指名権と現金と引き換えにアトランタ・ホークスにトレードした。2021-2022シーズンは、エースのランドルの不調もありイースタンカンファレンス11位で終了した。その一方で、3年目のバレットがシーズン平均20.0得点、5.8リバウンド、3.0アシストを記録し、今後に期待がもてるシーズンであった。
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ジェイレン・ブランソン

シーズンごとの成績

Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率

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シーズン  % プレーオフ 結果
ニューヨーク・ニックス
1946–473327.5501回戦勝利
カンファレンス決勝敗退
ニックス 2, クリーブランド 1
フィラデルフィア 2, ニックス 0
1947–482622.5421回戦敗退ボルチモア 2, ニックス 1
1948–493228.5331回戦勝利
カンファレンス決勝敗退
ニックス 2, ボルティモア 1
ワシントン 2, ニックス 1
1949–504028.5881回戦勝利
カンファレンス決勝敗退
ニックス 2, ワシントン 0
シラキュース 2, ニックス 0
1950–513630.5451回戦勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
ニックス 2, セルティックス 0
ニックス 3, シラキュース 2
ロチェスター 4, ニックス 3
1951–523729.5611回戦勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
ニックス 2, セルティックス 1
ニックス 3, シラキュース 1
ミネアポリス 4, ニックス 3
1952–534723.6711回戦勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
ニックス 2, ボルティモア 0
ニックス 3, セルティックス 1
ミネアポリス 4, ニックス 1
1953–544428.611総当り戦
総当り戦
シラキュース 2, ニックス 0
セルティックス 2, ニックス 0
1954–553834.5281回戦敗退セルティックス 2, ニックス 1
1955–563537.4861回戦敗退シラキュース 1, ニックス 0
1956–573636.500
1957–583537.486
1958–594032.5561回戦敗退シラキュース 2, ニックス 0
1959–602748.360
1960–612158.266
1961–622951.363
1962–632159.263
1963–642258.275
1964–653149.388
1965–663050.375
1966–673645.4441回戦敗退セルティックス 3, ニックス 1
1967–684339.5241回戦敗退シラキュース 4, ニックス 2
1968–695428.6591回戦勝利
カンファレンス決勝敗退
ニックス 4, ボルチモア 0
セルティックス 4, ニックス 2
1969–706022.7321回戦勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝
ニックス 4, ボルチモア 3
ニックス 4, バックス 1
ニックス 4, レイカーズ 3
1970–715230.6341回戦勝利
カンファレンス決勝敗退
ニックス 4, ホークス 1
ボルチモア 4, ニックス 3
1971–724834.5851回戦勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
ニックス 4, ボルチモア 2
ニックス 4, セルティックス 1
レイカーズ 4, ニックス 1
1972–735725.6951回戦勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝
ニックス 4, ボルチモア 1
ニックス 4, セルティックス 3
ニックス 4, レイカーズ 1
1973–744933.5981回戦勝利
カンファレンス決勝敗退
ニックス 4, キャピタル 3
セルティックス 4, ニックス 1
1974–754042.4881回戦敗退ロケッツ 2, ニックス 1
1975–763844.463
1976–774042.488
1977–784339.5241回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 2, キャブス 0
シクサーズ 4, ニックス 0
1978–793151.378
1979–803943.476
1980–815032.6101回戦敗退ブルズ 2, ニックス 0
1981–823349.402
1982–834438.5371回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 2, ネッツ 0
シクサーズ 4, ニックス 0
1983–844735.5371回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 3, ピストンズ 2
セルティックス 4, ニックス 3
1984–852458.293
1985–862359.280
1986–872458.293
1987–883844.4631回戦敗退セルティックス 3, ニックス 1
1988–895230.6341回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 3, シクサーズ 0
ブルズ 4, ニックス 2
1989–904537.5491回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 3, セルティックス 2
ピストンズ 4, ニックス 1
1990–913943.4761回戦敗退ブルズ 3, ニックス 0
1991–925131.6221回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 3, ピストンズ 2
ブルズ 4, ニックス 3
1992–936022.7321回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ニックス 3, ペイサーズ 1
ニックス 4, シャーロット 1
ブルズ 4, ニックス 2
1993–945725.6951回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
ニックス 3, ネッツ 1
ニックス 4, ブルズ 3
ニックス 4, ペイサーズ 3
ロケッツ 4, ニックス 3
1994–955527.6711回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 3, キャブス 1
ペイサーズ 4, ニックス 3
1995–964735.5731回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 3, キャブス 0
ブルズ 4, ニックス 1
1996–975725.6951回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 3, シャーロット 0
ヒート 4, ニックス 3
1997–984339.5241回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 3, ヒート 2
ペイサーズ 4, ニックス 1
1998–992723.5401回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
ニックス 3, ヒート 2
ニックス 4, ホークス 0
ニックス 4, ペイサーズ 2
スパーズ 4, ニックス 1
1999–20005032.6101回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ニックス 3, ラプターズ 0
ニックス 4, ヒート 3
ペイサーズ 4, ニックス 2
2000–014834.5851回戦敗退ラプターズ 3, ニックス 2
2001–023052.366
2002–033745.451
2003–043943.4761回戦敗退ネッツ 4, ニックス 0
2004–053349.402
2005–062359.280
2006-073349.402
2007-082359.280
2008-093250.390
2009-102953.354
2010-114240.5121回戦敗退セルティックス 4, ニックス 0
2011-123630.5451回戦敗退ヒート 4, ニックス 1
2012-135428.6591回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 4, セルティックス 2
ペイサーズ 4, ニックス 2
2013-143745.451
2014-151765.207
2015-163250.390
2016–173151.378
2017–182953.354
2018–191765.207
2019–202145.318
2020–214131.5691回戦敗退ホークス 4, ニックス 1
2021–223745.451
2022–234735.5731回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 4, キャバリアーズ 1
ヒート 4, ニックス 2
2023–245032.6101回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 4, シクサーズ 2
ペイサーズ 4, ニックス 3
通算勝敗2,9743,131.487
プレイオフ199203.495優勝2回
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主な選手

要約
視点

現役選手

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プレーヤー スタッフ
Pos. # 名前 国籍 年齢 身長 体重 出身
F/C 5 プレシャス・アチュワ (Precious Achiuwa) ナイジェリア 25 (1999/09/19) 6 ft 8 in (2.03 m) 243 lb (110 kg) メンフィス大学 
F 8 OG・アヌノビー (OG Anunoby) イギリス 27 (1997/07/17) 6 ft 7 in (2.01 m) 240 lb (109 kg) インディアナ大学 
G/F 25 ミカル・ブリッジズ (Mikal Bridges) アメリカ合衆国 28 (1996/08/30) 6 ft 6 in (1.98 m) 209 lb (95 kg) ビラノバ大学 
G 11 ジェイレン・ブランソン (Jalen Brunson) キャプテン アメリカ合衆国 28 (1996/08/31) 6 ft 1 in (1.85 m) 190 lb (86 kg) ビラノバ大学 
G/F 35 パコム・ダディエ (Pacôme Dadiet) フランス 19 (2005/07/27) 6 ft 8 in (2.03 m) 210 lb (95 kg) フランス 
P/F 3 ジョシュ・ハート (Josh Hart) アメリカ合衆国 29 (1995/03/06) 6 ft 4 in (1.93 m) 215 lb (98 kg) ビラノバ大学 
C 55 アリエル・フクポルティ (Ariel Hukporti) ドイツ 22 (2002/04/12) 7 ft 0 in (2.13 m) 254 lb (115 kg) ドイツ 
G 13 タイラー・コレック (Tyler Kolek) アメリカ合衆国 23 (2001/03/27) 6 ft 5 in (1.96 m) 205 lb (93 kg) マーケット大学 
G 2 マイルズ・マクブライド (Miles McBride) 6th アメリカ合衆国 24 (2000/09/08) 6 ft 2 in (1.88 m) 200 lb (91 kg) ウェストバージニア大学 
G 9 ケビン・マッカラー・ジュニア (Kevin McCullar Jr.)  アメリカ合衆国 23 (2001/03/15) 6 ft 7 in (2.01 m) 212 lb (96 kg) カンザス大学 
G 1 キャメロン・ペイン (Cameron Payne) アメリカ合衆国 30 (1994/08/08) 6 ft 3 in (1.91 m) 183 lb (83 kg) マレー州立大学 
C 23 ミッチェル・ロビンソン (Mitchell Robinson)  アメリカ合衆国 26 (1998/04/01) 7 ft 0 in (2.13 m) 240 lb (109 kg) シャルメット高等学校 
F 37 マット・ライアン (Matt Ryan)  アメリカ合衆国 27 (1997/04/17) 6 ft 6 in (1.98 m) 210 lb (95 kg) チャタヌーガ大学 
G 44 ランドリー・シャメット (Landry Shamet) アメリカ合衆国 27 (1997/03/13) 6 ft 4 in (1.93 m) 190 lb (86 kg) ウィチタ州立大学 
F 00 ジェイコブ・トッピン (Jacob Toppin)  アメリカ合衆国 24 (2000/05/08) 6 ft 8 in (2.03 m) 200 lb (91 kg) ケンタッキー大学 
F/C 32 カール=アンソニー・タウンズ (Karl-Anthony Towns) ドミニカ共和国 29 (1995/11/15) 6 ft 11 in (2.11 m) 248 lb (112 kg) ケンタッキー大学 
G 0 デロン・ライト (Delon Wright) アメリカ合衆国 32 (1992/04/26) 6 ft 5 in (1.96 m) 185 lb (84 kg) ユタ大学 
ヘッドコーチ
アメリカ合衆国の旗 トム・シボドー (Tom Thibodeau)
アシスタントコーチ
  アメリカ合衆国の旗 リック・ブランソン (Rick Brunson)
  アメリカ合衆国の旗 マーク・ブライアント (Mark Bryant)
  アメリカ合衆国の旗 モーリス・チークス (Jonnie Bryant)
  アメリカ合衆国の旗 ダレン・アーマン (Darren Erman)
  アメリカ合衆国の旗 アンディ・グリアー (Andy Greer)
  日本の旗 吉本泰輔 (Daisuke Yoshimoto)

記号説明


外部リンク


更新日:2025年02月11日

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保有するドラフト交渉権

ニックスは、NBA以外のリーグでプレーしている以下の未契約ドラフト指名選手の交渉権を保有している。ドラフトで指名された選手(海外出身の選手または大学選手で、ドラフトで指名したチームと契約していない選手)は、NBA以外のどのチームとでも契約することが認められており、この場合、そのチームは、その選手のNBA以外のチームとの契約が終了してから1年後まで、その選手のNBAでの交渉権を保持することになる[20]。このリストには、他球団とのトレードで獲得した交渉権も含まれている。

さらに見る ドラフト年, 巡目 ...
ドラフト年 巡目 指名順 選手 ポジション 国籍 現所属チーム 注釈 参照
2023 2 31 ジェームズ・ナジ C ナイジェリアの旗 ナイジェリア バスケット・ジローナ英語版 (スペイン) デトロイト・ピストンズから獲得 (シャーロットを経由して) [21]
2021 2 34 ロカス・ヨクバイティス G  リトアニア マッカビ・テル・アビブ (イスラエル) オクラホマシティ・サンダーから獲得 [22]
2017 2 50 マティアス・レソート C フランスの旗 フランス パナシナイコスBC (ギリシャ) フィラデルフィア・76ersから獲得 (クリッパーズ、ミネソタを経由して) [23]
2017 2 58 オグニェン・ヤラマズ G セルビアの旗 セルビア サスキ・バスコニア (スペイン) [24]
2016 2 57 王哲林 C 中華人民共和国の旗 中国 上海シャークス (中国) メンフィス・グリズリーズから獲得 (レイカーズを経由して) [25][26]
2015 2 39 フアン・パブロ・ヴァウレ F アルゼンチンの旗 アルゼンチン パレンシア・バロンセスト英語版 (スペイン) インディアナ・ペイサーズから獲得 (ブルックリン、シャーロットを経由して) [27]
2015 2 57 ニコラ・ラディチェビッチ G セルビアの旗 セルビア ジキ・ワルシャワ英語版 (ポーランド) デンバー・ナゲッツから獲得 (デトロイトを経由して) [28]
2013 2 59 ボヤン・ドゥブリェヴィッチ F モンテネグロの旗 モンテネグロ バスケット・サラゴサ2002 (スペイン) ポートランド・トレイルブレイザーズ (ミネソタを経由して) [29]
2009 2 34 セルヒオ・リュル G スペインの旗 スペイン レアル・マドリード・バロンセスト (スペイン) デンバー・ナゲッツから獲得 (ヒューストンを経由して) [30][31]
2009 2 57 エミール・プレルドジッチ G/F スロベニアの旗 スロベニア
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ
トルコの旗 トルコ
オルロヴィク・ゼプツェ (ボスニア・ヘルツェゴビナ) フェニックス・サンズから獲得 (クリーブランド、ワシントン、ダラス、インディアナ、トロント、フィラデルフィアを経由して) [32]
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年代別主要選手

太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人 (75)…偉大な75人

栄誉

要約
視点

永久欠番

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ニューヨーク・ニックス永久欠番
No. 選手 ポジション 在籍期間 式典日
10 ウォルト・フレイジャーG1967–19771979年12月15日
12 ディック・バーネットG1965–19731990年3月10日
15 1 アール・モンローG1971–19801986年3月1日
ディック・マグワイアG1949–19571992年3月14日
19 ウィリス・リードC1964–19741976年10月21日
22 デイブ・ディバッシャーF1969–19741981年3月24日
24 ビル・ブラッドリーF1967–19771984年2月18日
33 パトリック・ユーイングC1985–20002003年2月28日
613 2 レッド・ホルツマン1967–1977
1978–1982
1990年3月10日
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注釈

  • 1 1つの背番号を2人で永久欠番となった[33]
  • 2 ニックスのヘッドコーチとしての勝利数を表している。
  • 2022年8月11日に、NBAはビル・ラッセルの背番号「6」を全チームの永久欠番とした[34][35]

殿堂入り

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ニューヨーク・ニックス殿堂入り
選手
No.名前ポジション在籍期間殿堂入り年No.名前ポジション在籍期間殿堂入り年
6 トム・ゴーラ G/F1962–19661976 32 ジェリー・ルーカス 3 C1971–19741980
7 スレーター・マーティン G19561982 19 ウィリス・リード C1964–19741982
24 ビル・ブラッドリー F/G1967–19771982 22 デイブ・ディバッシャー F1969–19741983
10 ウォルト・フレイジャー G1967–19771987 15
21
33
アール・モンロー G1972–19801990
11 ハリー・ギャラティン F/C1948–19571991 15 ディック・マグワイア G1949–19571993
8 ウォルト・ベラミー 4 C1965–19681993 11 ボブ・マカドゥー F/C1976–19792000
33 パトリック・ユーイング 1 C1985–20002008 9 リッチー・ゲーリン G1956–19632013
30 バーナード・キング F1982–19872013 8
19
ナサニエル・クリフトン F1950–19562014
42 スペンサー・ヘイウッド F/C1975–19792015 55 ディケンベ・ムトンボ C2003–20042015
3 トレイシー・マグレディ G/F20102017 1 モーリス・チークス G1990–19912018
5 ジェイソン・キッド G2012–20132018 4 カール・ブラウン G1947–1950
1952–1961
2019
44 ポール・ウェストファル G1981–19832019 12 ディック・バーネット G1965–19732024
4 チャウンシー・ビラップス G20112024
コーチ
名前役職在籍期間殿堂入り年名前役職在籍期間殿堂入り年
613 レッド・ホルツマン ヘッドコーチ1967–1977
1978–1982
1986 レニー・ウィルケンズ 2 ヘッドコーチ2004–20051998
ラリー・ブラウン ヘッドコーチ2005–20062002 パット・ライリー ヘッドコーチ1991–19952008
ドン・ネルソン ヘッドコーチ1995–19962012 リック・ピティーノ ヘッドコーチ1987–19892013
貢献者
名前役職在籍期間殿堂入り年名前役職在籍期間殿堂入り年
ネッド・アイリッシュ英語版 創設者
社長
1946–19741964 ヒュービー・ブラウン ヘッドコーチ1982–19862005
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注釈

  • 1 ユーイングはバルセロナ五輪代表チームとしても殿堂入りを果たした。
  • 2 ウィルケンズはバルセロナ五輪代表チームとしても殿堂入りを果たした。
  • 3 ルーカスはローマ五輪代表チームとしても殿堂入りを果たした。
  • 4 ベラミーはローマ五輪代表チームとしても殿堂入りを果たした。

コーチ、その他

チーム記録

ニューヨーク・ニックスのチーム記録

脚注

外部リンク

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