デトロイト・ピストンズ

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デトロイト・ピストンズ

デトロイト・ピストンズDetroit Pistons)は、アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト市に本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。イースタン・カンファレンスセントラル・ディビジョン所属。チーム名は自動車産業で有名な同市にちなんで名づけられた。Pistonとは自動車の動力装置に欠かせない部品であり、初代オーナーがピストン工場を経営していたことから。NBA最古の歴史を誇る人気チーム。

概要 デトロイト・ピストンズ Detroit Pistons, チームロゴ ...
デトロイト・ピストンズ
Detroit Pistons
2021-22シーズンのデトロイト・ピストンズ
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チームロゴ バスケットボールを背景にPISTONSというロゴ。
所属リーグ  NBA 
カンファレンス  イースタン・カンファレンス 
ディビジョン  セントラル 
創設 1937年 (88年前) (1937)
チーム史 フォート・ウェイン・ゾルナー・ピストンズ
1941年-1948年
フォートウェイン・ピストンズ
1948年-1957年
デトロイト・ピストンズ
1957年-現在
本拠
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ミシガン州デトロイト
アリーナ リトル・シーザーズ・アリーナ
チームカラー ロイヤルブルー, 赤, クローム, 黒, 白[1][2]
         
主なスポンサー ユナイテッド・ホールセール・モーゲージ[3]
オーナー トム・ゴアーズ英語版
社長 トラジャン・ラングドン
GM なし
ヘッドコーチ J・B・ビッカースタッフ
優勝歴 NBL時代 : 2回
(1944年, 1945年)
NBA時代 : 3回
(1989年, 1990年, 2004年)
ファイナル進出 5回 (1988年, 1989年, 1990年, 2004年, 2005年)
ディビジョン優勝 NBL時代 : 4回
(1943年, 1944年, 1945年, 1946年)
NBA時代 : 11回
(1955年, 1956年, 1988年, 1989年, 1990年, 2002年, 2003年, 2005年, 2006年, 2007年, 2008年)
永久欠番

 1   2   3   4 

 10   11   15   16   21   32   40 
NBAGL提携チーム モーターシティ・クルーズ
公式サイト www.nba.com/pistons
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歴史

要約
視点

フォートウェイン・ピストンズ

デトロイト・ピストンズは現在残るNBAのチームでは最も古い。原型となったのは1941年インディアナ州フォートウェイン市で結成されたフォートウェイン・ゾルナー・ピストンズであり、当初は NBL (National Basketball League) に所属していた。初代オーナーはフレッド・ゾルナーであり、ゼネラルモーターズピストンを納品するゾルナー社の経営者だった。

ピストンズは1948年よりNBLがBAA (Basketball Association of America) と統合した際にフォートウェイン・ピストンズと改称。フォワードのジョージ・ヤードリーを擁し、1954年1955年に2年連続でファイナルに上り詰めるものの、いずれも敗退している。

デトロイト・ピストンズ

-誕生-

1957年にゾルナーは本拠地をデトロイト市に移動することを決定した。この市にはデトロイト・ジェムズというチームがあったものの、1シーズンで解散している。名前をデトロイト・ピストンズと変え、オリンピア・スタディアムを4年間本拠地とした後、コボ・アリーナに本拠地を変えた。

チームは観客動員と順位の両方で低迷し、1974年ビル・デイビットソンにチームは売却される。1978年にデイビットソンはチームの本拠地をデトロイト市から郊外のポンティアックに移した。また、それに伴いアメリカンフットボール用に作られたポンティアック・シルバードームにホームアリーナを変えている。

1980年代-1990年初頭 -バッドボーイズ-

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チャック・デイリーHC
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アイザイア・トーマス
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デニス・ロッドマン

1981年にドラフトでインディアナ大学からアイザイア・トーマスを獲得する。1982年の初めにビル・レインビアヴィニー・ジョンソンをトレードなどを通じて獲得し、チーム力は大きく向上する。さらにチャック・デイリーを監督に迎え、ジョー・デュマースリック・マホーン、そしてデニス・ロッドマンがチームに加入したことで優勝できるチームが作られた。

当時のピストンズは強力なディフェンスと荒いプレイスタイルからバッドボーイズと呼ばれた。1988年から3年連続でシカゴ・ブルズの挑戦を退けファイナルズに進出、1989年1990年に2年連続で優勝した。また、1988年にはザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズに本拠地を変えており、2017-18シーズンまでホームとして使用した。

その後1991年にカンファレンス決勝でブルズに4連敗を喫し、1992年に初戦でニューヨーク・ニックスに敗退後デイリー監督が辞任し、1992-93シーズン以後は成績は5割を割るようになり、プレイオフ進出も逃した。1993-94シーズン中にレインビア、シーズン終了後にトーマスは引退した。

1990年代中盤-後半 -低迷期-

バッドボーイズの主力メンバーが次々とチームを離れる中、デュマースは1999年に引退するまで先発を務め続けた。その後、グラント・ヒルリンジー・ハンタージェリー・スタックハウスなどの中心選手を擁したが、フリーエージェントやトレードなどでチームを離れ、プレーオフ1回戦を突破できない年が続いた。

2000-2008 -強豪復活-

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2004年、優勝時のスターター (左から: リチャード・ハミルトン, ベン・ウォーレス, ラシード・ウォーレス, チャンシー・ビラップス, テイショーン・プリンス).
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ジョー・デュマースGM
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ラリー・ブラウンHC
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フリップ・ソーンダーズHC

2000年ジョー・デュマースがゼネラル・マネージャー(GM)として復帰し、チームは再び強豪チームの1つになった。デュマースは次々と改革を行い、2000年にはトレードでベン・ウォーレスがチームに加入した。2001年にはリック・カーライルをヘッドコーチに招聘し、2002年にはチャンシー・ビラップスリチャード・ハミルトンテイショーン・プリンスを獲得した。これらの改革により、チームは再び優勝を争うようになる。

2003-04シーズン、カーライルに代わり、殿堂入りを果たしている名コーチ、ラリー・ブラウンを招聘。ブラウンが掲げた「チーム・バスケット」とNBAトップクラスのディフェンス力を武器に快進撃を続けた。シーズン途中にはラシード・ウォーレスが加入したことでチーム層がさらに厚みが増し、NBAファイナルに進出。ファイナルにおいて、ロサンゼルス・レイカーズを4勝1敗で破り、3度目の優勝を果たした。

その後もイースタン・カンファレンスの強豪であり続け、2004-05シーズンには2年連続NBAファイナル進出。この年はウェストの強豪サンアントニオ・スパーズに3勝を挙げる接戦の末、惜しくも連覇は逃したものの、2005-06シーズンからヘッドコーチがブラウンからフリップ・ソーンダーズに交代後も2007-08シーズンまで6年連続カンファレンスファイナル進出を成し遂げたが、ファイナルに進出することはできなかった。

2008-2009 -ケミストリー解体-

2008-09シーズンが開幕して6日後、ビラップス、アントニオ・マクダイス(後にピストンズに復帰)、チェイック・サムデンバー・ナゲッツを放出し、ナゲッツからアレン・アイバーソンを獲得するビッグトレードが発表されて大きな話題となった。サラリーキャップ対策や長年同じメンバーで戦ってきたことによるマンネリを打破するためのトレードだったが、司令塔のビラップスを失ったことでオフェンスが空回りし、ハミルトンを6thマンとして起用するなどで打開しようとしたが不振に陥った。さらに持ち前の得点力を期待されて移籍してきたアイバーソンも上手く機能せず、シーズン後半には自身の起用法に不満を口にし、チームはシーズンを通して迷走が続いた。 結局、チームは2000-01シーズン以来となる勝率5割を割る成績に低迷し、辛うじてプレーオフには進出したが、プレーオフで第1シードのクリーブランド・キャバリアーズにスィープされた。シーズン後、主力選手のラシード・ウォーレスやマクダイスがチームを去って、長年続いたチームケミストリーは解体された。

2009-2011 -再建へ-

ケミストリー解体後、チームは大きく改革を行った。その年のFA市場が解禁されると、大きく空いたサラリーキャップを武器に、すぐさまベン・ゴードンチャーリー・ビラヌエバを獲得した。さらに、一時は引退を考えていたベン・ウォーレスがハミルトンやプリンスの説得によりチームに復帰した。積極的な補強でチーム復活が期待されたが、2009-10シーズン、ハミルトンやプリンスなどの選手の怪我が相次ぎ、過去10年で最低の勝率となりディビジョン最下位に終わった。翌2010-11シーズンは、元得点王のトレイシー・マグレディを獲得したものの、シーズン中にハミルトンやプリンスら主力選手とヘッドコーチのジョン・キュースターが対立。特に確執があったされるハミルトンは1ヶ月ほど試合に不出場だった。さらに2011年2月25日の76ersとの試合前のチームの練習に複数の選手が遅刻及び欠場。練習に参加した6選手だけ試合に出場させる異常事態に発展した。結局、2シーズン連続でプレーオフを逃す結果となり、キュースターはシーズン後にHC職を解雇された。

2011-2020 -新オーナー就任と新たな道-

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アンドレ・ドラモンド

これまで噂されたチーム売却問題が2010-11シーズンを通して揺れていたが、2011年4月8日、億万長者番付にも名を連ねるトム・ゴアーズが新しいチームオーナーに就任した。チームは、2011年にハミルトン、2013年にはプリンスを放出。ベン・ウォーレスが2011-12シーズンを以って引退した事で優勝経験のある選手が全員チームを離れた。ドラフトでグレッグ・モンローブランドン・ナイトアンドレ・ドラモンドを指名し、彼らを中心に再建の道を歩みだした。

2013年7月、FA市場が解禁されると、FAでジョシュ・スミスを、サイン&トレードでブランドン・ジェニングスを獲得した。また、ビラップスが5年ぶりに古巣に復帰、ラシード・ウォーレスもこの年にHC職に就任したモーリス・チークスの呼びかけによりアシスタントコーチに就任するなど、かつての黄金メンバーがチームに戻ってきた。久しぶりに大型補強を行い、迎えた2013-14シーズン、スミス・モンロー・ドラモンドの強力なインサイド陣でリーグトップのペイント内得点を誇るも、チームは低迷。シーズン途中でチークスは解雇され、長年GMを勤めたデュマースもシーズン後に辞任した。シーズン後、スタン・ヴァン・ガンディがヘッドコーチ兼球団社長として就任した。

しかし、名将ヴァン・ガンディをもってしても、悪い流れは変わらなかった。2014-15シーズンも開幕から攻守とも精彩を欠き、5勝23敗と大きく出遅れた2014年12月22日、大型契約が残っていたジョシュ・スミスを解雇するという荒療治を敢行。不満分子を排除して巻き返しを図ったものの、ブランドン・ジェニングスをアキレス腱断裂で失うなど最後まで戦力が整わず、6年連続プレーオフ不出場が決定した。

エルサン・イルヤソバマーカス・モリスを獲得し、フロントラインを強化した2015-16シーズンは、アンドレ・ドラモンドが新エースとして君臨。2015年12月18日のシカゴ・ブルズ戦では、4度の延長戦の末に148-144で勝利するなど、粘り強い闘いを繰り広げ、2009年以来のプレーオフ出場を目指し奮闘。2016年4月2日のシカゴ・ブルズの勝利で、2007-08シーズン以来の勝率5割以上を確定させ、同月8日のワシントン・ウィザーズ戦の勝利で、2009年以来のプレーオフ進出が決まった。しかし、プレーオフのクリーブランド・キャバリアーズに4戦全敗で屈した。

2016-17シーズンは37勝45敗に終わり、ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズのラストシーズンを飾ることば出来ず。

デトロイトのダウンタウンにある新アリーナのリトル・シーザーズ・アリーナに移転して心機一転のシーズンとなった2017-18シーズンは、初戦のシャーロット・ホーネッツ戦は、観客動員数が1万人にも満たない有り様だったが、チームは10月29日の敵地オラクル・アリーナでのゴールデンステート・ウォリアーズ戦に115-107で勝利するなど、好調なスタートを切った。しかし、最終的には39勝43敗に終わり、2年連続でプレーオフ進出を逃した。2018年5月7日、スタン・ヴァン・ガンディがヘッドコーチ兼球団社長の職を解かれることが発表された。2018年6月11日、前トロント・ラプターズのヘッドコーチであったドウェイン・ケイシーが後任のヘッドコーチとなることが発表された。

2019–20シーズンは、新型コロナウイルスによるシーズン中断を余儀なくされ[4][5]、チームは20勝46敗でシーズンを終えることとなった[6]

2020-現在 -歴史的連敗記録-

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ケイド・カニングハム

2020-21シーズン開幕前に、新たなGMとしてトロイ・ウィーバーが就任した[7]。このシーズン、チームは20勝52敗でシーズンを終え、2年連続でプレーオフ進出を逃した。また、20勝はフランチャイズ史上2番目に少ない勝ち星であった[8][9]

2021年のNBAドラフトにて全体1位でケイド・カニングハムを指名した[10]。2021-22シーズンもまた、チームは23勝59敗でプレーオフ進出を逃すこととなった[11]

2022年のNBAドラフトにて全体5位でジェイデン・アイビー、トレードで全体13位で指名されたジェイレン・デューレンを獲得した[12]。2022-23シーズン、チームはNBA史上3番目に低い勝率である17勝65敗でシーズンを終え[13]、シーズン終了後にヘッドコーチのドウェイン・ケイシーが辞任し[13]、新たにモンティ・ウィリアムズが就任した[14]

2023-24シーズンは、10月30日〜12月30日の間でフランチャイズ記録となる28連敗を記録し、これはNBA史上最長タイ記録となってしまった[15]。最終的に、チームはフランチャイズ史上最低勝率となる14勝68敗でシーズンを終え、5年連続でプレーオフ進出を逃した[16]

2024-25シーズン開幕前に、前シーズンの連敗記録を理由にヘッドコーチのモンティ・ウィリアムズを解雇し[17]、新たにJ・B・ビッカースタッフがヘッドコーチに就任した[18]

シーズンごとの成績

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シーズン  % プレーオフ 結果
フォートウェイン・ゾルナーピストンズ (NBL)
1941–42159.625NBLセミファイナル
NBLファイナル敗退
ピストンズ 2, ウィングフット 1
オールスターズ 2, ピストンズ 1
1942–43176.739NBLセミファイナル
NBLファイナル敗退
ピストンズ 2, (フライヤーズ 1
レッドスキンズ 2, ピストンズ 1
1943–44184.818NBLセミファイナル
NBLファイナル優勝
ピストンズ 2, ブラスメン 0
ピストンズ 3, レッドスキンズ 0
1944–45255.833ディビジョン・セミファイナル
NBLファイナル優勝
ピストンズ 2, トランスファー 0
ピストンズ 3, レッドスキンズ 2
1945–46268.765ディビジョン・セミファイナル敗退ロイヤルズ 3, ピストンズ 1
1946–472519.568オープニング・ラウンド
ディビジョン・セミファイナル敗退
ピストンズ 3, ジープス 2
ロイヤルズ 2, ピストンズ 1
フォートウェイン・ピストンズ
1948-492238.367
1949-504028.588タイブレークゲーム勝利
ディビジョン準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ピストンズ 86, シカゴ 69
ピストンズ 2, ロチェスター 0
ミネアポリス 2, ピストンズ 0
1950-513236.471ディビジョン準決勝敗退ロチェスター 2, ピストンズ 1
1951-522937.439ディビジョン準決勝敗退ロチェスター 2, ピストンズ 0
1952-533633.522ディビジョン準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ピストンズ 2, ロチェスター 1
ミネアポリス 2, ピストンズ 0
1953-544032.556総当り戦
総当り戦
ロチェスター,ミネアポリス
over ピストンズ, 4-0
1954-554329.597カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
ピストンズ 3, ミネアポリス 2
シラキュース 4, ピストンズ 3
1955-563735.514カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
ピストンズ 3, セントルイス 2
フィラデルフィア 4, ピストンズ 1
1956-573438.472タイブレークゲーム敗戦
ディビジョン準決勝敗退
セントルイス 115, ピストンズ 103
ミネアポリス 2, ピストンズ 0
デトロイト・ピストンズ
1957-583339.458ディビジョン準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ピストンズ 2, シンシナティ 0
セントルイス 4, ピストンズ 1
1958-592844.389ディビジョン準決勝敗退ミネアポリス 2, ピストンズ 1
1959-603045.400ディビジョン準決勝敗退ミネアポリス 2, ピストンズ 0
1960-613445.430ディビジョン準決勝敗退レイカーズ 3, ピストンズ 2
1961-623743.463ディビジョン準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ピストンズ 3, シンシナティ 1
レイカーズ 4, ピストンズ 2
1962-633446.425ディビジョン準決勝敗退セントルイス 3, ピストンズ 1
1963-642357.288
1964-653149.388
1965-662258.275
1966-673051.370
1967-684042.488ディビジョン準決勝敗退セルティックス 4, ピストンズ 2
1968-693250.390
1969-703151.378
1970-714537.549
1971-722656.317
1972-734042.488
1973-745230.634カンファレンス準決勝敗退ブルズ 4, ピストンズ 3
1974-754042.4881回戦敗退ソニックス 2, ピストンズ 1
1975-763646.4391回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ピストンズ 2, バックス 1
ウォリアーズ 4, ピストンズ 2
1976-774438.5371回戦敗退ウォリアーズ 2, ピストンズ 1
1977-783844.463
1978-793052.366
1979-801666.195
1980-812161.256
1981-823943.476
1982-833745.451
1983-844933.5981回戦敗退ニックス 3, ピストンズ 2
1984-854636.5611回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ピストンズ 3, ネッツ 0
セルティックス 4, ピストンズ 2
1985-864636.5611回戦敗退ホークス 3, ピストンズ 1
1986-875230.6341回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ピストンズ 3, ワシントン 0
ピストンズ 4, ホークス 1
セルティックス 4, ピストンズ 3
1987-885428.6591回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
ピストンズ 3, ワシントン 2
ピストンズ 4, ブルズ 1
ピストンズ 4, セルティックス 2
レイカーズ 4, ピストンズ 3
1988-896319.7681回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝
ピストンズ 3, セルティックス 0
ピストンズ 4, バックス 0
ピストンズ 4, ブルズ 2
ピストンズ 4, レイカーズ 0
1989-905923.7201回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝
ピストンズ 3, ペイサーズ 0
ピストンズ 4, ニックス 1
ピストンズ 4, ブルズ 3
ピストンズ 4, ブレイザーズ 1
1990-915032.6101回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ピストンズ 3, ホークス 2
ピストンズ 4, セルティックス 2
ブルズ 4, ピストンズ 0
1991-924834.5851回戦敗退ニックス 3, ピストンズ 2
1992-934042.488
1993-942062.244
1994-952854.341
1995-964636.5611回戦敗退マジック 3, ピストンズ 0
1996-975428.6591回戦敗退ホークス 3, ピストンズ 2
1997-983745.451
1998-992921.5801回戦敗退ホークス 3, ピストンズ 2
1999–20004240.5121回戦敗退ヒート 3, ピストンズ 0
2000–013250.390
2001–025032.6101回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ピストンズ 3, ラプターズ 2
セルティックス 4, ピストンズ 1
2002–035032.6101回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ピストンズ 4, マジック 3
ピストンズ 4, シクサーズ 2
ネッツ 4, ピストンズ 0
2003–045428.6591回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝
ピストンズ 4, バックス 1
ピストンズ 4, ネッツ 3
ピストンズ 4, ペイサーズ 2
ピストンズ 4, レイカーズ 1
2004–055428.6591回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
ピストンズ 4, シクサーズ 1
ピストンズ 4, ペイサーズ 2
ピストンズ 4, ヒート 3
スパーズ 4, ピストンズ 3
2005–066418.7801回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ピストンズ 4, バックス 1
ピストンズ 4, キャブス 3
ヒート 4, ピストンズ 2
2006–075329.6461回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ピストンズ 4, マジック 0
ピストンズ 4, ブルズ 2
キャブス 4, ピストンズ 2
2007–085923.7201回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ピストンズ 4, 76ers 2
ピストンズ 4, マジック 1
セルティックス 4, ピストンズ 2
2008–093943.4761回戦敗退キャブス 4, ピストンズ 0
2009–102755.329
2010–113052.366
2011–122541.379
2012–132953.354
2013–142953.354
2014–153250.390
2015–164438.5371回戦敗退キャブス 4, ピストンズ 0
2016–173745.451
2017–183943.476
2018–194141.5001回戦敗退バックス 4, ピストンズ 0
2019–202046.303
2020–212052.278
2021–222359.280
2022–231765.207
2023–241468.171
通算勝敗2,8273,171.471
プレイオフ188182.508優勝3回
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Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率

主な選手

要約
視点

現役選手

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プレーヤー スタッフ
Pos. # 名前 国籍 年齢 身長 体重 出身
G 5 マリーク・ビーズリー (Malik Beasley) 6th アメリカ合衆国 28 (1996/11/26) 6 ft 4 in (1.93 m) 187 lb (85 kg) フロリダ州立大学 
G 2 ケイド・カニングハム (Cade Cunningham) アメリカ合衆国 23 (2001/09/25) 6 ft 6 in (1.98 m) 220 lb (100 kg) オクラホマ州立大学 
C 0 ジェイレン・デューレン (Jalen Duren) アメリカ合衆国 21 (2003/11/18) 6 ft 11 in (2.11 m) 249 lb (113 kg) メンフィス大学 
F 19 シモーネ・フォンテッキオ (Simone Fontecchio) イタリア 29 (1995/12/09) 6 ft 7 in (2.01 m) 209 lb (95 kg) イタリア 
G/F 8 ティム・ハーダウェイ・ジュニア (Tim Hardaway Jr.) アメリカ合衆国 32 (1992/03/16) 6 ft 5 in (1.96 m) 205 lb (93 kg) ミシガン大学 
F 13 ロン・ハーパー・ジュニア (Ron Harper Jr.)  アメリカ合衆国 24 (2000/04/12) 6 ft 4 in (1.93 m) 233 lb (106 kg) ラトガース大学 
F 12 トバイアス・ハリス (Tobias Harris) アメリカ合衆国 32 (1992/07/15) 6 ft 8 in (2.03 m) 226 lb (103 kg) テネシー大学 
F 00 ロン・ホランド (Ron Holland) アメリカ合衆国 19 (2005/07/07) 6 ft 8 in (2.03 m) 206 lb (93 kg) ダンカンビル高等学校 
G 23 ジェイデン・アイビー (Jaden Ivey)  アメリカ合衆国 23 (2002/02/13) 6 ft 4 in (1.93 m) 194 lb (88 kg) パデュー大学 
G 24 ダニス・ジェンキンス (Daniss Jenkins)  アメリカ合衆国 23 (2001/08/17) 6 ft 4 in (1.93 m) 180 lb (82 kg) セント・ジョーンズ大学 
F 34 ボビ・クリントマン (Bobi Klintman) GL スウェーデン 21 (2003/03/06) 6 ft 9 in (2.06 m) 212 lb (96 kg) ウェイクフォレスト大学 
F/C 7 ポール・リード (Paul Reed) アメリカ合衆国 25 (1999/06/26) 6 ft 9 in (2.06 m) 210 lb (95 kg) デポール大学 
G 25 マーカス・サッサー (Marcus Sasser) アメリカ合衆国 24 (2000/09/21) 6 ft 2 in (1.88 m) 195 lb (88 kg) ヒューストン大学 
G 17 デニス・シュルーダー (Dennis Schröder) ドイツ 31 (1993/09/15) 6 ft 1 in (1.85 m) 175 lb (79 kg) ドイツ 
F 35 トル・スミス (Tolu Smith)  アメリカ合衆国 24 (2000/07/26) 6 ft 11 in (2.11 m) 245 lb (111 kg) ミシシッピ州立大学 
F/C 28 アイザイア・スチュワート (Isaiah Stewart) アメリカ合衆国 23 (2001/05/02) 6 ft 9 in (2.06 m) 250 lb (113 kg) ワシントン大学 
G/F 9 アサー・トンプソン (Ausar Thompson) アメリカ合衆国 22 (2003/01/30) 6 ft 7 in (2.01 m) 190 lb (86 kg) シティ・リーパーズ 
G/F 43 リンディ・ウォーターズ3世 (Lindy Waters III) アメリカ合衆国 27 (1997/07/28) 6 ft 6 in (1.98 m) 210 lb (95 kg) オクラホマ州立大学 

記号説明


外部リンク


更新日:2025年01月12日

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栄誉

要約
視点

永久欠番

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デトロイト・ピストンズの永久欠番と表彰者
No. 選手 Pos. 在籍期間 授与日
1チャウンシー・ビラップスG2002–2008
2013–2014 1
2016年2月10日[19]
2チャック・デイリーヘッドコーチ 21983–19921997年1月25日[20]
3ベン・ウォーレスC2000–2006
2009–2012 3
2016年1月16日[21]
4ジョー・デュマースG1985–1999 42000年3月10日[20]
10デニス・ロッドマンF1986–1993 52011年4月1日[20]
11アイザイア・トーマスG1981–19941996年2月17日[20]
15ヴィニー・ジョンソンG1981–19911994年2月5日[20]
16ボブ・レイニアC1970–19801993年1月9日[20]
21デイブ・ビンG1966–19751983年3月18日[20]
32リチャード・ハミルトンG/F2002–20112017年2月26日[22]
40ビル・レインビアC1982–19941995年2月4日[20]
ビル・デビッドソン英語版オーナー1974–2009 62011年12月28日[23]
ジャック・マクロスキー英語版GM1979–1992 72008年3月29日[24]
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バスケットボール殿堂入り

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デトロイト・ピストンズ殿堂入り
選手
No.名前Pos.在籍期間殿堂入り年No.名前Pos.在籍期間殿堂入り年
14アンディ・フィリップG/F1952–19561961[25]22デイブ・ディバッシャーF1962–19681983[26]
17ボブ・ホーブレッグスC/F1954–19581987[27]20ボビー・マクダーモットG1941–19461988[28]
21デイブ・ビンG1966–19751990[29]11ハリー・ギャラティンF/C1957–19581991[30]
16ボブ・レイニアC1970–19801992[31]8ウォルト・ベラミー 1C1968–19701993[32]
15ディック・マグワイアG1957–19601993[33]26バディ・ジャネットG1943–19461994[34]
12ジョージ・ヤードリーF/G1953–19591996[35]18ベイリー・ハウエルF1959–19641997[36]
11ボブ・マカドゥーF/C1979–19812000[37]11アイザイア・トーマスG1981–19942000[38]
4ジョー・デュマースG1985–19992006[39]45エイドリアン・ダントリーF1986–19892008[40]
10デニス・ロッドマンF1986–19932011[41]24ナサニエル・クリフトンC/F1956–19572014[42]
1アレン・アイバーソンG2008–20092016[43]1トレイシー・マグレディG/F2010–20112017[44]
33グラント・ヒルF1994–20002018[45]6チャック・クーパーF/G19562019[46]
3
6
ベン・ウォーレスC2000–2006
2009–2012
2021[47]84クリス・ウェバーF20072021[48]
1チャウンシー・ビラップスG2002–2008, 2013-20142024[49]
コーチ
名前Pos.在籍期間殿堂入り年名前Pos.在籍期間殿堂入り年
2チャック・デイリー 2ヘッドコーチ1983–19921994[50]ラリー・ブラウンヘッドコーチ2003–20052002[51]
貢献者
名前Pos.在籍期間殿堂入り年名前Pos.在籍期間殿堂入り年
フレッド・ゾルナー創設者/オーナー1941–19741999[52]17アール・ロイド 3F1958–19602003[53]
ビル・デビッドソンオーナー1974–20092008[54]ディック・ヴァイタル 4ヘッドコーチ1978–19792008[55]
10ロッド・ソーン 5G1964–19652018[56]
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FIBA殿堂

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デトロイト・ピストンズ殿堂入り
コーチ
No.名前Pos.在籍期間殿堂入り年
2チャック・デイリー 1ヘッドコーチ1983–19922021[57]
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注釈:

コーチ、その他

要約
視点

歴代ヘッドコーチ

チーム記録

脚注

関連項目

外部リンク

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