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アメリカのバスケットボール選手、ヘッドコーチ (1977 - ) ウィキペディアから
ティロン・ジャマー・ルー(Tyronn Jamar Lue, 1977年5月3日 - )は、アメリカ合衆国ミズーリ州メキシコ出身の元プロバスケットボール選手であり、現在は指導者。NBAのロサンゼルス・クリッパーズでヘッドコーチを務めている。タイロン・ルーとも表記されることもある。
2016年のルー | |
ロサンゼルス・クリッパーズ HC | |
---|---|
役職 | ヘッドコーチ |
所属リーグ | NBA |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1977年5月3日(47歳) |
出身地 | ミズーリ州メキシコ |
身長(現役時) | 183cm (6 ft 0 in) |
体重(現役時) | 79kg (174 lb) |
キャリア情報 | |
高校 | レイタウン高等学校 |
大学 | ネブラスカ大学 |
NBAドラフト | 1998年 / 1巡目 / 全体23位 |
デンバー・ナゲッツから指名 | |
プロ選手期間 | 1998年–2009年 |
ポジション | PG |
背番号歴 | 10 |
指導者期間 | 2009年–現在 |
経歴 | |
選手時代: | |
1998–2001 | ロサンゼルス・レイカーズ |
2001–2003 | ワシントン・ウィザーズ |
2003–2004 | オーランド・マジック |
2004 | ヒューストン・ロケッツ |
2004–2008 | アトランタ・ホークス |
2008 | ダラス・マーベリックス |
2008–2009 | ミルウォーキー・バックス |
2009 | オーランド・マジック |
コーチ時代: | |
2011–2013 | ボストン・セルティックス (AC) |
2013–2014 | ロサンゼルス・クリッパーズ (AC) |
2014–2016 | クリーブランド・キャバリアーズ (AC) |
2016–2018 | クリーブランド・キャバリアーズ |
2019–2020 | ロサンゼルス・クリッパーズ (AC) |
2020– | ロサンゼルス・クリッパーズ |
受賞歴 | |
選手時代 コーチ時代
| |
NBA通算成績 | |
得点 | 4,710 (8.5 ppg) |
リバウンド | 943 (1.7 rpg) |
アシスト | 1,727 (3.1 apg) |
Stats Basketball-Reference.com | |
ネブラスカ大学で3年間プレー後に1998年のNBAドラフトにアーリーエントリーし、デンバー・ナゲッツに23位で指名された直後に、ロサンゼルス・レイカーズとの間でニック・ヴァン・エクセルとの交換トレードが成立。レイカーズからルーの選手生活がスタートした。
しかし、ルーは学生時代から膝を痛めていたこともあり、ルーは殆ど出場機会がなかった。
そんなルーが脚光を浴びたのが2001年のNBAファイナル。レギュラーシーズンでさえ35試合の出場に終わったルーだったが、フィラデルフィア・76ersとの対戦となった第1戦。試合終盤からフィル・ジャクソンHCは、ルーをアレン・アイバーソンのマンマークに着かせることに。するとアイバーソンはルーの密着ディフェンスに手を焼いた。第1戦は敗れたものの、レイカーズは76ersのリズムを狂わせることに成功。その後レイカーズは4連勝し、優勝した。
しかし、ルーは同シーズン前に、ルーキー契約の最終年の契約を破棄されていた為にFAとなり、ワシントン・ウィザーズに移籍。これを皮切りにルーはあらゆるチームを渡り歩くジャーニーマンに落ち着き、2009年に引退した。
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1998–99 | LAL | 15 | 0 | 12.5 | .431 | .438 | .571 | .4 | 1.7 | .3 | .0 | 5.0 |
1999–00 | 8 | 0 | 18.3 | .487 | .500 | .750 | 1.5 | 2.1 | .4 | .0 | 6.0 | |
2000–01 | 38 | 1 | 12.3 | .427 | .324 | .792 | .8 | 1.2 | .5 | .0 | 3.4 | |
2001–02 | WAS | 71 | 0 | 20.5 | .427 | .447 | .762 | 1.7 | 3.5 | .7 | .0 | 7.8 |
2002–03 | 75 | 24 | 26.5 | .433 | .341 | .875 | 2.0 | 3.5 | .6 | .0 | 8.6 | |
2003–04 | ORL | 76 | 69 | 30.7 | .433 | .383 | .771 | 2.5 | 4.2 | .8 | .1 | 10.5 |
2004–05 | HOU | 21 | 3 | 22.8 | .393 | .333 | .778 | 1.9 | 2.8 | .4 | .0 | 6.0 |
ATL | 49 | 46 | 31.2 | .464 | .364 | .871 | 2.2 | 5.4 | .5 | .0 | 13.5 | |
2005–06 | 51 | 10 | 24.2 | .459 | .457 | .855 | 1.6 | 3.1 | .5 | .1 | 11.0 | |
2006–07 | 56 | 17 | 26.6 | .416 | .348 | .883 | 1.9 | 3.6 | .4 | .0 | 11.4 | |
2007–08 | 33 | 3 | 17.1 | .439 | .435 | .857 | 1.2 | 1.8 | .3 | .0 | 6.8 | |
DAL | 17 | 0 | 10.1 | .474 | .529 | .250 | .8 | .9 | .0 | .1 | 3.8 | |
2008–09 | MIL | 30 | 0 | 13.1 | .454 | .467 | .750 | 1.2 | 1.5 | .2 | .0 | 4.7 |
ORL | 14 | 0 | 9.2 | .395 | .353 | .667 | .8 | 1.0 | .1 | .0 | 3.0 | |
通算 | 554 | 173 | 22.7 | .437 | .391 | .829 | 1.7 | 3.1 | .5 | .0 | 8.5 |
2009年からドック・リバースの下でコーチ歴を開始[1]。ボストン・セルティックスでアシスタントコーチを務め、2013-14シーズンはロサンゼルス・クリッパーズのアシスタントコーチを務めた後[2]、2014年からクリーブランド・キャバリアーズのトップアシスタントコーチに就任[3]。2015年5月10日のプレーオフセミファイナルのシカゴ・ブルズ戦の第4戦では、第4クォーター終了間際にタイムアウトを使い果たしたことを忘れてタイムアウトを取ろうとしたデビッド・ブラットHCを、身体を張って制止し、直後にレブロン・ジェームズの決勝ブザービーターシュートを呼び込んだ。 2016年1月22日、ブラットHCの解雇に伴い、HCに昇格した[4]。難しい局面からチームを2年連続でNBAファイナルに導き、ゴールデンステート・ウォリアーズとの再戦では、1勝3敗まで追い詰められたものの、3連勝で奇跡的なカムバックでキャバリアーズに初のNBAチャンピオンをもたらした。その後も2年連続でNBAファイナルに進出するも、いずれもゴールデンステート・ウォリアーズ相手に敗戦。 2018-19シーズン開幕前にFAとなったレブロン・ジェームズがロサンゼルス・レイカーズに移籍[5] すると、キャブスは開幕から6連敗と苦戦を強いられる。コビー・アルトマンGMは、成績不振を理由に10月28日にティロン・ルーのHC解任を発表した。[6]
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