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かつてハドソンと日本電気ホームエレクトロニクスが製造販売した家庭用ゲーム機 ウィキペディアから
PCエンジン(PC Engine)は、ハドソンと日本電気ホームエレクトロニクス(NECホームエレクトロニクス、以下NEC-HE)により共同開発され、1987年10月30日[2]にNEC HEから発売されたHE-SYSTEM規格に基づく家庭用ゲーム機。当時のメーカー希望小売価格は24,800円。
メーカー |
ハドソン(開発) NECホームエレクトロニクス(開発・販売) |
---|---|
種別 | 据置型ゲーム機 |
世代 | 第4世代 |
発売日 |
1987年10月30日 1989年8月29日 1989年11月22日 1989年 1990年 |
CPU |
HuC6280 (MOS 6502ベース) |
GPU | HuC6260 + HuC6270 |
対応メディア |
HuCARD CD-ROM2 SUPER CD-ROM2 アーケードカード |
対応ストレージ |
天の声2 バックアップブースター バックアップブースターII 天の声BANK メモリーベース128 |
コントローラ入力 | ケーブル |
売上台数 |
PCエンジンシリーズ 590万台 250万台 1,000万台[1] |
最高売上ソフト | PC原人/70万本 |
互換ハードウェア |
PCエンジンコアグラフィックス PCエンジンスーパーグラフィックス PCエンジンDuo PCエンジンGT |
次世代ハードウェア | PC-FX |
北米市場ではTurboGrafx-16(ターボグラフィックス16)の商品名で発売され、NECの米国法人から販売された。HE-SYSTEMの北米仕様であり、HE-SYSTEMのロゴだけは使用している。
発売当初はファミリーコンピュータやセガ・マークIIIと競合し、後にスーパーファミコンやメガドライブとも競合した。トップシェアを占めることはなかったが、世界累計販売台数1,000万台[要出典]を記録している。
任天堂のファミリーコンピュータが発売され数年が経過し、ハドソン社内におけるより高性能のハードウェアを望む声があった。同時期に日本電気(NEC)社内において計画されていたCD-ROM機開発の思惑と合致したため、ハドソンとNEC-HEとの共同開発が始まった[注 1]。
1989年末にはテレビへの出力端子を従来のRF端子からAV端子に変更して色はダークグレーになり、コントローラーのI・IIボタンに連射機能が搭載されたものに変わったPCエンジンコアグラフィックス、拡張バスを削除してCD-ROM2や天の声などは繋げなくHuカードのみ専用にした廉価版[4] のPCエンジンシャトル、Hu6270を2個に増量しVRAMを2倍、メインメモリを4倍に強化したPCエンジンスーパーグラフィックス、本体の拡張バスから繋ぎPCエンジンを使って画面に絵を描け、アーティストツールで印刷をすることも可能なプリント&イラストブースタという4種類のハードを発売している。
1991年6月にコアグラフィックスと性能は同じだが、価格を5,000円ダウンさせたコアグラフィックスIIが19,800円で発売された。同年12月にはSUPER CD-ROM2を発売している。
1992年3月にはCD-ROM2が100万台を突破し、ソフト供給はCD-ROM中心になり[5]、本体もPCエンジンDuoシリーズが主力になっていったが、HuカードもコンパクトサイズハードであるPCエンジンGT、PCエンジンLTなどの存在もあり、供給を継続していた。国内市場では1992年時点でスーパーファミコンに次ぐ24.7%のシェアを占めていたとする調査結果が雑誌に掲載された[6]。
1994年春にはアーケードカードが発売、RAMは18 Mbitへ増強された。同年末にはPCエンジンの次世代機PC-FXが発売されたが、それ以降もPCエンジンの市場は1999年まで継続した[4]。
北米ではNECホームエレクトロニクスの現地法人により「Turbografx-16」の名称で1989年5月23日に発表、同年8月29日にニューヨークとロサンゼルスでテスト販売が開始された。価格はTurboPad1個とTurboChip(HuCARDの海外名称)のソフト『Keith Courage in Alpha Zones(魔神英雄伝ワタル)』が付属して$199.99。一方でメガドライブの北米版である「Sega Genesis」も二週間前にテスト販売を開始しており、ほぼ同時に市場投入される形になった。日本のCD-ROM2に該当する「Turbografx-CD」も同年12月に$399.99で発売された。CD-ROMドライブとインターフェースユニットのセットでバンドルソフトはなかった。
1992年4月より、取り扱いがNECテクノロジー社とハドソンの共同出資であるターボ・テクノロジー社に変更され、そのキャンペーンとして発売予定のTurboDuo(価格$299.99)に250ドル相当の特典(『イースI・II』『PC原人』『PC原人2』『ゲート オブ サンダー』『ダンジョンエクスプローラー』、専門誌『TURBO FORCE』[注 2]、$5×10枚のソフト購入割引クーポン)を添付させる「Add $250 Value」を実施。また1992年のサマーCESに合わせてTurboGrafx-16の本体価格が$69.99、Turbografx-CDの価格が$149.99にそれぞれに引き下げられた。TurboDuo発売後、既存のTurboGrafx-CDユーザ向けにスーパーシステムカードと3-in-1 CD(Bonk's Adventure、Bonk's Revenge、Gate of Thunder)と$5×10枚のソフト購入割引クーポンをセットにしたバリューパックが$95で販売された。ちなみに旧来のシステムカードは起動画面がTurboGrafx-CDのロゴになっていたが、スーパーシステムカードは国内版と同じ「SUPER CD-ROM2 SYSTEM」の起動ロゴになっている。
TurboGrafx-16は参入業者が少なかったために、販売面で苦労した。またCD-ROM2にあたるTurboGrafx-CD(HES-CDR-01 TurboGrafx-16と同時発売)やPCエンジンGTと同機能のTurboExpress(HES-EXP-01 1990年11月発売)、PCエンジンDuoと同機能のTurboDuo(HES-DUO-01 1992年10月発売)なども発売された。これらは日本ではCD-ROMのゲーム環境としてヒットしたがTurboGrafx-CD関連は1993年中には市場からほぼ淘汰された。晩年は慢性的なソフト不足を補うため国内向けのソフトを輸入販売し、PCエンジンのHuCARDのピンアサインをTurboGrafx-16向けに変換するアダプタも非公式に流通した[注 3]。
また、北米においてはTurboGrafx-16を業務用ゲーム機として展開する計画も立てられていたが、こちらは業務用ゲーム機のメーカーの反発や、NECホームエレクトロニクスの北米法人内で業務用ゲーム機業界に詳しい者がいないことなどが原因で頓挫した[7]。
欧州市場ではフランスを除いて正式販売は行われなかった。フランス版HE-SYSTEMは、当時日本で販売されていた本体をRGB仕様に改造したのみで、本体の形状や商品名称などは日本と同様PC Engineとなっていた。イギリスではNTSC出力のままの米国モデルがTelegames社より極少数販売された実績がある。
アジア市場では大韓民国でも発売され、韓国版HE-SYSTEMは、大宇電子がZemmix PC Shuttle(CPG-100)としてZemmixのラインナップの一部でPCエンジンシャトルを輸入し、その後はPCエンジンシャトル自体が生産を終了したということもあり、ヘテ電子からも『スーパーコン バイスター』の名称でハドソンとの共同開発によるオリジナルの本体で発売されていた(こちらもHE-SYSTEMのロゴだけは使用していた)。ただ、NEC-HEは一切関与していなかった。ソフトのラインナップは、基本的に日本や北米からHuカードのみを輸入し、パッケージを独自に製作したものだった。そのため、コナミのタイトル全般や、ドラえもんのゲームなど、北米で発売されていないタイトルも含まれていた。
なおTurboGrafx-16は本体の大きさが国内版に比べ横幅が倍になっているが、これは本体が小さくて価格が高いと割高感が出て敬遠されるというアメリカの消費者心理を考慮したためである。またCD-ROMユニットは本体後部に接続する形式を取っているが、CD-ROMユニットの大きさは国内版と同じのため、組み合わせると、さらに特異な形状(真上から見ると『凸』型)となる。
またTurboGrafx-16の名称はPCエンジンは画像処理周りなど一部の処理を16ビットで行っていたため、Sega Genesis(北米版メガドライブ)及びSuper Nintendo Entertainment System(北米版スーパーファミコン)が搭載していた16ビットCPUの話題性に対抗する意味でつけられた。
当時、ハドソンの目指す高度な表現に対してファミコンやパソコンの「性能の限界が見えてきた」という状況に直面していた。この問題に対して「自分たちが欲しいものを自分たちの手で作り上げる」という目的でハドソン社長の工藤浩をはじめとしたハドソン技術者たちが動き出した(ハドソンはシステム開発も行っており、また半導体技術者も擁していた)。ハドソン技術者の山村喜美夫は「ハードを作るという発想ではなく、ソフトを作る発想で開発が始まったんです。ハードメーカーがハードを作ってくれないなら、性能を上げるためのチップを作ってみようということになったわけです。最初から新しいハードを作ろうとしていたわけではなく、あくまでチップの開発だったんです」と語っている。
この時点ではビジネスのことは考えておらず、単純に「自分たちの夢を追いかけただけ」である。
しかし、半導体メーカーではないハドソン単体ではチップを作ることができない。開発者(岡田節男・山村喜美夫、他1名)が仕様書を書き、半導体メーカーに持ち込んでも「北海道から来た訳のわからない会社」では信用されない。NECを含む国内の主な半導体メーカーには断られた[注 4]。
最後に訪問したセイコーエプソン(以下エプソン)で、ようやく工藤の話をまともに聞いてくれた。ここで工藤は「別に売るつもりはないから、とにかく一個作ってほしいんだ」「自分の机にファミコンより性能のいいゲーム機があればいいんです」という話をしている。対するエプソン担当者が開発には相当な額がかかると言うと、工藤は「お金はいくらでも用意します。何なら、いまここに積みますから」と返した。この時点で相手もあきれていたと後に工藤は言っている。
こうしてチップの開発はスタートした。ハドソン、エプソン双方のメンバーがほぼ同年代で、細かい点ではよく話し合って決めた部分もあるので山村は「一緒に作ったという感覚が強い」と証言している。そして完成したのが『Hu-7』(工藤の証言より。山村の証言ではHu6270と呼んでいる)と呼ばれるチップである(山村はHu6270の開発スタートが1985年春、Hu6270の完成のめどがつき、次の段階に進んだのが1985年末から1986年初め頃と証言している)。費用は2億円、数量として「1000個だか10000個だか(工藤の証言より)」が作られた。
完成したHu-7(Hu6270)の画像処理能力はファミコンのCPUを上回る性能を見せ、独自の新ハードの野望を抱かせるようになった。
ハドソンは、これをまずシャープに持ち込んだ(「思ったよりもいいものができたというか、画像の処理能力なんかファミコンのCPUよりも数段いい。これを使って何かできるんじゃないかと思って、とりあえずパソコンの関係でおつき合いのあったシャープさんにそれを見せたわけです。そうしたら『これは商売になる!』というんで話が一気に盛り上がって…」と工藤は証言している)。結局シャープとは話がまとまらなかった。任天堂と協力関係にあり、それがネックになったといわれている。
次に工藤が向かったのがNECである。ここで幸運なことに「ちょうどゲーム機を作りたいと思っていたんだ」という対応を受け、話がスムーズに進んでいった。
一方のNECも任天堂のファミコンの急速な普及に触発され、1983年末頃から後藤富雄を中心とした若手社員により、社内で「パソコン以外の何か」を作るための議論が続いていた。1985年に「記録メディアにCD-ROMを使ったゲーム機」という結果となった[10]。目標価格を10万円以下に設定したが、ゲーム機用の安価なチップ(CPU)を内製化する設計力がNECには当時無かった。そのため計画が頓挫していた。NECの多部田俊雄も当時から家庭用のCD-ROMの企画書を提出していたが価格の問題があり却下されていた[11]。
工藤が完成品のチップと一緒にNECを訪問したのはちょうどその頃で「PC-8801の後継機としてCD-ROMを搭載したマシンを作りたいNEC」と「スプライトに強いチップを売り込みたいハドソン」という二者の利害が一致した[12]。
その後チップの開発とツール開発が同時進行して、チップはエプソン、製品化はNEC、Huカードは当時の三菱樹脂とハドソンが共同開発することでPCエンジンは誕生した。
上記の通りNECからハドソンにもたらされたCD-ROM機開発計画であるが、PCエンジン発売後1年でCD-ROM2本体として発売されることになった。当時パソコン用のCD-ROMドライブは本体接続用のインターフェースと合わせて25万円もしていたが、価格を5万7800円に落とすことで、家庭用ゲームへの採用を可能にした[14]。搭載されたRAMの容量はメイン64KB、ADPCM用64KBだった。このため大きなデータを一度に取り込めず、凝った演出を行うために頻繁なロードが必要だったが、この問題点は後にスーパーCDROM2、アーケードカードへとRAM容量が拡張されることで解決していった。
シークに片道で3秒、往復で最大6秒かかるため、複数のファイルをバラバラに読ませる、読み取り時にエラーが発生するなどの状況下では実用性に問題が出るほど時間がかかった[15][16]。ゲームの進行などで一部のデータだけが変更される事象が起こった場合、差分をバラバラに読むのではなく「それらをひとまとめにしたファイルを進行毎に用意してシークをなるべくさせないで一度に読み込む」方式を採用した[15]。データの二重保存と合わせてCD-ROM内でデータトラックが占める割合が大幅に増すことになったが、CD-ROM自体が大容量であったのでこのような対処が可能であった。
CD-ROM2の発売以前、ハドソンの朝礼の時に中本伸一がCDを持ってきて「お前ら、この中にゲームが入るから」と発言したがハドソンの他の開発者たちは当時「CD=音楽CD」という知識しか無く、中本が何を言っているのか分からなかったという[4]。このようにハドソン社内でも具体的な形になるまでは開発情報の公開に制限がかかっていたという話がある。
システムカードがバージョン2.0以降の物からはCD-G (CDグラフィック)に対応する様になり、カラオケ用の再生プレーヤーとしても利用が可能となった。
PCエンジンは「コア構想」という拡張思想を持ち、パーソナルコンピュータのようにコア(核)の役割を持たせ、様々な周辺機器を接続することでゲーム以外にも対応させる。いわば周辺機器のエンジンに見立たものであり「PCエンジン」の命名はここが由来である。そのためDUO系統を除く本体にはゲーム機としては最小限の機能しか無く、他社ゲーム機では標準装備もしくはカートリッジに内蔵されるような機能も別売りの周辺機器で補完していく必要があった。
構想の要であった拡張バスは初代PCエンジンから始まり、コアグラフィックス系統などの本体後部に標準装備[注 5]されており、周辺機器の接続は主にこれを使う。多くの周辺機器が発売されたが、拡張バスを用いる機器は排他仕様であり、またLTやスーパーグラフィックスなどハードの形状が統一されておらず接続できない代物もあった。この問題を解決するために「周辺機器を接続するための周辺機器」も発売された。拡張バスは機能を追加するものであったが、性能を向上するためのものではなかったためPCエンジンをスーパーグラフィックス相当にする周辺機器は発売されず、専用ソフトをプレイするにはスーパーグラフィックス自体を別途購入する必要があった。
PCエンジン専門誌の一つ「マル勝PCエンジン」でも1989年10月号の116頁では天の声2をAV出力へ対応させるための改造記事を掲載したり、PCエンジンSGについて1989年12月でに記事を組んだものの19頁で「みんな自分のマシンが旧機種になってしまうという不安を感じているようだ。しかし価格設定や販売方針を考えると、この新機種が主流になることはまずないと言ってよさそうだ」と記載しており、ユーザーへの余計な出費をさせないような配慮も行っている。
NEC-HEとハドソンによって提唱された規格。ライセンス商品の証明としてPCエンジンに関連する本体とソフトウェアには必ずロゴが記載されている。なお、「HE-SYSTEM」(エイチイーシステム)の「HE」はHome Entertainmentの略であり、『ホーム・エンターテイメント・システム』という意味である。
そのPCエンジンのブランドロゴはNECが販売する日本国内向けのHE-SYSTEMのハードで用いられているため、他社製品のレーザーアクティブに関しては、NECからもOEM供給することによってPCエンジンのロゴを使用できたのに対し、X1twinに関しては、NECの製品ではないが、ハドソンが開発に関与しているため、HE-SYSTEMのロゴだけを使用しており、PCエンジンのロゴは一切使用していない。
CD-ROM2用のディスクをCDプレーヤーで再生した時の警告音声に関しては、標準メッセージからではあるが、「HE-SYSTEMのCD-ROMディスクです」と言っており、PCエンジンの名称は一言も発していない。これは、登場キャラクターが担当するタイトルも同様の措置である。
PCエンジンは時期によりパソコンのように拡張を繰り返し、1つのハードに2つの媒体で計5つの規格のソフトが流通した[注 6]。
HuCARDのパッケージはCDアルバムの様な大きさ、太さのケースに収納されていて、ケースの背面にはメーカーシールのみのソフトも多数あり、どのようなゲームなのかが確認し難い要素があった。
Huカードにはバックアップ機能がなかったため、初期のソフトはゲーム再開時にパスワードを手動で入力する必要があった。
やがて天の声2やバックアップブースターなど周辺機器が発売されるとセーブデータ・バックアップが可能になった。1つで複数のソフトに対応する必要からファミコンなどのカートリッジ内蔵式のものよりは容量が大きい。CD-ROM2が発売されると本体の機能として統合された。DUOの登場で拡張バスが廃止され、またゲームのデータの肥大化に伴いHuCARDスロットやコントローラーポートで接続する機器も発売された。
標準パッドは見た目を変えているものの、ボタンの配置と大きさはファミコンのIコンと同等のものとなっている。十字ボタンのみ形状が変更されており、ボタン類は名称が異なるものの、「START→RUN」「A/Bボタン→I/IIボタン」と位置関係上それぞれ対応している。PCエンジンコアグラフィックス以降の機種ではそれぞれ色調を合わせた連射パッドが標準装備されている。その後ボタン数(3/6ボタン仕様)を変えたものが発売されている。
また「RUNボタン」を押しながら「SELECTボタン」を押すことでリセットをかける機能が基本的にソフト側に搭載されている(『妖怪道中記』など、サードパーティー製のソフトでは例外的に「SELECT」→「RUN」でもリセットを行える場合がある)。この操作はマルチタップ経由でも可能なので、1プレイヤーのみが可能な機能には留まらない。
パッドは脱着式だが本体にはコントローラー端子が1つしか無く、2人以上の同時プレイには別売りのマルチタップを購入し、端子を増設する必要がある。マルチタップは5人用の他に、3人用・2人用等、ゲームの用途に合わせて発売されている[注 7]。
コア構想に基づき多くの本体・周辺機器が発売された。
NEC製
型番 | 名称 | 発売日 | 拡張バス | 備考 |
---|---|---|---|---|
PI-TG001 | PCエンジン | 1987年10月30日 | 有 | 初代機。この機種のみ映像出力がRF端子となっている。 |
PC-KD863G | PC-KD863G | 1988年9月27日 | 無 | PCエンジンをCRTディスプレイに内蔵させたもの。RGB接続により画面が鮮明に映る。そのためゲーム雑誌では画面撮影の用途に使われたという。発売当時の価格は138,000円。 |
PI-TG2 | PCエンジンシャトル | 1989年11月22日 | 無[注 15] | 拡張バスを省いた廉価版。 |
PI-TG3 | PCエンジンコアグラフィックス | 1989年12月8日 | 有 | 初代PCエンジンのモデルチェンジ版。映像出力をRF信号からコンポジット映像信号にしたもの。 |
PI-TG4 | PCエンジンスーパーグラフィックス | 有 | グラフィックチップを2つ搭載して、表示能力を2倍にした上位機種。 | |
PI-TG6 | PCエンジンGT | 1990年12月1日 | 無 | PCエンジンの携帯型ゲーム機。 |
PI-TG7 | PCエンジンコアグラフィックスII | 1991年6月21日 | 有 | コアグラフィックスのモデルチェンジ版。 |
PI-TG8 | PCエンジンDuo | 1991年9月21日 | 無 | SUPER CD-ROM2本体との一体型。システムカードが内蔵され本体だけで起動する。CD蓋部のロック機構や専用バッテリー端子など独特の機能がある。CDグラフィックスの再生機能搭載 |
PI-TG9 | PCエンジンLT | 1991年12月13日 | 有 | 従来のPCエンジンと同様の筐体に、開閉式の液晶モニター、スピーカー、TVチューナー、コントローラー等を内蔵したもの。本体をCD-ROM²システムに着用可能。 |
PI-TG10 | PCエンジンDuo-R | 1993年3月25日 | 無 | PCエンジンDuoの廉価版。ヘッドフォン端子やバッテリー端子等を省いた。 |
PCE-LD1 | レーザーアクティブ | 1993年12月1日 | 無 | パイオニア製レーザーアクティブのOEM。 |
PCE-DUORX | PCエンジンDuo-RX | 1994年6月25日 | 無 | Duo-Rのマイナーチェンジ版。CD-ROMドライブが改良されている。 |
他社製
一般に多く流通したソフトを遊ぶにはSUPER CD-ROM2が可動する環境があれば良いが、上記の通り本体および周辺機器共に多くのバリエーションが存在するため、システムの組み合わせパターンは数多い。分類すると下記のようになる。なお下記では、初代PCエンジン・PCエンジンコアグラフィックス・PCエンジンコアグラフィックスIIを合わせ「コアマシン」と称する。
発売された本体が多岐にわたるため、それぞれの本体に対応する周辺機器は以下のページを参照すること。
型番 | 名称 | 発売日 | 備考 |
---|---|---|---|
CDR-30 | CD-ROM2 | 1988年12月4日 | PCエンジンのCD-ROMドライブ。 |
PI-CD1 | SUPER CD-ROM2 | 1991年12月13日 | 上位規格のCD-ROM2システム。 |
型番 | 名称 | 発売日 | 備考 |
---|---|---|---|
HC66-6 | 天の声2 | 1989年8月8日 | 拡張バスに接続するセーブ用外部メモリでハドソンが発売。内容保持に単3電池を使用するため電池が切れたらデータも消失する。本体通電中なら電池交換してもデータは保持される。AVブースターと併用はできないため初代PCエンジンよりも1989年12月8日に発売されたコアグラフィックス向きである。価格・流通量の多さにより利用者数はバックアップブースターより多い。名前の由来はハドソンのRPG『桃太郎伝説』のパスワードが「天の声」という名称だったことによる。 |
PI-AD7 | バックアップブースター | 1989年11月12日 | 天の声2とAVブースターの機能を併せ持つため、IFU-30と同様にRF出力しかない初代PCエンジンでAV出力とセーブ機能を両立できる。天の声2よりは高価だが、IFU-30に比べると機能を絞り込んだ分値段が安い。 |
PI-AD8 | バックアップブースターII | 1989年12月8日 | バックアップ用電源がキャパシタ(コンデンサ)に変更され、本体使用中に充電されるようになった。同時発売のコアグラフィックスでの使用が前提でAVブースター機能を削除し価格も下げられた。 |
HC692 | 天の声BANK | 1991年9月6日 | HuCARD型のセーブ用外部メモリ。言わばPCエンジン用SRAMカード。それまでの外部記憶ユニットのセーブデータを4台分バックアップできる。バンク切り換え式でゲームタイトルごとの管理はできない。電池は内蔵リチウム電池で長寿命であったが交換不可能。隠し要素としてハドソンの人気ゲームのデータが初めから記録されていた。 |
PI-AD19 | メモリーベース128 | 1993年3月 | パッド端子に接続して使用するセーブ用外部メモリ。後期ソフトのセーブデータの肥大化に対応し容量は128KBと非常に大きいが、対応ソフト以外は使用不可能。コーエー発売の同機能の周辺機器「セーブくん」もある(『信長の野望・武将風雲録』・『三國志III』などの一部に同梱)。 対応ソフトのうち、『エメラルドドラゴン』・『リンダキューブ』・『プライベート・アイ・ドル』・『ぽっぷるメイル』の4本には本体のバックアップメモリとの間でセーブデータをコピーするなどの操作が出来る管理ユーティリティを内蔵。『エメラルドドラゴン』・『リンダキューブ』は共通のツールでデータの互換性があるが、『プライベート・アイ・ドル』と『ぽっぷるメイル』は両者との互換性はない。 |
型番 | 名称 | 発売日 | 備考 |
---|---|---|---|
PAD-105 | ACアダプタ | 1987年10月30日 | |
PAD-106 | ACアダプタ | ||
アンテナスイッチ | 1987年10月30日 | 初代PCエンジンで使用可能。RF信号を出力するための機器。 | |
PI-AD2 | AVブースター | 1988年4月8日 | 拡張バスに接続するコンポジット映像信号出力用の機器。初代PCエンジンでの使用が前提の商品。専用のDIN5ピンコネクタで本体と接続するコアグラフィックスと違い、汎用のAVケーブルをダイレクトに挿すことができる。 |
PI-AN2 | AVケーブル | 1989年11月22日 | 初代PCエンジン以外で使用可能なステレオAVケーブル。 |
PI-AN3 | RFユニット | AVブースターとは逆にコンポジット映像信号出力のマシンに使用し、RF信号を出力するための機器。 | |
PI-AD20 | バーチャルクッション | 1992年12月18日 | エアークッションにサブウーファーを内蔵。音声が出力されるとクッション内の空気が振動する機器。アンプ・エアークッション本体・カバーに分かれている。AVブースター等が付いたPCエンジンと直接接続するのは困難で、TV側の外部出力端子から接続されるのが一般的。発想は先進的だが本体価格が高く、長期間使用するとエアークッションの空気が漏れる・接触不良で音声や振動が出ない等の影響か普及には至らなかった。 |
CA-54 | PCエンジンコネクターケーブル | NEC製テレビ専用の接続ケーブル。一部のNECのTVに「PCエンジン端子」があり、ケーブル一本で映像/音声の入力・電源供給が可能。 | |
型番 | 名称 | 発売日 | 備考 |
---|---|---|---|
PI-PD001 | PCエンジンパッド | 1987年10月30日 | 初代PCエンジンに同梱されていたパッド。 |
PI-PD002 PI-PD06 PI-PD8 |
ターボパッド | PI-PD001に連射機能を付けたもの。 | |
PI-PD003 | マルチタップ | パッドを5つまで接続できる純正機器。本体のみではパッドを1つしか接続できなかった弱点が逆に普及を促し、ファミコン以上に多人数同時プレイソフトを登場させることとなった。2人用や4人用のサードパーティ製のものもあった。 | |
PI-PD4 | ターボスティック | 1988年10月1日 | NEC-HE純正では唯一のジョイスティック型コントローラ。 |
HC63-8 | ジョイタップ3 | 1988年10月4日 | 純正品。マルチタップの廉価版で、3つまでしかパッドを接続できない。 |
PI-PD5 | ターボパッドII | 1989年11月22日 | PCエンジンシャトルの形状に合わせたターボパッド。 |
NAPD-1001 | アベニューパッド3 | 1991年1月31日 | 3ボタン操作のフォーゴットンワールドの発売に合わせて登場。IIIボタンはSELECTかRUNボタンのいずれかに設定して使用する、連射もできるのでRUNボタンに設定してスローモーション(ポーズの連射)をかけることも可能。 |
PI-PD10 | PCエンジンマウス | 1992年11月27日 | 後期、PCから移植等の一部ゲームに対応。親指で押せるセレクトボタン・ランボタンも付いており、当時としては珍しい4ボタンマウスだった。 |
PI-PD11 | コードレスマルチタップ | 1992年12月18日 | PCエンジンDuoに合わせたデザインの純正品。パッド信号を赤外線で伝達することでコントローラのコードレス化を実現。コードレスマルチタップ自体はPCエンジン本体のパッド端子に接続する。コードレスパッドを5本揃えれば5人同時プレイ可能である。受信可能距離は約3mまで。 |
PI-PD12 | コードレスパッド | コードレスマルチタップ用のパッド。単四乾電池4本必要。 | |
NAPD-1002 | アベニューパッド6 | 1993年5月28日 | 6ボタンパッド。『ストリートファイターII'』の移植に対応する形で登場。 |
PCE-TP1 | アーケードパッド6 | 1994年6月25日 | 6ボタンパッド。PC-FXの標準パッドとデザインがほぼ同じ。 |
ゲームソフトとして、HuCARDメディアのローンチタイトルは『上海』と『ビックリマンワールド』である。
1987年に設立されたNECアベニューがゲームソフトの開発と販売を行っている(NEC-HEはハードウェア製造メーカーだった)。また、ハドソンが初期のラインナップを充実させている。この時期ファミコンソフトの製造での優遇措置停止で任天堂とのトラブルになっていたナムコ(現:バンダイナムコエンターテインメント)が参入。ハドソン・NECアベニューと共に初期の三本柱に[27]、参入社数過多により飽和状態になっていたファミコン市場から新たな市場を求めたサードパーティがPCエンジンへと参入した、タイトー・アイレム・データイースト・日本物産などが参入。一方でカプコン[注 16]やコンパイル[注 17]などはソフトのOEM供給などをしていたが、参入して自社ブランドで販売することはなかった。これらサードパーティの参加もあり、ファミコンでは実現が難しかったアーケードゲームが移植された[28]。
1991年にはコナミ(ブランド名は『KONAMI』、その後ゲーム事業はコナミデジタルエンタテインメントへ移管)も参入し、NEC HEも日本市場(それまで当社は米国市場のみでゲームソフトを発売する程度だった)でゲームソフトを販売するようになり、後期以降の主要ソフトメーカーにまで発展した[注 18]。
1992年には『天外魔境II 卍MARU』『スナッチャー』といったSUPER CD-ROM2を代表するキラーソフトが発売されている。CD-ROM2の普及に伴い、日本ファルコム・アートディンク・システムソフト・リバーヒルソフト・ブレイングレイ・マイクロキャビン・コーエー(現:コーエーテクモゲームス)・日本テレネットといったPCゲームのソフトハウスが参入した。
1994年春にはアーケードカード専用CD-ROM2が登場、ネオジオで人気を博していた『餓狼伝説2』『龍虎の拳』が目玉ソフトとして発売された。HuCARDメディアでの最後のタイトルは1994年12月16日発売の『21エモン めざせホテル王』である[29][30]。
1999年6月にメッセサンオーとソフマップ専売で発売された『デッド・オブ・ザ・ブレイン 1&2』を最後に、ソフトの供給は終了した[4]。
またゲームソフト以外にも事典やカラオケソフトが発売された。
『Keith Courage in Alpha Zones(魔神英雄伝ワタル)』がTurbografx-16に付属したほか、『エイリアンクラッシュ』『魔境伝説』『ビクトリーラン』がローンチタイトルとして発売された。
Turbografx-CD発売時にはローンチタイトルとして『ファイティング・ストリート』『ワンダーボーイIII モンスター・レアー』の2本がリリースされた。
1987年に発売された本機は初年度で60万台を出荷し[31]、任天堂のファミリーコンピュータが独占状態であった国内家庭用ゲーム機市場では任天堂に次ぐ2番手となった。
1987年当時の家庭用ゲーム機の常識を覆す高速・高性能であり[3]、任天堂のシェアを崩すには至らなかったが、新規ハードとして一定の普及に成功し国内市場では1992年時点でスーパーファミコンに次ぐ24.7%のシェアを占めていた[6]。1990年代前半の日本市場において、PCエンジンの周辺機器であるCD-ROM2(シーディーロムロム)は最も普及していたCD-ROMゲーム機である。
その他ファミリーコンピュータとは異なる以下の点が評価されている。
メディア展開としてテレビの専門番組にハドソンが提供・協力、一部は日本電気ホームエレクトロニクスも提供をしている。それに加え広報の一つとしてPCエンジン発売に合わせファミコンソフトのイベントだったハドソン全国キャラバンの課題ゲームをPCエンジン用に切り替えており、『コロコロコミック』のタイアップ記事やさくまあきらが担当した『週刊少年ジャンプ』の読者コーナーなど、影響下にあるメディアでPCエンジンの話題を多く取り上げた。
また富士見ファンタジア文庫から1990年2月に刊行された『悪の江ノ島大決戦』(とまとあき・塚本裕美子著)では、当時発売直後のシャトルやスーパーグラフィックスなどが作中のアイテムとして登場し、ゲーム機本体とライトノベルという、タイアップが行われた。
本機の製造終了後には実機を使用せずにゲームを遊べる環境を各社が提供している。
2019年には、ゲームソフトを内蔵した小型復刻版「PCエンジン mini」の販売が、コナミデジタルエンタテインメント(KDE)[注 19]より正式発表され[38]、2020年3月19日に発売された。
58本のゲームがプリインストールソフトとして収録されている。また、北米市場向けに「TurboGrafx-16 mini」、欧州市場向けに「PC Engine CoreGrafx mini」がリリースされている。
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