1963年のテレビ(1963ねんのテレビ)では、1963年(昭和38年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。
- 日本におけるテレビ普及率が88.7%へ上昇。
- TBS[注 1]がこの年の年間視聴率で、ゴールデンタイム(19〜22時までの時間帯)の視聴率がトップとなる。以後、1981年までの19年間、連続して首位の座を維持することとなった(ビデオリサーチ調べ)。
- また、NHKがこの年の年間視聴率で、全日帯(6〜24時までの時間帯)の視聴率がトップとなる。以後、1986年までの24年間、連続して首位の座を維持することとなった(同上)。
- 翌年の東京オリンピックを控え、12月1日に電電公社が、テレビネット回線の東日本ループのカラー対応の高規格化を完成。これを受け、同月16日に、甲信越及び中部地方のNHK総合テレビのカラー化が完了する。[1][2][3]
- 1月
- 2月
- 3月
- 4月
- 6月
- 8月
- 9月
- 10月
- 11月
- 12月
(関東地区、ビデオリサーチ調べ)[10]
- 第14回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)81.4%
- ニュース(NHK総合、12月31日 21:00-21:05)66.7%
- プロレス・WWA世界選手権無制限一本勝負「デストロイヤー×力道山」(日本テレビ、5月24日)64.0%
- ゆく年くる年(NHK総合、12月31日)57.4%
- ボリショイサーカス(NHK総合、7月16日)55.3%
- ベン・ケーシー(TBS、1月11日)50.6%
- リングサイドアワー「海老原博幸×ポーン・キングピッチ」(フジテレビ、9月18日)47.8%
- 事件記者(NHK総合、6月4日)47.1%
- 世界バンタム級タイトルマッチ「エデル・ジョフレ×青木勝利」(TBS、4月4日)46.0%
- 図々しい奴(TBS、8月5日、9月9日)45.1%
- お笑い三人組(NHK総合、6月4日)44.2%
- 歌謡浪曲ドラマ(NHK総合、1月1日)43.9%
-
- ニュース(NHK総合、1月27日 17:35-17:40)41.8%
- 月曜日の男(TBS、8月12日)40.9%
- てなもんや三度笠(TBS、11月24日)40.5%
- 若い季節(NHK総合、2月3日)40.3%
- ドラマ・吾輩は猫である(NHK総合、1月1日)40.2%
- 1963年歌くらべオールスター大行進(TBS、12月31日)39.9%
テレビドラマ
- NHK
- 日本テレビ系
- TBS系
- フジテレビ系
- NETテレビ系
子供向けドラマ
- NHK
- 日本テレビ系
- TBS系
- フジテレビ系
- NETテレビ系
開局当初は、在京キー局4系列の人気番組を中心に編成したオープンネット形式であったが、1970年4月に福島中央テレビ(FCT)がフジテレビとNETのクロスネット局として開局してから、日本テレビとTBSのクロスネット局に移行するが、FCT開局から1年半後の1971年10月、新聞資本の関係でTBSとフジテレビのクロスネット局となり、1983年10月までにフジテレビ系フルネット局に一本化され、現在に至る。
1年間の通年放送となるのは翌年放送の第2作『赤穂浪士』から。
「私のクイズ」は同月9日放送分から、「歌のグランプリショー」と「底ぬけ脱線ゲーム」は同月11日放送分からカラー化されている。
1975年4月から腸捻転解消に伴いTBS系で放送。
小池は1983年9月まで司会を務め、後年は西郷輝彦(歌手・俳優)に司会を交代、最終回まで務めた。
この記録は『NHK紅白歌合戦』の歴代並びに日本のテレビ史上1位の高数字であり、2020年現在まで破られていない。
日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'64』日本放送出版協会、1964年、5、206~7頁。
朝日新聞 1963年3月23日 朝刊 P.7 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
朝日新聞 1963年8月9日朝刊 P.7 テレビ欄 及び 同年8月11日朝刊 P.7 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'64』日本放送出版協会、1964年、5,26頁。
朝日新聞 1963年8月11日 朝刊 P.7 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
朝日新聞 1963年8月9日 朝刊 P.7 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
朝日新聞 1963年10月10日 朝刊 P.7 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
朝日新聞 1963年4月6日 朝刊 P.7 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)