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東京都豊島区の繁華街 ウィキペディアから
西池袋(にしいけぶくろ)は、東京都豊島区の町名。現行行政地名は西池袋一丁目から西池袋五丁目。郵便番号は171-0021[2]。
池袋駅西口から要町通り西南側、山手通り東南側で西武池袋線線路北側に囲まれた地域であり、北側に池袋・上池袋、東側に東池袋・南池袋、南側に目白・南長崎、西側に長崎・千早・要町にそれぞれ接している。池袋駅東口に劣らず大衆的な商業施設、飲食・歓楽店街、東京芸術劇場・立教大学をはじめとした教育文化施設、池袋警察署・池袋消防署・豊島税務署等の官公署が集合している。
西池袋から池袋駅の東西を結ぶ道路として、駅南側に南池袋に抜ける自動車通行可能な通称びっくりガードが、駅北側に東池袋に抜ける歩行者専用通路である雑司が谷隧道(通称:WE ROAD、ウイ・ロード)がある(雑司が谷隧道は自転車を降車して手で押していけば通行可能)。
住宅地の地価は、2017年(平成29年)1月1日の公示地価によれば、西池袋3-7-5の地点で53万9000円/m2となっている[4]。
一部は長崎村の一部であり、1871年に浦和県(現埼玉県)から東京府に編入されている。1932年に豊島区の一部となった。
元々、中小規模の商店や飲食店の多い商店街が広がっていたが、戦後、旧豊島師範学校跡に西口マーケットと呼ばれた闇市が形成され長らく残ったため、東口に比べて開発が遅れた。
1960年代に闇市の撤去および区画整理が行われたものの、開発はなかなか進まなかった。
1980年代に入り、区画整理後の区画に残った旧鉄道教習所跡にホテルメトロポリタンが建設されたのを皮切りに、旧豊島師範学校跡に東京芸術劇場が、芝浦工大高校跡にメトロポリタンプラザが建設されるなど、ようやく町並みが変わり始めた。
西池袋から椎名町駅にかけての一帯は池袋モンパルナスとして昭和初期の戦間期に若い芸術家がアトリエを多く構えていた。戦時中においてはそうした芸術が不適切なものとみなされ、多くの芸術家が太平洋戦争で戦死したこともあって芸術運動は一旦終結した。戦後、再評価がなされるとともに、新たに前衛的な作品が産み出された。
池袋駅の付近にはこうしたモダニズムの残景はすでにみられないが、郊外の山手通りに向かって平屋のアトリエ跡が残っている。またモダニズム建築は西池袋 - 目白 - 新宿区中落合 - 中井各町一帯にあった目白文化村にも現れている。
池袋駅北口の歓楽街が取り上げられることが多いものの、現在においても立教学院や自由学園の独自理念に沿った教育が中心部の雑踏から離れたところで受け継がれている。
2012年、東京都は西池袋一丁目を都迷惑防止条例に基づき、客引きやスカウトのみならず、それらを行うために待機する行為なども禁止する区域に指定した[5]。 さらに2019年には西池袋一丁目と三丁目を同区域を暴力団排除条例に基づき、暴力団排除特別強化地域に指定[6]。地域内では暴力団と飲食店等との間で、みかじめ料のやりとりや便宜供与などが禁止され、違反者は支払った側であっても懲役1年以下または罰金50万円以下の罰則が科されることとなった[7]。
2024年、警視庁が取りまとめた『令和5年区市町村の町丁別、罪種別及び手口別認知件数』では、西池袋一丁目で2023年に発生した犯罪認知件数は370件とされており、東京23区の中で5番目に多い町となっている[8]。
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。なお、豊島区の小・中学校では学校選択制度を導入しており、以下の指定校に隣接している通学区域の学校も選択することが可能[9]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
西池袋一丁目 | 21~25番 29〜44番 | 豊島区立池袋小学校 | 豊島区立西池袋中学校 |
その他 | 豊島区立池袋第三小学校 | ||
西池袋二丁目 | 全域 | ||
西池袋三丁目 | 全域 | ||
西池袋四丁目 | 全域 | ||
西池袋五丁目 | 全域 |
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