同志社大学
京都市上京区にある私立大学 ウィキペディアから
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同志社大学(どうししゃだいがく、英語: Doshisha University)は、京都府京都市上京区今出川通烏丸に本部を置く日本の私立大学。1875年創立、1920年大学設置。
同志社大学 | |
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今出川キャンパス(2017年1月) | |
大学設置 | 1920年 |
創立 | 1875年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人同志社 |
本部所在地 |
京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町601番地 北緯35度1分47.1秒 東経135度45分38.7秒 |
学生数 | 28,354 |
キャンパス |
今出川(京都府京都市上京区) 新町(京都府京都市上京区) 室町(京都府京都市上京区) 京田辺(京都府京田辺市) 学研都市(京都府木津川市) 烏丸(京都府京都市上京区) |
学部 |
神学部 文学部 社会学部 法学部 経済学部 商学部 政策学部 文化情報学部 理工学部 生命医科学部 スポーツ健康科学部 心理学部 グローバル・コミュニケーション学部 グローバル地域文化学部 |
研究科 |
神学研究科 文学研究科 社会学研究科 法学研究科 経済学研究科 商学研究科 総合政策科学研究科 文化情報学研究科 理工学研究科 生命医科学研究科 スポーツ健康科学研究科 心理学研究科 グローバル・スタディーズ研究科 司法研究科 ビジネス研究科 脳科学研究科 |
ウェブサイト | https://www.doshisha.ac.jp/ |
同志社大学は、1875年(明治8年)に「官許・同志社英学校」として新島襄によって設立された[1]。最も古い段階で大学令に基づく大学となった(詳しくは旧制大学参照)私立大学で、京都府内に2つの校地を有し、現在は14学部・16研究科(大学院)、学生約3万人を擁している。
国際化を積極的に推進しており、文部科学省の定めるグローバル30に採択され、多数の外国大学と交流がある。米国のアマースト大学をはじめとする13のリベラル・アーツ・カレッジに設置されたAssociated Kyoto Program (AKP)[2]や、スタンフォード日本センター[3]、京都アメリカ大学コンソーシアム (KCJS)[4]等、海外との強力な関係を持つ。ドイツのテュービンゲン大学とは特に密接な関係を持ち、相互に研究センターを設置している[5][6][7]。
大学間協定は48か国215大学と締結、学部・研究科間協定締結大学数は42か国166機関と締結している(ともに2021年9月)[8]。また、学生交換協定は37か国(地域)176大学と締結している(2022年3月)[9]。
大学の前身である同志社英学校を創る際に新島がアメリカ合衆国に在る組合派系の海外伝道団体「アメリカン・ボード」の力添えを得たことから[10]、その教育理念は「キリスト教主義」に基づいている[11]。
株式会社格付投資情報センター(R&I)より、経営状況に関して「AA+(ダブルAプラス)、方向性は安定的」との格付を受けている(なお、日本の学校法人全体では他に早稲田大学が同一評価を受けている)。しかし大学によれば、本格付けの取得・維持は学外からの資金調達を目的としたものでは無い()。
学内の予算は、収入が計432億4100万円前後であり、支出は計431億8900万円であると公表されている(2019年度)。
同志社の建学精神はキリスト教精神に基づく「良心教育」である。それは、「同志社大学設立の旨意」において示されているとおり、新島襄は建学にあたり「良心を手腕に運用する人物」の育成を掲げた。知識教育に偏ることのないよう、キリスト教に基づく「徳育」を並行して進めることで、「良心の全身に充満」した人々を輩出したいと願ったのである[12]。
同志社大学では、「一国の良心」ともいうべき人物を養成するために始まった同志社の教育をいまに受け継ぎ、実現するためにも、「キリスト教主義」・「自由主義」・「国際主義」を同志社大学における教育理念と定めて、これらの理念に基づく教育活動を実践している[13]。
この節の加筆が望まれています。 |
同志社大学の源流は、1875年(明治8年)に新島襄が京都府顧問山本覚馬との結社により設立した同志社英学校である。最初は教師2名(新島とJ.D.デイヴィス)と生徒8名のみの小さな学校だったが、翌年秋に熊本バンドと呼ばれる一団が入学し、のちに彼らが同志社の柱石となる。
新島は米国留学時代から日本でのキリスト教主義大学設立の志を抱いており、1888年(明治21年)に「同志社大学設立の旨意」を公表して大学設立への協力を呼びかけたが、その実現を見ることなく客死したため、新島の遺志は主に熊本バンドの教育者や宗教家らによって受け継がれ、1912年(明治45年)に専門学校令による同志社大学(神学部・政治経済部・英文科)を設立した。ただしこの時期の同志社教授陣の陣容は薄く、上田敏や河田嗣郎、河上肇などの京都帝大教授の出講を必要とした[14][15]。
1920年(大正9年)、西日本の私立大学で初めての大学令に基づく旧制大学となり、文学部・法学部および予科と大学院を開設した。法学部には吉野作造門下の少壮教授が集い[注 2]、文学部神学科[注 3]からは学術雑誌『基督教研究』が刊行されるなど、海老名弾正総長の下での同志社アカデミズムには目をみはるものがあった。
なお、従来からの専門学校令による課程は同志社専門学校に改組され、高等商業部はのちに同志社高等商業学校として独立した。
日本の私立大学での男女共学は専門学校令による東洋大学や日本大学専門部での先例はあったが、大学令による私立大学では同志社大学が最初であり、1922年(大正11年)に同志社女学校専門学部英文科卒業者の同志社大学各学部への入学を認める学則改正が行われ、翌年女子学生4名が文学部に入学した[16]。その後も同志社大学は女子学生の受け入れ枠を徐々に拡大し、旧制時代を通じて111名の女子卒業生を社会に送り出した[17]
昭和期に入ると軍国主義の台頭によってキリスト教主義を掲げる大学に対する風当たりが強まり、第10代総長湯浅八郎は軍部や右翼勢力との衝突の末に辞職を余儀なくされた。後任者の牧野虎次は軍国主義とキリスト教主義の折り合いをつけながら綱渡りの学校運営を行った。徳富蘇峰や社友大久保利武らを通じて同志社への圧迫軽減を試み[18][19]、学生・職員・卒業生らの募金によって戦闘機を献納したりもしている[20]。
これに先立って今出川通に面する正門のそばに良心碑が建てられた。「良心」は同志社教育の原点であると同時に明治天皇の帝王学で重視されたことでもあった。軍部といえども天皇の教育を批判することはできまい、というしたたかな計算がそこにはあった[21][22]。
1944年(昭和19年)に大学は法文学部のみの単科大学へと縮小し、専門学校(高等英語部・法律経済部)は小規模の外事専門学校、高等商業学校は経済専門学校に組織変更し、工業専門学校を新設した。大学神学科は日本基督教団設立の神学校への統合を拒み、 学徒出陣と勤労動員によって授業はできなくなっていたが、神学研究は終戦の日まで細々ながらも続けられた[23]。
終戦後の1946年(昭和21年)に元の2学部体制に復旧。翌年神学部が独立し、米国に亡命していた湯浅八郎が総長に返り咲いた。1948年(昭和23年)の新制大学発足時に神・文・法・経済の4学部を擁する総合大学となり、翌年商学部と工学部を開設した。
同志社大学の新制移行を見届けた湯浅は東京三鷹に新設された国際基督教大学に転じ、神学者大塚節治が後任の総長に就任した。大塚は秦孝治郎理事長の補佐を得ながら大学施設の拡充を進め、機構面では同志社諸学校の独立採算制を採用したが、これについてはセクショナリズムを助長し総合学園としての一体感を損ねるものだとの批判もあった[24]。
やがて工業(場)等制限法により今出川での施設拡充は困難になったため、1960年代に綴喜郡田辺町(現・京田辺市)の土地約100万m2を購入したが、大学紛争などの影響もあって田辺キャンパス(現・京田辺キャンパス)開設は1986年(昭和61年)までずれ込んだ[25][26]。
学部については6学部体制の時代が長く続いたが、2000年代以降に政策学部、社会学部、文化情報学部、生命医科学部、スポーツ健康科学部、心理学部、グローバル・コミュニケーション学部、グローバル地域文化学部を相次いで新設し、さらに工学部を理工学部に改組した。
現在の大学は14学部、大学院16研究科および人文科学研究所、アメリカ研究所、ハリス理化学研究所を擁し、今出川と京田辺を主要校地としている。
(年表節の主要な出典は公式サイト[27])
年 | 出来事 |
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1874年 (明治7年) |
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1875年 | |
1876年 | |
1877年 | |
1879年 |
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1880年 |
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1883年 | |
1884年 |
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1885年 |
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1886年 |
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1887年 | |
1888年 | |
1889年 | |
1890年 |
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1891年 | |
1892年 | |
1893年 | |
1895年 |
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1896年 | |
1897年 | |
1898年 | |
1899年 | |
1900年 | |
1902年 | |
1904年 | |
1905年 |
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1906年 |
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1907年 | |
1908年 | |
1909年 | |
1912年 | |
年 | 出来事 |
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1913年 (大正2年) |
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1916年 |
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1917年 | |
1918年 | |
1919年 | |
1920年 | |
1921年 |
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1922年 |
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1923年 | |
1925年 | |
1926年 |
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年 | 出来事 |
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1927年 (昭和2年) |
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1928年 | |
1929年 | |
1930年 |
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1931年 | |
1932年 | |
1933年 | |
1935年 | |
1936年 |
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1937年 | |
1938年 | |
1939年 |
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1940年 |
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1941年 |
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1942年 | |
1943年 | |
1944年 |
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1945年 | |
年 | 出来事 |
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1946年 |
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1947年 | |
1948年 | |
1949年 | |
1950年 | |
1951年 | |
1952年 |
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1953年 |
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1954年 | |
1955年 |
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1956年 | |
1957年 |
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1958年 |
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1959年 | |
1960年 |
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1961年 | |
1962年 |
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1963年 | |
1964年 | |
1965年 | |
1966年 |
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1967年 |
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1968年 | |
1969年 |
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1970年 | |
1972年 | |
1973年 |
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1974年 |
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1975年 | |
1976年 |
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1978年 |
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1979年 |
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1980年 |
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1982年 |
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1985年 |
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1986年 |
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1988年 |
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年 | 出来事 |
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1991年 (平成3年) |
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1993年 |
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1994年 |
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1995年 | |
1996年 |
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1997年 | |
1998年 |
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1999年 |
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2000年 | |
2001年 |
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2002年 |
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2003年 | |
2004年 | |
2005年 | |
2006年 |
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2007年 |
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2008年 | |
2009年 |
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2010年 |
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2011年 |
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2012年 | |
2013年 |
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2014年 |
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2015年 |
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2017年 | |
2019年 |
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1893年制定[112]。正三角形を3つ寄せたもので、国あるいは土を意味するアッシリア文字「ムツウ」を図案化したものである。(「ムツウ」については、クル (シュメール神話)参照[要説明])知・徳・体の三位一体あるいは調和を目指す同志社の教育理念を顕すものと解釈されている[113]。考案者は湯浅半月。
Doshisha Cheer
One, two, three,
Who are we?
La, la, la, Doshisha!
One, two, three,
Who are we?
La, la, la, Doshisha!
One, two, three,
Who are we?
La, la, la, Doshisha!
学部 | 学科 | 2014年度 | 2015年度 | 2016年度 | 2017年度 | 2018年度 |
神学部 | 神学科 | 62 | 62 | 66 | 64 | 63 |
学部計 | 62 | 62 | 66 | 64 | 63 | |
文学部 | 英文学科 | 294 | 315 | 513 | 305 | 325 |
哲学科 | 80 | 59 | 65 | 72 | 73 | |
美学芸術学科 | 66 | 56 | 85 | 71 | 72 | |
文化史学科 | 126 | 123 | 130 | 137 | 120 | |
国文学科 | 136 | 126 | 125 | 117 | 135 | |
学部計 | 702 | 679 | 720 | 702 | 725 | |
社会学部 | 社会学科 | 94 | 94 | 81 | 102 | 89 |
社会福祉学科 | 98 | 105 | 74 | 112 | 97 | |
メディア学科 | 87 | 94 | 77 | 113 | 79 | |
産業関係学科 | 77 | 87 | 87 | 92 | 79 | |
教育文化学科 | 73 | 90 | 90 | 82 | 72 | |
学部計 | 429 | 470 | 409 | 501 | 416 | |
法学部 | 法律学科 | 644 | 662 | 674 | 681 | 760 |
政治学科 | 222 | 198 | 237 | 200 | 236 | |
学部計 | 866 | 860 | 911 | 880 | 996 | |
経済学部 | 経済学科 | 928 | 862 | 904 | 999 | 815 |
学部計 | 928 | 862 | 904 | 999 | 815 | |
商学部 | 商学科 | 890 | 883 | 936 | 841 | 894 |
学部計 | 890 | 883 | 936 | 841 | 894 | |
政策学部 | 政策学科 | 447 | 390 | 422 | 465 | 398 |
学部計 | 447 | 390 | 422 | 465 | 398 | |
文化情報学部 | 文化情報学科 | 308 | 312 | 294 | 334 | 284 |
学部計 | 308 | 312 | 294 | 334 | 284 | |
理工学部 | インテリジェント情報工学科 | 87 | 93 | 73 | 78 | 92 |
情報システムデザイン科 | 88 | 87 | 92 | 70 | 88 | |
電気工学科 | 79 | 110 | 96 | 66 | 84 | |
電子工学科 | 88 | 113 | 99 | 74 | 92 | |
機械システム工学科 | 118 | 120 | 117 | 87 | 101 | |
エネルギー機械工学科 | 74 | 106 | 76 | 67 | 72 | |
機能分子・生命化学科 | 78 | 91 | 87 | 72 | 75 | |
化学システム創成工学科 | 92 | 99 | 96 | 70 | 77 | |
環境システム学科 | 54 | 50 | 55 | 42 | 55 | |
数理システム学科 | 38 | 54 | 48 | 35 | 38 | |
学部計 | 796 | 923 | 839 | 661 | 774 | |
生命医科学部 | 医工学科 | 99 | 75 | 120 | 99 | 91 |
医情報学科 | 94 | 94 | 106 | 97 | 100 | |
医生命システム学科 | 65 | 51 | 65 | 69 | 74 | |
学部計 | 258 | 220 | 291 | 265 | 265 | |
スポーツ健康科学部 | スポーツ健康科学科 | 227 | 225 | 227 | 224 | 227 |
学部計 | 227 | 225 | 227 | 224 | 227 | |
心理学部 | 心理学科 | 144 | 157 | 159 | 182 | 162 |
学部計 | 144 | 157 | 159 | 182 | 162 | |
グローバル・コミュニケーション学部 | グローバル・コミュニケーション学科 | 151 | 143 | 147 | 155 | 167 |
学部計 | 151 | 143 | 147 | 155 | 167 | |
グローバル地域文化学部 | グローバル地域文化学科 | 196 | 188 | 201 | 192 | 213 |
学部計 | 196 | 188 | 201 | 192 | 213 | |
全学部計 | 6404 | 6374 | 6526 | 6471 | 6399 |
神学部のルーツは同志社英学校に設けられた余科(バイブル・クラス)に求められる。その後幾度かの名称変更を経て1904年に専門学校令による同志社神学校、1912年に専門学校令による同志社大学神学部となり、1920年大学令による同志社大学文学部神学科となった[注 14]。同学科は十五年戦争期におけるキリスト教弾圧や神学校大合同などの逆風の下でも命脈を保ち、終戦後の1947年に旧制神学部、翌年新制神学部となった。
その学風は新島襄やJ.D.デイヴィスらによってもたらされたニューイングランドのピューリタニズム、熊本バンドの思想的根幹となった自由主義神学、昭和初期に芦田慶治や大塚節治らによって植え付けられた弁証法神学が渾然一体となったものと評された[123]。
1999年に神学部神学科と明示される。日本基督教団認可神学校だが、現在は、特定教派の牧師養成のみを目的とせず、一神教を中心に幅広く宗教を学べる学部となっている。キリスト教神学のみならず、ユダヤ教、イスラーム関連科目が設置されていることも特徴。卒業後の進路は他学部と変わらず一般企業への就職が多い。以前は1、2年次は京田辺校地で学び、3、4年次は今出川校地で学んだが、2009年度より全学年を今出川校地へ統合。
もともと文学部には英文学科、文化学科、社会学科が存在したが、2005年度より社会学科が社会学部へ改組されたのに伴い、文化学科の各専攻が学科へ改組。以前は1、2年次は京田辺校地で学び、3、4年次は今出川校地で学んでいたが、2013年度から全学年を今出川校地に統合。副専攻の制度を設けており、希望者は2年次から各コースの履修を始める。
現在の同志社大学社会学部の前身は1941年4月に設置された文学部文化学科厚生学専攻。1944年10月に法文学部厚生学科に改組され、1946年4月に文学部社会学科が誕生する。その後、2005年度に社会学部へ改組された。以前は1、2年次は京田辺校地で学び、3、4年次は今出川校地で学んだが、2009年度より全学年を今出川校地へ統合。主に新町キャンパスで学ぶ。
1891年に同志社政法学校が開校したが、1904年に廃止される。現在の法学部の前身は、1912年に専門学校令による同志社大学に開設された政治経済部である。1919年に政治経済部を法学部と改称。1920年には大学令による同志社大学に昇格し、法学部政治学科が誕生した(1923年には法律学科も増設)。1944年に同志社専門学校高等英語部と法律経済部が統合され同志社外事専門学校が設置される。また、同年に大学令による同志社大学の文学部と法学部が統合され、法文学部法経学科となるが、2年後の1946年に法経学部へと再分割され、1948年には新制学部として法学部(法律学科、政治学科)が置かれる。そして1949年に同志社外事専門学校は同志社大学に吸収、1952年に専門学校は廃止され、同志社で政治、法律を学ぶところが一本化される。
以前は1、2年次は京田辺校地で学び、3、4年次は今出川校地で学んでいたが、2013年度から全学年を今出川校地に統合。ゼミは必修ではない。第2部は2004年3月廃止。
1891年に同志社政法学校が開校し理財科が置かれたが、1904年に同志社政法学校は廃止される。現在の同志社大学経済学部の前身は、1912年に専門学校令による同志社大学に開設された政治経済部である。1919年に政治経済部を法学部と改称。1920年には大学令による同志社大学に昇格し、法学部経済学科が誕生した。1922年に専門学校令による同志社専門学校に政治経済部が置かれる。1944年に同志社専門学校高等英語部と法律経済部が統合され同志社外事専門学校が設置される。また、同年に大学令による同志社大学の文学部と法学部が統合され、法文学部法経学科となるが、2年後の1946年に法経学部経済学科へと再分割され、1948年には新制学部として同志社大学経済学部が置かれる。そして1949年に同志社外事専門学校は同志社大学に吸収、1952年に専門学校は廃止され、同志社で経済を学ぶところが一本化される。1999年に経済学部経済学科と学科名が明示される。
専門科目のほとんどが週に2回の4単位の授業でカリキュラムが構成されている。1年次春学期に基礎ゼミナールという必修の少人数制ゼミ形式のカリキュラムが組まれている。本格的なゼミは2年次秋学期より履修可能で、必修ではない。そのため、卒業論文も必修ではない。ゼミの数はおよそ50で、各ゼミの人数にかなりばらつきがある。以前は1、2年次は京田辺校地で学び、3、4年次は今出川校地で学んでいたが、2013年度から全学年を今出川校地に統合。第2部は2004年3月廃止。コース制は2005年4月廃止。副専攻制度を設けており、希望者は2年春学期に申請する。
現在の商学部の前身は1922年に同志社専門学校の再編時に開設された高等商業部である。その後、1930年12月に高等商業部は同志社高等商業学校として独立。戦時下の1944年に同志社経済専門学校に改称される。1949年に同志社大学に商学部が開設され、1949年に同志社経済専門学校は同志社大学商学部に吸収され、同志社経済専門学校は1952年に廃止される。1999年に商学部商学科と明示される。1学年の人数は約800人強で早稲田大学、慶應義塾大学などと比べ小規模な単位での授業が展開されている。ゼミは2年次秋学期より履修可能で、必修ではない。そのため、卒業論文も必修ではない。商学部のカリキュラムが2007年(平成19年)度の特色GP、学生と教員の幸せな出会いをめざす導入教育〜大規模学部における組織的教育改善とその効果の測定〜として採用された。以前は1、2年次は京田辺校地で学び、3、4年次は今出川校地で学んでいたが、2013年度から全学年を今出川校地に統合。第2部は2003年3月廃止。
2004年に55年ぶりに新設された学部。法学・経済学・社会学などの特定の分野に偏らず、社会科学の幅広い領域を学ぶことができる。全学年を今出川校地(主に新町キャンパス)で学ぶ。
2005年に開設された学部。これまで自然科学の分析対象ではなかった「文化」を、「データサイエンス」という手法で探究する文理融合の学部。全学年を京田辺校地で学ぶ。選択科目は文化クラスター科目、データサイエンス科目などで構成。文化クラスター科目は「文化科目」、「言語科目」、「人間行動科目」、「人間社会科目」に分かれ、データサイエンス科目は「データ分析科目」、「基礎数理科目」、「情報・コンピュータ科目」に分かれる。
1890年に同志社ハリス理化学校が開校。その後1892年に同志社ハリス理科学校、1897年に同志社高等学部波理須理科学校に名称変更される。1904年に同志社高等学部文科学校と合併し、専門学校令による同志社専門学校が設置されるが、1912年に廃止される。現在の理工学部の前身は、1944年に設置された同志社工業専門学校(電気通信科、機械科、化学工業科)である。1949年には同志社大学に工学部(電気学科、機械学科、工業化学科)が設置され、1954年には夜間の第二部(電気工学科、機械工学科、工業化学科)も設置される。1962年に電気学科を電気工学科、機械学科を機械工学科に改称。1963年3月に第二部は廃止され、1963年4月から電子工学科、機械工学第二学科、化学工学科が増設される。1994年には工学部を全学科を京田辺校地に移転し、知識工学科を増設し、機械工学科を機械システム工学科、機械工学第二学科をエネルギー機械工学科、工業化学科を機能分子工学科、化学工学科を物質化学工学科に改組。 全学年を京田辺校地で学ぶ。2008年度より工学部から改組。
全学年を京田辺校地で学ぶ。2008年度に開設。
全学年を京田辺校地で学ぶ。2008年度に開設。
2009年度に文学部心理学科を心理学部へ改組[128]され、これまでは2年生まで京田辺、それ以降は今出川で分離していたが全学年を京田辺へ統合。
2010年度に開設。全学年を京田辺校地で学ぶ。英語コースではアメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドの5カ国13校、中国語コースでは中国、台湾の計3校のいずれかへの留学(1年間)を必修としている。
2013年度に開設。全学年を今出川校地(主に烏丸キャンパス)で学ぶ。
1950年に修士課程が開設され、1953年に博士課程が開設される。日本で最も長い歴史を持つ神学教育機関。現在は博士課程の前期課程と後期課程がある。
1950年に修士課程が開設され、1953年に博士課程が開設される。2005年度に文学研究科と社会学研究科に分割される。現在は博士課程の前期課程と後期課程がある。
2005年度に文学研究科より分割される。博士課程の前期課程と後期課程がある。
1950年に修士課程が開設され、1953年に博士課程が開設される。現在は博士課程の前期課程と後期課程がある。
1950年に修士課程が開設され、1953年に博士課程が開設される。現在は博士課程の前期課程と後期課程がある。2012年度まで、前期課程の両専攻には「研究職コース」、「政策分析コース」、「国際比較コース」、「キャリアアップコース」が設けられていた。
1950年に修士課程が開設され、1953年に博士課程が開設される。現在は博士課程の前期課程と後期課程がある。
1995年に独立研究科としてスタート。2009年に5年一貫制の技術・革新的経営専攻を併設した。2012年11月以降は今出川校地・烏丸キャンパスの志高館で学ぶ。
2007年度に博士課程(前期)、博士課程(後期)が開設される。
1955年に修士課程が開設された。2012年に工学研究科から理工研究科に改称。博士課程の前期課程と後期課程がある。
2008年度に開設。博士課程の前期課程と後期課程がある。
2010年度に開設。博士課程の前期課程と後期課程がある。
2009年度に文学研究科心理学専攻を心理学研究科へ改組。博士課程の前期課程と後期課程がある。
2010年度に開設。今出川校地・烏丸キャンパスの志高館で学ぶ。博士課程の前期課程と後期課程がある。
2012年度より開設。一貫制博士課程。京田辺校地・学研都市キャンパスに設置されていたが、2015年2月から京田辺に統合。
専門職学位課程。法科大学院。2004年度に開設される。今出川校地・室町キャンパスの寒梅館で学ぶ。寒梅館には模擬法廷や、24時間使用できる自習室が設置されている。2017年度の新司法試験の合格者数は全国で14位[129]、合格率は17.9%[130]。
専門職学位課程。2004年度に開設される。今出川校地・室町キャンパスの寒梅館で学ぶ。2009年秋よりすべての授業を英語で実施するグローバルMBAプログラムが設立される[131]。2023年10月18日にビジネス教育の国際認証機関であるAMBA(The Association of MBAs:英国)からMBAプログラムの国際認証を取得した。2023年10月現在、世界のビジネススクールの約2%、305校のみが国際認証AMBAを取得しており、同志社ビジネススクールの国際認証AMBAの取得は、日本国内のビジネススクールでは4校目で、関西に拠点を置く大学では初となる。[132]
1991年度に日本で最初のアメリカ研究の独立研究科として修士課程を開設。1993年度に修士課程を博士課程(前期)と改称し、博士課程(後期)を増設。2010年に募集停止。
同志社大学では1950年から1958年まで同志社大学短期大学部が存在し、学生募集は1953年度まで行っていた[133]。1954年度より、同志社大学の文・法・経済・商・工の各学部に第2部(夜間部)を設置するに伴い、短期大学の学生募集を停止し、1958年12月10日をもって廃止[134]。それぞれ2部に改組させる。
以下の附属機関は2018年4月現在[135]。
先端的教育研究拠点 | 拠点 | 備考 |
---|---|---|
一神教学際研究センター | 今出川 | 私立大学戦略的研究基盤形成支援事業選定拠点 |
技術・企業・国際競争力研究センター | 今出川 | 私立大学戦略的研究基盤形成支援事業選定拠点 |
エネルギー変換教育センター | 京田辺 | 私立大学戦略的研究基盤形成支援事業選定拠点 |
ライフリスク研究センター | 今出川 |
研究センター | 拠点 | 備考 |
---|---|---|
インフラストラクチャー研究センター | 京田辺 | |
電磁エネルギー応用研究センター | 京田辺 | 私立大学戦略的研究基盤形成支援事業選定拠点 |
高等教育・学生研究センター | 継志館 | |
文化遺産情報科学研究センター | 京田辺 | |
生体医療材料研究センター | 京田辺 | |
犯罪学研究センター | 今出川 | |
関係論的システムデザイン研究センター | 京田辺 | |
ソーシャル・イノベーション研究センター | 江湖館 | |
国際比較法文化研究センター | 今出川 | |
アフガニスタン平和・開発研究センター | 今出川 | |
古都ローマ・京都歴史遺産研究センター | 今出川 | |
コリア研究センター | 今出川 | |
イノベーティブコンピューティング研究センター | 京田辺 | |
モビリティ研究センター | 京田辺 | |
ニューロセンシング・バイオナビゲーション研究センター | 京田辺 | |
国際ビジネス法務研究センター | 今出川 | |
実証に基づく心理トリートメント研究センター | 京田辺 | |
波動エレクトロニクス研究センター | 京田辺 | |
高次神経機能障害研究センター | 京田辺 | |
先端複合材研究センター | 京田辺 | |
神経疾患研究センター | 学研都市 | |
新エネルギー変換材料研究センター | 京田辺 | |
管径方向分配現象研究センター | 京田辺 | |
治療システム研究センター | 京田辺 | |
ナノ・バイオサイエンス研究センター | 京田辺 | |
市民外交研究センター | 今出川 | |
先端バイオメカニクス研究センター | 京田辺 | |
創造経済研究センター | 今出川 | |
アディポサイト&マッスルサイエンス研究センター | 京田辺 | |
体力医科学研究センター | 京田辺 | |
<奄美-沖縄-琉球>研究センター | 今出川 | |
超音波医科学研究センター | 京田辺 | |
こころの科学研究センター | 京田辺 | |
高機能微粒子研究センター | 京田辺 | |
京都と茶文化研究センター | 今出川 | |
東南アジアのプランテーション研究センター | 今出川 | |
先端医工学研究センター | 京田辺 |
寄付研究プロジェクト | 拠点 | 備考 |
---|---|---|
アンチエイジングリサーチセンター | 京田辺 | 2005年に開設。バイオメディカル研究プロジェクト |
炎症・再生医療研究センター | 今出川 | バイオメディカル研究プロジェクト |
赤ちゃん学研究センター | 京田辺 | 2008年10月に開設。心理学部の主要施設で、同様の研究施設としては日本初。 |
糖化ストレス研究センター | 京田辺 | |
天然物基盤創薬研究センター |
同志社の図書館の歴史は1876年に図書縦覧室を設け、創立者である新島襄が自らの書籍を公開、貸し出ししたことが始まりである。1887年に初代図書館(現:有終館)が完成。当時この図書館は日本で最大であった[142]。1915年に2代目図書館(現:啓明館西館)が完成。1920年に現在の啓明館本館が完成した。1973年に現在の今出川図書館が完成。1986年に京田辺校地開校に伴いラーネッド記念図書館が完成。ラーネッドという名前は同志社大学初代学長のドワイト・ホイットニー・ラーネッドからきている。
21世紀COEプログラムとして、2件のプロジェクトが採択された。
分野 | プログラム名 | 採択年 |
---|---|---|
社会科学 | 技術・企業・国際競争力の総合研究 | 2003 |
学際・複合・新領域 | 一神教の学際的研究 |
2007年までは「私立大学学術研究高度化推進事業」。
申請区分 | 事業名 | 選定年 |
---|---|---|
研究拠点を形成する研究 | 高次神経機能障害の発症メカニズムの解明と新規治療法の開発 | 2012 |
統合的電力・通信社会環境の形成プロジェクト | 2010 | |
先進微粒子材料の科学と工学の融合 | 2009 | |
ゼロエミッション技術を基盤とした環境調和型エネルギーグリッドの最適化研究 | ||
持続的イノベーションを可能とする人と組織の研究 | ||
一神教とその世界に関する基礎的・応用的研究拠点の形成 | 2008 | |
先端的分子生命化学の研究拠点形成 |
研究組織 | 研究プロジェクト | 選定年 |
---|---|---|
ハイテク・リサーチ・センター整備事業 | ||
複合材料研究センター | 先進複合材料の開発とその応用 | 2007 |
界面現象研究センター | 界面微細構造制御により発現する物性の評価研究 | 2006 |
工学研究科 | ナノハイブリッド構造応用技術の研究 | 2001 |
ナノ構造ハイブリッドデバイス物性研究 | 1996 | |
学術フロンティア推進事業 | ||
知能情報研究センター | 人間と生物の賢さの解明と,その応用 | 2005 |
医工学研究センター | 医工学研究の新展開-生体適合材料と福祉・介護システムの開発 | |
ワールドワイドビジネス研究センター | 1. 政府・国家と企業に関する研究 2. ワールドワイドビジネスの企業行動に関する法的な研究 |
2004 |
トータルヒューマンケア・サポート研究機構 | トータルヒューマンケア・サポート研究プロジェクト | 2003 |
エネルギー変換研究センター | 次世代ゼロエミッション・エネルギー変換システム | |
工学研究科 | 知能情報科学とその応用 | 2000 |
ワールドワイドビジネス研究センター | ワールドワイドビジネスの総合的研究 | 1999 |
トータル・ヒューマンケア・サポート研究機構 | 少子高齢化社会における“こころ”と“からだ”の生涯健康教育に関する多角的研究 | 1998 |
工学研究科 | 先端材料と複雑系科学など | 1997 |
社会連携研究推進事業 | ||
選定なし | ||
オープン・リサーチ・センター整備事業 | ||
選定なし |
同志社大学は様々な方法で産官学連携による教育を行っている。
以下のプログラムに採択されている[149]。
プログラム名 | 採択されたテーマ | 採用年度 |
---|---|---|
大学間連携共同教育推進事業 | データに基づく課題解決型人材育成に資する統計教育室保証 | 2012 |
博士課程教育リーディングプログラム | グローバル・リソース・マネジメント | 2012 |
グローバル人材育成推進事業 (通称:グローバル30plus) |
良心と進取の気性に溢れる同志社グローバル人材育成のための実践的取組 | 2012 |
大学教育・学生支援推進事業 (大学教育推進プログラム) |
プロジェクト・リテラシーと新しい教養教育 | 2009 |
教育研究高度化のための支援体制整備事業 | 国際的教育研究拠点形成の多面的・総合的支援体制整備 | 2009 |
大学教育充実のための戦略的大学連携支援プログラム | 相互評価に基づく学士課程教育質保証システムの創出―国公私立4大学IRネットワーク | 2009 |
大学教育・学生支援推進事業 (学生支援推進プログラム) |
個性を活かした障がい学生のキャリア支援と既卒者の再就職支援 | 2009 |
国際化拠点整備事業 (グローバル30) |
2009 | |
質の高い大学教育推進プログラム | 相互啓発による創造的学力育成カリキュラム | 2008 |
政策提案能力を養う理論と実践との交流教育 | ||
文理融合型教育による課題解決能力の育成 | ||
大学教育の国際化加速プログラム (国際共同・連携支援) |
外国語教育の全学的質保証と国際交流促進 | 2008 |
特色ある大学教育支援プログラム (特色GP) |
学生と教員の幸せな出会いをめざす導入教育 | 2007 |
情報環境の整備と成績評価の厳格化 | 2006 | |
産官学地域連携による人材育成プログラム | 2005 | |
大学連携による新しい教養教育の創造 | 2004 | |
大学コミュニティーの創造 | ||
現代的教育ニーズ取組支援プログラム (現代GP) |
アクションプラン主導型発見的キャリア教育 | 2007 |
公募制のプロジェクト科目による地域活性化 | 2006 | |
けいはんな知的特区活性化デザインの提案 | 2005 | |
企業法務プロフェッショナル育成 | ||
プロジェクト主義教育による人材育成 | 2004 | |
社会人の学び直しニーズ対応教育推進プログラム | ソーシャル・イノベーション型再チャレンジ支援教育プログラム | 2007 |
新たな社会的ニーズに対応した学生支援プログラム | 地域コミュニティによる学生支援方策 | 2007 |
専門職大学院等教育推進プログラム (法科大学院等専門職大学院形成支援プログラム) |
全国法曹キャリア支援プラットフォーム(13大学共同) | 2007 |
「伝統産業グローバル革新塾」プロジェクト | 2006 | |
ビジネススクール教育の質保証システム開発 | 2005 | |
国際的視野と判断力をもつ法律家の養成 | 2004 | |
同志社ビジネススクール地域連携事業推進プロジェクト | ||
大学院教育改革支援プログラム | 安全・安心の設計システム技術者養成課程 | 2008 |
研究センター連携型オープンフィールド教育 | 2007 | |
国際的「理論・実践循環型」教育システム | ||
電力・通信インフラ研究者・技術者育成課程 | ||
「魅力ある大学院教育」イニシアティブ | ソーシャル・イノベーション研究コース | 2005 |
建学の精神がキリスト教に基づいており、キリストの教えや建学の精神に反することは研究および教育の場でも制限を受けると考えられている。同志社の教育理念として、「キリスト教主義」「自由主義」「国際主義」が掲げられているが、前提は建学精神としてキリスト教精神に基づく「良心」である[1]。
大学生が人口の1割という多さの京都市は、伝統的に大学生に親しみが強く同志社の学生のことを「同やん」と呼ぶ[要検証]。そうした京都の温かい眼に育まれる学生生活を同志社大学の学生は送っている。
同志社大学で活動する団体は「学生支援センター登録団体」、「学友団公認団体」と「その以外」に分けられる。新入生入学時期には各団体のオリエンテーション期間が設けられており、各団体は校地内に設けたブースで新入生に参加を呼びかけている。こうした団体の紹介に専門のフリーペーパーを発行する団体も存在する。同一スポーツでも複数の団体が存在するため、同志社大学内の団体のみが加盟するDoshisha Tennis League(硬式テニス)、D-League(サッカー)などといった連盟が存在する。
同志社大学の学園祭は今出川キャンパスで行われる「同志社EVE」と京田辺キャンパスで行われる「同志社クローバー祭」がある。どちらの学園祭も地域社会に開かれている。
スポーツは大学スポーツ協会には参加していない。
「同志社校友会」と称される同窓会の会員は、同志社大学をはじめ、系列校である
以上の学校を卒業した者又は別科を終了した者となっている。 これには旧予科旧制中学4年修了者も含まれる。ただし、同志社女子大学及び同志社女子中学校・同志社女子高等学校の卒業生は同志社同窓会と呼ばれる別団体の加入となる。
主な活動としては講演会及び親睦のための事業、同志社の発達をサポートするうえで必要とされる事業、同志社で学ぶ学生や生徒及び児童の支援、卒業後の学生の社会人としての活動の支援、全国支部長会の開催と支部活動の支援などがあげられる。
校友会員として会費を納入すると、校友会機関誌である「The Doshisha Times」(デジタル版有)が届けられる。
また全国各地に支部があり、海外にも36の支部が存在する。
今出川校地は京都市上京区にある今出川キャンパス、新町キャンパス、室町キャンパス、烏丸キャンパス、継志館がある校地。人文・社会科学系の研究拠点である。洋風で統一感のある校舎群が特徴となっている。
今出川キャンパスは旧薩摩藩邸の跡地で、同志社英学校時代から利用されている。隣接して冷泉家、南に京都御所、北に相国寺がある。今出川キャンパス内では同志社礼拝堂、クラーク記念館など、5棟が国の重要文化財に指定されている。これらの建物は現在でも講義・事務所・礼拝等に使用されている。
今出川キャンパスの敷地面積は 63,050㎡。
1959年に旧日本電池本社跡地に設置されたキャンパス。2005年秋には政策学部と社会学部が主に使用する臨光館が改築、完成した。臨光館は五摂家の一つの近衛家の邸宅の跡地でもある。また、サークル活動の拠点にもなっている。
室町キャンパスは、烏丸通を挟んで今出川キャンパスの向かいに位置している。旧大学会館跡地であり、2004年3月の寒梅館完成時に命名され、寒梅館一棟のみが室町キャンパスと呼ばれる。法科大学院、ビジネス大学院、総合政策科学研究科が主に使用している。
烏丸キャンパスは今出川キャンパスより北に300mの位置にある、志高館(略称:SK)という校舎一棟で成立しているキャンパス。2010年10月に京都市市繊維技術センターの跡地(約7,700m2)を購入し[156]、2012年11月から使用を開始した。使用学部、研究科は国際教育インスティテュート、グローバル地域文化学部(2013年4月開設)、総合政策科学研究科、グローバル・スタディーズ研究科である。
キャンパス内には日本初となる「キャンパス内交番」を設置している。キャンパス敷地内に設置されている京都府警察上京警察署上御霊前交番には、「トラブル」防止のための学生に対する監視・管理・威嚇の役割が期待されているとし、学生による建設反対運動が行われた。(参考)
京田辺校地は京都府京田辺市の京田辺キャンパスを中心とした校地。相楽郡の学研都市キャンパスを含む。理系、スポーツ系の研究拠点であり、体育会系の活動拠点でもある。
京田辺キャンパスは1986年に同志社女子大学京田辺キャンパスと同志社国際中学校・高等学校に隣接する79万m2の丘陵に開校されたキャンパス。この地は継体天皇の筒城宮の伝承が残る。開校当時は全学部の1・2年次教育を担っていたが、1994年工学部が全面移転したことを皮切りに、理系拠点としての整備が進み、理学・工学・生命科学・情報学系、心理・体育・外国語学系の全学年と、文・法・商・経済学部の1・2年次教育が展開されていた。2013年4月より文系学部は今出川キャンパスに移転し、主に理系学部のキャンパスとなる。京田辺キャンパスの敷地面積は、 788,583㎡。
2005年12月にキヤノンエコロジー研究所跡地を買収し設置。隣接する学研都市病院などとの医工分野における相互協力・連携を含む、新たな理工系研究施設として活用する。現在は主に脳科学研究科が使用している。敷地面積は約5万m2、建物面積は約8,500m2[157]。
総合政策科学研究科ソーシャル・イノベーション研究コースの学外キャンパスとして位置づけられている[158]。
現在の同志社小学校・中学校・高等学校が位置する土地(=岩倉校地、京都府京都市左京区)は、かつて旧制の同志社高等商業学校(現在の商学部などの前身)の校地として使用されたのち、同志社大学の運動施設が置かれていた土地である。岩倉校地の敷地面積は、30,202㎡。
京都厚生年金休暇センター(ウェルサンピア京都)の跡を購入したもの。名称公募により2010年4月1日に命名される[159]。ホテル棟は留学生等のための宿泊施設に活用されている。スポーツ施設は課外スポーツ活動の充実を目的としているが、可能な範囲で一般学生・留学生・教職員に無料で開放され、地域住民も有料で使用が可能である。
同志社大学の学生寮は、居住する学生自身によって管理・運営される点が大きな特徴である。あくまで学生の自主管理であるため、大学が広範に管理を行う一般的な学生寮のイメージとは異なっている。
同志社大学ではこうした学生が自主管理を行う考え方を「自治理念」と呼んでいる。「自治理念」とは、土地や建物は大学の施設であるものの、その管理・運営は、居住する寮生自身によって行うという考え方である。実際、寮の管理・運営における大学との関係においては、自治精神を重視し、一定の緊張感を保った交渉を行っている。
同志社大学内では「自治理念」に基づいた寮であるため、学生寮のことを「自治寮」と呼んでいる。「自治寮」という考え方については、学生運動の流れを汲んでいる。昭和時代の学生運動が盛んなころ、日本全国の大学には、自主独立の気運が存在、同志社大学の学生寮においてもこのような理念が創出され、自治を重んじる風潮が生まれた。なお、1990年代以降における学生寮と同志社大学の関係は良好である。また、過去には、大学の設置者である学校法人同志社の理事にも寮出身者が存在しており、2004年においても、理事を招いての式典等が開催された。
これらの寮の他に大学が管理、運営する寮が存在する。リチャーズハウスの用に外国人留学生と日本人学生が共に生活を行う女子寮や、部活が管理する寮、大学が既存の施設の一部、または全部を借り上げているものが存在する。
2021年9月現在、大学間協定を48ヶ国215大学、学部・研究科間協定を42ヶ国166機関と提携している[166]。
また概論でも触れられているように、13のリベラル・アーツ・カレッジが1972年に設置したAssociated Kyoto Program(AKP)という機関がある。その他にも、米スタンフォード大学が運営するセンターとしてスタンフォード日本センターがあり、アイビーリーグの大学など14の大学が、日本文化を学ぶための京都アメリカ大学コンソーシアム(KCJS)の拠点を置くほか、テュービンゲン大学同志社日本研究センターも学内に拠点を設けている。
海外拠点は台湾、韓国、テュービンゲン、アメリカのアーモスト大学とイギリスのケンブリッジ大学にそれぞれ置かれている[167]。
群馬県にある新島学園は、同志社の創立者である新島襄の理念に共感した湯浅正次(有田屋当主)が、その理念を基に設立した学校で、理念は共有しているが、新島学園を同志社が設立したなどといった関係ではない。しかし、同志社大学への推薦枠を持ち、中学校・高等学校間で交流が行われている。
学校法人同志社が設置する諸学校は、大学を頂点とした大学附属学校の形態を取らず、独立の学校群として位置づけられている。なお、同志社小学校、同志社国際学院初等部・国際部に限り、同志社大学の付属校である。
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