京福電気鉄道
京都府京都市にある鉄道会社 ウィキペディアから
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京福電気鉄道株式会社(けいふくでんきてつどう、英: Keifuku Electric Railroad Co.,Ltd.)は、京都府京都市内で軌道事業(路面電車)とケーブルカー及びロープウェイを運営している会社である。東京証券取引所スタンダード市場(旧二部)に上場している。京福グループの中核企業であるとともに、京阪ホールディングスを親会社とする京阪グループの企業でもある。
京福電鉄本社 | |
種類 | 株式会社 |
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機関設計 | 監査役会設置会社[1] |
市場情報 | |
略称 | 嵐電、京福、京福電車、京福電鉄 |
本社所在地 |
日本 〒604-8811 京都府京都市中京区壬生賀陽御所町3番地の20 北緯35度0分11.8秒 東経135度44分49.7秒 |
設立 | 1942年(昭和17年)3月2日 |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 6130001020672 |
事業内容 | 鉄道事業、軌道事業及び索道事業 他 |
代表者 | 代表取締役社長 大塚憲郎 |
資本金 |
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発行済株式総数 |
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売上高 |
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営業利益 |
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経常利益 |
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純利益 |
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純資産 |
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総資産 |
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従業員数 |
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決算期 | 3月31日 |
会計監査人 | EY新日本有限責任監査法人[2] |
主要株主 |
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主要子会社 | 京福グループ参照 |
外部リンク | https://www.keifuku.co.jp/ |
戦時の配電統制令により、京都電燈が解散するのに伴い、同社の鉄軌道事業を引き継ぐため1942年に設立された(詳細は後述)。
京都市内で軌道事業として「嵐山線」と総称される嵐山本線・北野線を、鉄道事業として比叡山に登る鋼索線(叡山ケーブル)・叡山ロープウェイを運営している。嵐山本線・北野線は「嵐電」(らんでん)と呼ばれ親しまれており、2007年3月以降はそれが公式愛称となっている。
かつては前記のほか、京都市内で「叡山線」「叡電」(えいでん)と総称される叡山本線・鞍馬線の2つの鉄道路線も運営し、福井県内でも福井本社(1993年6月までは福井支社)を置いて鉄道・バス事業を行っていた。叡山本線・鞍馬線は当時経営状態が悪化していたことから、京福全額出資で設立した子会社の叡山電鉄へ1986年に分離譲渡しており[注 1]、福井本社ではバス事業を2000年に子会社の丸岡バスへ全面的に譲渡し(同時に丸岡バスは京福バスに社名変更)、鉄道事業も2003年に第三セクターのえちぜん鉄道へ譲渡して撤退したため、以後は京都市内での軌道事業と鉄道事業(鋼索線)、福井県での小規模な不動産事業を残すのみとなり、最盛期には120kmを超えた営業路線も現在では13km程になっている。
福井県内では、系列企業の三国観光産業(福井県坂井市)が三国競艇場(ボートレース三国)の施設を保有しているほか、越前松島水族館の運営も行っている。
嵐山本線・北野線の利用者数のピークは1965年頃の1483万人であった。2000年代に入ってからは、2000年度に約720万人となった後は年間600万人台で推移したが、2008年度は地下鉄太秦天神川駅開業の効果により702万人となった。しかし2009年度は景気低迷や新型インフルエンザ流行の影響などで676万人に減少し、2010年度も引き続き673万人に漸減した。以後は回復基調にあり、2015年度は789万人が利用した[3]。
2013年4月1日から、嵐電とグループの京都バスの嵐山・嵯峨野地区の路線が1日利用できる「嵐電・嵯峨野フリーきっぷ」を発売した[4]。京都バスは、2014年3月22日に京都市営バス(市バス)とともに嵐山・嵯峨野地区を均一料金区間に編入し、同時に「市バス専用一日乗車券カード」を「市バス・京都バス一日乗車券カード」に改めて嵐山・嵯峨野地区でも使用可能としており(さらに2018年3月17日に「バス一日券」と改称)、嵐電や京都市営バスと連携した料金区間の拡大や交通系ICカードへの対応など、交通機関としてのシームレス化を進めている[5]。
社章は、京都電燈の時代より使用されている菱形雷紋となっている(縦横比は2:3、黒線と空白の比率は4:1)[6]。このほか、一時期福井支社では社章と併用する独自のシンボルマークが使用されていたこともあった[7][8]。
京福グループ全体は京阪グループではあるが、京阪グループ共通ロゴは使用していない(分社化した叡山電鉄では京阪グループ共通ロゴを使用している)。
配電統制令により、京都電燈が配電事業を関西配電(関西電力の前身)・北陸配電(北陸電力の前身)へ、発送電事業を日本発送電へ譲渡し解散するのに伴い、同社の京都(嵐山線・叡山線)と福井(越前線)での鉄軌道事業を引き継ぐため1942年に設立され、同年中に傍系の鞍馬電気鉄道・三国芦原電鉄が合流した。
京福の社名は、鉄軌道事業を行っていた京都と福井それぞれの頭文字を採ったものだが、京都と福井を結ぶ鉄道計画があったわけではない。京都は祇園を始め夜間の電力需要が多く、福井は逆に織物工場が稼動する昼間の電力需要が多いため、互いの電力を融通するために前身の京都電燈が建設した「京福送電線」が語源となっている[9]。
1944年には永平寺鉄道・丸岡鉄道も合併し、1950年頃には京都と福井で合わせて120.9kmもの路線網を擁することになった。その後はモータリゼーションの進展に伴い、1960年代から1980年代にかけて、福井支社管内の不採算路線・区間の廃止や、叡山本線・鞍馬線を叡山電鉄として分社化するなどの合理化を進めた。
当初は阪神電気鉄道と関係が深く、車両や技術面の共通性も見られた。1960年頃までは観光開発地域の競合する京阪電気鉄道と激しく争っていたが、京阪は当時、近畿日本鉄道(近鉄)との間で奈良電気鉄道をめぐって株式の争奪戦となっており、当時の関西電力社長で京阪再発足時の京阪神急行電鉄社長であった太田垣士郎の仲介により、京阪の持つ奈良電気鉄道の株式を近鉄に譲渡し、代わりに近鉄の持つ京福電気鉄道の株式を京阪に売却することになり[10]、京阪グループ入りした(2020年3月31日現在で京阪ホールディングスが43.16%の株式を保有する親会社)。また、かつて大株主として財務大臣が8%以上の株式を保有したことがあるが[11]、これは以前の個人大株主の死去により、相続税の物納として京福電鉄の株式が納められたことによるものである。
京福が近年まで保守的な経営をとっていた表れの一つとして、京都本社では1980年代まで詰襟の制服を採用し、集電装置には集電部が回転するトロリーポールを、嵐山線では1975年まで、叡山線も1978年まで(途中からU字状のスライダーポールに交換)使用していた。いずれもトロリーバスを除く日本の鉄軌道事業者としては最後まで使用していたものである[注 2]。
1964年8月(発坂駅西側)正面衝突事故、1977年8月(発坂駅東側)脱線横転事故、2000年12月(ブレーキ部品脱落)正面衝突事故、2001年6月(発坂駅西側)正面衝突事故など、福井の越前本線内では、わずか1kmの範囲で3度の事故とわずか半年間で2度に亘る電車同士の正面衝突事故を起こしたために、国土交通省中部運輸局から福井地区各線の列車運行停止を命ぜられた。京福は事業継続が困難になったとして、2003年に福井地区の鉄道事業(越前本線・三国芦原線)を廃止して撤退、えちぜん鉄道へ事業譲渡した[12][13]。ただし、福井地区の鉄道事業は1990年代にすでに赤字であり、1992年2月には越前本線東古市 - 勝山間と永平寺線の廃止を表明。沿線自治体の支援によって存続したものの、バブル崩壊によって芦原温泉の定期通勤利用者が激減したことからそれまで堅調であった三国芦原線も急速に収益が悪化。このため事故前から全線廃止を含めた検討をしていた。
越前線からの撤退によって京福は経営不安が表面化したため、2002年に保有する叡山電鉄の株式をすべて京阪電気鉄道に売却した。これは親会社の京阪による救済策とされる。これにより叡山電鉄は京阪電気鉄道の完全子会社となった。
なお、京福は過去にも、1964年1月5日に当時の鞍馬線(現・叡山電鉄鞍馬線)で正面衝突炎上事故を起こし、わずか7か月後が前述の正面衝突事故である。またバス部門でも、1985年10月に2階建て観光バスが中央自動車道でガードレールを突き破って県道に転落し、乗客3人死亡、57人が重傷、運転していた乗務員がその場で自殺するという事故を起こしている。
各路線の運行形態、駅の一覧は以下の各項目を参照。
線名の前のマークは駅番号の線別ローマ字記号(嵐山本線はA、北野線はB)を表す。京福電鉄の公式サイトなどでは、嵐山本線と北野線をあわせて、嵐山線[24]、嵐電と称されている。
合併などの経緯により路線同士が離れていたり、異なる路線規格を複数持ったりしている鉄道事業体は他にも存在するが、京福の3路線群は鉄道技術面での統一がまったく行われず(電動貨車の嵐電モト1000形・叡電デト1000形のみ共通車体)、たとえば300形電車をとっても、嵐山線はモボ301形・叡山線はデオ300形・越前線はホデハ301形(その後モハ・クハに変更してえちぜん鉄道になってからはMC・TC)と車両番号が重複するどころか、形式記号までバラバラであった。嵐山線の「ボ」や越前線の「ホ」はボギー車を意味するが、この形式記号を使っている鉄道会社は現在ではごくわずかである。
嵐山線と鋼索線の現有車はすべて阪神電鉄系の武庫川車両工業製であり、分社された叡山線も現有車は武庫川車両製で統一されており、越前線でも阪神電鉄からの移籍車両を多く受け入れていた。2002年の武庫川車両工業解散後(後身として阪神車両メンテナンスを設立)は新車が導入されていない。モボ101形は更新時の車体組立を担当した。
車体塗装は全路線において、上半分が薄茶色・下半分が緑色となっていた。1970年代に京福バスが白地・茶帯塗装(京都バスも同一塗装)を採用すると、越前線でも比較的すぐこれを採用。尾灯部分も茶色に塗ったり、同じ形式でも頭部を茶色に塗った車両と白に塗った車両が混在したりするなどの特徴があった。叡山線でも叡電分離後の新車に白地・茶帯塗装が採用されたが、現在は叡電・えちぜん鉄道ともに全く新しい塗装が採用され、この塗装の車両は消滅した。嵐電においても塗装簡略化を目的として2010年の開業100周年を機に、塗色が「京紫」に変更されることになり、2020年6月現在で塗色変更車が19両まで拡大されており、従来の塗色車は徐々に数を減らしている。(2020年6月現在で従来塗装車は301号、103号の2両のみ)
車体デザインは大きく変更しながらも、全車が同一性能を持つという車両設計の下、1990年代後半になるまでモボ101形の主要機器類を踏襲した自動加速制御の吊掛け駆動車を導入してきた。これは鉄道事業者としては異例である。だが、最新のモボ2001形でWN駆動方式やVVVFインバータ制御を採用するなど、最新技術も多数採用している。ただ、そのためにモボ2001形は他形式との併結ができず、2両編成になる場合は2001号と2002号の組み合わせに限定される。方向幕はモボ501形以降に搭載され、それまでの車両には運行標識を掲出して運行している。方向幕はモボ501形とモボ611形以降とでは変更されている(モボ501形には「ワンマン」の表示が入る)。
製造順に配列
年度 | モボ101形 | モボ111形 | ク201形 | モボ121形 | モボ301形 | モボ501形 | モボ611形 | モボ621形 | モボ21形 | モボ631形 | モボ2001形 | 合計(冷房車) |
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1982 -1984 | 6 | 7 | 3 | 10 | 2 | 28(0) | ||||||
1985 | 6 | 6 | 3 | 9 | 2 | 2 | 28(2) | |||||
1986 -1988 | 6 | 6 | 3 | 7 | 2 | 4 | 28(4) | |||||
1989 | 6 | 6 | 3 | 7 | 2 | 4 | 28(6) | |||||
1990 | 6 | 6 | 3 | 7 | 2 | 4 | 28(8) | |||||
1991 | 6 | 6 | 3 | 5 | 2 | 4 | 2 | 28(10) | ||||
1992 | 6 | 6 | 3 | 5 | 2 | 4 | 2 | 28(14) | ||||
1993 | 6 | 3 | 3 | 5 | 2 | 4 | 3 | 2 | 28(17) | |||
1994 | 6 | 0 | 3 | 5 | 2 | 4 | 6 | 2 | 28(20) | |||
1995 | 6 | 3 | 3 | 2 | 4 | 6 | 2 | 2 | 28(22) | |||
1996 | 6 | 2 | 1 | 2 | 4 | 6 | 4 | 2 | 1 | 28(25) | ||
1997 -2000 | 6 | 0 | 0 | 2 | 4 | 6 | 5 | 2 | 3 | 28(28) | ||
2001 | 6 | 2 | 3 | 6 | 5 | 2 | 3 | 1 | 28(28) | |||
2002 -2011 | 6 | 2 | 2 | 6 | 5 | 2 | 3 | 2 | 28(28) | |||
2012 -現在 | 6 | 1 | 2 | 6 | 5 | 2 | 3 | 2 | 27(27) | |||
ここではえちぜん鉄道に継承されなかった車両を記す。
嵐山本線、北野線を通じて、大人250円、小人120円の全線均一運賃である(2023年4月1日改定)[44]。定期運賃も均一の全線定期券のみである。係員が配置されている駅では、自動券売機で普通乗車券を購入できる。
2002年6月30日までは180円、210円、230円の区間制運賃であった。スルッとKANSAI加盟に際し、降車時のみのカード処理で済ませられるよう、2002年7月1日から均一運賃(大人200円、小人100円)となった。これに伴い、不要となった各車両の整理券発行機は撤去された。定期運賃は、距離制が維持された。
2014年4月1日の消費税率改定(5%→8%)の際は、国土交通省(近畿運輸局)から上限運賃210円の認可を受けた上で、適用運賃は200円として値上げを見送ったが、2015年4月1日に適用運賃を210円とする値上げが行われた。さらに、2017年4月1日に220円に値上げされた。定期運賃も均一となり全線乗車可能となった[45]。2023年4月1日に250円に値上げされた[44]。
2011年4月1日より、IC乗車カードのPiTaPaと、自社専用の「らんでんカード」が導入された[46]。
2011年4月1日からはICOCAも利用可能となり、2013年3月23日からは全国相互利用交通系ICカードにも対応した[20]。ただし、京福電鉄の駅および車内ではチャージできないため、事前に他社局の駅などでチャージしておく必要がある。また、割引用manaca、割引用はやかけん、障がい者用nimocaは利用できない(相互利用対象外)。
らんでんカードの発売額は大人2,500円(デポジット500円を含む)。有人駅または車内で2,000円単位でチャージでき、2,200円分利用できる。チャージ額の有効期限は6か月で、その後は無効になる。ただし有効期限が切れる前に追加でチャージすれば、チャージ残額全体の有効期限が6か月後まで延長される。沿線店舗の優待特典が付く。
以下の乗車券は発売を終了した。
2010年3月27日から1年間、嵐電開業100周年を記念して土・日曜日及び年末年始・お盆期間の小児運賃が無料となる「休日は家族みんなで出かけようキャンペーン」が実施された。
紙の回数券(11券片、発売額2,000円、3か月有効)は2011年4月1日をもって廃止され、代替として「らんでんカード」が発売された。
2002年7月1日から2018年1月31日までスルッとKANSAI対応カードが利用可能であった。京福電鉄では大人2,000円券のみを発売した。カード処理機は路線バス車内に搭載されているものと同様のもので、有人駅改札口および車両内の運転台後ろに設置された。券面印字は有人駅の処理機では「京福 四大宮」「京福 帷子辻」「京福 嵐山」「京福 白梅町」、車内処理機では「京福電鉄」となっていた。
係員が配置されているかどうかで乗降方法が異なる。運賃は、降車時に払う。
係員配置駅で無配置の時間帯は、係員無配置駅と同様の取り扱い。なお、嵐電天神川駅、太秦広隆寺駅、御室仁和寺駅など、係員無配置駅で観光客や乗継客が多い駅では多客が見込まれる時間帯に係員が派遣され、ホーム上で運賃収受業務を補助することがある。
2007年から乗客誘致策のひとつとして夏季に妖怪電車が運転されている。夕刻以降嵐山本線と北野線に臨時列車として運転される。一般乗車券や各種フリー乗車券では乗車できず、通常の運賃と同額で発売される専用の乗車券が必要である。妖怪の仮装をした乗客は50円[48](2016年は10円[49]、2019年は100円[50])で乗車できたが、4年ぶりの運行となった2023年は、運賃の割引はなく、嵐山駅はんなり・ほっこりスクエアの各店舗で100円のお買い物券として利用できる「妖怪札」の進呈になった[51]。
妖怪電車は車内照明にブラックライトを使用したり、様々な妖怪を紹介するポスターを掲示したり、車両に取り付けられている方向幕が青くなるなどムードの演出がされている。一般の仮装客のほか、地域のまちづくり組織も仮装して参加協力するなどイベントの盛り上げに一役買っている。2011年の運行時は、前面方向幕部分には「妖怪電車」の文字のシートが貼られ、側面方向幕は「団体」表示の一方赤く照らされる演出がされた。
2010年までは、嵐山本線四条大宮 - 嵐山間を3往復後、嵐山→北野白梅町、北野白梅町→帷子ノ辻→西院と北野線にも乗り入れていたが、2011年は、嵐山本線四条大宮 - 嵐山間2往復の運転にとどまった。
車両は、基本的にモボ611形、モボ621形、モボ631形のいずれかが使用されるが、場合により、モボ21形やモボ501形も使用されることがある。
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