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1926-1999俳優。旧芸名は菅原謙二。 ウィキペディアから
菅原 謙次(すがわら けんじ、1926年3月14日 - 1999年12月24日)は、東京都出身の俳優。旧芸名は菅原謙二。映画、テレビ、新派劇での活躍で知られた。本名は小松原重政。生前は日本俳優協会常任理事、アクターズハウス俳優養成所所長なども務めた。スペイン舞踏家の小松原庸子は妹。
1943年(昭和18年)、日本映画学校 (戦前)入学。1949年(昭和24年)、俳優座養成所に1期生として入所。
1951年(昭和26年)、大映より「絢爛たる殺人」で映画デビュー。現代劇を中心に二枚目スターとして多くの映画に主演。柔道3段の腕前が買われ、柔道家の役も多かった。若尾文子とのロマンスが話題となる。
1961年(昭和36年)、フリーとなり、TBSドラマ「七人の刑事」がヒット。東映の任侠映画にも出演するようになる。この後、芸名を謙二から謙次に改名。同世代の俳優である高橋貞二、佐田啓二がいずれも若くして世を去った(いずれも交通事故死)ことから「名前に「二」の付く名前の方は二枚目が多いが、若くして亡くなる方が多い」と意識して改名したという[1]。
1973年(昭和48年)、新派入りし「明治一代女」「滝の白糸」「日本橋」「婦系図」など名作に出演。水谷八重子亡き後、水谷良重(現・2代目水谷八重子)、波乃久里子、安井昌二と並ぶ「新派4本柱」となる。
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