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日本のテレビドラマ番組 ウィキペディアから
『大石内蔵助 冬の決戦』(おおいしくらのすけ ふゆのけっせん)は、1991年1月1日にNHKで正月スペシャル時代劇として放送されたテレビドラマ。前編(85分)を21:00 - 22:25、途中5分間のミニ番組を挟んで後編(95分)を22:30 - 0:05に放送した。
前年の元旦に放送されたNHK正月時代劇『荒木又右衛門 決戦鍵屋の辻』で脚本を担当した田向正健が再び脚本を執筆。大石内蔵助とその家族を中心に播州赤穂藩浅野家の断絶から吉良邸討入りまでの所謂赤穂事件を描く。松の廊下での刃傷に至る経緯や「義士銘々伝」といったいわゆる講談調の「お約束」場面は殆ど描かれず、大石家の日常と江戸での浪士たちの極貧生活などの描写に比重を置いた、古今数多ある忠臣蔵ものの映像作品の中でも異色の作りとなっている。浪士たちの討入り時の装束も一般的な揃いの黒の火事装束ではなく、各々バラバラの小具足や兜・鉢金などを装備した地味な物となっている。「お約束」場面は殆どスルーしている一方で、討入りの場面での殺陣や赤穂城大広間での大評定の場面などは相当に力を入れたシーンとなっている。また、事件の発端となった吉良と浅野の確執もその原因は最後まで謎のままであり、当事者の吉良上野介も事件について心当たりが無く困惑しているという設定である。
主君・浅野内匠頭が殿中で吉良上野介に斬り掛かり切腹、御家は断絶という報せを受けた播州赤穂藩浅野家の家臣たちは、情報のあまりの少なさと曖昧さに苛立ちと戸惑いを隠せない。家老上席の大石内蔵助は心中密かに主君の仇討ちを決意し、腹心の吉田忠左衛門に胸の内を語る。藩士たちの覚悟を量る為の方便として一同揃っての殉死を提案するが、城代家老の大野九郎兵衛を始め多数が殉死を拒絶。320人の藩士の内、誓紙血判をしたのは僅か120人。長く続いた泰平の世は、家臣たちの多くに死を選ばせなかったのである。この時をもって赤穂城は無血開城と決した。
一方、内蔵助の嫡男・主税は遊び仲間の源助が収城使の軍勢に斬り掛かって返り討ちに遭うのを目の当たりにしながらも見殺しにしてしまった事で自責の念にかられる。大石家の家士・新之助は赤穂藩の一大事に気が昂り、衝動的に下女のしのに求婚して周囲を唖然とさせる。内蔵助の妻・りくは次々と起こる諸問題に対処しながらも、夫・内蔵助や息子の主税との別れを予感する。刃傷事件の一方の当事者である吉良上野介はいくら考えても何故浅野内匠頭が自分に斬り掛かって来たのか、自分のどの言動があれ程の怒りを買ったのかが理解できずに困惑していた。
やがて大石家は赤穂を離れて京都山科へと移り住む。ここから大石家と赤穂浪士たち、吉良家の人々の足掛け二年にも及ぶ長い苦難の日日が始まる・・・
大石家
討入り参加した赤穂藩士
討入りに参加しなかった赤穂藩士
赤穂藩士の家族
三次浅野家
吉良家
幕閣
その他
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