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山形県鶴岡市にある地方銀行 ウィキペディアから
株式会社荘内銀行(しょうない ぎんこう、英語:The Shonai Bank, Ltd.)は、山形県鶴岡市に本店を置く地方銀行。庄内地方を地盤としており、鶴岡市及び酒田市の指定金融機関である。店舗網はこのほかにも山形県内各地や隣接する宮城県、福島県と東京都にも展開している[2]。
荘内銀行本店 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
機関設計 | 監査等委員会設置会社[1] |
市場情報 |
東証1部 8347 2006年2月22日 - 2009年9月25日 |
略称 | 荘銀 |
本店所在地 |
日本 〒997-8611 山形県鶴岡市本町一丁目9番7号 |
設立 | 1941年4月7日 |
業種 | 銀行業 |
法人番号 | 2390001007367 |
金融機関コード | 0121 |
SWIFTコード | SNAIJPJT |
事業内容 | 預金業務、貸出業務、有価証券売買業務・投資業務、為替業務など |
代表者 | 松田正彦(代表取締役頭取) |
資本金 |
85億円 (2023年3月31日現在) |
発行済株式総数 |
1億2132万株 (2015年3月31日現在) |
売上高 |
243億7600万円 (2023年3月期) |
経常利益 |
23億9000万円 (2023年3月期) |
純利益 |
16億3000万円 (2023年3月期) |
純資産 |
585億8100万円 (2023年3月31日現在) |
総資産 |
1兆4900億4800万円 (2023年3月31日現在) |
従業員数 |
542人 (2023年9月30日現在) |
決算期 | 3月31日 |
会計監査人 | EY新日本有限責任監査法人 |
主要株主 | フィデアホールディングス 100% |
外部リンク | 公式サイト |
荘内銀行のデータ | |
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法人番号 | 2390001007367 |
店舗数 | 89カ店(本支店88、出張所1) |
貸出金残高 | 9330億円 |
預金残高 | 1兆3743億円 |
特記事項: (2023年9月30日時点) |
秋田県が地盤の北都銀行とともにフィデアホールディングスの傘下にある。
第六十七国立銀行を前身とする銀行を含めた戦時統合によって1941年(昭和16年)に設立。そのため、山形県では唯一の国立銀行を前身とする銀行である。
資金量では地銀中低位に位置するが、早くから投資信託や生命保険の販売に力を入れており、総預かり資産における投信預かり資産の割合は上位に位置する。通称は荘銀(しょうぎん)。北都銀行と金融持株会社方式で経営統合した。
2009年(平成21年)10月1日、北都銀行とともに株式移転により新規設立された金融持株会社フィデアホールディングス株式会社の傘下に入った[3]。
初代頭取は、庄内藩第12代藩主・酒井忠宝の長男である酒井忠純であり、2004年(平成16年)に死去した第17代当主酒井忠明は、亡くなるまで荘銀の相談役を務めていた[4]。また、忠宝の次女銑子は、安田財閥の安田善次郎 (2代目)に嫁ぎ[5]、長男として安田一が誕生している。このように酒井家を介し、荘銀と芙蓉グループの関係は古くから近しいものがある。
2024年1月25日、フィデアホールディングスは北都銀行と荘内銀行の2026年度中の合併に向けて検討を進めることを発表した[6]。同年3月までに合併に向けた準備委員会を設置し、新銀行の名称や本店の所在地などを協議することにしている[6]。
鶴岡市内では、最大で16店舗展開していたが、営業体制の見直しで本店営業部など6店舗に移転・集約となった。
荘内銀行が発足した際には、前身の1行である六十七銀行が1932年(昭和7年)に新築した本店を荘銀本店とした。戦後、業容の拡大に伴い、オフィスが狭小化し、再三にわたって増築を繰り返し急場を凌いできたが、予想される銀行事務の機械化に備えるべく、本店の全面改築が検討され、1961年(昭和36年)4月1日、創立20周年記念事業の一環として本店建築準備委員会を発足させた。このときに、本町2丁目で営業していた佐金呉服店が鶴岡駅前に移転することが分かったため、荘銀は郵政省と折衝。その跡地を鶴岡郵便局の移転先として斡旋し、同省も了承した。これによって荘銀は本店と隣接していた鶴岡郵便局跡地を買い取り、本店の新築予定地として996.94坪を用意した。こうして本店新築工事は着工し、1964年(昭和39年)10月24日、地下1階、地上5階、塔屋2階の新本店が竣工。10月26日から業務を開始した[21]。
その本店も老朽化したため、6階建の新本店を建設し、2017年(平成29年)7月18日にオープンした。新本店には1階にエントランスホールとギャラリーを設置したほか、上層部には荘銀本店ホールも設けた[22]。また本店営業部にはゆうちょ銀行ATMも1台設置[23]。翌年5月から本店ホールも一般向けの貸し出しを始めた[24]。
酒田市内では、最大11店舗を展開していたが、営業体制の見直しで酒田中央支店など4店舗に移転・集約となった。2021年(令和3年)10月11日、中核店舗の酒田中央支店は完成した酒田産業会館で営業を開始した。
山形市内では、最大で13店舗を展開していたが、営業体制の見直しで、山形営業部など7店舗に移転・集約となった。
1942年(昭和17年)9月、県都進出における第1号店として七日町に山形支店を開設し、1957年10月に本町一丁目に新築移転した[25]。
1997年(平成9年)11月、建設を進めた荘銀山形ビルが竣工し、それを機に従来の山形支店を山形営業部と改め、本店からはシステム企画部(当時)などの本部部署の一部を同ビルに移した[25]。
米沢市内では、富士銀行米沢支店の業務を継承した米沢支店など最大で4店舗展開していたが、営業体制の見直しで、中核店舗の米沢中央支店に全店が移転・集約となった。
仙台支店は、荘銀における初の県外店舗として、1964年(昭和39年)7月に開設され、86年10月には、店舗の老朽化を受け建設された荘銀ビル1階で営業を開始した。これに先立ち、78年8月には市下2店目として長町支店が開設されている。
2000年(平成12年)の長町支店ザ・モール仙台長町出張所(Q's SHOP仙台長町)を皮切りに、仙台圏でインストアブランチや小型店の出店を進め、20年には仙台市青葉区(仙台・栗生)、太白区(長町)、泉区(桂ガーデンプラザ・イオン中山)、若林区(荒井)、仙台市以外でも富谷市(明石台・イオン富谷 )、名取市(名取エアリ)、利府町(イオン利府)と、10店舗を展開していた。しかし、20年末までに大規模な統合が行われ、仙台・長町・桂ガーデンプラザ・明石台の4店舗に拠点は絞られた。
1969年(昭和44年)11月、東京支店は千代田区内神田の繊維貿易会館ビル(現:センボービル)に路面店として開設されるが、後に空中店舗となった。2010年(平成22年)3月、北都銀行とともに中央区日本橋室町に所在のヒューリック日本橋室町ビル(現:日本橋室町プラザビル)2階へ移転してATMは撤去されたが、カード入出金は同じ階の北都銀行ATMを共同利用することになった[26]。2019年(令和元年)5月、東北銀行東京支店も共同店舗化される。
前述にもある通り、近年は、江戸川区や板橋区、武蔵野市のイオングループや三菱商事都市開発のショッピングセンターに、インストアブランチ形式の店舗を開設していたが、2021年4月までに3店とも東京支店に統合(ブランチインブランチ化)された。これらの3店舗は、土日祝日も営業しており、ATMも設置していた。
1992年(平成4年)9月末まで庄内地方は日本銀行秋田支店の所管だった[注 1]。このため荘銀は秋田支店を開設するまで為替の集中決済は全て他行に代理交換を依願していた[27]。しかし、昭和40年代に入り地域経済の広域化が進み、他行に対する代理交換を解消することを狙い、1966年(昭和41年)1月28日、秋田市楢山字長沼の安田生命秋田ビル[注 2] に秋田支店を開設している。
1968年(昭和43年)、富士銀行秋田支店が日本勧業銀行秋田支店に営業譲渡し秋田県から撤退した[28]。荘銀は、旧富士銀行秋田支店を買収し、70年6月に秋田支店をに移した。その店舗も老朽化したことから建て替えられ、1999年(平成11年)3月に秋田支店が入る荘銀秋田ビルが竣工した[28]。
2022年(令和4年)3月25日をもって秋田支店の営業を終了[29]、3月28日に酒田中央支店に統合(ブランチインブランチ化)された。秋田支店のあった荘銀秋田ビルには、行員が住宅ローンの相談や手続きを行う相談窓口とATMを設置したが[29]、12月30日で相談窓口は営業を終了。窓口に設置してあるATMは、23年1月13日で荘銀秋田ビルでの稼働を終え、1月16日、北都銀行本店営業部ATMコーナーに移設され、稼働を始めた。
2024年(令和6年)7月29日、旧荘銀秋田ビルには、賃貸住宅経営全般に対応する部署が集結する新拠点として[30]、株式会社秋田住宅流通センター大町支店が開設された[30]。
福島支店は他県資本の地銀支店で唯一、福島市の金融街ことレンガ通り(福島の兜町)沿いに店舗を構えず、東北新幹線の開通を見据え新たに開発が進められた福島駅西口地区(三河南町)の高湯街道沿いに1974年(昭和49年)7月24日に開設され、76年7月には新店舗が完成した。
2008年(平成20年)5月31日にショッピングモールフェスタの本館専門店エリアの2階に、インストアブランチ・ジャスコ郡山支店として開設。11年3月1日のイオングループのGMS店舗のブランド統一に伴い、5月1日、イオン郡山支店と改称した。しかし、東日本大震災によってフェスタ本館が被災。営業再開の目処が立たない為、同16日には、郡山市並木一丁目に臨時相談窓口を設置し、同20日には臨時常設店舗として窓口業務を再開。7月1日、臨時常設店舗を正式に支店とした。しかし、合理化推進のため、2020年(令和2年)2月14日、福島支店に統合(ブランチインブランチ化)された。
1997年(平成9年)以後の銀行法改正により出店規制自体が緩和され、欧米で浸透しはじめていたインストアブランチ形態の出店が可能となった。専門家などによる書籍などでは、銀行の営業時間外の銀行店舗スペースを他のテナントエリアとシャッターで仕切らない、荘銀やイオン銀行の店舗が「インストアブランチ」のモデルケースとされることが多い。
最大で山形県内外の商業施設に16店舗展開していたが、2021年(令和3年)4月までに宮城・東京からは全店撤退[31]。残りの山形のイオンの商業施設に出店する3店も[32]、22年7月末までに近隣店舗に移転統合となった。これによって、日本唯一の成功例とされた荘銀のインストアブランチは全て閉店した[33]。
鶴岡出身である藤沢周平が原作の『蟬しぐれ』が映画化された際、主演を務めたことが縁で、市川染五郎 (7代目)がイメージキャラクターとして起用していた[43]。また、1995年(平成7年)8月からマスコットキャラクターとして、タマ&フレンズを使用してきたが、22年7月で終了した。
1974年(昭和49年)10月、オンラインによるシステムの開発と運用を目的に、山形相互銀行(現:きらやか銀行)と共に資本金5000万円でエスワイコンピューターサービス(SYC)を山形市小白川町に設立し、委託方式で翌年11月から第一次オンラインシステムを稼動させ、1986年(昭和61年)1月には第二次オンラインシステムが稼動となった。
その後、歳月の経過によってSYCによる総合オンラインシステムも老朽化した上、年々、金融のIT化が進展する中、両行においても新システムの構築が喫緊の経営課題となった。そこで協議を重ねた結果、システム分野における独自性を最優先させ、2006年(平成18年)上期までにSYCの共同運営を終了するとの決定を下した。これを受け、同年5月7日から荘銀の基幹系システムは、NTTデータ地銀共同センターへと移行している[45][46]。
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