草津市
滋賀県の市 ウィキペディアから
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草津市(くさつし)は、滋賀県南東部に位置する市。県庁所在地の大津市に次ぐ、県下第2位の人口を有する都市である。
琵琶湖や山林の面積を除いた可住地面積人口密度は(3033.6人/km2、2017年10月)、人口集中地区 (DID) 人口密度は約7,090人/km2[1] となり、大津市とほぼ同じである。
関ヶ原以前は東海道と東山道の分岐合流点、江戸時代には東海道と中山道の分岐合流点の宿場町(草津宿)であった、近年はJR東海道線(琵琶湖線)・草津線、国道1号・名神高速道路・新名神高速道路など日本を東西に結ぶ交通網を有しており、特に紀伊半島・東海道ルート(亀山・伊勢・新宮・名古屋・浜松・東京・いわき方面)と琵琶湖-若狭湾岸・東山道ルート(米原・敦賀・岐阜・塩尻・高崎・郡山方面)の分岐点となる交通の要衝である。草津より東進すると、東海道ルートと東山道ルートの合流点は岩沼(竹駒神社所在地)になる。
なお、JRの駅別乗降客数の県内1位(草津駅)と2位(南草津駅)の駅は、いずれも当市域にある。JR西日本の新快速で草津駅 - 京都駅間は21分、草津駅 - 大阪駅間は51分とアクセスしやすい距離にあり、京都・大阪両都市のベッドタウン・衛星都市として人口が増加している。そのため京都府・大阪府に通勤通学するいわゆる「滋賀府民」も多い。特に立命館大学びわこ・くさつキャンパス(BKC)が最寄りの南草津駅は1994年開業と比較的新しい駅ではあるが、現在は駅周辺はマンションが立ち並び、利用者数は県内1位になるほど発展している新しい街である。なお、南草津駅西口付近には新興住宅地の南草津プリムタウンが整備された。2020年に大津市の西武大津店が閉店したため、草津駅前の近鉄百貨店草津店が県内唯一の百貨店となった。
県庁所在地である大津市は京都市と距離があまりにも近いため、大企業の滋賀県における拠点(支店・営業所)が、大津市ではなく当市に置かれることも多い[注釈 1]。
国土交通省による都市圏の概念では、「京都都市圏」と定義する区域に含まれているが[2]、その中でも当市は第2次産業の集積を要因とした求心力が強い都市とされている[3]。なお、2010年度国勢調査によると当市の昼夜間人口比率は109と、100を上回っている[4]。また2012年の経済センサスによると、2011年の人口当たり年間小売販売額は1,209千円と高く、当市は滋賀県湖南地域における商業の中心的都市となっている[5]。
同地名の温泉(草津温泉)で有名な草津町(群馬県吾妻郡)とは、1997年9月8日から友好都市提携を結んでいる[6]。なお、草津市にも(滋賀の)草津温泉があったが2016年6月29日の営業をもって廃業した[7]。同温泉は1925年に創業した温泉施設であり、かつては宿泊施設を併設していた[7]。
草津川は代表的な天井川で、治水事業として中流域(金勝川合流点)から南寄りに草津川放水路(草津川)が開削され、2002年に旧河道は合流点から廃川となった。
草津川放水路は、廃川になった時点で草津川と名称を替え、管轄も国土交通省から滋賀県に移管されている。旧草津川と呼ばれるようになった旧河道跡は、築堤の一部が切り崩されたものの大半は現存しており、JR東海道線(琵琶湖線)や旧中山道などは今なお築堤をトンネルで抜けており、現存する数少ない遺産となっている。
2010年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、8.00%増の130,854人である。増減率は県下19市町村でもっとも増加率が高い。
草津市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 草津市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 草津市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
草津市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
室町幕府15代目将軍足利義昭と共に京へ上洛した織田信長は、提示された管領または副将軍の職を辞退し、代わりに堺・大津・草津の支配権の承認を求めた。 当時の草津は、東海道・中山道および琵琶湖の湖上交通を結ぶ交通の要衝であり、鉄砲の名産地であり世界的な貿易港としての役割を持つ堺や、京都の外港あるいは衛星都市としての役割を持つ大津と並び重視されていたことが分かる。
草津市の歴代市長は下表の通りである[8]。
代 | 氏名 | 生年月日 | 投票日 |
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1 | 黒川広太郎 | 1889年05月10日 | 1954年12月03日 |
2 | 黒川広太郎 | 1889年05月10日 | 1958年11月27日 |
3 | 木村太一郎 | 1903年10月25日 | 1962年11月03日 |
4 | 木村太三郎 | 1907年05月03日 | 1965年02月07日 |
5 | 木内宗光 | 1913年07月21日 | 1969年01月26日 |
6 | 木内宗光 | 1913年07月21日 | 1973年01月28日 |
7 | 春日昻郎 | 1925年03月30日 | 1977年01月30日 |
8 | 春日昻郎 | 1925年03月30日 | 1981年02月01日 |
9 | 髙田三郎 | 1925年04月06日 | 1985年01月27日 |
10 | 髙田三郎 | 1925年04月06日 | 1989年01月29日 |
11 | 髙田三郎 | 1925年04月06日 | 1993年01月24日 |
12 | 古川研二 | 1932年01月25日 | 1995年02月26日 |
13 | 古川研二 | 1932年01月25日 | 1997年02月14日 |
14 | 芥川正次 | 1958年05月23日 | 2003年02月09日 |
15 | 伊庭嘉兵衞 | 1942年05月21日 | 2004年03月21日 |
16 | 橋川渉 | 1949年02月12日 | 2008年02月24日 |
17 | 橋川渉 | 1949年02月12日 | 2012年02月19日 |
18 | 橋川渉 | 1949年02月12日 | 2016年02月21日 |
19 | 橋川渉 | 1949年02月12日 | 2020年02月16日 |
中心となる駅:草津駅 (ただし、市内で最も乗降者数が多いのは、南草津駅)
遊覧航路については、かつては琵琶湖博物館への定期航路が運航されていた[9]。
一般航路(生活航路)については、かつては大津港と当市を結ぶ旅客航路である山田航路や穴村航路が運航されていたが、1968年に前者が廃止されて以降は運航されていない[10]。
草津市にゆかりのある各界の著名人で構成されたPR集団である[17]。草津市のイメージや認知度アップのために、情報発信や様々な活動を行い、草津市を応援している[17]。団体や草津市出身以外の草津市在住者もメンバーとなっている。なお、当項では現在のメンバーと過去のメンバーに分けて紹介する。
(出典:[18])
(出典:[19])
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