小槻神社
滋賀県草津市青地町にある神社 ウィキペディアから
滋賀県草津市青地町にある神社 ウィキペディアから
小槻神社(おつきじんじゃ[1][2]/おつぎじんじゃ[3])は、滋賀県草津市青地町にある神社。式内社で、旧社格は郷社。神紋は「下り藤」[2]。
祭神は次の2柱。
古代に栗太郡(現在の草津市・栗東市一帯)の豪族の小槻山君(小月山公)が、祖神として於知別命を祀ったのが創祀とされる。小槻山君は朝廷に采女を献上していたことから、栗太郡郡司クラスの家柄だったと推測されている。小槻山君は貞観15年(873年)に京に居を移し、のち小槻氏(官務家)として朝廷に仕えた。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では近江国栗太郡に「小槻神社」と記載され、関係社の小槻大社(栗東市下戸山)とともに式内社に列している[1]。社名の読みは「ヲツキノ」と振られる。
社伝では、貞観2年(860年)に「正一位 小槻大明神」の宣旨を賜わったとするほか、天徳3年(959年)に現在の志津池付近に遷座し、小槻大社の「小杖宮」に対し「池の宮(池宮)」と称したという。延慶・宝暦年間の2度、社殿と神宝等を焼失。室町時代から戦国時代にかけては青地氏からの崇敬を受けて社殿の寄進・修繕がなされたほか、例祭には城中に神輿が渡御したという。
また社伝では、草津市街の小汐井神社(草津市大路)と深い関係にあるとする。その中で、貞治3年(正平19年、1364年)の神輿造営以来、例祭には神輿は小槻大社・小槻大社・小汐井神社を巡ったが、これを廃すにあたり小汐井神社の神宝・瓶子を分かち合って関係の証にしたと伝える[4]。のちに小槻神社のものは焼失したが、小汐井神社では現在も神宝としているという。
明治9年(1876年)に近代社格制度において村社に列し、明治14年(1881年)の大造営後、明治16年(1883年)に郷社に昇格した。現在の社殿は明治14年時の造営のものになる。
境内は戦国時代の青地城跡に接する。本殿は三間社流造檜皮葺で、間口三間・奥行二間。明治14年の造営になる。拝殿は入母屋造で、間口三間・奥行三間。
また境内には古墳群があったといい、出土した古墳石材を用いて石垣を造営したという。そのほか、境内のツブラジイは樹高18メートル、推定樹齢100年以上といわれ、草津市の名木に指定されている。
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